寝たらだいじょーぶ!
「えー、晩御飯ないのー!?」
フィル驚きの声が家中に響いた。魚が釣れなかったことが、直接晩御飯抜きに繋がるとは思っていなかったらしい。ポフッとソファにうつ伏せで倒れこむと、両脚をバタバタさせる。
「明日の朝食べる用のパンしかないよ」
「困ったねー」
「雨降ってたから、買い物行かなくてごめんね」
ソファに顔を埋めているフィルの頭を撫で、そう呟いたリタ。魚が一匹も釣れないとは思わなかったのだ。髪の流れに沿って撫でるていると、フィルはガバッと顔を上げた。
「じゃー、もー寝よー!」
ぐるりと体をひねって一度仰向けになり、そのまま体を起こしてソファに座る。フィルのその提案に、リタは驚いた。
「あ、いや、ご飯食べに行ったりできるよ?」
「んーん、きょーはもーめんどくさいからいーの」
「ほら、魔法陣もあるし……」
フィルにご飯を食べないという選択肢があったことが驚きだった。面倒くさい、とフィルは首を横に振る。
「じゃあ、パン食べる?」
「明日の朝お腹すくじゃんー」
「フィルが起きる前に私が買いに行くよ」
リタの言葉にフィルはパッと一瞬明るい顔をしたが、何かを思い出したように慌てて首を横に振った。顔に当たる自分の髪を煩わしそうに左右に分けて、親指を立てる。
「寝たらだいじょーぶ!」
「大丈夫って……まあ、フィルがいいならいいけど」
リタがそう返事をすると、フィルはぴょんと立ち上がった。左手でリタの手を握り、反対の手は高く突き上げる。
「よーし、ベッドへゴー!」
「待って」
ぐいっと引っ張るフィルの手に抵抗して、少しも動かなかったリタに、フィルは首を傾げた。リタはニコニコと何かを企んだ顔をしていて、フィルは一歩後ずさる。
「お風呂は入ろうね」
「にっげろー!」
走り去ろうとした手をリタが掴み、フィルは逃げる暇もなく捕まった。ぎゃーぎゃーと抵抗するフィルを、半分引きずるようにしてお風呂まで連れて行く。フィルはあっという間にお風呂場へ連れ込まれ、ムッと頰を膨らませた。
「お風呂入るなんてきいてなかったー!」
お風呂上がりでバタバタと暴れるフィルを、リタはバスタオルで包んで抱きしめるようにしている。フィルの白い肌についた水滴が一瞬のうちに吸収され、タオルの方が少し重くなった。
「毎日入るって言ってるでしょ」
「そーだけどー」
全身くまなく拭かれ、今度は頭にタオルを被せられたフィルは、それを振り落とそうと首を振った。濡れてまとまっている髪先がピシピシとリタに当たる。細かい水滴も周りに飛び散った。
「ちょ、髪を振り回さないで」
「ふふふ、ごめーん」
「ん、じっとしてて」
言う通りにぼんやりと立っているフィルの髪についた水分を軽く拭き取る。そのまま髪を持ち上げてまとめ、タオルで包んだ。濡れたフィルの長い髪は、こうしていないと服を濡らすことになるのだ。
「っくしゅんっ」
「わー、ごめん。これ着てね」
近くの棚に畳んで仕舞われていたバスローブをフィルに渡し、リタは自分の体を拭く。リタの髪は短く、フィルのそれよりもかなり楽だ。
フィルが面倒くさそうにバスローブを身につけるのを横目で確認しながら、リタも手早く着た。腰あたりでギュッと紐を結び、もたついているフィルを手伝う。
「はい、これでオッケー」
「ありがとー!」
「ん、私は床拭くから先に寝てていいよ」
「はーい」
タタタと走り去るフィルのバスローブの裾がひらりとめくれ上がり、リタはドキリとした。
「あーもー、いま一緒にお風呂入ったのに……」
リタはブツブツと独り言を口にしながら濡れた床を拭く。ほっぺにチュッとされたことよりこっちの方が何倍も恥ずかしいのでは?とリタは突然感じた。
「あー、そうだ、うん。あんなの手を繋ぐのと一緒だ。うん」
というよりフィルはよく全裸で家中を走り回ってるし、そんなことに比べたらあんなこと……と思って、自分を納得させる。リタは床を拭く手を止め、頰を触ってみてしばらく考えてカァッと赤くなった。
「違う違う違う!」
「なにがー?」
独り言に返事があり、バッと振り向くとフィルがいた。不思議そうに首を傾げ、そこに立っていた。なぜかすでにバスローブは乱れ、はだけそうになっている。リタはすぐに駆け寄り、ほどけた紐を結びなおす。
「な、何しに戻ってきたの?」
「遅いなーと思ってー」
「も、もう終わるからすぐ行くよ」
どもるリタに、フィルはますます首を傾げた。
「顔赤いけどー、どーしたのー?」
「あ、いや、のぼせちゃったかなー?」
「んー、じゃあ早く寝よー」
フィルはリタの背中側にまわり、ぐいぐいと押す。まだ拭き残しが、と抵抗するリタだったが、フィルに連行された。
「あのさ、フィル」
「なーにー?」
「あ、いや、なんでもない」
「そっかー。じゃー、お腹すく前に寝よー」
布団を肩まで上げて目を閉じたフィルとは反対に、リタはせわしなく視線を動かす。頭の中をぐるぐると色んな考えが巡り、決心したリタはギュッと目を閉じた。
「フィル!」
パッと目を開けて、体を起こす。かかっていた布団がめくれ上がって迷惑そうな顔をするフィルに、リタは少し動揺した。もうどうにでもなれ、と勢いよくフィルに近寄り、ソッと頰に唇を寄せた。
「おやすみ!」
めくれた布団をかけなおし、フィルと反対方向をむいて寝転ぶ。心臓がバクバクとうるさく、フィルに聞こえてしまうのではないかという不安さえ覚えた。
しばらくたってもフィルがなんの反応も示さず、不安になったリタは恐る恐る寝返りを打つフリをしてチラリと確認した。すると、そこには顔を真っ赤にしてぼんやりと天井を見上げているフィルがいた。あまりのことに驚いたリタは、思わず声をかける。
「あ、えっと、大丈夫?」
「あ、だいじょーぶ! おやすみ!」
今度はフィルがそっぽを向き、目を閉じた。恥ずかしくなったリタも再びその姿勢に戻る。
この日、二人でこのベットで寝はじめてから、始めて背中合わせで寝ることとなった。




