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29.ご機嫌取り

どこかにぶら下がってる感じはない。宙に浮かんだ鳥籠だ。

自然、格子の外を睨む私の視線が不穏になる。刹那。




―――――天法を解放せよ!




怒りに満ちた声が、私の全身に叩きつけられた。反射で一瞬、身が竦む。

直後、猛烈な反感が腹の底で沸騰した。


―――――勝手に攫っておいて、一方的に命令?

何様のつもりよ。…ああ、大精霊さまだったかしら。

勝手に頭に血が上りかけた。寸前、思いとどまる。


何も知らないのは、こちらも同じ。相手の事情に無関心・無責任なままじゃ、コミュニケーションなんて取れないわ。


「せめて、顔を見せて。自己紹介もできないくらい、緊急の用事なの?」

おそらく、相手から私は見えてるんだろう。けど、私に相手は見えていないのよ。

状況は、相手にとって有利。一方的に。


さあ、相手はどう出るかしら。優位を保って、上から命令をする? それとも、対等の位置まで降りてくる? 



その出方次第ね。私の態度は。



鳥籠の中、私はゆっくり立ち上がった。見せつける心地で。臆さず顔を上げる。

せめて顔を見せろとばかりに、空を見上げた。そこに、一旦、考え込むみたいな沈黙が広がり、



―――――…う、あぁ…。



弱々しい呻きが遠雷みたいに轟く。次いで、黄金の空の一部が、渦を巻くようにねじれた。火の粉を噴き上げるようにして、空が何かを象ってく。




―――――天魔…天地の守護者…否、汝は世界そのもの―――――




厳粛な声が朗々と響く中、現れ出たのは。

巨大なかお。恐ろしく秀麗。ただし中性的で、性別がどちらか不明。


―――――我は樹木の精…人間たちは大精霊と呼ぶ…

声はどこか眠たげで、抑揚がない。

でも、そう、大精霊は言葉を使うことができるのね。

相手は顔を見せ、名乗りを上げた。即ち。


対等の交渉を望む姿勢を見せた。礼儀を弁えた態度を取るなら、私は相手の言葉を聞くしかない。


聞く前に跳ねのけるって選択肢は、幸か不幸か消えたわね。

私は姿勢を正す。片足を引き、スカートを軽くつまんだ。頭を下げる。



「はじめまして。私はミア・ヘルリッヒ。事情を話して頂けません?」



話し合えば別の知恵が出てくるかもしれないわ。せめて、交渉の余地は残しておきたいわね。

それが何かって言えばね。相手の望みは天法の解放。となれば。




―――――私が、天法の解放の仕方なんて知らないって知られちゃいけないってことよ。




緊張で、嫌な汗が出る。私の周辺を飛び交う精霊たちは、逆に元気いっぱい。不思議と離れ去ることはないのよね。

一定の距離をくるくる旋回してる感じ。


―――――はじめまして? …あぁ、そういうことか…

何を察したか、大精霊は睡魔に取りつかれているように、重く瞬きを一つ。

天魔の記憶に関する反応、でしょうね。そうよ、私に天魔の記憶はないわ。この大精霊さまはかつての天魔と面識があるのかしら。


むしろ、そっちに気を取られて天法の解放の仕方についてツッコミが入らなかったのは重畳よね。




―――――裁きが必要なのだ、天魔よ。




言葉を紡ぎかねるような、くぐもった声で、それでも大精霊さまは強く告げた。

内心、私は困惑。面には出さず、ただ、言葉を繰り返す。


「裁き」

何か、一方的な響きがあるわね。

いえ確かに、天法そのものが、一方的な存在だったみたいだけど。


「誰に対して、何のために、でしょう」

あまりに一方的で、相手を恐怖で縛るようなものは、私は好きじゃない。


なのにそういうものを必要とするって、いったいどういう状況なのかしら。


果たして、大精霊は答えた。




―――――我ら精霊と、人間。どちらが裁かれるか、試したい。




即答。ますます私は困惑。…んん? えっと、つまりだ。

精霊と、人間。双方が、第三者の裁きが必要な行いをしたってこと? 問答無用に強力な裁きが必要なくらいの、罪を?


