89話 総統閣下が……
台本形式を書きたい… 書いてもいい? ダメ? いや、そのうちまた書こう!
1940年7月中旬 ドイツ ベルリン
その日、ドイツ第三帝国の総統であるアドルフ・ヒトラーは総統官邸で、アルベルト・シュペーア首都建築総監と楽しげに、ドイツの新首都構想であるゲルマニアの話に花を咲かせていた。
世界首都ゲルマニア、なんとも壮大な計画ではないか。
このゲルマニア計画のため、立ち退きを余儀なくされた人達の中に、満州やアメリカへと渡って行ったユダヤ人も少数ながら存在していた。
だが、世界首都建設のために必要な立ち退きなどは、些細な問題なのであろう。
総統閣下はシュペーアと話している時だけは、いつもご機嫌な様子であった。
お互いに芸術家肌の人間として、ウマが合ったのだろう。
しかし、そこへ水を差すように、シャンパン商人もとい外務大臣である、リッベントロップが訪問してきた。
リッベントロップは、ソ連がドイツとの同盟を結びたがっているとの情報を、ヒトラーへと伝えた。
「ソビエト連邦との同盟だと?」
「はい、モロトフ外相から打診がありました」
モロトフから独ソ同盟の打診があったという話は嘘である。
本当はリッベントロップから先に同盟の話を振ったというのが真相であった。
「いま、この時期にか?」
ヒトラーは疑問を浮かべた表情をしながら、リッベントロップに聞き返した。
「いま、この時期だからこそとは考えられませんでしょうか?」
「イギリスがソビエトと開戦するかも知れないという、この時期にか?」
ヒトラーは疑問を浮かべた表情から、困惑した様子へと表情を深め、確認するように再度リッベントロップに聞き返した。
そう、イギリスはソビエト連邦に侵略されているバルト三国を助けるという名目で、ロイヤルネイビーがバルト海で軍事作戦を展開している最中なのだ。
その両者の様子を、ヒトラーは高みの見物で優雅に洒落込もうとしていたのであった。
そして、どちらかというとイギリスに甘いヒトラーは、ロイヤルネイビーがバルチック艦隊をボコボコにしてくれても構わないとさえ思っていた。
むしろ、そうなるように仕向けていた節さえあった。
そうでなければ、ロイヤルネイビーのバルト海への進入は、英独の戦争が終わっていようが難癖を付けて、そう簡単には認めなかったであろう。
「ええ、困っているロシアに恩を売れます」
「……リッベントロップ君、冗談も休み休み言いたまえ」
ヒトラーはプルプルと震える手で老眼鏡を外して、ヒトラーから見れば頓珍漢な戯言をのたまう自国の外務大臣を窘めた。
どうやら、手が震えていたのは、アルツハイマー病でもパーキンソン病でもなく、ましてや、おっぱいプルーンプルンであるわけもなく、怒りを鎮めるために老眼鏡を外して、気持ちを落ち着かせたかったようであった。
組織のリーダーとは、いちいち部下の言動に腹を立てていれば、リーダーという役職は務まらないのである。
だが、総統閣下の怒りに油を注ぐ愚か者が目の前に存在していた。
「総統閣下、私は真剣に検討した結果、ロシアとの同盟は利があると判断しました」
「赤のボルシェビキとの同盟など論外だ! 論外! 話にもならん!」
ヒトラーは拳をドンっと机に叩き付け、吐き捨てるように叫びながら、ソ連との同盟を否定した。
取り付く島もないとは、このことであった。
どうやら、リッベントロップの妄言によって、一度は我慢したはずである総統閣下の短い堪忍袋の緒が、プツリと切れてしまったみたいだ。
ヒトラーの本音では、アカが大嫌いなのであった。
そう、台所に出没するゴキそれ以上にアカを蛇蝎の如く毛嫌いしているのだった。
ファシスト国家とコミュニスト国家は、コインの裏表。
背中合わせ、似た者同士の関係である。
しかし、裏と表は永遠に交わることはないのだ。
そこには、近親憎悪が多分に含まれているはずであった。
つまり、総統閣下曰く、「大嫌いだ! ばーか!」である。
「しかし、不可侵条約は締結したではありませんか?」
「不可侵条約とは同盟ではない。あくまで相互不可侵にすぎん」
そう、ヒトラーにとってソ連と不可侵条約を結んだのは、あくまでもポーランド分割に都合が良かったから、渋々ながらも不可侵条約に同意しただけなのだから。
マンフレット・フォン・シュレーダーの言うところの、勇気と知恵を振り絞って、イデオロギー上でナチスドイツの最大の敵であるソビエト連邦との不可侵条約を締結したのであった。
もっとも、その後にフランスを侵攻する時に後方の安全が保障されたので、ソ連と不可侵条約を結んだ意義は十分にあったのではあるが。
