聖母ライオネル
ノルデリア王国――雪解ける春の頃。
シュトラール辺境伯領、領主であるライオネルは、王都からの帰路を馬に跨り駆け抜けていた。
(また⋯⋯、厄介事を拝命してしまった)
春は訪れど、まだシュトラールでは雪が残る。
王都の暖かい空気から、徐々に流れる大気は冷たく、外套から覗かせたライオネルの頬を撫でていく。
ライオネルは、風に黒髪を靡かせ、乾いた冷気に紅い瞳を瞬かせた。
城では春が訪れたことを祝う舞踏会が例年催されるが、昨年秋に若き王太子夫妻に双子が誕生した。
故に、お披露目まで慶事ごとは先送りとなった。
城に行くことも当分無いな、とゆったりと構えていたところで王太子より直々の呼び出しである。
馬を駆けて登城してみれば、
「おや、大猫は置いてきたのかや?」
と、ライオネルの妻、ミレイユの召喚獣を「久々に撫でたかったのう」などと呑気に言う、世界中の美姫すら太刀打ち出来ない、と豪語する赤毛の眉目秀麗の王太子に迎えられた。
そして、小部屋に通され、件の件である。
「なんでも、あの“魔物の森”の近くに村があるんじゃと。当時、強引に避難させられた村人ももう戻ってきておるとか。その村ごとこちらにくれよったわ。よっぽど益にならん村なのかのう?」
頬杖をつきつつそう話す、王太子。
赤銅色の瞳で愉快そうに笑むと、
「ふふ、まぁ、冗談じゃ。魔物の残党があちらにはまだちらりほらりと出おるそうじゃ。故に管理が出来ぬとな、隣国の方から条約を持ち出して一方的に破棄した詫び、という我が国へ“領地献上”と魔物の森ごと厄介払いよ」
ライオネルの脳裏に巨大な魔物が、隣国の人間を喰らおうと捕まえていた場面が浮かぶ。
「はあ、それで様子を見てこいと?」
ライオネルの合の手に、王太子は目線を遣るとニッコリと微笑んで、
「お主の領地じゃ。褒美として管理を任すぞえな。当分の修繕費は、こちらが補填しようぞ。よいな?」
「⋯⋯」
というわけで、拝命に加えて拝領までされたライオネルは頭痛を覚えるのだった。
「おかえりなさいませ、ライオネル様」
久しぶりの夫の帰りを今か今かと待ち望んでいた妻、ミレイユは、侍女が主の帰還を告げると、いそいそと部屋から出てライオネルを出迎えた。
「出迎えありがとう。留守の間、変わりはなかったか?」
ミレイユの頬に軽く唇が触れ、己の見下ろす夫の顔に疲労の色を感じたミレイユは、
「特に変わりはありませんが、ライオネル様は大丈夫ですか?なんだか、ものすごく疲れておいでのよう⋯⋯」
心配して幾色にも輝く猫目のような目で覗き込むと、困った表情、苦笑を浮かべるライオネルと目が合った。
「大丈夫⋯⋯と、言いたいところだが。まぁ、追々ミレイユには話すとしよう。先に湯浴みをしてくる。身体中砂埃だらけだ」
そう言うと、ライオネルは壮齢の家令と若い従僕を伴って廊下の奥へと向かった。
去っていくライオネルの背中を見送りながら、ミレイユは
(どんな煎じ薬ならライオネル様を元気にしてさしあげられるのかしら?)