確かに、天法の働きなら、情をはさむことはない。でも、どんな法律だってそうだけど、法律は法律のためにしか存在しないわ。



間違っていることが正しいこともあるって、そんな生きた現実は考えてくれない。



「もう少し、詳細を教えて頂けませんか」

大精霊さまは裁きが欲しいというけど、その結論に至った経緯が私には分からない。

けど、最初みたいに強い物言いはできなかった。なにせ。


大精霊さまの意識が朦朧としてるみたいだったから。


「私は事情を知らないの」

私の言葉も、どこまで届いてるのかしら。



―――――…このままでは同胞がすべて眠りにつく…我らは滅ぶ…



ほら、もう、私って言う存在が目の前にいることすら、掴みかねてる雰囲気。

こうして意思を言葉に変えて告げるだけでも、実は精いっぱいなんじゃないかしら。


私は内心、眉をひそめた。大精霊さまの様子を窺う。これじゃ、まるでうわ言だわ。それでも私は根気よく言葉を重ねた。



「私と一緒にいる精霊たちは元気ですけど…グランノーツの精霊たちと何が違うの?」



私の精霊たちは、元気いっぱいに跳ねまわってる。

その気配を感じながら尋ねれば、大精霊さまの貌が、わずかに緩んだ。

―――――それは…

夢見るような目が、ふと私に固定された。刹那。






―――――ギャリッ






金属がよじれる音が大気を打擲。と同時に、何かが格子の外をぎった。

それが奔ったのは、斜め下から。細長い、複数の影を私が視認した、直後。



大精霊さまの貌、その眉間に、何かが突き立った。


眠たげだった双眸が、たちまち、限界まで見開かれる。刹那、眉間から、顔面全体にいっきにひび割れが走った。

直後、夜の底から響くような咆哮が大精霊の唇から迸る。






―――――おのれ、おのれ、おのれ…っ、ニンゲン、が!!






それは紛れもない、怨嗟の響き。気づけば、黄金の格子にも、何かが巻き付いてた。鎖だ。

それも、太くて大きい。巨大な船の錨にでもついていそうな、シロモノ。


これがさっきの、複数の影の正体。


大精霊さまに、攻撃した? しかも、この、黄金の鳥籠を壊そうとしてる? それを。

人間が、してるって言うの? だれよりも精霊を敬い、共存してきた、魔導大国グランノーツの人間が? 前代未聞。


「何が、起こってるの…っ」

いえ、状況なら、ちゃんと見えてるわ。





そうでなく、魔導大国の人間と精霊の心の内で何が起こってるのかが見えない。





もう、大精霊さまの目に、私は映ってなかった。憎悪に憑りつかれた表情が、『下』を睨みつける。

眼差しの冷たさに、寒気がした。次いで、




―――――一人残らず、滅びればよい!!




凍り付くような、絶叫。大精霊さまの。

息を呑む間もない。黄金の鳥籠が、砕けた。それは、私の足場が崩れたってことで。


大精霊さまの意識が私から離れたせいもあったけど、きっとこれは、鳥籠を砕こうって破壊の意図を持った鎖が絡みついていたせいね。


呆気なく、私の身体は宙に投げ出された。とたん、重力の腕が私をとらえる。

たちまち、臓腑がひっくり返るみたいな落下感が全身を覆った。


気絶したい、でもしたら死ぬ! 気分が悪い、でもこんなところで吐くわけにはいかない。


う、腕輪。腕輪を操作して、何か、そう。




―――――空飛ぶ絨毯を!




固まったみたいになった腕を無理に動かす。腕輪に触れた。そのとき。

―――――え?








空から、五つの巨大な塔が見えた。

あれは、グランノーツの王宮にある、有名なシロモノ。


それで地理的位置を、私は認識した。

一方で、できるだけ現在の情報を手に入れるべく、目を細める。

それぞれの屋上に、忙しなく動く影が見えた。


そう、たくさんの、人影が、あった。



その中の、一人。

最初に見つけたのは、私じゃないわ。そこまで視力はよくない。見つけたのは、精霊。

懐かしい人を発見したみたいに、私のそばから、元気いっぱいの挨拶を投げた。


やっほー、ってこの状況で呑気よね!

