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28.ご招待、受けて立つわ

「こんな場合でもなければ、もっとゆっくりと話をお聞きしたいところなのですが」

初対面の印象で言えば、柔和。垂れ目が、おっとりした雰囲気を醸し出してる。それに、若い。もう四十はとっくに過ぎてらっしゃるはずなのだけど。


「緊急事態ですので、それは後日ですね。…残念です」

肩を落とし、私の前でこれ見よがしにため息をついた方は、世界的にも有名人。

ベルシュゼッツにおいて、武官・文官の頂点に立つ存在。




宰相、マクシミリアン・オーレンドルフ。




どうも、お噂はかねがね。噂がどんなかって? そうね、たとえば。


残忍、

無情、

策謀家、

腹黒、

有能。


ざっと思いつく限りでも、この位はある。


なのに彼の容姿は、噂に出てくるそれらいっさいの言葉と真逆。

誰だって間違いなく、彼に抱く第一印象は、温和。雰囲気も物腰も、ひたすら優しげ。


この方に、最初はどう接するべきか戸惑ったものだけど。



―――――今日何が起こるか、ある程度、最初から察してたんじゃない?



いくらなんでも、全部が全部、掌の上ってことはないだろうけど。


私は内心辟易する。わざとらしい、過剰に演出気味な言動が、どうも鼻につくのよね。

たとえ言葉がきつくても、率直に言ってくれた方が、私は楽だわ。

そんなわけで、率直に彼に言葉を放つとしたら。


―――――本性出せや、この野郎。

…なのだけど、この方がそうしない現状から読み取れる事実はひとつ。

彼にそうさせるだけの魅力なり能力なりが、私にはないってこと。つまりは舐められてるのよね。

事実、私はぽっと出の小娘に過ぎないわ。だから、手加減されてるってわけ。


ジャック・ハイネマン―――――旦那さまの養い子相手って気遣いもあるんでしょうけど。


実際、こんな方と本音で取っ組み合えば、私には敗北しかない。

ならずっと、これでいいわ。どんな利用価値があるだろうって見定めるみたいな目を向けられるのは嫌だけどね。


なんでそんな、無害な私が、思い付きで相手を地獄へ突き飛ばすことも辞さない相手と向き合っているのかと言えば。



今日、私は朝から公城に呼び出されてたのよ。




…ガヴィーノ・セルラオ卿の一件で。




心強いことに、テツさまとゼンさまが同行してくださった。

緊急、かつ非公式の面接ってことで、公王さまとお会いすることがなかったのは、心底助かった。できれば永遠に挨拶の機会がないことを祈るわ。


案内されたのは、会議室―――――でなく、貴人を遇する客室。

宰相閣下は、騎士を一人伴って入室しなさった。知った顔に、少し驚く。


騎士は、アンガス・バルヒェットだったの。石黒せきこくの騎士さまね。


以前、宰相さまの命令で、彼が私を連行しようとやってきたことが、なんだか遠い昔のことに思えるわね。顔見知りの騎士を連れてきたのは、宰相さまの配慮かしら。それとも。




下手を打てば、捕縛、監禁、天魔の調査と称した人体実験コースが待っているぞって言う脅し? 逃げたい。




一通りの挨拶の後、私と宰相さまが向き合う形でソファに座る。和やかさが空々しい。

騎士さまが、宰相さまの背後に立った。その時になって、気づく。


テツさまとゼンさまも、私の後ろに立っていらっしゃることに。


ハイネマン商会の店頭で浮かべる営業スマイルを浮かべた状態で、私は固まった。

これじゃまるで私が宰相さまに並ぶ貴人みたいじゃありません?

実際は、身分的な話をすれば、この場において身分が一番高いのは、五大公家の方々のはず。言うまでもなく、一番身分が低いのは、というのか、身分らしいものがないのは、私一人。