と、覚えている煎じ薬の調合を思い浮かべるのだった。
「は?それは、まことでございますか?拝領⋯⋯で、ございますか」
我が主から事情を聞いた家令のモーリスがそう問うと、主であるライオネルは溜息を吐きつつ、
「魔物の森、全域に加え、隣国に点在していた村々も含めて、だそうだ。避難とともに捨てて、既に廃村となったところだらけだそうだが。一つだけ村人が戻ってきているところがあるようでな。その者らは、他国の領になろうが、村を捨てずに居残ることを宣言したとかで。王太子よりミレイユを連れていけ、との御命令だ。⋯⋯魔物の残党が隣国に出没しているそうでな。すぐにでも挨拶も兼ねての視察、そして魔物退治に向かうことになった」
着込んだ服を緩めつつそう答えるライオネル。
「⋯⋯よっぽど村人にとっては愛着がある村、なのでしょうかね」
と、家令が合の手を打つ。
「さあな」
気のない返事のライオネルに、家令は発言を続けた。
「まあ、厄介事も増えますが良かったではありませんか。増やした兵士達をそのまま流用できますし、『魔物の森』も結界が解かれている今は、雪解けともに隠れていた魔物が出てくるかも、と仰られていたでしょう?兵士達も雪かきばかりで退屈していたところであります。連れて行かれると良いでしょう」
「⋯⋯そうだな」
ミレイユを危険な目に合わせたくないライオネル。
しかし、ミレイユの能力を知る王太子の命令に逆らうことも出来ず、憂鬱な気持ちが表情に出ていた。
溜息を吐いてのろのろと脱衣をする主を、家令は眺めながら
「⋯⋯奥様が向かわれるのは、旦那様と兵達で安全を確認してからでも良いのでは?なにも絶対に一緒に行くように、と命じられた訳ではないのでしょう。まぁ、旦那様が離れたくない、とおっしゃるなら別ですがな」
家令の言葉に、ライオネルは目から鱗。
「⋯⋯それもそうだな。⋯⋯そうだな、すまない思い込んでいた」
ライオネルは、そう言うと「そうだな、そうしよう」と『そうだな』を繰り返し呟いていた。
湯浴みを終えたライオネルが向かった先は、ミレイユの部屋。
執務室に向かおうとするライオネルに家令から
「さして急ぎの仕事もございませんし、先に奥様のもとへ行かれては?それはそれは、お帰りを待っておいでのようでしたよ」
と、進言されたのですぐに踵を返して向かったのだった。
久方ぶりに会うミレイユの愛らしさに、ライオネルは己の心が回復していくのを感じた。
(⋯⋯このままカーテンを閉めて二人きりで過ごしたいものだが、モーリスから『そこまで勧めてはございません』と、皮肉を言われそうだな)
と、結わえた白金色の髪を揺らして、頬を赤らめて猫目の宝石色の瞳を潤ませ、この会えなかった日々をどんな風に過ごしていたかを語る、妻の隣に家令の姿を思い描くことで、己の不埒な欲を律するライオネル。
注がれたお茶を口に含み、良き夫の顔をしてミレイユのくるくる変わる愛くるしい表情を堪能することにした。
「なんだか、私ばかりお喋りしてしまいました。ライオネル様、疲れてらっしゃいませんか?」
小首を傾げてそう尋ねるミレイユを、穏やかな紅い瞳で見つめるライオネルは、「そうだな、少々疲れたかな」と口にした。
それを聞いて「申し訳ございません!」と慌てて立ち上がるミレイユに「なに、こうすると良くなる」とライオネルも席を立つ。
部屋から出ていかれるのか、と焦るミレイユに近付き、その身体を抱き上げると、長椅子に移動してミレイユを膝の上に抱え直した。
「え⋯⋯、あの、ライオネル様⋯⋯」
理由もわからずライオネルにされるがままのミレイユ。
「やはり、我慢できん」
そう言うと、戸惑うミレイユの肩口に己の頭を預けると「ここが私の一番の癒しだ」ミレイユに甘えるのだった。
鎖骨にあたるライオネルの鼻先にくすぐったさを覚えながら、ミレイユもまたライオネルとの密着に徐々に幸福が湧き上がるのを感じた。
黒髪に触れ、撫でる。
「ライオネル様⋯⋯、私もずっとお帰りになるのを心待ちにしておりました」
王都まで単騎を駆けても、片道だけで十日はかかる。
いくらライオネルの馬が速かろうが、せいぜい縮めても1日程度だ。
「ふふ、そうか。それは嬉しいな」
言うと、ライオネルはミレイユに唇を合わせた。
