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おまけ 令嬢その4

「――ここです。この庭に、貴女のお姉さんはいます」


 城を抜け奥に進み、わたくし達がたどり着いたのは小さな庭園でした。

 お客様をお迎えする場所ではないのでしょう。よく手入れされてはいますが、咲いている花々は小ぶりで慎ましく、庭園全体に華美な装飾や目立つ剪定もありません。


「私達はここにいますから」

【は、はい。……ご案内いただき、ありがとうございました】

「……」


 一礼したわたくしに、巫女殿は逡巡したように口をつぐみ、そして頷かれました。

 ……私は進みます。


【……】


 そこは静かな、とても静かな庭園でした。

 足を踏み入れるほど静寂が濃くなっていくような植物の囲いの中は、わたくしが彷徨っていた森ほども、生き物の気配を感じません。

 ……侍女や衛兵も見当たらないなんて。……いつも人の輪の中心にいた、姉さまらしくない……。


【……っ】


 濃い葉で覆われたアーチを抜けた先に足を踏み入れようとしたわたくしは、微かな衣擦れの音に気付き、慌ててアーチの陰に隠れました。

 ……いる。……この先に……誰かが。


【――いいえ。……誰か、ではなく――】


 姉さま。そう呼びかけて良いものか。


【……ねえ、さま?】


 ……わたくしは、視界に入った人影に、戸惑いました。


「……誰です、そこにいるのは?」


 そこには喪服を思わせる重苦しい暗色のドレスを身にまとった――白髪交じりの老婆がいました。


「新しい使用人か、それともあの人の妾? 出てきなさい」

【っ……】


 ……いいえ。面変わりはしていても、あのお顔とお声。……彼女は思い出の中におられた姉さまです。背は曲がっていませんし、もしかしたらまだ、老婆と呼ぶような年ではないのかもしれません。

 ……ですが姉さまの白髪交じりの黒髪や、張りつやを失いシワが刻まれた肌、落ちくぼみ濃い隈に縁どられた両眼には、身なりを整えるだけでは到底隠し切れない、()()()が感じられました。

 

「わたくし、ファルガー侯爵夫人の命令が聞けないのですか」


 それが老いゆえ……でないのならば、ご苦労……でしょうか?

 いいえ、ここでこうして考え込んでいたって、判るはずもありません。


【――ねえ、さま。……ドゥルシラ姉さま】

「――……っ」


 わたくしは、震えそうになる声を必死に落ち着けながら、姉さまの前に歩み出ました。


【……わ、わたくし……エイヴァラルです。……こんな姿に、なってしまいましたが……】

「……」


 姉さまは、目を見開き身を強張らせました。

 こ、怖がらせてしまったでしょうか。……確かに悪意は無いとはいえ、もはやわたくしのこの身は、幽霊(ゴースト)……人外の存在と成り果ててはいるのですが……。


「……エイヴァラル?」


 ……っ。


「エイヴァラル……まぁ、貴女……本当にエイヴァラルなの」


 姉さまの表情が、明るく輝きました。


【ね、姉さまっ。ええ、わたくしはエイヴァラルですっ】

「エイヴァラル……わたくしの、妹。……なんて事でしょう。……こんなにも逢いたかった貴女に、もう一度逢えるなんて……」


 そして、花が綻ぶように艶やかな笑顔。

 ……姉さまっ! ああ、判って下さったのですね、ドゥルシラ姉さまっ!


【姉さまっ! エイヴァラルを憶えていて下さいましたのねっ】

「……当たり前じゃないのエイヴァラル。……ずっと、ずっと貴女に逢いたかったのよ……わたくしの妹……」


 駆け寄るわたくしを姉さまは抱き寄せ、優しくそう声をかけて下さいました。

 ……思い出のままの、しなやかな暖かい手の温もりが伝わる。

 ……よかった。……これだけでも、ここに来てよかったっ。


【……姉さま。……姉さまも。わたくしと……逢いたいと思っていて下さったのね?】

「勿論よ、エイヴァラル。……ずっと……ずっとずっと……死んでしまった貴女に逢いたくて逢いたくて……たまらなかった。……」


 ああ、姉さま。もっとお話しがしたい。……手を繋いで欲しい。


「……だって……ねぇエイヴァラル……」


……生きていた頃と同じように、姉妹としてもう一度……――。


「――わたくし、お前をもう一度――殺してやりたくて仕方がなかったのですもの!」


 ――――え? ――っ?!!


