……釣れないねー
「っくしゅん」
「大丈夫?」
「んー。ほんとーに寒くなるんだねー」
「朝、雨降ったからね」
「そーかー」
二人は、ぶ厚い雲がかかり昼なのに暗い空を見上げる。早朝の雨の影響か、冷たい風が二人の髪を揺らした。あれからの生活は至って"いつも通り"だった。朝起きて、ご飯を食べで、寝る。変わるのは空模様だけだが、二人はそんな生活に満足していた。
「でも寒くなるよ。ほら、これ着て」
ブルッと体を震わせたフィルに、リタは自分のカーディガンをかけてやる。意外にも素直に羽織ったフィルだったが、腕を通すとすぐに袖を上げる。白い腕が露出して、フィルはもう一度震えた。
「腕まくったら一緒じゃん……」
「だってー、もさもさするー」
カーディガンの裾をパタパタさせてそう主張するフィルは、苦い顔をしてペロッと舌を出した。
「風邪ひくよ」
「引きそうになったらちゃんと着まーす」
呆れた口調のリタにも負けず、フィルはケラケラと笑って隣に座った。リタの目線の先を見て、ポツリと呟く。
「……釣れないねー」
「……そうだねえ」
リタの握る釣竿は、三十分程前からピクリとも反応を見せていない。フィルは退屈そうに足元の石ころを蹴ると、ぴょんと立ち上がって川を指差す。
「泳いでもー?」
バタバタと両腕で脚の蹴りを表しながら、フィルは笑顔を作った。しかし、リタは首を横に振る。
「いや、さっきくしゃみしてたでしょ」
「だよねー」
わかっていた、という風にフィルは椅子に座り直して、小石を拾った。それを手の上を転がすと、川に投げる。ポチャン、と気持ちのいい音がして、フィルは目を輝かせた。
「んー、つまんないなー」
ポチャンポチャン、とリズムよく小石を川に投げ続けるフィルは、小さくあくびをしてそう言う。そんな水音を聞きながら、リタは釣竿を上げた。先に付けたはずの餌はなく、またか、とリタはため息をついて餌を付け直す。
「ねえフィル」
未だに石を投げ続けているフィルの肩を叩いてそう言うと、フィルは首を傾げた。癖になったのか、それでも手を止めないフィルに、リタはクスクスと笑って手元を指差す。
「魚はさ、その石に驚いて逃げてるんだと思うよ」
「おー、そうかー」
ポンと手を打って頷いたフィルは、手に持っていた一つを足元に落とし、手を合わせて申し訳なさそうな顔をした。リタは釣り針を再び川に投げ入れる。手持ち無沙汰になったフィルは、体を横に揺らしてリタの竿先を見た。
「もうちょっと遠くで投げれば?」
あまりに退屈そうなフィルが気になり、リタはそう声をかけた。少し離れていれば釣りには問題ないだろうと、思ったのだ。しかし、フィルは首を横に振る。
「もー飽きたからいーいー」
「そっか」
そう答えたリタの言葉を最後に、沈黙。川が流れる音と、フィルが石を蹴る音だけがその空間で唯一の音だった。
ジッと釣竿を見つめていたリタだったが、フィルが寝てはいないだろうか、とチラリと横を見る。リタが少し横を見ただけで、前のめりで自分を見つめているフィルとバチッと目が合った。あまりに見つめられていて驚いたリタが目線をそらすと、フィルは首を傾げた。
「なにー?」
「あ、いや、静かだから寝てるんじゃないかと思って」
「さすがにこんなとこじゃ、寝ないよー」
ケラケラと笑ってそう答えるフィルは、それでもリタから視線をそらさない。リタはたじろいで、意識をそらすように釣竿を揺らす。
「な、何?」
「えー、なにがー?」
フィルは大層、不思議そうに答えた。
「じっと見るから……」
「あー、リタ見てたのー」
その理由が知りたいんだけど、と苦笑いしたリタは、釣竿の先を確認してから、もう一度フィルを見る。
「なんで私を見てるの?」
「そこにリタがいるからー?」
「なにそれ」
リタは、答えになっていないような答えを貰ってクスクスと笑った。それに不思議そうな顔をしたのはフィルだった。うーん、と考えて、答えを付け足す。
「そこにリタがいてー、それが嬉しいからー?」
自分で口にしたその答えが可笑しいのが、フィルは口元を押さえて笑った。静かだった川辺に、二人の笑い声が響く。
何がきっかけだったかわからないくらい笑った後、フィルはスッと真顔に戻った。その表情が可笑しかったリタがお腹を抱えて笑うと、フィルはムッとしてリタを指差す。
「リタがいて嬉しいのはほんとーだからー!」
そう言って椅子から立ち上がると、足元の小石で滑って少しふらついた。格好が付かずに顔を覆ったフィルの頭を、リタは笑いを堪えて撫でる。
「ありがとう、フィル」
小さくそう呟くと、フィルはガバッと顔を上げて満面の笑みになった。キラキラと何かを期待する目でリタを見る。その目の意味するところがわかったリタは、照れたように頭を掻いた。
「あー、うん。私もフィルがいてくれて嬉しいよ」
「知ってるー!」
ガバッと抱きついたフィルに、リタの座る椅子は簡単に倒れた。釣竿は手から離れ、小石だらけの地面に倒れ込んだリタは覆いかぶさるフィルに顔を赤くする。
「ちょ、フィル、危ないってば」
「ごめんねー、背中痛くないー?」
「だ、大丈夫」
心配はするものの、リタの上から退こうとしないフィル。ニコニコとしたままリタを見下ろしている。
「あの、フィルさん……?」
この状況に耐えきれなくなったリタが口を開くと、フィルは彼女の頬に唇を寄せた。軽く触れると、パッと離れてニッと笑う。
「さ、帰ろー」
何が起こったのかわからず呆然としているリタの腕を引いて立たせ、パンパンと背中についた砂を払った。ギュッと手を握って帰ろうとするフィルに、徐々に状況が掴めていたリタの顔が真っ赤になる。
「帰らないのー?」
なぜか満足そうなフィルは、リタの手を引く。リタは言いたいことがありすぎる中、やっとの思いで口を開いた。
「あ、や、えっと、まだ、釣れてないし」
リタは頬に触れた柔らかさを思い出し、震える手で釣竿を握る。フィルは不満の声を上げるも、大人しく隣に座った。
本日、釣果ゼロ。このままでは晩御飯抜きだ。