久しぶりのライオネルとの口づけに、心がそわそわするミレイユは、ハッと我に返るなり辺りを見渡した。
奥方付きの侍女たちは空気を読んでくれたようで、既に姿は無かった。
「どうした⋯⋯?」
ライオネルの問いかけにミレイユは、顔を赤らめながら、
「いえ、あの、⋯⋯二人きりではなかったことを思い出して⋯⋯」
「そうだったな。だが、察してくれて今は二人きりだ。遠慮することはない」
そう言うと、ライオネルは、ミレイユのこめかみに口づけると、その口づけは徐々に下へとおりて行き⋯⋯
「⋯⋯ぁ」
ミレイユの柔らかい唇を捉えると、より一層口づけは深くなるのだった。
◇◇◇
「たしかに優先的に会うことを勧めはしましたが、この時間まで逢瀬を楽しめ、とは勧めてはございませんよ、旦那様。もちろん肝心の奥様には今回の件はお話なさったのでしょうな、たっぷりと夫婦の時間を取られたことですし?」
「⋯⋯あ」
家令から呆れた眼差し。
夕方、結局己の欲望に負けたライオネルは、家令に小言を言われるのだった。
夜の寝所にて。
ライオネルから事情を聞いたミレイユは、ニッコリと微笑むと、
「喜んでお供いたしますわ。ノイハイム村の子供達ともしばらく会っておりませんでしたし、ライオネル様が迎えに来てくださるまで、私は村の子らと過ごすことに致します」
そう言うと楽しそうにノイハイム村に思いを馳せるミレイユ。
妻の白金色の髪をそっと撫でて毛先を指に絡める。
少し緩めの癖のついた髪。
ライオネルはそんな妻を、穏やかな表情で眺めるのだった。
◇◇◇
翌日――。
奥方付きの侍女、セラに髪を結われながら、ミレイユは、昨夜ライオネルから聞いた魔物の森の向う側の話をしていた。
「隣国の一部が⋯⋯割譲されたのですか」
「かつじょう?」
「領土を譲り受けた、という意味でございます」
「ええ、そうらしいわ。ノイハイム村の近くの魔物の森からその向こうまでだそうよ。隣国はどんな国なのかしらね。そこの村の方に挨拶に伺うらしいの」
ミレイユは、鏡越しのセラへ笑顔を向けながらそう言った。
「魔物の森ごと⋯⋯。左様でございますか。隣国のことは旦那様や家令殿に伺えば分かるかと存じ上げますが、村の人柄となると⋯⋯、どうでしょうね⋯⋯」
鏡越し、セラの表情はどこか浮かないことに、ミレイユは小首を傾げるのだった。
昼餉を終え、休憩をしてからの日課の散歩がてら、セラを連れて鍛錬場を覗くと、兵士達の姿が。
ミレイユは、隣国の人々の暮らしを聞いてみることにした。
なにぶん世間をほぼ知らないミレイユである。
「隣国ですか?」
「俺等とあまり変わらん暮らしと思いますよ」
「人間性は、んー⋯⋯なんてたって、王太子とあっちの王子は張り合ってたからなぁ〜、聖女を巡って」
「まぁ、そうなのですの?」
「父親同士はそうでもないらしいって、聞きますけどね。王太子と王子が後を継いだら、戦争が始まるんじゃないかと言われてましたよ」
「まぁ、」
「なので、王様たちがそうならないよう同盟を組もうとしてたんですがね、向こうの王子が『なら友好の印に聖女を寄越すよう』って、言いだしたもんだから、まぁ、うちの王太子が怒っちゃって」
「で、強硬手段」
「あ、お披露目のやつな!」
「同盟話も破談」
「まぁ、そんな感じで仲良いんだか悪いんだか、分かんないのが我が国と隣国の関係性です」
「向こうの村人もうちの国のもんになったんなら、まぁ、隣国にはさして愛国心もないんじゃないですかね」
「間者が潜んでるかどうかは、まぁ雰囲気でわかるでしょうし」
そういうと「んだな」とうなずき合う兵士達。
よく分からず、ミレイユはまた小首を傾げるのだった。
よく分からずのままその日の夜、寝所にて――。
「私も、向こうの村々までのことはよく分からんのだ。すまない」
と、ライオネルに尋ねると、逆に謝られてしまった。
ただ、分かったことは、サライアから輸入した武器を使っていたので魔法を使う者はほぼいないのでは、という話だった。
「昔は、どの国も使えていたそうなんだがな。『魔法使い』なる者は、ほぼ鎖国している我が国くらいではないだろうか――」
そうライオネルは、答えるのだった。
翌日、魔物の森を越えて新たに領地となった場所への視察のため朝も早くからライオネルの部下たちは、準備に追われていた。