とたん。

その人が、見た。私を。いえ、精霊を、だったのかしら。

でも目が合った。確かに。

その、目は。








―――――鮮やかな、翠。



顔立ちはよく見えなかったのに、どうしてかしら。その目だけ、暴力的なまでに強い。



鮮明なまでの印象が網膜に焼き付いた、瞬間。





私は思い出す。

ジスカールさんが、私の目を覗き込むなり、セルラオ卿とつなげたことを。


私も、あんな目を、しているのかしらね。





―――――間違いない、あの人は。

直後、私の身体を暴風が吹き包んだ。あ、と思った時には、私の身体は五つの塔から遠く攫われる。


魔術の働きは感じない。単純にこれは、自然の風だろう。



大自然の前に、私の身体はちっぽけだ。どんどん、流される。けど。



素直に落ちれば、待つのは死だけ。その時には、私の頭は冷静になってた。

かじかんだようになった指で、腕輪を操作。


過たず、空飛ぶ絨毯を取り出し、掴み取る。頭から落ちてく身体の前面に広げ、

「…せー…の!」

ふんっと気合を入れた。腕を上げる。足を下した。絨毯が、身体の下にくる形で。


「っと」



―――――良かった、うまくいった。



直後、私の身体は、絨毯の上に乗ってた。

落下速度が次第に弱まってくる。くらくらする頭をおさえた。うつぶせになる。動きを止めて、丸くなった。


絨毯は次第に高度を落としてく。ただ、一定の高さからは下へ下がらず、そのまま滞空。

頭をおさえ、私はそろそろ上半身だけ起き上がった。うん、眩暈もなし。気分の悪さは収まってくれたみたい。



それにしたって、―――――思ってもみなかったわ。



木の根に捕まったから、地下に連れていかれるのかと思ったのに。

現実には、落下感があって、気づけば空で束縛されるなんて。

地中で窒息死っていう事態は、幸い免れたみたいだけど、危うく墜落死しかけた。




全部回避しきれたなんて、奇跡よね。




思考の一部が痺れたみたいな感覚の中で、他人事みたいに考えながら、私は改めて周囲を見渡す。

絨毯の下に広がってたのは、大森林。



記憶の中で、地図を広げた。さっき見えた五つの塔は、魔導大国の王宮の敷地内にあるものだから…王宮の近くにある大森林と言えば。




ルグランの樹海ね。




精霊医として名高い君主チェンバース卿の領地にあるものだわ。

惑わしの森として有名。精霊の道案内がなければ、一生出られないとか言うわ。


当然、私は絶対降りないって即決した。ただね。




「ええぇ…」


思わず呻いた。無理ないと思うの。精霊たちが降りろって騒ぎ出したんだもの。




いまいち精霊たちと意思疎通が不便な私じゃ、精霊の道案内とやらがきちんと機能するなんて思えない。ああ、でも。


…しまった。つい、苦い顔になる。思いついてしまったからよ。解決策なら。

一度樹海に下りて迷ったとしても、ほら。

また空に上がれば問題ないわよね。


―――――この、空飛ぶ絨毯で。




「分かったわよ、もう」




足元は獣道。でも空はいつだって自由、道はないからこそ、格好の逃亡先。

結論を出して、私は決断。


高度を下げた。


ひょいと絨毯から飛び降りる。その際、絨毯の端を掴んで、持って行くことは忘れない。スカートの端をおさえ、樹海の中に靴底を付けた。


今、私は制服なのよね。公城に出入りする正装なんて思いつきもしないし、持ってもいないから、ガルド学院の制服で城に入ったの。テツさまとゼンさまが制服だったのを見たときは、内心で拳を突き上げたわ。大当たりって。

空飛ぶ絨毯を腕輪にしまい込む。改めて、私は周囲を見渡した。


飛び降りた時、なにか微妙な空気の抵抗を感じたけど、気のせいだったかしら。


精霊たちの動きに問題はないみたいだから、大丈夫とは思うけど。

「教えてくれるかしら」

さっきから、精霊たちの意思を、今まで以上に鮮明に感じるわ。魔導大国に入ったせいかしら? 私は改めて彼らに呼び掛けた。


「ここに、何があるって言うの」


たちまち、嬉しそうな呼びかけが四方八方から巻き起こる。

なに? え。私が話しかけたことが嬉しい、の?

「それは…ありがとう。ああいえ、それより、最初の質問に答え」


言いさし、私は言葉を途中で切った。周囲から、棘だらけの敵意を感じたから。





―――――出ていけ!





