未遂の花、鍛錬場にて
初夜中断は、屋敷中の皆が知ることとなった。
新婚夫婦なのだもの、よくあることだ、という者や、お世継ぎ誕生が遠くなった、と嘆く者。
貴族にとって“初夜”とは、お家存続にもかかる一大イベントなのである。
翌日、今回も王命を果たせなかったことに落胆していたミレイユは、セラを連れて、トボトボと、日課の散歩をしながら物思いに耽っていた。
(赤子は、男女が裸で横に並んだだけでは来ないと、ライオネル様は仰っていたわ)
ミレイユはトボトボと歩きながら、昨日のライオネルを思い出す。
(“一線を越える”て異性の前で着ているものを脱ぎ捨てることだと思っていたけど違ったみたい⋯。他に何があるのかしら?)
いつの間にか鍛錬場へと着いていた。
(明るい皆様の鍛錬の様子を見て、元気をいただこうかしら?)
中を覗くと、ミレイユの姿に気付いた兵士が声を掛けてくれた。
「あ、奥様」
男性兵士の声に、鍛錬をしていた他の男性兵士達が、皆一斉にミレイユへと振り向く。
ミレイユは、兵士らに自分の声が届く距離まで近づくと、
「皆様、ごきげんよう」
と、努めて明るく挨拶をした。
ミレイユの挨拶に皆、にへら、と笑うと、
「「「ごきげんよぉ〜!」」」
と、相変わらず、明るく笑顔で挨拶を返してくれる兵士たちに、ミレイユは温かい気持ちになった。
鍛錬を途中で中断した兵士らがミレイユを囲むと、
「奥様、気を落とさないでくださいね!」
「自分の目から見ても、奥様は魅力的に映るっス!」
「また次がありますから、自信持ってくださいね!」
皆の声を聞いていたミレイユは(これ⋯、もしかして、昨日のことを、皆様⋯話してる⋯?)と思い、おそるおそる聞いてみた。
「あの、もしかして、皆様がお話しをしていらっしゃるのは、昨日の初夜の儀のことですか⋯?」
ミレイユの問いかけに、皆頷きながら、
「なんせ、それくらいしか飛びつく話題がないもんで」
「皆、ついに、王命を遂行する時が!?て、気になってしゃーないです」
「あと、閣下の機嫌は、奥方様で左右されるんで」
皆うんうん、と頷きながら、『たしかに、閣下の機嫌は、奥方様で左右される』と、口を揃えた。
ミレイユは、自分とライオネルの初夜が知らぬ間に、屋敷の者たちの、退屈しのぎのひとつになっていた事を知る。
「あの、でも、当分初夜の儀は、執り行わないみたいです。ライオネル様もお忙しいようですので⋯。昨夜も、皆様を訓練されていたのでしょう?寝室にまで木剣を忍ばせておられて。
途中で鍛錬場へと行ってしまわれましたもの」
ミレイユの言葉に、皆首を傾げて、「昨夜も訓練⋯?木剣⋯?」と言ったところでみんな何かを閃いたような表情になると、その後、一斉に破顔した。
「なーんだ、閣下も俺達と同じ、普通の男だったのか〜。」
「あの閣下でも敵前逃亡するとは!」
「閣下でも怖気づく事があるんですね〜」
「こりゃ、先は長そうだなぁ」
「閣下の閣下は閣下できなかったのかぁ〜。へへっ、なんなら奥様、俺が次は上手くいくよう手ほどきでも、って⋯のぁ!?真剣!?あっぶな、あっぶな!って、ヒッ、閣下!?」
冗談交じりで不埒な誘い文句を話している最中、頬を真剣でペチペチ叩かれていることに気付き、慌てて仰け反る男性兵士。
真後ろに真顔のライオネル。
「閣下の閣下がなんだと?誰に手ほどきをするとか聞こえたが?」
剣先でつつつ、と頬を撫でられながら、真顔のライオネルに質問される兵士を残して、他の兵士たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
逃げ出す兵士を目で追いながら、ミレイユは「閣下の母っかの母っか?ライオネル様のお祖母様のこと?」などとセラに聞いている。
セラは静かに首を振った。
「はわわわ⋯、いえ、その、あの」と、恐怖にどもる男性兵士。
「セラ、ミレイユを連れて行け」男性兵士を真顔で見据えたまま、セラに命令するライオネル。
「承知致しました」と、セラは「さ、奥様」とミレイユの腕を取る。
「あの、私、ライオネル様のご勇姿を拝見したく⋯」
おずおずとお願いをするミレイユ。
「許せ、ミレイユ。今回ばかりは、ミレイユにはちと刺激が強すぎる。手加減できそうにないのでな。この剣では軽すぎるな。誰か、大剣を持て」
「ライオネル様⋯っ」
セラにズルズルと引きずられ、鍛錬場から連れ出されるミレイユ。
振るう剣は悪鬼の如く、と噂される、ライオネル閣下の手加減できない大剣とは。
「ひいいい〜!!死にたくない〜!!閣下、ご容赦をおおお!!!」
「安心しろ。死なない程度の回復魔法はかけてやる。何度でもな」
翌日、鍛錬場に訪れたミレイユは、昨日、“閣下の母っか母っか”と言っていたあの兵士の姿が目に入った。
「あら?制服の、お腹の部分が切れておりますけど?」
ミレイユが男性兵士を指すそこは、お腹の辺りが一文字に切れて雑に縫われていた。
「はぁ、昨日閣下からのシゴキで⋯腹は繋がっても服は繋がらず。ははは」
と、乾いた笑いでそう答えた。
「ならば、私が。今刺繍の他に繕い物の練習もしていますの。私を教えて下さる先生が、とても教え上手ですので」
その声を聞いて、ミレイユの後ろで頬を染めるセラ。
しかし、明るく言うミレイユとは対象的に男性兵士は、「ヒッ」と息を吸い込んだ。
「奥様の多大なるありがたい申し出に感謝申し上げますが、
わたくしめも、やはり命が大事ですので、大変心苦しいのですが、その申し出にはご辞退させていただきます!!!」
ミレイユが口を挟む間も与えず断ると、なにかを思い出したように、
「あ!鍛錬しなきゃ!では、奥様失礼致します!!」
と言うと、脱兎の如く駆けていった。
「⋯私が繕うものって、命取るほど下手なのかしら⋯」
と、悲しい衝撃を受けるミレイユだった。