まずは、魔物の森への残党狩り、進路の確保。
「丸一日はかかるだろうからな」ということで、ミレイユは屋敷でのお留守番となった。
ならば疲れて帰ってくるであろうライオネルやその部下たちのために、魔力回復や体力回復のための薬草を煎じることにしたのであった。
一方、準備をすすめるライオネル一行はというと、
「領地となった場所には杭が打ってあるそうだがな。ズラされていないか、よくよく確認せよ、と王太子からのご拝命だ」
ライオネルはそう部下達に伝えながら、(見届けたのが王太子なら、なにか杭に仕込んでいるはず⋯⋯)という考えに至る。
実際、使者や騎士団とともに書簡を交わし、隣国の者たちが次々に境界杭を打ち込む姿を確認した王太子は、その杭全てに、一本でも抜こうものなら爆殺するよう術式を仕掛けていた。
ちなみにライオネルの領地に当分の修繕費として渡した金も隣国のほうが被害が甚大にも関わらず、見舞金としてせしめたものである。
嫌な予感しかしないライオネルは、
『杭には、決して触ることのないようにな』
と、部下たちに言い含めるのであった。
(昨日、森に入った時は、魔物の気配が感じられなかった⋯⋯。奥深く潜んでいるのか⋯⋯)
「ふぅむ」顎に手をやり、思案するライオネル。
「まぁ、良い。昨日確認したが今いる場所がこの地図のここだ。傾斜はあるが⋯⋯ここから一直線に進路を拓く。と、言うわけで、土使い」
呼ばれた土魔法使いが十数人。
「もしや、アレですか⋯⋯?土を隆起させる」
以前、魔物退治で、ライオネルが命じた際に、土を隆起させたことによって木々が次々に自重で倒れて視界を確保した。
「察しが早くて助かる。そうだ。二人一組で列を作り、出来れば同時発動が良いが、難しいようなら馬車が二台分に人が通れるほどの幅を確保してくれ。ある程度進んだら後ろと交代。その繰り返し。風使いも同じ要領で、倒れた大木を運び出すように」
「あの〜、俺等は」水魔法や火魔法を操る部下が手を上げて聞いてきた。
「水使いは、三人一組で大きな水の塊を作り、余分な部分は切り落として、その中に倒れた大木を入れて移動。魔物が出た際も、手っ取り早くその中に入れて溺死させても良い」
無茶を言うライオネル。
「火魔法は、森林火災になるので特になし」
「⋯⋯やっぱり!」
どこか弾んだ声の火魔法使いの兵士達を、ライオネルは見逃さない。
「というわけで、仲間らの身辺警護をよろしく頼む。森林内での火魔法は原則禁止。剣で応戦するように」
そう言うと、「着いたら早速取り掛かるようにな、では出発!」とライオネル一行は魔物の森を目指して馬に跨り出発するのであった。
和やかに遠くなっていく団体の後ろ姿。
見送る家令の耳に、「あ、おやつ持ってくるの忘れた〜」などと言っている言葉が聞こえて、溜息を吐くのだった。
一方、ミレイユはというと、煎じ薬を調合している真っ最中であった。
「奥様、旦那様の見送りはよろしかったのですか?」
セラからの問いかけに、乳棒をゴリゴリ擦りながら、
「ええ、私が、見送りを、したところで、お邪魔になって、しまうもの。⋯⋯ふぅ」
すり潰したものを器に移し替える。
頃合いを見計らって、セラが新しい器と入れ替えた。
「ありがとう」
ミレイユは、にこりと笑み、セラに礼を言う。
「疲れて帰ってらっしゃると思うの。だからうーんと、作ってライオネル様も部下の皆様も元気にしてあげたいの。疲れている時って体力と、気力⋯⋯どちらを優先すべきかしら?」
ミレイユの問いにセラは、
「⋯⋯そうですねぇ。どちらも欠けてはいけないものだとは存じ上げますが、体力は休息さえとれば回復してくるものでございますし、やはり、気力でございましょうか?」
「そうなのね。病気の時だけでもなく⋯⋯」
セラの助言で、気力回復を中心に、薬草を選んですり潰していった。
魔物の実はライオネルから、用法用量を守るように、と言われているので、適量で。
「元気になっていただけると嬉しいわ」
ニコニコしながら乳棒を擦るミレイユを、セラは穏やな表情で見つめるのだった。
魔物の森へとライオネル一行は、到着。
上司であるライオネルから事前に指示を受けていた部下たちは、各々の属性へと分かれ固まると、地図で示された場所から一直線になるように邪魔な木々を土魔法で倒木、風魔法や水魔法で倒木を移動させながら、順調に道を開いていた。