目を瞠り、私は顔を跳ね上げた。

私の周囲にいつもいる精霊たちの意思じゃないわ。でも、間違いない。この意思も、精霊が放っているものだわ。つまり。


いつも私の周囲にいる精霊とは別の精霊が、私に害意を持ってるってことね。

たちまち、私の精霊たちが憤然と反発の意思を返した。それにまた、反発が返って…ああ、きりがないわ!




「喧嘩はやめなさいっ」




言いつつ、とにかくその場から離れるべく、私は駆けだした。

もとからここにいる精霊たちかしら、出て行けって、追っかけてくる。



でも出て行けってことは、単に敵意とも考えられるけど、この必死さ―――――何かを守ろうとしてるの?



ここに、何があるって言うの。

「ねえ」

私は、私の精霊たちに声をかけた。


「ここにいる子たちが、守ろうとしてるものの場所は分かる?」


本音を言えば、私はこの騒がしさから逃げ出したい。それだけ、精霊たちの意思って姦しいの。

でも逃げたってコトは進まないわ。残念だけど。


だったら、突っ込むしかないのよね。


ぷりぷりしてた私の精霊たちは、素直に応じてくれた。前に後ろになりながら、方向を示してくれる。

ただ、私の移動速度が遅くなったのは勘弁してほしい。さすがに樹海だけあって、障害物が多いもの。

木やら、蔦やら、倒木やら、枯葉やら。うっかりしてたら苔で滑りそうになるし、足元を駆ける虫や小動物に足を引っかけそうになる。


いきなり頭上から降った大きな鳥の鳴き声には、心臓を吐きだすかと思うくらい驚いた。


進めば進むほど、元からここにいた精霊たちの警句は激しくなる。でも、攻撃はないのよね。何気なくそう思ったとたん、気づいた。



―――――ここにいる精霊たち、なんだかすごく弱ってるわ。



あ、しかも、攻撃、してるしてる。

私が気づかないくらい弱いというか…いえ、私の精霊たちが弾いているのね。ただし、やり返すことまではしてない。私の精霊たちも、相手の弱々しさに困惑してるみたい。



やりにくいわね。弱い者いじめしてるみたいで。



こうまで精霊が弱った原因は、なんなのかしら。眉を顰めるなり。

私の精霊たちが、私の名を呼んだ。顔を、あげると。

―――――視界が開けた。





「ここは…」





巨大な柱みたいな樹木の間からそちらへ一歩踏み出した私は、呆然と周囲を見渡す。

向かい側にそれほど高くない断崖があり、その上部で屋根みたいに岩が突き出てた。

一帯に樹木はなく、怖いくらい澄んだ水が、断崖の下部から湧き出てる。


地面には丸い石がごろごろ転がってて、深い樹海の中ではありえないほどたっぷりの日差しが差し込んでた。

屋根みたいに突き出た岩の影の下、樵の小屋みたいな掘っ立て小屋が隠れるように建ってる。


自然が作り出す不可思議な光景に、一瞬意識を奪われたけど、



「ひとが、住んでいるの?」


こんな、樹海の中で?