私は、高貴な方々に対する作法は、この身で学んだわ。経験から、血と肉になってる。



逆を言えば、考えたことすらなかったの。


敬うべき高貴な方々から、一番に尊重される立場になった場合の言動の仕方なんて。




落ち着くのよ、ミア。慎重になりなさい。意地で笑顔は崩さなかったけど、慣れない状況だわ。非常に肩身が狭い。

私の様子に気付いたか、宰相さまはにっこり微笑んで仰られた。




―――――外交の場では、それが当たり前のこととして、堂々となさっていてください。


…チェックされてる。いえ。

助言と受け止めるべきね。


助言、感謝いたしますと返した私は、催促される前に皆の前でそれを取り出す。




絹とはいえ地味な袋の中、無造作に放り込んでたのはピアス。それも、片方だけ。

袋から取り出したピアスを、私はその袋の上に乗せた。そっと、目の前の高そうな机の上に置く。毎日磨かれているんだろう、元がいいばかりじゃなく、机の表面は輝いてた。


正直、この時点で、城内のきらびやかさに私は半分以上疲れてた。普通が一番。

他事を考える私をよそに、皆の目が、ピアスに集中する。




ピアスの台座には、大きな緑柱石が埋め込まれてた。

表面は複雑で細かいカットが施され、宝石の輝きが一段と増してた。きらきらしいその奥。


台座に浮き彫りにされた紋様が見える。―――――それはセルラオ家の紋章。




誰も、声を漏らすなんて不作法はしない。結果、私に見えるのは何を考えていらっしゃるのかさっぱり読めない宰相さまの微笑だけ。彼を含め、この場にいる私以外の全員が何を考えてるのか、予測しようもないわね。

彼の目は、説明を、と促してた。私が話さなくっても、ぜんぶご存知ですよね? …いえそうね、私がどの程度承知なのかを、彼は知りたいのだわ。自身の知識と照らし合わせたいのね。



「ご承知の通り、私の母は娼婦です」



いまさら隠すことじゃないわ。宰相さまのことだもの、私以上に私を調べ抜いていらっしゃるのじゃないかしら。

「北から魔導大国へ流れついた折、先代セルラオ卿の目にとまりました。以来、彼に囲われたわけですが、…御子息のお相手にも指名された結果、私を宿したと聞いています」


さすがに男性の前で、事情を赤裸々に告げるには私の度胸が足りない。しかも全員が、私より年上で経験豊富で、敵わないと降伏するしかない相手となればなお。


幸か不幸か、宰相さまはあまり詳細を求められなかった。代わりに、

「実は、ヘルリッヒさま」

宰相さまは流麗な口調で、こう切り出した。


…ヘルリッヒ『さま』。呼びかけひとつで、互いの立場を明確にしてきた。思わず身構える。




「我々でもってしても、貴女のご母堂には謎が多いのです」


え?




その一言は、完全に、私の虚を突いた。母に、謎。あの、母に。

脳裏に浮かんだのは、満面に笑みを浮かべた彼女。太陽の下、堂々と響く笑い声。隠し事とは全力で無縁の気配。

―――――それこそ、今まで一度も考えたことがない話だわ。


いえそもそもセルラオ卿のことで呼び出されたこの場で、母についての話をまず挙げられるなんて思ってもみなかったわ。


「残っている足跡は、ごくわずかなのです。最初から、何かから隠れるように移動し続けていらしたような気さえします…まるで熟練の逃亡者のような」




それともこれが、宰相さまの手なのかしら。隙のある方向からまず攻撃するって言うのが。


物柔らかなのに、凝視の視線が私を落ち着かなくさせる。脅されてる気分ね。嘘は無駄って。

残念だけど、母に関して、私は嘘なんて持ってないの。




「わずかな足跡ながら、北の古王国の出身、というのは察せます。そちらから魔導大国へ入ったということも」

でも宰相さまの、この物言い。

この方には、何らかの仮説があるのじゃないかしら。


「セルラオ領に入った後、姿が消え…次に彼女の存在が確認されたのは、数年後の我が公国。それも、地母神の修道院でした。―――――アンガス」

そこで、宰相さまは背後の騎士へ話を振った。は、と畏まる強面の騎士を見遣れば、彼は一瞬、私に向かってひょいと片方の眉を上げる。


そう緊張するなよって気軽な表情。すぐ無表情に戻り、生真面目に報告した。


「申し上げます。ミア・ヘルリッヒさま、およびご母堂パメラ・ヘルリッヒさまの、我が公国へのご入国の記録は、いっさい、ございませんでした」

…………………は?

声を上げなかった私を褒めてあげたい。


いえだって、ベルシュゼッツ公国への入国よ? 五大公家っていう特異な血統が封じられた地である以上、入国審査は厳正を極めるわ。

先日、西方から戻った時だって、相当時間を食った。テツさまが一緒にいてくださったから、それでも短時間で済んだ方だけど。


なのに、完全な余所者だった私たち母子が、入国の痕跡もないなんて。




―――――どうなってるの?