「⋯⋯スゴイっすねぇ〜、あの辺の木々とか奥様の落とした雷でしょ?」
指さす方向は、魔物と共に雷に打たれた木々が縦に裂けて炭化していた。
ライオネルを守るためだけにミレイユが放った無意識下の魔法である。
無詠唱での炸裂――。
ライオネルは、妻の愛の深さを実感すると共に彼女を守れなかった不甲斐なさに、苦い思いが湧き上がる。
「⋯⋯分かっていると思うが、お前たちあまり心に好きな者など思い描かぬようにな。魔物が化けて出るからな」
先程まで思い描きそうになるのを打ち消すように、ライオネルは部下らにそう注意を喚起した。
「ふぅん、じゃあ、俺忘れてきたおやつでも思い描こうかなぁ〜。そうしたら、魔物がおやつに化けて出るってことだろ?食ったら、意味無くねぇ?その辺の道端にでも化けて落ちてたりして」
部下の一人が、ライオネルの喚起を聞いてそう、口にした。
すると、その隣の部下が呆れた目線を寄越すと、
「⋯⋯お前、拾い食いの上に胃の腑から食い破られても知らねぇぞ」
そう言うと、今度は前後にいた部下らも話に加わった。
「なら俺は、デカくてこんがり焼けた肉だな」
「地面に落ちてんだぞ」
「菓子ならフーフーして払えるけど、肉は無理だろ。小石噛んで、歯が折れるぞ」
「一口で食わなきゃ、魔物にガブリ、と頭から食われるぞ」
「俺、そうなったらお前の母ちゃんに『奴ぁ、魔物が化けてるとも知らずに、地面に落ちた肉を卑しく拾い食いして⋯⋯』って、最期を伝えとくからな」
「止めろよ!死後に縁切られるだろ」
部下らが呑気に話しているのをライオネルは聞き耳を立てながら、(⋯⋯まるでおとぎ話だが、“菓子に化ける”か。⋯⋯そうなると対応が楽だな)と真剣に受け止め、(そうなる前に踏み潰せねば)と、部下たちが与太話に花を咲かせている間、ライオネルは開けた地面をよくよく観察するのだった。
菓子に化けた魔物も、こんがりと焼けた肉に化けた魔物に出会うこともなく、順調に森を抜ける道が作られてゆく。
人の手が入るまでの魔物の森は、異様に伸びた木々のせいで鬱蒼としていて薄暗く、不気味な雰囲気だったが、ミレイユが落とした雷で、今はところどころ日は差し込むようになっていた。
さらに道を切り開くことで、スッキリとした晴れ間のぞき、魔法を使い、土を隆起させてから整える作業を繰り返すことで、平坦な道へと作り変えられていった。
(視界の確保のためにも、もう少し、この森をすっきりさせねばなるまいな)
ライオネルは、辺りを眺めながらそんな事を思った。
盗賊が潜む可能性。
魔物の生き残り。
森を行き交うことになれば、自分たちの身は自分たちで守らねばならない。
いくら治安を良くしたところでも、行き届かない部分は出てくる。
そうなると、いち早く状況を察知して、その場から素早く逃げるのが先決だ、とライオネルは考える。
(まぁ、しかし、それは追々として、まずは森を抜ける道の確保だな)
ライオネルは思考を切り替えると、部下らの様子に注意を払いながら、着々と魔物の森を切り開いていくのだった。
長い時間をかけてようやく森を抜け出したライオネル一行。
「⋯⋯もう少し、感動するのかと思いましたが、ノルデリアとさして風景が変わらないっすねぇ〜」
部下の軽口に、ライオネルは大いに頷きそうになるのを我慢しながら、
「⋯⋯まぁ、森一つ抜けたところで、そう劇的に変わるものでもあるまい」
と、努めて落ち着いてそう返事をする。
懐を探って、地図を広げる。
「たしか、村は⋯⋯」
地図を確認しながら一行は、ゾロゾロと目的地へと向かう。
遠目に村らしきものが見えてきた。
「廃村すね」
村に入るが、人の気配はなかった。
人の気配が全く感じられない村へと降り立った一向に、部下がポツリと一言述べた。
「野盗が隠れているかもしれん。念のため全ての窓、扉、開け放しておくように。用心は怠るな。魔物の場合もある。知り合いなどが出た場合は、決して不用意に近づかないようにな」
ライオネルは、声を張り上げて部下らに注意を促した。
先程、与太話をしていた部下らは、「おやつ、おやつ」「にく、にく」と唱えながら、扉や窓を開けていた。