それが一番の驚きだったわ。でも、待って。本当にひとがいるとは限らないわよね。

それでも迂闊に小屋へ近づけず、どうするべきか、悩んだ刹那。




小屋の、扉が開いた。




疲れたように首を回しながら現れたのは、眼鏡の青年だ。

籐で編んだ籠を持ち、何度も洗濯を繰り返したみたいなくたびれた外套を羽織ってる。物騒な感じはしない。

どころか、弱肉強食の世界に放り込まれたら、一瞬で食い物にされそうな印象を受ける。弱い、というか…体力ではなく知力で戦いそう、というか。

でも。


私は、周囲を見渡した。もとからここにいる精霊たちが、彼の登場に、いっきに大人しくなった。姿を隠した、そんな気がする。対して、私の精霊たちは堂々と告げた。





―――――彼だよ。





…うん、何者かは分からないけど、目が合ったってだけで戦いに持ち込まれるなんてことはなさそうね。甘い認識かしら。

人は見た目によらないし、抱えてる事情にもよる、わよね。だけど、二の足を踏んでたって、何も始まらない。


進むしかない、わね。


それじゃ、まずは人間関係の基本。何かって? 挨拶よ。




「こんにちは」




私は、進む。足を止めず、無害と名高い営業スマイルを浮かべた。

「ああ、…こんにち、わ?」

相手は最初、笑顔で応じてくれた。けど、途中で言葉は胡乱に跳ね上がる。当然ね。


樹海のど真ん中、小綺麗な格好のまま笑顔で挨拶してくる小娘なんて、怪しいどころじゃないわ。でもそれは、彼も同じだけどね。


あなたはどこの誰ですかと聞きたかったのは、お互いさまと思うの。

「いいお天気ですね、これからどちらへ?」

親しみに満ちた、というより猫なで声で尋ねた私に、彼は蒼白になった。遠慮なく距離を詰める私に、



「うわああ!!」



化け物と遭遇したみたいな声を上げて、籠を投げつけてくる。

中は何も入ってなかったみたいね。ひょいと避ける合間に、彼は小屋の中に飛び込んだ。

籠城戦でもするつもりかしら。思ったけど、扉は開けっ放し。


うーん、これは。


小屋の前で足を止めて、私は青年への認識を改めた。

戦うつもりはあるって気がしたのよ。硬直して立ち尽くすって反応なら、肉食獣の餌になるしかないけど、彼は逃げたわ。ささやかだけど、抵抗をして。


抵抗を試みた人間が、逃げ込んだ場所の扉を閉め忘れるなんて、あるかしら。



これは、逆に、―――――誘い込んでる気がする。



つまり彼は、戦いを選択した。…何のために?

私はすぅっと息を吸い込んだ。指輪に触れて、間違いなくそこにあることを確認。


悩んだのは、一瞬。時間を与えたら与えただけ、相手に有利になるわ。


いえそれとも、時間を与えることで、逆にプレッシャーを与えるべきかしら。

悩んだけど、日が暮れた樹海で野宿は避けたい。


ままよ、と私は小屋の中へ足を踏み入れた。


中は、しんと冷たい。樹海の中は、高い木が多く、影で暗いから元々気温が低いけど、この中はさらに低かった。

何かが鼻先に香って、すん、と鼻を鳴らせば、覚えがある薬草の匂いがする。それも、一種類じゃないわね。多数。


室内の暗さにまだ慣れない目がとらえた光景に、私は微かに息を呑んだ。




(…香炉?)




色々な形、大きさの香炉が、天井から、そこかしこにぶら下がってる。


そのすべてが、几帳面に磨かれ、埃一つ被ってない。きちんと管理されてる。しかも。

単なる装飾品じゃなく、使われてる痕跡があった。


香を、焚いてるの? こんな、樹海の中で? いったい、どういう理由で。



ふ、と考え込んだのが、いけなかった。



数多ぶら下がった香炉の隙間。そこで、何かが光った。考えるより先に、身体が動いたのは上出来だったわ。でも、避けきれない。

室内の暗がりを走ったきらめきが、首に迫る。


逃げることもできない。なのに、観念しきることもできないまま、―――――私の足が滑った。床に転がった何かに足を取られたのよ。

バランスを崩した直後、きらめきが弾かれる。


守護の指輪が発動したのね。


安心する間もない。私は無様にその場でコケた。いや、転んで気付いたけど、転がることができる程度のスペースもなかったわ。

所狭しと何かが積み重ねられてて…これは本の山、かしら。転んだ拍子に私はその一角を崩してしまった。


すごい騒音と、埃が舞い上がる。香炉はきれいにしてるのに、足元はからきしだなんて! そのほうがよっぽどの罠だわ。


本以外にも、その上に何か乗っかってたみたい。そのうちの一つに、コップらしきものがあったみたいね。

それが本の雪崩に巻き込まれて、割れた。挙句、私は破片で掌を切った。


間抜けというか、自滅したというか。


幸か不幸か、相手が血の匂いに怯む。首を狙ったくせに。

戦いに、不慣れなのね。


おかげで、体勢を立て直す隙ができた。タックルのひとつでも、と前のめりになる。膝のばねをきかせ、床を蹴る直前。



(…あ)



向き合った相手の背後。―――――音もなく、長身の影が立った。

顔のあたりでひかるのは、…黄金の目。



「テ、」



名を呼ぶ間もなかった。


私の目の前、冗談みたいな勢いで、私の命を狙った青年の身体が小屋の外へ吹っ飛んだ。

テツさまが小石でも蹴るように、わき腹を蹴飛ばしたわけだけど…そこに、どんな力がこもってたんだろう。


地面に平行に吹っ飛んだ青年の身体は、だいぶ向こうにある樹木の幹にぶつかって、止まった。ずるずる力なく滑り落ち、根元に蹲る。動かない。



え、あれ、大丈夫よね? 生きてるわよねっ?