「おそらく、ヘルリッヒさまは」

私に理解の時間をくれたのかしら。少し待って、宰相さまは再度口を開いた。

「時期的に考えれば、入国前に誕生なさっていると考えているのですが、違いますか?」


「…正しいです。公国に入る前、…おぼろげにですが、公国にはない険しい雪の道を、母に手を引かれて歩いた記憶があります」

相当小さかった私は、結局雪に埋もれそうになって母の背に負われたのだけど。

「雪の道…険しい場所ですか。では一度、北へ引き返されたのでしょうか」


「さすがにそこまでは…環境の変化の記憶はありますが、入国の際に何があったのかまでは覚えていません」

そもそも、小さかった私は、入国の意味合いも理解していなかったわ。

「協力者がいた可能性がありますね。ハイネマン氏と出会ったのは、入国の後と聞いていますから彼ではない」


「あの」

話が進んで、ようやく宰相さまが知りたい一部が見えてきたわ。

「今問題になっているのは、母が不法入国をしたかもしれないという点でしょうか」

言ってはみたが、現実味のない話と思う。


だって相手は、このベルシュゼッツ。公国を相手に問題を起こすなんて、命がいくつあっても足りないわ。


「今になって、ご母堂がどうこうと言い出すつもりはありません」

宰相さまは私を安心させるみたいに、ゆったり首を横に振った。


「ただ、もしそれが事実で、そう言った組織が実在した場合、どれほどの問題となるかはご理解いただけるかと」

宰相さまは微笑んでる。ただ目が、凍えるほど冷たい。下手なことは言えなかった。

「協力したいのはやまやまですが、…私はなにぶん小さかったもので」




なるほど、宰相さまは有能だわ。そして、…欲深い。

些末な出来事から、すべてを取ろうとしてる。ともすれば、私たち母子以外にも、入国の痕跡がなかった者たちがいたのかもしれないわね。そうじゃなきゃ、貴族ですらないその日暮らしの母子の動向なんて、一国の宰相さまが気に留める話とも思えないもの。




