19.あなたには言えない
よくわからないけど、それで魔法が動いたんだろう。
何か納得した態度で、テツさまが頷いた。そぅっと手を放す。
なら、今は…テツさまがやけにきらきら見える感じも褪せたのかしら。
期待しながら、テツさまを見上げた。とたん。
私、げんなりした顔になったと思う。だって。
―――――褪せて、ない。
どころか、真っ直ぐみられるようになった分、よけい手ごわくなってる。
この時点で、ようやく気付いた。
ジネッティ医師が、平気でテツさまについていく私に、本当は何が言いたかったのか。
言いかけて、やめないでほしかった。切実に。
「どうだ?」
確認するように、テツさま。元に戻してくださいとも言いにくい。
「だい、じょうぶ、です」
かろうじで答えた私に、テツさまは一泊沈黙。低い声で呟く。
「答えになっていないようだが」
再度手を取ろうとするのを咄嗟に回避。
…避けたつもりはないわよ? 結果としてそうなったけど。距離を置きたかっただけで。
刹那、指輪のことを聞かなければと思い出す。つい、そっけなく尋ねた。
「これ、外れないんでしょうか」
返ってきたのは、沈黙。テツさまは何も仰らない。
「…あの?」
答えは一言で済むはず、と簡単に考えて返事を促そうと目を上げた私は。
―――――愚かだったわ。
テツさまと、目が合った。
厳格そうな印象の強い無表情の中、黄金の目が真っ直ぐに私を見ている。
強い視線。酔っ払いそうになるのに、竦む。私の本能が激しい警鐘を鳴らした。刹那。
「こちらへ」
腕を差し伸べられる。どちらへ? とか惚ける余裕もないわね。
まあ、うん、そう、そちらへ、ですね。要するに、まあ。
テツさまの隣へ…―――――って、分かってた、膝の上へってことは。
のろのろ身を起こし、促されるままに動きながら感じるドキドキは、どうやったって浮ついたものにはならない。どちらかと言えば、獣の顎先で無防備に鎮座する気分。
これは、確実に。
―――――お怒りだ。
何が気に障ったか。ここまでくれば、はっきりしてるわよね。
片方の足を立て、片方の足で胡坐をかいたテツさまの、胡坐側のスペースに座り、私はぎゅっと自分の膝を抱えた。
婚約が嫌だとか、指輪をないがしろにしたつもりはないわ。だって、何度も助けて頂いてる。
ただちょっと、気が抜けたというのか、…失言だったことは、認めます。
「シルヴィアになら」
私を見ないまま、テツさまが口を開いた。
「すまないと言った」
何の話だろう。いくらきれいでも、今は怖いばかりの横顔を、私はおそるおそる上目遣いに見上げる。
「逃げられない場所で、逃げられない方法で、求婚したのだ。恨まれるのは、承知だった」
改まって聞くには、今更な、―――――でも、そのあたりのことをテツさまの口から語られるのははじめての、求婚の話に、少し面食らう。
今になってその話をする、なんて。
私とテツさまの会話の、というか、会う回数の少なさに、改めて愕然となる。
「だが」
不意に、テツさまが彼の胸元で丸くなる私を見下ろした。強い、眼差し。
「あなたには、言えない」
あれは、事故だわ。謝罪が欲しいとも思わない。でも。
シルヴィアさまには謝れて、私にはできない、って。…どういう意味。
私の疑問には答えず、目も逸らさずに、テツさまは続けた。
「婚約が―――――俺が嫌なら、命じればいい」
膝を抱えた私の背中を、テツさまが支えるように抱いた。寂しそうにでも、見えただろうか。
まるで、優しく守るみたいに。―――――閉じ込める、みたいに。
「あなたは、俺の真名を知っている」
テツさまの、誠実さ、真面目さを、恨めしく思う日が来るなんて、思わなかった。
「命じれば、俺は逆らえない。指輪を捨てたい、外せ、と」
いえ、恨めしい、どころじゃないわ。これは。
優しいような物言いで、切りつけるみたいに残酷なことを要求なさる。
私に行動の自由を許しながら、そのことで、次第に肌に食い込む鎖を巻き付けられている感じが、する。
(やっぱり、この方は)
―――――悪魔だわ。
室内に、沈黙が落ちた。私の言葉を待つように。静寂に、私はさらに押し黙った。
「望まないのか」
真名を通じて命じれば、この方は逆らえない。そんなこと。できる、わけが。
臆病な私には、そんなの、誘惑にすらならない。怖い。誰かを支配するなんて。
なにより。
そこまでするほどの拒絶の意思が、私にはなかった。
「…そうか」
呟いて、テツさまは、―――――不意に。
微笑んだ。
衝撃で、訳の分からないぐしゃぐしゃしたものが、すべて吹き飛んだ。
視線も意識も、丸ごと持って行かれた。すごい。なにこれ。笑顔。うん、わかってる。
でも、ただ笑ったってそれだけで、この威力。
ずるい。
一方的に、態度で、言葉で、明白にはしないけど、縛るようになさる。
少し、腹立たしくなった。
「テツさま」
背中に回った手を意識して、私。
「あまり、縛るようになさるなら」
膝を抱えていた腕を解く。テツさまの前で、膝立ちになった。
彼の肩に手をかけ、見下ろせば、新鮮な心地になる。いつも、見下ろされているから。
「私も縛らせて頂きますよ?」
テツさまが、少し目を見張った。それでも、笑みは消えず―――――ただ、その色を変えた。
「縛って、くれるのか」
…うん?
