第九十三話
第九十三話です。
神龍フィーリヘルトは大人しく、戦いを好まないと言われている存在だ。
ここ数百年、フィーリヘルトが何者かと交戦した記録は存在しないし、周囲に破壊をもたらすような災害すらも起こしたことはない。
ただ、彼の存在は人の営みを見守るように現れ、去っていくだけの神聖な存在。
そう、先日に読んだ本に記されていたのだけど、今私の目の前で起こっている現実では違っていた。
「———綺麗」
見上げるほどに高く、空に上がったのは一頭の龍。
雲の切れ間から差し込む太陽に反射し青白く輝く体表。
雄々しく伸びた角。
宝石のように綺麗な瞳。
とぐろをまくようにした浮き上がったフィーリヘルトに、私は心奪われてしまう。
しかし、それと同時に圧倒的な存在感に体を動かすことができない。
その荘厳さと、生物としての位階―――格の違いを無理やり理解させられる。
「チサト、あれは……味方、だよね?」
「……多分」
リーファの言葉に曖昧に頷く。
フィーリヘルトは眼下のベヒモスを見下ろしている。
私達に敵意を向けていないのか、はたまた眼中にないのは分からないけど、私達を攻撃しようと思っているわけではなさそうだ。
「カイト君、君は……」
だからこそ、フィーリヘルトの頭にしがみついている彼の異常さが際立ってしまう。
元より、フィーリヘルトは人間に近しい類の神獣であるが、ある意味で最も遠い存在でもあるからだ。
見れはするけど、触れられることを叶わず。
探せはすれど、捕まえることは叶わず。
フィーリヘルトに触れた者がいないという前例を飛び越えたのが、カイト君だ。
「キュォォォン!」
フィーリヘルトの雄叫び。
それと共に、宙に浮いた龍が急降下しながらベヒモスへと襲い掛かる。
「ブォォ!」
一方のベヒモスは恐怖の感情を見せながらも相対しようとする。
地上のベヒモスと天空のフィーリヘルト。
まるで絵画のような現実離れした光景を視界に映し込む。
とぐろを巻くように回転しながら降下してきたフィーリヘルトが、長大な尻尾での攻撃を叩きつける。空気が破裂する音と共にベヒモスの牙へと叩きつけられたソレは、あまりにも呆気なく牙をへし折り、ベヒモスの巨体を高く打ち上げる。
「なんて力……!」
ベヒモスが背中から湖面へと叩きつけられ、水しぶきが高く舞う。
力でさえも、まるで拮抗していない。
そのまま追撃すると思っていると、ふわりと湖面に浮き上がったフィーリヘルトが私とリーファのいる水の巨人の方を向いていることに気付く。
「あれ? もしかしてこれ、私達敵だと思われてる?」
「いや、まさかそんなはずは―――」
声を震わせながらリーファの言葉を否定しようとすると、ゆっくりとした動きでフィーリヘルトがこちらへと近づいてくる。
敵意は感じない。
ただ、見る者を畏怖させる圧倒的な存在感が、ゆっくりと近づいてくることに普通に恐怖を感じる。
「もっと美味しいもの食べておけばよかった」
「諦めるの早くない!?」
しかもこんな状況に出てくる台詞が酷すぎると思うんですけど!
ある意味で衝撃的なことを口にしたリーファに唖然としていると、間近にまで迫ったフィーリヘルトが勢いよく頭を振り上げ、私とリーファのいる胴体に顔を突っ込んできた。
間近どころか、私とリーファの間にフィーリヘルトの鼻先が通過したことに、声を上げてしまう。
「な、なままま!? 生フィーリヘルト!!」
「キュァァ」
すごい、近くで見るとめっちゃ綺麗!