何とはなしに、周囲の精霊たちに意識を向ける。

いつもみたいな笑い声はない。けど、これといった緊張もなく、ふわふわ周囲を漂ってた。

見えはしないけど、そう言った気配を感じるわ。

「先代セルラオ卿がご母堂に目を止めた理由を、聞いたことはございますか?」


「いいえ」

聞いた時は、ただ、そうなのか、と思っただけ。理由なんて気にもしなかった。

宰相さまは、随分と母を気にしているようだけど…。


母の何が、そんなにこの方の意識を捉えているのかしら。気になって、私は、真っ直ぐ宰相さまの目を見返した。とたん、彼はそれ以上の追及はやめたみたい。


「分かりました。いずれにせよ、ご母堂がセルラオ領にいたことは間違いありませんね」

改めてピアスを見下ろし、宰相さまは感嘆に近い表情で目を細める。




「大きさといい細工といい…なるほど、貴族しか持ちえないものです。それも紋様入りとなると、疑いようがありません」


ただし、と言葉が続いた気がして、私は頷いた。


「本当にセルラオ卿が私の父親だと証明できるものではありません」




母は証拠として私にこれを見せたけど、外部に対してこれが血のつながりの証拠と言っても弱いものがあるわ。

下手をすれば、盗人呼ばわりね。


「聞いた限りでは、これはセルラオ卿本人が、母に手渡したそうです。子ができたら、これを証拠にしろと。もう一方を自分が持っている、と」

つまりそれを知っているのは、母と、―――――セルラオ卿本人。



「そしてピアスについている石は、…共鳴石です」



宰相さまは、はじめて目を瞠った。改めてピアスを見下ろす。





共鳴石は、二つで一つ。近づけば、振動を起こすか、美しい音を奏でる。その性質を利用して通信機器としても使用されるわ。

このピアスで言えば、おそらく。


互いが近付けば、音が発生するはず。





もしセルラオ卿がピアスを身に着けてでもいたら、彼にだけは分かるでしょうね。

ただし、セルラオ卿が知らないと言えば、それまでの話よ。


それでも私は母の為人を知ってる以上、彼女が嘘を言ったとは思えない。なにより、どんなに苦しい生活の中でも、母はこの装飾品を持ち続け、食べ物には変えなかった。



証拠が出揃ってるはずなのに、私が天魔だという話は未だに信じられないけど。


私は、その話には確信を持ってた。セルラオ卿が知らないと言っても、私は母を信じるわ。



「ですがそれを、貴女が持ち続けるのは多少、問題です」

宰相さまは思慮深い目でピアスを見下ろした。

そうね。今では私は、天魔って立場にあるわ。


母は亡くなったけど、父親が魔導大国の位階持ちというのは、色々と面倒ごとの元になるのは必須。―――――しかもこれは共鳴石。



「わたしが預かっても?」



宰相さまの、言葉に。

私の頭より、心が先に反応した。






絶対、いや。






母の遺品とも言えるそれを、信頼のおけない人の手の上に乗せたくはない。


それに、確信できる。

この方は、彼にとって最も適切な時期に、最も効率的な方法で、この品を武器として使う。そこにまつわる他者の気持ちなんて簡単に踏み躙って。ただの道具に貶める。それが、悪いとは言わないけど、利用されるのはまっぴらだわ。

要するに、私は宰相さまを信頼できない。でもそれは。


宰相さまにとっても同じね。彼は私を信用できない。これは、ただの小娘が持つには重い秘密と思ってらっしゃるのだわ。

なら、どうすれば一番いい?