面食らって動けない私を一瞥、テツさまは踵を返した。ここで、違和感。

だって、通常のテツさまなら、まず、大丈夫かって声をかけてくるはず。蹴飛ばした相手を追うのは後回しにして。

すぐ分かった。あ、これは。




―――――怒ってる。




しまった、そうよね、守護の指輪が発動したんだもの。何が起こったか、テツさまは察してるはず。私は危うく、殺されかかった。私だって。


テツさまを殺そうとした相手が目の前にいたら、許せないし、腹が立つけど。

今、テツさまから感じる冷たさは、単純な腹立ちを抱えてるって言うより、…殺意と言える。


さすがにそれは、いけないと思うの。

いえ、思うだけで止められるなら別にいいとは思うけど、実行したり、――――しないわよね?




「おいおいおいおい…」




外に出たテツさまを追って小屋から飛び出した私の耳に、以前聴いた、飄然とした声が届く。

「アレ、生きてますかね。どう思います、お姫さん」

振り向けば、―――――アンガス・バルヒェットさま…石黒の騎士さまが二人の女生徒の背後から、手で庇を作って遠くを眺める様子で尋ねるところだった。応じたのは、


「加減なさっては、いるはずですわ」

意外な人物に、テツさまを追いかけながら、私は驚愕。



「シルヴィアさまっ?」



イェッツェル家の姫である淑やかな女性が、明るい空色の瞳を私に向けて、微笑んだ。

「場合によるでしょうけれど」

物騒なこと仰らないでくださいな。悠然と構える彼女の隣には、


「そ、そんな」

青ざめたシャーリー・ジスカールさん。




確かに、私はテツさまに、真名を通してお願いしたわ。彼女を速やかに私の元へ連れてきてくれって。

身に着けた指輪があるから、テツさまなら私の居場所を追えるだろうし。

まさか、シルヴィアさまとバルヒェットさままで来られるなんて思わなかったけど…これは妥当な人選かもしれないわね。


だって、相手がテツさまだけだと、ジスカールさんの疲労が心配だわ。精神的な面で。

けど、シルヴィアさまがいらっしゃれば、ジスカールさんの緊張もある程度軽減されるはず。

そしてバルヒェットさまは、彼女ら二人の護衛についてきてくださった、そんなところかしら? 宰相さまの息がかかってるって警戒も、もちろんあるけど。


純粋に戦力やら気配りの面やら、この騎士さまは頼りになりそう。




ひとまず三人のことは棚上げして、私はひとまずテツさまに追いすがろうと、して。

―――――これはいけない。


すぐさま直感が、鋭い警鐘を鳴らす。たとえ追いついて、私がテツさまの袖を引いたところで、この方の行動は止まらないわ。



分かってしまった。テツさまは確実に、相手の息の根を止めるつもりでいらっしゃる。



だったら、私はどうすべきか?


思うなり、私は死に物狂いで全力疾走へ移行―――――ただ歩くだけでも早いテツさまの隣を追い抜いた。足の長さの差が憎い。


木の幹に全身をぶつけたらしく、蹲って呻くだけの青年の前で、私はたたらを踏みながら反転。仁王立ちでテツさまに向き直った。刹那。




「そ、その方は、ギデオン・チェンバースさまです!」

ジスカールさんが、ひきつった声を上げる。チェンバース。なんてこと。青の位階持ちのチェンバース卿に関わるひとってこと? なんで樹海の中にいるの!

