おいしーものを食べたらさー、楽しくなるよねー
フィルの誘拐未遂事件が起きた二日後、リタとフィルはクレアの城に呼び出されていた。寝起きで面倒くさそうな顔をしたフィルは、リタに手を引かれて城に入る。
「……ねむいー」
「シャキッとして。クレアさんはフィルに話があるんだよ」
フィルはダラダラと廊下を歩く。その手を引くリタは、フィルの髪の毛を慌てて整えた。乱れていた髪は、リタが指を通すだけですぐに綺麗に戻る。なおもフィルはブツブツと文句を言う。
「ゆーがたでいーじゃんー。なんでこんなに早いのー」
「フィルが寝起きなだけで、もうお昼だよ」
「えー、うそだー」
二人が廊下の窓から外に目線を向けると、太陽が高く登っている。それだけでもうお昼だということがすぐにわかった。フィルはムッと頰を膨らませると、ブンブンと繋いだ手を振る。
「そんなに大切な話かなー?」
「あ、うん。大切な話だと思うよ?」
確実に二日前の話だろう、と思っているリタとは裏腹に、フィルは何の用だかすら検討がつかない様子だ。フィルにとってはあの場で当事者に謝罪をしてもらったことで、全てが終わっているのだろう。
「さ、シャキッとしてね」
クレアに呼ばれた部屋の前に着き、リタは再びそう告げる。フィルは面倒くさそうだった表情を少しだけ、ほんの少しだけキリリとさせた。その表情が可笑しかったリタが笑いそうになると、フィルは眉間にしわを寄せる。
「あー、笑ったー! シャキッとしたのにー! ねー、クレアー!」
勢いよく部屋の扉を開けたフィルを待ち構えていたのは、赤い絨毯に両手と額をつけたクレアだった。
「すまなかった」
部屋に入ると、開口一番にそう言う。その後ろには、イアンとこの間の青年がクレアと同じような格好でいる。
それを見たフィルは一瞬驚いた表情をしたが、ニヤッと笑ってクレアに駆け寄った。クレアの目の前にしゃがみ、下げられた頭をペタペタと触る。
「あれー、角はー?」
「ほらほら、茶化さないの」
クレアの頭にはいつものような角がない。首を傾げたリタは、フィルの腕をグイッと引っ張って立たせた。
「だってないもんー。なんでー?」
「あ、いや、謝罪の場だから……アクセサリーの類はよくないかと思って」
慌てた表情でそう言うクレアに、リタは一層首を傾げた。あれはアクセサリーなのだろうか。しかし、クレアは真剣な口調で続ける。
「都合の良いことを、と思うかもしれないが、こいつらも反省している。どうか許していただけないだろうか」
クレアはそう言って、もう一度深く頭を下げた。彼女の表情は一切うかがえず、リタはフィルの方に視線を動かす。フィルは何かを考えるでもなく、コクリと頷いた。
「んー、いーよー」
間の抜けた口調でそう返すと、再びクレアの前にしゃがむ。クレアはバッと頭を上げると、目を見開いてフィルの顔を見た。
「本当か!?」
「んー、別に怒ってないしー」
「あ、いや、でもかなり怖い思いをさせたと思うんだ。やっぱりこいつらと君たちは金輪際近づけないように……」
ブツブツと口の中で呟くクレアに、フィルは手を伸ばす。
「クレアは心配しょーだなー」
キラキラと輝く金髪を撫でて、オッと表情を明るくした。
「おー、角がないと撫でやすーい!」
フィルはよいしょと立ち上がると、座ったままのクレアに右手を伸ばして笑う。
「リタも怪我してなかったしー、もーいいよー」
「あぁ、本当に悪かった」
クレアが右手を取ると、グイッと引っ張り上げる。フィルは、勢い余って胸に飛び込んできたクレアの背中をポンポンと叩いた。その手つきに安心したのか、クレアはフィルの胸に顔を埋めて背中に手を回す。
「おー、よしよしー。泣かなくていいんだよー」
「な、泣いてない!」
笑うフィルから勢いよく離れて、クレアは目をこする。少し赤くなった目と手の甲についた水滴を、クレアとリタは見なかったことにして顔を見合わせて微笑んだ。
「あ、えっと、何かを お詫びを……」
「えー、そんなのどーでもいーよー」
「いや、なんでも言ってくれ。欲しいものとかないか?」
そう言ったクレアの真剣な表情に、フィルは何かを企んだようにニヤリと笑う。
「どーしてもって言うなら、外した角ちょーだい!」
満面の笑みで両手を差し出して無理を言うフィルに、クレアは目を泳がせる。チラチラと隣のリタに目線を動かして助けを求める表情が可笑しくて、リタは気づかないふりをした。
「あ、え、と、それはちょっと……」
「だよねー」
ケラケラと笑うフィルは、何かを思い付いたようでポンと手を打った。
「じゃあクレアー。お詫びはー……」
「なあ、これっていつも通りじゃないか?」
いつもより一層多めの料理を目の前に、クレアは困惑した表情を浮かべる。一方、フィルは目を輝かせてフォークを手に取った。
「いいんあおー! おいひーかあえー」
フィルの求めた"お詫び"はこの料理だった。今日の昼と夜を、リタと一緒にここで食べて欲しいとクレアに頼んだのだ。
口いっぱいに肉を頬張ったフィルは、幸せそうに頰を押さえる。
「あぁ、いや、フィルがいいならボクはいいんだけど……」
「んー、クレアも食べなよー!」
「ん、そうする」
クレアもフォークを掴んで肉を口に運ぶ。それだけでパッと明るくなったクレアの表情に、フィルは笑顔を見せた。
「おいしーものを食べたらさー、楽しくなるよねー」
ニッと笑ってそう言うと、もう一口食べる。その言葉に呆気に取られたリタとクレアは、顔を見合わせて目を丸くした。そのあと、プッと吹き出して笑う。
「な、なにー? 二人だけ分かり合ってずるいー!」
「あぁ、いや、フィルの言う通りだなと思ってな」
「わかんないー! もー、早く食べないとわたしがぜんぶ食べちゃうからねー!」
フィルはそう言って、大きな皿を自分の方に引き寄せる。それを見たクレアはずるいぞ、と楽しそうに言い返した。いつも通りになった空気に、リタはホッと胸をなでおろす。
しかし、一方でリタにはまだ疑問が残っていた。
「あの、クレアさん。あのお二人は、フィルの何を研究対象にしていたんでしょうか?」
リタがそう言うと、クレアの動きがピタリと止まる。いけないことを聞いてしまったか、というリタの後悔はすでに遅く、部屋には再び気まずい空気が流れた。