村の出入り口をしっかり縄で施錠して、何者も入らないようにする。
(廃村の村は、兵士達の見張り場として活用するとしよう)
ライオネルは、村の情報を新たに書き込んだ地図を眺めて次の村へと向かった。
行きすがら、魔物を見つけたが全て低級。
しかし、丸腰の人間からすると厄介な対象。
切り捨て、火魔法で焼却処分していく。
(心に住む者の姿になる魔物の残党がいれば厄介だが、どうなのだろうか)
魔物の森でライオネルを守るため、自らを犠牲にし瀕死の重傷を負った血だらけのミレイユが浮かび、ライオネルは頭を振った。
想い人――魔物にミレイユの片腕は食いちぎられ、ライオネルの姿と化した魔物に、その身を斬られた。
(一匹たりとも逃しはせぬ)
再び取り戻したミレイユの笑顔を思い浮かべ、ライオネルは固く心に誓うのだった。
次の村も、また廃村だった。
(ここも拠点にするか)
ライオネルは、部下らに先程と同じ命令をしながら地図に書き込む。
村は全部で三つ。
魔物の森の影響で、人を犠牲にして肥沃な大地へとなった土地に沿うように、村は点在していた。
(⋯⋯と、なれば帰りはこちらの森を切り開くか。それとも拠点予定の村からにするか⋯⋯)
ふうむ、とライオネルは顎に手をやり思案した。
村の者がどういう者たちも分からない。
ライオネルは、村に着いてから改めて考えるとしよう、と一旦脇へと追いやった。
昼餉の休憩を取ると、移動を再開する。
魔法は、普通に使える、と皆口々に同じ意見だった。
土地が変われば、魔法の威力も変わる。
遠く離れた文明の国、サライアではそれが顕著に出ていた。
そのサライアから武器を調達して魔物の森へと侵入し、結果食われた隣国の兵士ら。
隣国はとうに魔法を捨てていた。
(我が国と変わらず、牧歌的な雰囲気だからだろうか⋯⋯)
都はここよりよほど発展しているのかもしれない。
決して魔法が使えなくなったわけではない。
だが、便利を手に入れた結果――彼らは魔法を必要としなくなった。
ノルデリアと似た風習なら、平民に魔法を使える者はほぼいない。
故に廃れるのも必然。
辺りを見渡しながら、ライオネルはそう結論づけた。
最後の村――王太子の話では、ここに村人が戻ってきているという。
(一体どんな者たちなのだろう――)
命に変えてでも守るものがあるのか――?
広がる畑が見えてきたことで、最後の村に近付いて来たことをライオネル一向に無意識に知らせた。
続々と村の入口に人が集まりだしたことを、人影で分かった。
村の者たちは、それぞれ農具を手に持ち佇んでいた。
「閣下〜。あれ、どう見ても歓迎の雰囲気じゃなさそうですよ」
「そのようだな」
村人たちの表情が見える距離まで近付くと、どの村人も口を引き結んでいた。
皆、格好は汚れていたり擦り傷を作った者までいる。
ライオネルは一通り見回すと口を開いた。
「我が名はライオネル・ヴァルト・シュトラール。シュトラール辺境伯である。此度、この地が我が領となったことに伴い、皆の暮らしを確認するため参った」
そう言うと、一旦区切って領民となった、村人たちを見渡し、
「突然のことで戸惑いもあろう。まずは村の代表者と話をさせてもらいたい。この地で暮らす者たちが、今後どのように生きていくことを望んでいるのか。まずはそれを聞かせてほしい」
村人たちの表情は変わらない。
ライオネルは、それでも、穏やかな口調で言葉を続けた。
「案内を頼めるだろうか」
しん、と静寂が包んだ。
辺りに聞こえるのは、家畜や野生の鳥の声。
少し経って、村人たちの群れが割くように分かれると、一人の老婆が現れた。
杖代わりに農具をついて現れた老婆は、かなり歳を召しているようだと、ライオネルはそう感じた。
「ワシがここの『代表』とやらをしている者じゃが、領主の力は借りん。去れ、若造よ」
そう、ライオネルの言葉を借りて言うと、冷たく一蹴された。
老婆の目は力強く、だが、白く濁っていた。
白内障が進んでよく見えていないようだ。
ライオネルと視線が合わない。
「そうか、分かった。それがここの望みというのならそうしよう。しかし、見過ごせないものもある。怪我をしている者が多数いることを確認した。私は、癒しの手を持つ者でもある。重傷者などいれば助けたい」
老婆の言葉を待った。