なんだか、その台詞、おかしくないですか。
テツさまの腕が伸ばされる。腰を、引き寄せられた。
「ならば、俺は俺のままでいられる」
胸元、甘えるようにテツさまの頬が寄せられる。
おさまって、大人しくなった頭に、私は腕の持って行き場所に困った。近さにも困る。
うっかり、触れない。畏れ多いんだってば。髪きれい。触ったら、汚してしまいそう。
そう言えば、小さな頃、木の洞の中でもこんな風に抱き合った。でもあの頃のようには、動けない。と同時に、不意に思い出す。
―――――あの頃と、自分は変わらない、とテツさまは仰った。なのに、今。
俺は俺のままでいられる、と。つまりは、彼自身でいられない不安があるってことよね。
なにがどう、違うの?
「テツさまは、テツさまでしょう」
つい、励ますみたいな口調になった。昔を思い出したせいだ。
「…オレは」
ぽつり、テツさまは呟く。
「助けてくれたあなたに憧れた。―――――あの頃は、あなたは男だと思っていたし…あなたのようになりたいと、思った」
いったい、何を言い出すのか。
男と思われていたことは、許容範囲だ。昔はよく間違われていたし。
体格も、当時は私の方がしっかりしてた。
「だから、努力した。こういうときあなたならどう考えるか。あなたならどう行動するか。考え、実行に移した」
正直、呆気にとられた。
テツさまの行動に、私が影響していたなんて、想像もしてない。何より私は。
…この方みたいには、できないわ。
「だが、何かが、違った」
弱った獣みたいに、テツさまが、私の胸に頬を擦り付ける。
「すべてが簡単に為せてしまった結果――――――…、俺は、飽きてしまったんだ」
淡々とした口調に、はじめて、遣る瀬無さが宿った。
私を抱く腕に、力がこもる。息が詰まった。
「あなたのようになりたいと思う。本音だ」
早口で、テツさま。
「だが、あなたと俺とでは、何かが決定的に違う。実際に行動して、それが分かった。わかってしまった」
声が泣き出しそうで、思わず私はテツさまの頭を強く抱きしめた。腕の中の身体が、小さく震えた。私よりよっぽどしっかりした体格なのに、…脆く感じる。
「俺が、悪魔のせいだろうか。いつか、この肉体は、化け物に変わってしまうのだろうか」
精神もろとも、と。
独り言めいて頼りなく、テツさまは言葉を紡ぎ、疲れたように沈黙した。
そんなことにはなりませんよ、と言いたかったけど。
口にすれば、ウソ臭い慰めにしかならない気がして、すぐには言葉も出ない。
テツさまはから感じる猛烈な不安と虚無感の冷たさに、少しでも温まればいいと強く身を寄せた。
大丈夫、なんて励ましも、簡単には言えず。
私は、考え考え、口を開く。
「いくらテツさまがテツさま自身を疑っても」
テツさまが抱えた理由の、本当のところ、なんて。私には実際には半分も、きっと見えていないわね。
中途半端な慰め自体、この方には届かない。
「私は、テツさまを見失いません」
テツさまが私に憧れたなんて話、にわかには信じられないけど。
私がテツさまに抱いている憧れは本物だから。
―――――だから見失わない、と。
それで安心していい、なんて絶対言えないけど。
少しでも支えられたなら、と思う。
ああ、とテツさまはひとつ、頷いて。
微かに呟いた。
「…どうか助けてくれ」
これがいけない。私はつい、顔をしかめた。
―――――生殺与奪の権限が、まるで私にある、なんて態度でいながら。
ねえ、聞いてくださるかしら。
踏み込みすぎれば、絡め捕られて、きっと逆の立場になるわ。
読んでくださった方ありがとうございました~。
ある程度書きたまったので、こちらはしばらくお休みします。
また再開した時お付き合いいただけると嬉しいです。