「―――――申し訳ございません」




私は、宰相さまを見返した。真っ直ぐに。微かに、彼が目を瞠る。構わず、私は言い切った。

「宰相さまにお預けすることは、できません」

とはいえ、このままじゃ、子供の駄々にしか過ぎないわ。である以上、宰相さまの思い通りに誘導される。

実際、宰相さまは何か思いを馳せるように―――――もしくは落胆したように?―――――唇を一旦、閉じた。



次に開かれるときは、ぐうの音も出なくなるくらい言い負かされる、というか、説得される。そうさせないために、私は。



「ですが」

先に、代替え案を出した。




「テツさまになら、お預けできます」




この方なら、信用できる。テツさまなら、安心だ。どんな結果になっても、後悔しないわ。

なにより。


「…なるほど?」

面白がるように呟いた宰相さまとて、相手がテツさまとなれば、文句は出せないわ。

なにせこの方は、五大公家の一角であるアイゼンシュタット家の嫡子。


私はテーブルから、ピアスを取り上げた。袋の中へ戻す。背後のテツさまを振り向いた。

テツさまはいつもと変わらない静謐な目で私を見下ろしておられる。




私は両手に袋を乗せ、彼に差し出した。




本当は立ち上がって、向き合って渡したい。けど、そうなると、宰相さまに背を向けることになる。さすがにそれは無礼よね。

座ったまま手渡しって状態も、テツさまに対して無礼だけど、これはぎりぎりの折衷案だった。


本当は仕切り直して預けたい。でも時間を開ければ開けるだけ、宰相さまに隙を見せることになると思ったのよ。


視界の端で、ゼンさまが、小さく笑った。

「やられたね、宰相閣下?」

彼の声は、至極楽しげ。笑いが続いてるのかしら、向こうを向いて、まだ肩を揺らしてる。


宰相さまは、何も仰らない。

テツさまは、彼と、隣のゼンさまを一度見遣って、




「…いいのか」




一言、そう仰った。その戸惑いと逡巡が、私には嬉しい。


だって、私にとっての、この品の重さを、理解してくださっているということだもの。

「はい」





自然、私の頬が緩む。なんでだろう、微笑んでしまった。





「テツさまだからこそ、是非」





「…、」

テツさまは、ふと、眩しいものを見る目になった。無言で、私に見入る。


どうなさったのかしら。私が首を傾げた拍子に、テツさまは手を伸ばした。

片手で、袋を捧げ持った私の掌を下から掬い上げ、支えるように、して。


もう一方の手で、そっと袋を取り上げる。






「承った」






しっかりとした返事に、知らず、ホッと息を吐いてしまう。


よかった。この方の手にあったなら、間違いは―――――…。

思いさした、その時。


私は思わず、弾かれた勢いで立ち上がってしまった。


原因は、精霊たち。いきなり火が付いたように泣き喚き始めた。

はしゃいで笑っているか。

眠るように穏やかに漂っているか。


精霊たちの、そんな反応しか、私は知らない。だから驚いて、戸惑った。


一瞬、ピアスを手放したからかと思ったけど、反応からして、そうじゃない。何かに怯えてるみたい。なんだか全身にしがみつかれてる気がする。

「何か、ありましたか」

面食らった宰相さまの問いかけに、私は咄嗟に素直に答えた。



「精霊たちが、泣き出して」



そこにいそう、って感覚だけで右の肩口に手を伸ばす。とたん、その辺りだけ静かになった。

「…そう言えば、貴女についての報告にありましたね。精霊がよりついている、と」


宰相さまが仰ったと同時に。もどかしいような勢いの、ノックの音が来賓室に響いた。

宰相さまの入室許可に、一人の若い騎士さまが身体で扉を押し開けるようにして入室。


「失礼致します。閣下、」

早口で何かを言いさし、顔を上げる。そこで室内の私に気付いた。いえ、私の背後に立つお二人に目を奪われたのかしら。

騎士さまがは、いきなり物言わぬ彫像と化した。とたん、気のせいか、宰相さまの眼差しに稲妻が走る。刹那。




―――――宰相さまの背後に控えた石黒の騎士さまが咳払い。


「し、失礼いたしました!」




我に返り、騎士さまはどっと顔に冷や汗を浮かべた。跪き、頭を下げる。宰相さまは低い声で、

「発言を許可する」


「感謝致します」

さらに深く頭を下げたこの方は、背格好からして、石黒の騎士さまかしら。

すぐ、顔を上げたその方は、大きな声で緊迫した事態を告げた。






「つい先ほど、魔導大国グランノーツより、各国へ大精霊暴走の通達があり、直後、かの国への転移門が一つを残し、すべて破壊されました」


―――――大ごとだ。






シャーリー・ジスカールさんから、かの国で起きている精霊の異常を聞いたのは、つい先日のこと。ただ。


転移門が破壊された程度なら、まだなんとかなるわよね。

だって普通のひとなら、転移門は使わず、徒歩で移動するもの。転移門が破壊された上で、もし―――――。




「現在、魔導大国は結界に覆われ、出るも入るもできない状態です」




そう、結界に覆われてしまったら、まさに陸の孤島になるわ。となれば問題は、




「その結界は、かの国の位階持ちたちのものかね? それとも、―――――精霊が?」

宰相さまが尋ねれば、騎士さまは一度沈黙し、


「公城の魔法使いたちによれば、半々、と言ったところのようです」

半々? 意味が分からないわ。ええと。



つまり、魔導大国の位階持ちの方々と、精霊が、揃って国に結界を張り、協力して閉ざしてるってこと? いえ、状況からして、協力とは、限らないけど。



「―――――…どういうことか、状況を読める者はいるか。もしくは、情報を掴んでいる者は」

宰相さまは、ただ微笑んでる。

狼狽えないのは心強いけど、お腹の中で色んな計算が同時にされてそうで、ちょっと怖い。