村人たちは、明らかに動揺していた。
多分、建物の中には重傷者がいるはずだ、ライオネルはそう踏んでいた。
黒髪、紅い目、ライオネルの異質な外見が村人たちを警戒させていることも分かっていた。
ライオネルは、立ち並ぶ男たちの中で、一番大柄な男に目を遣ると、「少し、良いだろうか」と、声をかけた。
「え⋯⋯?」男はだじろぎ、ライオネルを見つめたまま固まった。
その隙をついて、ライオネルは怯えさせないように、なるべく柔和な表情を意識してゆっくりと近付き、傷ついた男の腕を取るとそこに己の手を重ねた。
「え⋯⋯、あ⋯⋯!」
ライオネルは重ねた手を離すと、傷は綺麗に消えていた。
「傷が、⋯⋯ない!」
男の言葉に、村民、皆がそちらを向いた。
男は、先程まで傷ついていた己の腕を何度も確認すると――、
「婆さん!意地張ってないで怪我人見てもらいましょうよ!!」
と、興奮を隠しきれない声量で、老婆にそう声をかけた。
ライオネルの睨んだとおり、やはり興奮した時の声は体格に比例して大きかった。
皆がその声に、男に注目し、一気にざわめいた。
ライオネルは、その様子を見ながら次は、羨ましそうにこちらを見る中年の女性へと近付き、「失礼」とひと言声をかけ、そっと傷口に手を遣ると⋯⋯
「お、おばあちゃん!!き、傷、傷消えた!」
と、今度は己の手を掴んで眺める女性が、興奮した声で老婆に声をかけた。
男女の興奮したその声に反応して、ライオネルに近付いて傷を治してもらおうとする者、戸惑っている者などで、村の入口は騒然となった。
「ええええい!!だまれ!お主ら!これしきの事で狼狽えるでないわ!!」
老婆の身体に反した声量に、皆、老婆に注目したが、
「でも婆さん、傷が消えたんだぜ。婆さんも治してもらいなよ、薬草よりもうんと早えーよ」
先程、傷が治った大柄な男は、そう言ったが
「いらぬわ!!」
目は白く濁っていても、耳と口は達者な老婆は、男の意見を拒絶する。
しかし、その頬に切り傷が見てとれた。
ライオネルは、老婆に近付くと身を屈め、「失礼する」と声をかけると老婆の頬に手を伸ばした。
「なにを⋯⋯ッ」と、抵抗を見せようとする老婆の頬に素早く触れると治癒を施す。
老婆は、ライオネルの予想外に固まって呆然と、白く濁った瞳でライオネルを見ていた。
「⋯⋯お、おぉ⋯⋯、なんと⋯⋯」
傷の痛みが消えたからだろうか、治癒の魔法が珍しいのか、老婆が震える声で驚嘆している、ライオネルはそう思った。
だが――
「こ、これは、この感覚は⋯⋯、まさかそんな⋯⋯」
「⋯⋯?どうなされた、御婦人。大丈夫か?傷は癒えたと思うが」
声をかけた老婆から突然一筋の涙がこぼれ落ちた。
「は?⋯⋯え?」
突然の老婆の涙にライオネルの方が狼狽えた。
不思議に思いながらも、懐から取り出した手巾で、老婆の涙を拭った。
「どうした?⋯⋯他に痛むところがあるのか?」
突然の豹変に、訝しげに思うライオネルは、老婆の顔色を伺う。
老婆は、ライオネルに涙を拭われながら、じっとその顔を凝視するように、零れ落ちそうなほど両目を見開いてライオネルを見つめていた。
「そ、その⋯⋯面差し。ババに、ババにその顔をよう見せておくれ⋯⋯!」
よく分からず、ライオネルは老婆の要求するままに顔を寄せた。
白内障がすすんだ老婆の白くボヤけた虹彩が、ライオネルを見つめ、そっと震える手を伸ばすと、ペタペタと顔を触り始める。
薄目になりながら顔を触り髪を触り⋯⋯
そして、ライオネルの紅い目を間近で凝視し、クワッ!と己の目を見開いたかと思うと⋯⋯ライオネルに触れる指がブルブルと震え、老婆の目からは突然、涙が滂沱の如く流れ出してライオネルをギョっとさせた。
「おお⋯⋯!やはり貴女様は、聖母さまの生まれ変わり⋯⋯!もう一度もう一度、ヴァヴァと、私の名前を呼んでくだされ⋯⋯!」
「は?」
(婆のババ?)
一瞬、ライオネルはキョトン。
そして、軽く咳払いでライオネルは誤魔化した。
「⋯⋯落ち着かれよ、ヴァヴァ殿。名前を呼ぶのは構わないが、私は聖母の生まれ変わりでもなんでもない。ここに新たに管理を任されることとなった領主だ」
「聖母さまが、領主⋯⋯!この世は安泰じゃ⋯⋯!」
そう言うと、老婆のヴァヴァは天を仰いだ。
(なんなんだ⋯⋯?)