【きゃああ?!!】


 熱い、と幽霊の身に初めての感覚が走り、わたくしは悲鳴をあげました。


「……ふふふ。まぁ、本当に聖職者の祈祷した刃物というのは、怨霊も切り裂く事ができるのねぇ」

【ね……ねぇ、さま? ――ひぃっ!!】

「本当に、本当にもしもに備えて用意しておいてよかったわ。……エイヴァラル、お前がわたくしを恨み、復讐しに来る時を待っていたわ」


 ――え?


【な――何を!! 何を姉さま?!】

「――何度でも殺してやる」


 ――うそ。


【っ――ねぇ、さ――】

「あの方を奪ったお前など、何度でも殺してやる!! エイヴァラル!!」


 ――やめて!!


【きゃああっ!!】


 姉さま――ドゥルシラが振りかぶった刃物から逃れようと逃げ出したわたくしのマントが、掴まれ落ちました。

 ――胸元には、未だ血を流し続ける鋭利なナイフ。

 ――これは。

 ――これを、突き刺したのは――っ!!


――殺してやるエイヴァラル!!

――お前など愚鈍な役立たずのくせに!! 何をしてもわたくしには勝てないくせに!!

――それなのに何故――何故マーティン様は!! お前などを!!


【やめてぇええ!! 姉さまやめてぇええ!!】

「あははははっ!! 死ねっ!! 死ね死ね何度でも死ねぇえええ!!」


 蘇った記憶にか、現実にか、わたくしはドゥルシラに叫びました。

 ――そうだ。

 ――そうだった!! 

辛くて悲しくて、弱いわたくしにはとても憶えていられなかった現実がこれだった!!


【あの時も――あの時も姉さまは!! 森で!! わたくしをっ!!】

「お前が悪いのよエイヴァラル!! お前がマーティン様を誑かすからっ!! 愚図のくせに殿方の目を引く事ばかり得意な売女だったからっ!!」

【やめて!! やめて!!】

「何故お前なの!! あの方の妻となるべく、必死に努力して自分を磨き続けたわたくしではなく!! 何故お前なんかが!!」


 ドゥルシラは――マーティン様が好きだった。

 ずっとずっと、子供の頃からマーティン様の事が好きで、ずっと努力していた。――だから、それを知っていた、わたくしは。


――姉さま。

――なに、エイヴァラル?

――あのね……姉さまわたくし……マーティン様との事、おことわり、しましょうか。

――っ……。

――わ、わたくし……マーティン様も……姉さまも大切……だから。

――……。

――それに、皆が言う通り、わたくしに侯爵夫人なんて、む、無理だと思うし……。

――…………。

――わたくしも、姉さまの方がずっとマーティン様に相応しいと思うから……。


――エイヴァラル……お前。

――え?

――お前――どこまでわたくしを愚弄する気なの!!

――ひ――っ!!


「ずっとバカにしていたんでしょうエイヴァラル!! 能無しの愚図のくせにっ!! わたくしが庇ってやっていたその後ろで!! ずっとわたくしを嘲っていたんでしょうっ!!」

【違うっ!! ――違……うっ】


 ――本当に?

 違わなかったの、だろうか?

 あの時、一瞬でもわたくしは、姉さまに優越感を抱かなかったのだろうか?

 堂々とわたくしの手を引いてくれる、いつも見上げていた姉さまが。

 わたくしよりずっと優秀な姉さまが、皆から認められていた姉さまが、打ちひしがれている姿を見て――ほんの少しだって、嬉しいと思わなかっただろうか?


【――わたくしは……っ】


 ――いいえ、嬉しかったわ。

 ……きっとそれを、姉さまも判っておられた。……だから姉さまは、あの時激昂して、それで!


「お前が憎いわエイヴァラル!! 生前も死後も、あの方の心を捕えて離さないお前が憎くて憎くて堪らない!!」

【ねぇ……さま】

「城の中を見た? ――あの方――旦那様は、わたくしがどれほど懇願してもお前の肖像画を城に飾るのをやめては下さらなかった!! そしてわたくしの事は、政略で娶った妻という道具としてしか扱わない!! 旦那様は、お前によく似た姿ばかり愛らしい愚かな女達を、妾として何人も囲って愛でておられる!! ――全部全部お前のせいよエイヴァラル!! お前なんかいなければ!!! お前なんかがわたくしの妹でなかったらっ!!」

