全部いつも通りになったらいいのになー
「おなか、つらい」
片言でそう呟いたフィルは、ドサッとベッドに倒れこんだ。フィルは、頼んだ"お詫び"の二食をほとんど独り占めしたのだ。そんな彼女のお腹は服の上からでもわかるほど膨れている。うつ伏せでは苦しかったのか、クルッと寝返りをうって仰向けで天井を見つめた。
「食べすぎだよ……」
「だってー、美味しいもんー」
「わかったわかった」
リタはベッドに腰掛けて、フィルの膨らんだお腹をさする。こんなんでも、明日にはぺたんこになるんだから人の体はわからない、とリタはなんだか感心してしまった。
ぼんやりと天井見つめていたフィルは、突然真面目な顔を作ってリタを見る。じっと見つめられてリタが首をかしげると、フィルはその表情を崩さずに口を開いた。
「わたし、わかったことがあるんだー」
「うん、何?」
リタの返事にもフィルは表情を変えない。部屋に真面目な空気が流れて、リタはゴクリと唾を飲んだ。フィルはたっぷりと間を置いて答える。
「お腹がいっぱいだとー、寝れない!」
「あぁ、うん、そうだね」
リタの気の抜けた返事に、フィルは眉をひそめた。
「えー、はんのーうっすーい」
「ごめんごめん。わかってよかったね」
ポカポカと太ももを叩くフィルの手を止めて、苦笑いで答える。そのリタの返事が気に入らなかったのか、フィルは体を起こしてムッと頰を膨らませた。
「じゃー、クレアに教えに行くー」
そう言ってゆっくりとベッドを出ようとするフィルを、リタは慌てて止める。柔らかく肩を押すと、フィルはされるがままで頭を枕に落とした。
「クレアさんだってもう寝ようとしてるよ」
「そーかー」
その答えに、リタもベッドに入った。自宅にある新しいベッドよりもずっとふかふかで、少し体が沈む。隣で天井を見上げているフィルに肩まで布団をかけて、ポンとお腹を軽く叩いた。
「ねー、リター?」
「どうしたの?」
「クレア、明日も謝るかなー?」
消えそうにか細い声でそう尋ねるフィルは、天井から目を逸らさない。そんなフィルをチラッと見て、リタも天井を見つめて答える。
「それはどうかなぁ」
ここの天井は高い。フィルはその天井に手を伸ばして、くうを掴んだ。リタはそれを真似してみるも、フィルのしたいことがわからずにその手は宙ぶらりんになった。
「クレアのこと初めから怒ってなんかないのになー」
「それはクレアさんもきっとわかってるよ」
「んー」
何かを考えているように曖昧に頷いたフィルは、伸ばしていた手で今度はリタの手を掴んだ。ギュッと握って、ベッドの上にポスンと落とす。
「イアンだってさー、あの人だってさー……リタ、あの人の名前知ってるー?」
「あの人? ……ああ、私も知らないや」
そういえば、あの青年は誰なのだろう、とリタは思った。あの日は事件自体にいっぱいいっぱいでなんとも思わなかったが、今日改めて見てみると、見たことがある気がしていた。リタがそんなことを考えているとは知らず、フィルは話を続ける。
「そっかー、んー、あの二人のことだってもう怒ってないのにー。一緒にご飯食べれるかなーって思ってたのになー」
「フィルは優しいね」
リタの手をにぎにぎしながら話すフィルは、その言葉にやっと天井から視線を逸らした。フッとリタの方に顔を向けて、にっこりと笑う。
「そー?」
「そうだよ。私なら……すぐには許せないかも」
誘拐されそうになったことなんてリタにはないが、想像しただけでゾッとした。しかし、フィルは首を横に振る。
「でも本いっぱい落としちゃったしー」
「それは、わ、私を守ろうとしてくれたん、でしょ?」
言いかけて恥ずかしくなったリタは、少し口ごもりながらもそう尋ねた。普段は使おうとはしない魔法を自分のために使ってくれたのは嬉しかった。それにサクに言わせると、あんなに大量のものを一斉に動かす魔法はかなり高度なものらしい。それを自分のために、と思うとリタの頬は自然と緩んだ。
「まー、そーだけどねー」
「ありがとう」
リタは得意げに答えたフィルの頭を撫でようとするが、強く繋がれていてほどけない。仕方なく反対の手を伸ばして、わしゃわしゃと撫でた。フィルはそれにニコニコと笑って続ける。
「だからさー、明日起きたら全部いつも通りになってたらいいのになー」
明るく、優しい口調でそう言ったフィルに、リタは返事ができなかった。全部元通り、フィルの言うそれが本当に起こるなら、それこそ魔法なのではないだろうか。
黙ってしまったリタを、フィルは不思議そうな目で見つめる。その視線に、リタは少し笑って答えた。
「あ、いや、うん。すぐには難しいんじゃないかな」
難しい、なんてものではないと思う。直接関係のないクレアならまだしも、イアンと元のように接するには時間がかかるだろう。そんな言葉は飲み込んで、リタはフィルの手をぎゅっと握った。
「そっかー」
握り返すフィルも、何かを理解したようにポツリと呟く。少し潤んでいる様にさえ見えるその目は再び天井に戻って、閉じられた。
次の日、リタのフィルはクレアの大声で叩き起こされた。二人の眠るベッドに飛び乗り、繋いだ手を茶化すクレアに、フィルもリタでさえも迷惑そうに目を開けた。
「よ、おはよう。寝てても仲良いんだな」
「……おはようございます、クレアさん」
「……うるさいー」
体を起こしたリタが窓の外を見ると、確かに叩き起こされても文句の言えない時間だということがわかった。サンサンと照る太陽がまぶしい。フィルは耳をふさいで、布団にもぐる。
「君たち、いつも手を繋いで寝てるのか?」
「まぁ、いつもそうですね……」
まだ夢の中の様なふわふわした感覚で、リタは恥ずかしさを感じることもなくコクリと頷いた。その返事に、クレアはニヤニヤとしてリタの頬をつつく。
「いちゃつくのはいいけどさー、早く起きてくれよ! ご飯の準備終わってるぞ!」
先に行ってるからな、とニヤついた顔のまま勢いよく部屋を出て行ったクレアの背中を見て、リタのぼんやりしていた意識は覚醒しだした。ポポポ、と顔が熱くなって、リタはフィルをほおってベッドから飛び出した。
「クレアさん、違うんです!」
「何が違うんだ? ほら、フィルを起こして、ご飯にしよう。手繋いで来ていいから、な?」
まだ廊下を歩いていたクレアは、リタの声にくるりと振り返ってニヤつく口元を押さえた。その態度に、リタはホッとした。クレアの態度は、まさしく"いつも通り"だ。なんならいつもより少し自分たちに気を使っていない様にさえ感じる。フッと笑ったリタは、クレアを追いかけるのをやめてUターンで部屋に戻る。
「フィル、起きて。ご飯だよ!」
「んー、食べるー」
ぐしぐし、と目をこすって布団から出たフィルの乱れた服を整える。めくれ上がった裾を下げ、なぜか首元から出ている腕を袖から通す。これも"いつも通り"だ。
「よし、行こう!」
「お腹すいたー!」
グーと鳴るフィルのお腹に笑いをこらえて、二人は"いつも通り"手を繋いで部屋を出た。広い廊下を走りながら、リタは思った。
——いつも通り、は案外簡単かもしれない
そう思えたリタは手を握りなおして、フィルに笑いかけた。
100話でした。いつも読んでくださる皆さん、ありがとうございます。