「その相互不可侵を更に進化させることも、可能なのではないでしょうか?」
「思想と信条が違いすぎる相手とは、いずれ雌雄を決せねばならない運命にあるのだよ」
「そ、そんな……」
リッベントロップはヒトラーの発した言葉に、冷や水を掛けられたような気分にさせられた。
「リッベントロップ君、少し頭を冷やしたらどうだね?」
椅子の背もたれに身体を預けながら、ヒトラーはやや呆れたような声色で諭すように言葉を発した。
「しかし、総統閣下。ロシアとの貿易は我が国にとって必要不可欠な存在です」
自分の価値を高めようと必死なリッベントロップは、なおもヒトラーに言い寄るのだった。
また、ソビエト連邦との同盟こそが自国の、ドイツの繁栄へと結びくと固く信じているが故の行動でもあった。
「ロシアではない、ソビエト連邦という共産主義の国家である」
「し、失礼しました!」
「リッベントロップ君……」
ヒトラーは黒檀の机に肘をつき、両手の指を絡み合わせその上に顎を載せながら、低い声で自国の聞き分けの悪い外務大臣へと問い掛けた。
「なんでありましょうか、総統閣下」
「余の私見では、君は少しロシア贔屓が過ぎると思うのだが、どうであろう?」
「そ、そんなことは……」
心当たりがありすぎるリッベントロップは、ないとは言えなかった。
そう、ソビエト連邦と不可侵条約を締結する前から、リッベントロップのロシア贔屓は有名で、ベルリンの官庁街では知られている事実なのだから、今更否定しようにも土台無理な注文だったのである。
「君は必要以上にイギリスを嫌いすぎて、目が曇っているのではないかね?」
「それは……」
それは、総統閣下の誤解です。とは、胸を張って言えない、リッベントロップであった。
そう、彼はイギリス嫌いを公言していたのだ。
だからこそ、その裏返しでロシア贔屓へと繋がって行ったのであろう。
しかし、口は禍の元である。こうして足元をすくわれる破目になるのだから。
そして、沈黙は金であった。
「リッベントロップ君、君は栄光あるドイツ第三帝国の外務大臣だ」
「は、その名を汚さぬよう職務に励んでいるつもりであります」
リッベントロップは虚勢を張った。
この後に続くであろう、ヒトラーの言葉を聞きたくなかったからだ。
「しかし、もう少し大局的に物事を見極める目を持ってもらわねば、外務大臣がそれでは困るのだよ」
「大局的に、ですか? わかりました」
「今回の件は不問に付すから、もう下がりたまえ」
そう言ってヒトラーは、しっしと手で追い払うそぶりをみせ、リッベントロップの退室を促したのであった。
「はっ、ハイル・ヒトラー!」
助かったと喜びながら、退室して行くリッベントロップであったが、内心では冷や汗をダラダラと流していたのだった。
※※※※※※
「総統、彼を罷免しなくてもよいのですか?」
「罷免には私も賛成します」
「彼は時勢が読めてない気がしますね」
リッベントロップが去った後、総統執務室に残っていたヘスとゲッベルスにシュペーアが、それぞれ異口同音に感想を漏らした。
「彼を罷免した場合、後任は誰にするのだ? ヘス君、君がやりたいのかね?」
「総統がやれとお命じになるのであれば、やりますけど……」
「あまり乗り気ではなさそうだな」
ルドルフ・ヘスは、ヒトラー総統を支える副総統という役職に満足していたのだから、言葉を濁すのもむべなるかな。
「ノイラート氏でも呼び戻しましょうか?」
「そうなると、ベーメン・メーレン総督の後任人事も絡んできますよ?」
ゲッベルスの前外相を復帰させる提案に対して、シュペーアが問題点を指摘する。
ゲッベルスはシャンパン商人であるリッベントロップをあまり快く思っていなかったので、この失態に乗じて蹴り落としておきたかったのである。
「ベーメン・メーレンからノイラートを呼び戻すぐらいであれば、まだリッベントロップでもよかろう」
「総統閣下がそう仰られるのであれば、否はありません」
ヒトラーの言葉にゲッベルスは素直に引き下がった。彼はヒトラーに忠実なのだ。
「それに、リッベントロップ君が外務大臣のままの方が、ボルシェビキの警戒も薄れよう」
「なるほど…… 総統閣下も人が悪いですね」
ヒトラーの裏を読んだヘスがニヤリと笑った。
「アカは狡猾だからな。こちらも用心するに越したことはないのだよ」
そう言ったヒトラーも、悪そうな笑みを浮かべていたのであった。
どうやら、リッベントロップの外務大臣の地位は、首の皮一枚で繋がったようだった。
シャンパン商人の策は失敗に終わった…のかな?
マンフレット・フォン・シュレーダーさんを知っている人はhoi2ユーザーの古典派だと思うの…