【あっ――!!】


 地面に引き倒され、何度も切り付けられ、引きつるような痛みがわたくしを苛んだ。

 だめ……逃げられない。


「――だとしても、旦那様の妻はわたくしよエイヴァラル!! お前なんかにわたくしは負けない!! ――何度でも殺してやる!!」


 髪ごと掴まれた額が、焼けるように熱い。痛い。……優しい温もりなんて、もうどこにもない。


【っ――!!】


 狂気じみた笑顔のドゥルシラが振りかぶったナイフが、わたくしの喉笛へと突き立てられようと、する。

 ……幽霊のまま死んだら、今度はどうなるのだろう。

 そんなどこか呑気な事を思いながら、わたくしは成すすべなくドゥルシラが握りしめるギラつく銀のナイフを見上げるしか、なかった。


「――やめんかいこのクソババァ!!」

「――ぎゃ?!」


 ――でも、恐れた痛みは襲ってこなかった。


「さっきから聞いてりゃなんやねんアンタ!! 逆恨みもいいとこやないかっ!!」

「な――何者ですお前は!!」

「そのオバケちゃんの友達やっ!! ――あんたなぁ!! この子とどんな確執があったってっ!! 姉として最悪やでっ!!!」


 フワだった。

 飛び出してきたフワは、わたくしを刺そうとしたドゥルシラを突き飛ばし、わたくしの前に立ちはだかっていた。


「この下賤な小娘が!! お前にわたくしの何が判る!! その妹のせいでわたくしは!!」

「あんたが旦那に愛されなかったんは、単にアンタの魅力がなかったからやろ!!」

「なっ――!!」

「グッチグチとうっざいわクソババァが!! どんな男だってなぁ!! 辛気臭い顔して独りよがりな自己主張ばっかしてる嫁さんなんかうんざりするわ!! ――今のあんたの不幸を、全部この子に擦り付けようとするんやないっ!!」


 乱雑な、でもまっすぐな怒りをぶつけられ、ドゥルシラは呆然としました。

 わ、わたくしもびっくりです。可愛い顔して、フワってこんな罵倒もできたのですわね……。


「う――煩い!! 衛兵!! 曲者です!! そこの魔物と曲者を捕えなさい!!」


 ……姉さま。


「はぁっ? そんな怖くないわっ!! やっつけるからなっ!! 勇者さんが――」

「フワ、逃げるぞ」

「えーなんでぇっ?!」

「なんでぇじゃありませんよ、不法侵入しているのは私達なんですからねー不破さんっ! ――逃げますよっ、エイヴァラルさんっ!!」

【あ――】


 答えようとした途端、わたくしは力強い腕に抱えられ立たされていました。ゆ、勇者様ですか。


「奥方様!! いかがなさいましたかっ!!」

「捕えて処刑するのです衛兵っ!! あそこにいる者達皆っ!! 誰も生かして帰す事は許しませんっ!!」

「はっ! ――んっ、なれど奥方様、あそこにおられるはもしや――し、新緑の――」


 バサリと音を立て、地面に落ちていたマントを頭から被った勇者様は、片手に巫女様、もう片手にわたくしとフワを抱えて――城塞の塀上まで、跳躍しましたっ!!