いえ、待って、ギデオン。その名前、聞いたことがあるわ。妾腹の子だけど、有能な精霊医だって話。


ハイネマン商会に、かつてその名で、希少本の依頼があったはず。


「手加減ください、アイゼンシュタットさま!」




両手を祈る形で組み合わせ、ぎゅっと目を閉じ、ジスカールさんが悲鳴みたいな声を上げた。

なにはともあれ、チェンバース卿に関わる方を、簡単に害していいわけない。しかもここは、チェンバース領。精霊たちが黙ってない。


いくら弱ってるみたいでも、彼らを相手取るのは厄介だわ。

目の前に迫るテツさまの中で、加減なく魔力が練り上げられるのが分かった。

先に怒りを鎮めたいけど、そうしてる間はないわね。



「いけません、テツさま!」



私は腕を広げた。青年を庇う格好で、テツさまの前に立ち塞がる。

「この方、魔導大国の異常事態に関して、きっと原因に関わる何かをご存知です」

テツさまが足を止めた。間近で、私を見下ろす。彼は無言・無表情。巨人と向き合った小人の気分だわ。圧が、壮絶。



「殺してはいけません」



竦みそうになりながら、言い切った。真っ直ぐ見つめ返す。と。

「え」

腕を取られた。怪我をしているほう。手首を掴まれ、引っ張られる。やっぱり、無言。


「あの、テツさま」

そのまま、小屋の方へ向かった。

ジスカールさんが、泣き出しそうな顔で、駆けてくる。ギデオン・チェンバースさまの方へ。

その後ろに、シルヴィアさまが続き、バルヒェットさまがのんびり従った。


すれ違いざま、シルヴィアさまと目が合う。

シルヴィアさまは困ったように微笑んで、何も仰らない。テツさまを宥めるのを手伝ってくださるってことはないみたい。


抵抗するのは危険な気がしたから、テツさまにおとなしく従う内に、

「…あの」

私は小屋の中へ押し込まれた。向こうの方で、ジスカールさんが、チェンバースさまの名を呼ぶ声が聴こえたのを最後に、扉が閉ざされる。


私がテツさまを振り向く直前、―――――背後から包み込むように抱き込まれた。




(…んえぇ…?)




いきなりのことに混乱する。その合間に、怪我をしてる方の手を、持ち上げられる。テツさまの顔の位置まで。刹那。


そこに触れた、ぬるく濡れた感触に。



―――――私は息を詰めた。緊張に、固まる。


え、いま、なに、が。



思う端から、掌にあった痛みが消えた。

呪文を唱えた様子なんて、欠片もなかったけど、魔法…よね。


片腕で私の肩を後ろから抱き込み、片手で私の手首を掴んで、テツさまは。




ふ、と屈んだ。私の耳元で囁く。






「俺は、知っている」






唇が耳朶に触れた。

ささやかな触れ合いに過ぎないのに、刺すように鋭く動きを感じとる。


声が、間近で鼓膜を震わせ―――――。



下腹が、ぞくぞくと疼いた。その感覚はすぐ足に広がり、私から力を奪う。

身体の奥に、心地よい疼きが深みから湧くように、全身に波紋を広げていった。


…これは、良くない気がする。雰囲気が、こう、妙に―――――淫靡だ。


ただ抱きしめられているだけなのに、獣が全身を擦り付けてきてるみたいな。

気付いているのかいないのか、

「ミアの慈悲深さを」

テツさまの苦しげな呟きに、思わず私は身を竦める。



これは、だめだ。―――――ダメになる。



身体の方が、気持ちよくほぐされ、思考の束がとろとろ解ける、…溶けていく。

指輪の守護の力には、テツさまからの影響を受けにくいようにする力も施されているはずだけど、それでもこの威力。…たまらない。


「…っあの、テツさま…っ」

この効き目。

きっと、テツさまの悪魔としての力が、無意識に働いてる。いえ、おさえきれず、こぼれ落ちてるのかしら。


「だから、もうひとつ、考えてくれないか」

ええ、考えたいです、考えたいんですが、テツさまにこういう風にされると、もういけないんです。泣きたい。

「ミアを殺そうとした相手を庇うように立つ前に」



もう指の先まで心地いい。抵抗できない。私は強く目を閉じた。





「そうしたら、俺がどう思うか、を。…ほんの、少しでいいから」





降伏するような、懇願の声。そのくせ。


いけない、この方、今全力で、私をダメにしようとしてる。


でも、テツさまはご存知のはず。私が、あの状態で、誰かを見捨てることができないことなんて。

結局、それが私なんだわ。だからこそ、テツさまは。



―――――憧れる、と仰ってくださった。



私自身からすれば、もうすこし賢く動きたいところではあるから、黙ってられないって性格がバツが悪くもあるんだけど…だって、ある意味、わがままな子供みたいでしょ?