「残念ながら、…誰もそこまでは」


「そうか。では、残された転移門は、どこのものだ」

跪いた騎士さまは、息を呑んだ。

「我ら、ベルシュゼッツ公国の」

あ、いやな予感…。






「公城の、ものです」






直後、ばらばらに泣き喚いてた精霊たちが、いっせいに声を揃えた。

いえ、感情の流れが一本になった、というべきかしら。それが、思い切り私の意識に飛び込んできた。


―――――おぉー…ぅ…。


本当、言葉にまではならない、原始的な思いそのものなんだけど、だからこそ、真っ直ぐ届くって言うか。


精霊たちの望みを、理解するなり。

私は深いため息を飲み込んだ。諦めに似た気持ちで、ソファに再度腰を落とす。


その動きから私の存在を思い出したって風に宰相さまは、目を向けてきた。




「どうやら、お話はここまでのようですね」

焦る風でもなく、宰相さまは穏やかに立ち上がる。


「こんな場合でもなければ、もっとゆっくりと話をお聞きしたいところなのですが」

切り上げる口調。全力でそれに乗れたら、どれくらい気持ちが楽かしら。

「緊急事態ですので、それは後日ですね。…残念です」

踵を返し、出入り口に向かおうとした宰相さまに、私は重い気分で口を開いた。




「精霊たちが、今の状況について、強い訴えをしてきています。ここで、その内容を話しても?」




この、自己主張激しい精霊たちの存在が、私以外に感じ取れないのなら、どれだけ私は薄気味悪い存在なんだろう、と頭の片隅で思う。でも、分かるものを、無いとも言えない。

「ほぅ?」

宰相さまが振り返る。


なぜだろう、そのときはじめて、彼の目が私を見た、そんな気がした。


宰相さまが浮かべる優し気な笑みは、ずっとずっと消えず、顔にある。こうまでだと、そろそろ、それが仮面みたいに見えてきたわね。



「興味深いですね…ヘルリッヒさま、彼らは、なんと?」



聞きながら、宰相さまの視線は鋭く私の背後に向いた。背後にいる二人―――――テツさまとゼンさまに。

無言のうちに、三人の間でどんなやり取りがあったのか、怖くて推察する気も起きない。


精霊たちの訴えを口にすればどうなるか。

なんとなく流れが読めてくる。でも、言わないっていう選択肢は、どうしても私の中に生まれてくれなくて。


精霊たちに降伏する気分で、私はその言葉を口にした。






「―――――呼んでいる、と」


宰相さまは、無言。笑顔のまま。

その仮面を見据え、私は強く言い切った。


「グランノーツの大精霊が、天魔を招待しているようです」






確かに、精霊たちは、そう伝えてくる。

相手がどういうつもりで、行けばどうなるかは分からないわ。

宰相さまの双眸が、いっとき、深い色を宿した。その、一瞬。


どんな決断を、彼が下したのか。

「なるほど、…なるほど」

悠然と立っていた彼が、はじめて上体をわずかに前へ倒した。無意識かしら、私をよく見ようとするみたいに。



「ハイネマン氏が言ったとおりだ、一筋縄ではいかない」



…旦那さまと、なにかやりとりをなさったのかしら。


いえ、大人が裏でどんな駆け引きをしているにしろ、私は私がやりたいようにやるだけ。

私は立ち上がった。迷わず告げる。

「ということですので、私は参ります」

取引の間はないみたい。それくらい、精霊たちの嘆きは激しい。


すぐにでも向かわなきゃ、精霊たちが壊れてしまうんじゃないかと心配になってくる。

言うなり。

「ふふ…あははははっ」

何が面白かったのか、宰相さまが声を上げて笑った。でも私に向けたのは、呆れた目。



「貴女が行って、どうなるのです? 知って、行くのですか。それとも知らずに?」



私は胸を張った。

「知りません」






それでも、経験則から言えることが、ひとつだけあるわ。逃げ回るより飛び込んだ方が、凶事の解決は早いのよ。






「安全な籠の中ではなく―――――未知の荒野を目指しますか」


厄介ですねえ。言いながら、宰相さまは、いきなり表情を改めた。微笑が消える。

「困ったことに、公国において」


宰相さまは恭しく頭を下げた。





「天魔の意向は絶対です」





続いて、騎士さまたちが私に頭を下げる。なんて心臓に悪い光景。とどめを刺されそうだから、後ろの二人を振り向く勇気はないわね。

「では、転移門へ」

移動します、と私が一歩を踏み出した刹那。


遠くから、悲鳴が聴こえた。それが、連鎖しながら近づいてくる。


場に居合わせた全員の視線が扉に向くなり。






―――――ドッ、となだれ込む勢いで扉を押し開け、室内にその身を晒したのは。


「木の、根?」






誰かの呆然とした呟きと同時に、嘆きの声を上げていた精霊たちから警句が迸った。


―――――捕まるよ!


―――――連れていかれちゃう!


たぶん、そんな。

その程度を理解できるくらいには、私はそろそろ精霊たちの声に馴染み始めてた。

あれは、私を連れて行こうとしてる。どこへ。なんのために。

思うなり。






―――――魔導大国へつながる各国の転移門は破壊された。

―――――たったひとつ無事だったのは公城の転移門。

―――――グランノーツの大精霊が、天魔を招待している。






直感が答えを放った。

待ちきれなかった出迎え、ということかしら。荒っぽいわね。でも。

―――――逃げたほうが、コトは長引く。

だったら。


鼻で笑って、宣言してやる。






「ご招待、受けて立つわ」






誰かが、この場で一番無力な私を守ろうと動く寸前。


私は、前へ出た。一歩、私に迫る木の根へ向かって。とたん、どうしてかしら。

精霊たちが、あかるい笑い声をあげた。さっきまで、泣いていたのに、はしゃいで手を叩いてる感じ。遊びじゃないのよ?