「ひぇええ?!!」

「ゆ、勇者さんすごいですねっ?!!」

「こんな事、させないで欲しいんだがな。まぁ、今回は仕方がない、逃げるぞ」

「逃がすな!! 殺しなさい!! あいつらを殺すのです!!」


 塀上から逃げるわたくし達を追う、ドゥルシラ……姉さまの声。


【……お許し下さい】


 ……姉さま。


「誰に謝っとんの?」


 ……フワ。


【……勿論、皆さまにです。……ご迷惑をおかけしました】

「……ふぅん」


 わたくしの言葉に何かを感じたのか、フワは少しだけ真剣な顔をしてわたくしを見つめ――そして肩を竦めて首を振りました。


「……まぁ、そういう事にしといてやるわ」


 ……ありがとう、フワ。


「お前も謝れフワ。全く、俺がエイヴァラル嬢を攫って逃げると言ったのに、飛び出してどうする」

「だってっ!! 私ああいう悲劇のヒロインぶった(ババぁ)、超ムカつくねんっ」

「……まぁ、異論はないが」

「……最後まで、殺したエイヴァラルさんに対する謝罪は、一言もありませんでしたからねぇ……ある意味真っ正直な憎悪でした」

【……】


 こうしてわたくし達は、勇者様の超人的な脚力によって、ファルガー侯爵の城から逃れたのでした。

 ありがとうございました、勇者様、そして巫女様。



「――お姉さんってさ、実は事件の真相知ってたやろ?」


 その数日後。わたくし達は再びわたくしが彷徨っていた森にいました。

 ……というより、迷いそうだと見送っていただいたのです。申し訳ございません。


「……寝ているエイヴァラルさんに手を掴まれた時、色々な情報が伝わっていました、からね」


 フワに問われた巫女様は、どこかきまり悪げにそう答えると、わたくしにおっしゃいます。


「……知らないままで済むかもしれないとも、ドゥルシラが罪を悔い、貴女に詫びるかもしれないとも思ったんですが、……そんな上手くは行きませんでしたね。すみませんエイヴァラルさん」

【……いいえ。……思い出して、よかったと思います】


 姉さまの罪も、わたくしの罪も。……忘れてはいけない事だと思いました。

 

「勇者さんも、酒場で噂仕入れてきたやろ?」

「ファルガー侯爵夫妻の不仲と、侯爵が昔の許嫁によく似た若い妾を可愛がっている――程度の噂ならな」

「ほとんど全部やんっ!! 言えやっ!!」

「エイヴァラル嬢の事件に関係しているかどうか、判らなかったからな。他人の私的事情を吹聴する趣味はない」

「あーもーっ!! お姉さんと二人揃って、生真面目めっ!!」

「ご、ごめんフワさん」

「だがお前は少々下世話だと思うぞ、フワ」

「勇者うっさいわっ!!」

【……ふふふ】


 そして、この方々に助けていただいた事も。


「ぶーぶー、笑うことないやろ~オバケちゃん」

【ごめんなさい、でも……ふふ、皆さまが楽しそうで】

「はぁ? ……まぁ、ええわ」


 ……忘れたくない。


「笑われたるわ。……そうやって、私のバカな様子思い出してでも、笑っときエイヴァラル」

【……え】

「笑う門には福来るって言うんや。……色々思い出してしんどいかもしれんけど、笑っとき。そしたらちょっとだけでも、楽になるから」


 これから、過去に苦しむ事があったとしても、助けてくれた人達がいたという記憶はきっと、わたくしを支えてくれるから。


【……ありがとう、フワ】

「どういたしまして。負けんなよ?」


 フワが、わたくしの手を握りました。握手、ですね。


【はい。……皆様、大変お世話になりました】


 その手を握り返し――その温もりに、少しだけ泣きそうになったわたくしは、笑えていたでしょうか。


「エイヴァラル嬢、いつか魂が浄化され、天に召されることもあるだろう」

「……元気で、というのもおかしいですけれど……貴女の今後が、少しでも笑顔の多いものになるよう願っています」

【……ありがとうございます。……わたくしも、皆さまの旅の無事をお祈り申し上げます】


 巫女様は微笑み、勇者様は軽く一礼を返し、……フワは手を振って、わたくしと別れました。


【――おや、お帰りかな御令嬢】

【……ただいまもどりましたわ、御老。正眼の巫女様に会わせていただきました事、感謝いたします】


 ――そしてわたくしは、いつも通り漂いながら森の奥へと戻り、大樹の元でまどろんでいる小さな老人へと歩み寄ります。


【ほう、お礼をおっしゃるという事は、かの方は本物であられましたか】

【……ええ。闇を照らす、灯火のようなお方でした。……照らされたどり着いた先に、必ず幸せが待っている……とは言えませんが】

【左様か。……それでも後悔はありませぬか?】

【そうですね。……きっと】


 それはそれは。と呟いた御老は、どこか楽しそうに肩を揺らすと、立ち上がろうとなさいました。……が、なにやらもたつかれております。お珍しい。


【どうかなさいましたの、御老?】

【いやいや……先ほど、気の上から降り損ねて、足を捻ってしまいましての~】


 足、使っていましたの御老? ……あら、どことなく悪戯めいた表情でこちらを見上げておられますが……。


【……お手をどうぞ、御老】

【おお、これはこれはかたじけない】


 わたくしが差し出した手を、わたくしの……仲間の老人は、嬉しそうに取られます。


【大丈夫ですか御老?】

【いやぁ、年には勝てませんなぁ】

【……幽霊って、年をとりますの?】

【はっはっは】


 干からびた青白い手は、不思議と暖かく感じました。

夏っぽい幽霊話を書きたくなりました。

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