テツさまは、私の全部を承知で、でも、納得できないって言うのは…感情の部分でってことよね。


それは、理解できるの。

だって、私もテツさまが、テツさまを殺そうとした相手を庇ったりしたら、…腹を立てるわよね。

やりきれなくなる。いくら理由があるとしたって。


そういう、ことだわ。なら、私がやるべきことは一つね。





―――――全力で、ご機嫌取りをする。


拍子抜けかしら? いえ、だって。





私は、今更私を変えられないもの。善処するけど、咄嗟の動きってどうしようもない。

今謝ったとしたって、私のことだから、ぜったい、また、やるわ。


小さな頃、旦那さまも、私の変な行動力のせいで、よくへそを曲げてらっしゃった。




そういうときは、ほっぺにちゅーしてごめんなさい、したんだけど、もう子供じゃないからこの手は使えない。だったら。




許してもらえるまで、ご機嫌取りをするしかない。

こういう場合はね。策を弄するのは悪手。真っ直ぐ単純な方法を取るしかないわ。私みたいな人間の場合は、とくに。


…嘘はつけないのよ。困ったことに。



「…考えて、います」



心地よさにしびれそうな感覚をどうにか押さえながら、自由な方の手を、私は持ち上げた。

「でも、ごめんなさい」

私の肩を抱き込むテツさまの片腕に触れる。とたん、彼の身体が、小さくはねた。


「結局、私は私の思うとおりにしか、動けないから」

私は、小さく苦笑をこぼしてしまう。


本当に、ひどい話よね。わがままもいいところだわ。



誰かのささやかな望みすら、自分の思いのためなら犠牲にする人間ってことよ、私は。



「いつかまたきっと、同じことをします」

テツさまの腕の力が緩む。逆に、私は掴む手に力を込めた。


「だから」

振り向き、私はテツさまの顔を見上げる。薄暗い小屋の中、黄金の瞳が私を映して揺らいだ。

身体の状態からくる、気怠い気分に乗っ取られそうな思考に鞭打って、私は真摯に告げる。



「約束を、しませんか。今回と同じようなことを私が繰り返した時、私は私ができる範囲で、テツさまの望みを一つ、なんでも叶えます」



私にできる贖罪なんて、限られるけど。


私に反省の色もないことに呆れたのか、それとも私の言葉が思いがけなかったものなのか。

テツさまは微かに息を呑んだ。さらに私は踏み込む。



「それで、許して頂けないでしょうか」



随分、都合のいいことを言ってるわね。




それでも、何もしないで、許されないなら仕方がない、なんて割り切ることは私にはできないわ。




先に目を逸らしたのは、テツさまの方。…呆れたのでしょうね。

さすがに内心、落ち込んでいれば、



「…すまない、今のは、俺が悪い」



思いがけないことを言われた。面食らう。

「幼いことを、言った。俺は本当に」

目を私に戻して、悔いるように告げた。



「成長がない」



私は咄嗟に首を横に振る。いえ、今のはどちらが悪いかと言えば、私の方でしょう?

ああ、違うわね。お互いに悪い悪い言い合っても仕方がないわ。…それに。


「私は、変に隠し事をされるより、正直に気持ちを伝えて頂ける方がありがたいです」

変に隠し事をし合ってこじれる方が怖いわ。

テツさまは一瞬、少しだけ拗ねた表情をした。自分が言ったことが、少し恥ずかしいのかしら。…あ、でも、その顔、私、弱いかも。


テツさまは、口に出しては、一言だけ。



「…そうか」



それだけ、だったけど。

今の出来事が彼の重荷になったわけではないようで、そこは良かったと思う。


私の身体の感覚も、どうにか通常に戻ってきた。

まだ芯に残ってる変な気分からは目を逸らして、気持ちを切り替える。



「ところでテツさま、そろそろ」



テツさまの背中で閉ざされた扉を指さし、私は促す。

「ギデオン・チェンバースさまの話を聞きに行きませんか」

なにやらテツさまは、思い出した態度で背を伸ばし、扉を振り返った。素で呟く。


「…ああ、あとは帰るだけだと思っていた」






―――――もしかして、状況忘れてました?







毎日暑いですね。体調管理にはお気をつけて。

大体日曜日更新なんですが、次の更新は少し遅れそうです。

読んでくださった方ありがとうございました!

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