面食らった、直後。

水が流れ込むみたいに瞬く間に押し迫った木の根の先端が、私の眼前で、いきなり花開くみたいに裂けた。間髪入れず、―――――私の視界が、暗闇に閉ざされる。


木の根の先端が、私を飲み込んだって、すぐ分かった。私を害するつもりがないのは、柔らかく包み込む感触で感じ取れるけど、なにぶん視界が利かない。傷つけるつもりなら、とっくに守護の指輪がその真価を発揮してるだろうけど。

中に私を納めたそこは、おそらく木の実みたいに膨らんでるはず。それを引きずって、また移動が始まったみたいね。感覚としての理解だけど、まず間違いないわ。


精霊たちは、私の周囲でなんだか落ち着き払っている様子。もう安心って言うのか…それでいて、―――――寂しげ?

なんにしたって、黙って攫われるつもりもない。

人肌みたいに温くて柔らかい何かに満ちた空間の中、どうにか立ち上がった私は、声を上げてそれが外へ届くかどうか、試そうとして、止めた。


だって、それ以外に確実な方法を、私は持ってる。

緊急の案件だ、使うことを許してほしい。私は口を開いた。





「―――――リュウランテッツ」


紡いだのは、真名。テツさまの。





幸い、声は出せる。音楽めいた不思議な響きが大気を揺らし、ぅわん、と大きく広がっていくのが分かった。

間違いなく、―――――届いた。身体でそれを感じる。しっかりそれを捕まえ、告げた。


「速やかにシャーリー・ジスカールを私の前へ連れてきてください」

これから私が向かうのは、魔導大国グランノーツ。

事情に詳しい人間が必要だった。捕まえた現地の人間に尋ねるのもいいけど、できれば信用できる方がいいもの。それで言ったら、国のためになりふり構わなかった彼女が一番だわ。彼女の身を危険にさらしてしまうとは思うけど、自分の良心からはあえて目を逸らした。それから、…あとひとつ。





「ヴァラクゼルン」





ゼンさまの真名を口にして、間に合ってほしいと願いながら言葉を紡ぐ。


「転移門を守ってください」


天魔を招待するのが大精霊の目的なら、私を連れて行ったら、転移門を残した意味はなくなるわよね。

誰が他の転移門を壊したのかまでは分からないけど、この木の根はきっと大精霊に繋がってる。私が目的で残した転移門なら、私をグランノーツへ招待した後は、もう必要がない。

―――――でも転移門は残ってる方が、こっちには都合がいいわ。


グランノーツで起こる危険と、公城が直結してしまうデメリットは確かにあるけど。せめてテツさまがジスカールさんを連れてくるまでは、残しておいてほしいところ。

その辺りの判断や取引は宰相さまにお任せするとして。


あとでゼンさまには文句を言われるのを覚悟しておかなきゃならないわね。



五大公家の人間を、使い走りと番犬に使うなんて、いい度胸だね、とか…言いそう。



思うなり。

いっきに、浮遊感が全身を襲った。浮遊感…いえ、落下、してるっ?

―――――落ちてるっ? どうなってるの!


ベルシュゼッツ公国の公城とつながるグランノーツの転移門、なら、まず間違いなく王宮の中に設置されているはず。



それに、私を攫ったのは木の根。連れていかれるなら、地中じゃない? どこにも落ちる要素はないはずなんだけど!



私の周囲にいる精霊たちは、はしゃぎまわってる。とにかく、状況がどうなっているのか、



「私に、見せなさい!!」



閉じ込められるのは、ウンザリよ。視界も奪って、何か隠したいことでもあるのかしらね。

苛立ちをそのままぶつければ、

「…っ」

いきなり、光が目を焼いた。


思わず目を閉じ、腕で顔を庇う。その時には、浮遊感は消えてた。固くて冷たい何かが、私を支えてる。


俯いたまま、おそるおそる目を開けた。身体の下に、黄金の床が見える。

何度か、瞬き。慎重に、顔を上げた。向こうに、見えたのは。



これまた黄金の、―――――格子? その向こうに見えるのも、黄金。…黄金の、空?



雲が見えるもの、おそらく、空、よね。

それにしたって、格子。ぐるり、周囲を見渡せば、案の定。






黄金の鳥籠みたいなものの中に、私はいた。










読んでくださった方ありがとうございました~。

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