伝説級の生物にこんなに間近で見れるなんて、滅多にないことだ。
恐怖二割、嬉しさ八割な気持ちでフィーリヘルトの身体を凝視していると、頭のてっぺんから傷だらけでボロボロな状態のカイト君が降りてくる。
「ありがとう、フィリ」
「クァァ……」
彼は影で作られた足場に立つと、金色の純魔の魔力が纏われたその手でフィーリヘルトの頬を撫でつける。
懐かしそうに、気持ちよさそうに目を細めるフィーリヘルトを見て、彼も優し気に笑った。
満足したのかカイトから離れたフィーリヘルトは私達のいる水の巨人から頭を引き抜いた。
「———っ」
「カイトっ!?」
フィーリヘルトを見上げるカイト君の身体がぐらりと傾いた。
すぐさまリーファが彼の身体を支えるが、見れば彼の身体はボロボロの状態であった。
「カイト君、血が……っ!」
「は、はは、正直、意識を保っているのがやっとって感じだよ」
「笑いごとじゃないでしょ……!」
左腕に負っていたであろう大怪我は癒してはあったけれど、身体のところどころに赤い血が滲んでおり、腕や足の服の隙間からは青あざが見えている。
「チサト、リーファ。ここは、フィリに任せて、下がろう。今の僕達じゃ、彼女の邪魔になる」
「……分かった」
フィリ? 彼女? 不自然な呼び方をするカイトに少しだけ不安になりながら、彼の言葉通りに水の巨人の形成を解きながら、水際にまで移動する。
彼の使い魔であるライムとシフは、先ほどの着水の衝撃で気絶してしまっているようだ。
「カイト、シフとライムは私が抱えるよ」
「頼む」
地上に上がると彼は疲れた様子でその場に座り込みながら、依然として私達の方へと顔を向けているフィーリヘルトを見上げる。
私達―――いや、カイト君が無事に地上へ移動したことを確認したフィーリヘルトは、暴れながら起き上がろうとするベヒモスへと身体を向ける。
「キュァァ……」
フィーリヘルトがベヒモスへ向ける視線には敵意が込められてはいない。
それどころか、温かく慈悲すらも感じさせるほどに穏やかだ。
錯乱するように折れた牙を振り回しながら起き上がったベヒモスは、勢いをつけてフィーリヘルトに体当たりをしかける。
対してフィーリヘルトは大きく息を吸い込むと―――青色のブレスを放つ。
私達の扱う魔力とは次元すらも違う、魔力の奔流は真っすぐにベヒモスへと直撃し、光が拡散されるように四方へと散っていく。
「口からビームか、本当に怪獣映画みたいだな……」
そんなカイト君の呟きに、私とリーファは反応できなかった。
あまりにも、スケールが違いすぎた。
フィーリヘルトのブレスを受けた衝撃にベヒモスは前に進むことはできずに、その場で転倒するしかない。
「ブルォォォ!」
力では負けていても、相手は巨獣。
ブレスを受け、火傷を負いながらも立ち上ったベヒモスは、遠心力を乗せた鼻を振り回す。
しかし、そんな攻撃も湖面を滑るようにあっさりと避けられ、逆にフィーリヘルトの長大な体が巻き付けられ、あっさりと動きを封じさせられてしまう。
すごい、最早戦いにすらなっていない……。
「……二人が助けにきてくれて、助かったよ」
フィーリヘルトとベヒモスの戦いを見上げながら、カイト君がそんなことを呟いた。
それを間近で聞いたリーファは、得意げに笑って見せる。
「でしょ。もっと褒めろ」
「……褒めて後悔したかも」
そんな彼女に苦笑するカイト君。
戦いの終わりが近い。
恐らく、もうすぐフィーリヘルトがベヒモスを倒してしまうだろう。
そうなればあとは、王国の人々と合流するだけだ。
「———待って」
本当に、それだけなのだろうか?
一瞬の気がかり。
この事件を終わりに導くには、まだ危険な要素は残っている。
すぐさま拘束されているベヒモスの頭へと注視する。
「誰もいない!?」
いつからいなかった!?
フィーリヘルトに最初の一撃をもらう前まではいたはずだ。
逃げられたのか?
そう思考したその時、私達の背後から突如として黒い煙が襲い掛かる。
「っ! リーファ!!」
「分かってる!」
すぐさま背後を振り向き、黒煙を水と影で防ぐ。
黒煙はねばつくように私達の周囲を滞留し、その視界を覆ってしまう。
敵はどこから来る!?
「ぐぅ!?」
「カイト君!?」
周囲に気を取られていると、滞留している黒煙の中から丸太のように太い腕がカイト君の襟を掴み、そのまま引っ張り上げてしまった。
あまりにも簡単に誘導されてしまった……!
相手の狙いは、私達の奇襲ではなくカイト君だった!!
「オオオォォォ!」
カイト君が捕まったことを認識したリーファはすぐさまボトルのスイッチを押し、魔物の力を解放させながら周囲の黒煙を吹き飛ばす。
煙が晴れた先―――私達から20メートルほど離れた場所に、大柄な獣人の男に捕まっているカイト君の姿があった。
「金の卵ってのは、お前のことを言うんだろうなぁ、オイ」
「デウス……ッ!」
男の身体も傷だらけで満身創痍ではあったが、それ以上にカイト君の身体もボロボロだ。
戦う仲間である使い魔は気絶し―――今は彼の元にはいない。
ベヒモスとフィーリヘルトの戦いが行わている最中、こちらの戦いも最終局面を迎えようとしていた。
今章の戦いも佳境に入りました。
次回、第九十四話【純魔の目覚め】