その変わり様に戸惑うライオネル。
ライオネルの後ろでその様子を見ていた部下らは、
「閣下が年寄りの現地妻を手に入れちまった⋯⋯」と、冗談なのか本気なのか、分からない声音で部下の一人がつぶやくのだった。
◇◇◇
夕方頃、ライオネル一行の帰還を告げられたミレイユは、いそいそと夫の元へと急いだ。
「おかえりなさいませ、ライオネル様」
帰り着いたライオネルは、ミレイユが予想していたよりもゲッソリと疲れ果てていた。
「まあ」
急いで、セラが持ってくれていた小箱から小瓶を取り出すと、ライオネルの手をそっと取ると、
「大丈夫ですか?ライオネル様。こちらお役に立てるか分かりませんが、気力と体力を回復する薬を煎じましたの。よろしければお飲みになって?」
「⋯⋯気力と、体力⋯⋯」
“ミレイユの気力薬”
過去になにも知らなかったライオネルは一息に飲んで、股間をヤギの乳のように腫らしてしまった、謎の精力剤⋯⋯と、ライオネルの中で位置付いてしまっているので、「ありがとう」と、礼を言いながらも、それを恐る恐る手に取ると一口、クピリと飲むとライオネルは己の股間の様相をじ⋯⋯っ、と観察した。
夫が自分のお腹を凝視している様子に、ミレイユは首を傾げながら、
「一応、煎じましたのでお腹は痛くならないとは思いますが⋯⋯」
とは、伝えてみたが草を食べていた頃のミレイユとは違い、ライオネルは、貴族育ち。
心配になりながらミレイユもまたライオネルのお腹を凝視した。
様相の変わらない己の股間に安堵したライオネルは、ミレイユからの薬の効能を改めて意識する。
身体が先程よりも軽い。
疲労感も消えていた。
「ありがとう、ミレイユ。君のおかげで疲れが吹き飛んだよ」
そう伝えると、妻は嬉しそうに微笑んだ。
「良かった⋯⋯。ライオネル様のために作りましたの」
いじらしい妻に対して気力を回復したのもあって、寝所へと連れ込みたくなるのをぐ、っと堪えた。
ライオネルの心情を感じ取ったのか、家令からの視線が背中に刺さる。
「旦那様、気力も回復したのでしたら湯浴みを終えた後、食事と致しましょう。明日もまた村へと赴くのでしょう。ならば、今夜は早くお休みしていただかねば」
家令の『続きをしたかったのなら、色々と終わらせてから寝所へ行け』という援護射撃にライオネルは感謝しつつ、
「そうだな、そうしよう。では、ミレイユ、また後でな」
そう言うと、ミレイユと別れるのだった。
ライオネルと別れたミレイユは、片付けをする兵士達の元へとやってきた。
(あら?ライオネル様はあんなに疲れた様子だったのに、皆様はそうでもなさそう⋯⋯?)
ミレイユの存在に気付いた兵士らがミレイユに挨拶をすると
「閣下なら大変な目に遭っていたので先に休んでもらいましたが、どうしました?閣下に会いませんでした?」
と、聞かれたのでミレイユは素直に先程のライオネルの様子を話した。
「いやあ、村に行くまでは順調だったんですがね、村の長老を兼ねている婆さんが閣下に懸想しちまったのか、閣下に纏わりついて離れなくなってしまいましてね」
「懸想!?」
声を上げたのは、奥様付きの侍女、セラ。
いつも静かに後ろの付き従っているのに、珍しく声を上げたことにミレイユは首を傾げた。
「どうしたの?セラ」
男女の機微には疎いミレイユは、セラに声を掛けると、セラは恥ずかしそうに頬を染めながら
「いえ、なんでもございません。少々驚いてしまって⋯⋯どうぞ私のことは構わず続けられてくださいませ」
と、言うのだった。
ミレイユは、セラの言葉を受けて兵士らに向き直ると、「それでどうなさいましたの?」と、続きを促した。
「村の中に案内してもらったんですがね、閣下は重傷者の治癒をするために小屋の中へ。俺らは治癒なんて魔法は使えませんからね。とりあえず、壊れた小屋の修繕する箇所や立て直しが必要な小屋を記録したり、物資の分配やらをしていってたんですけど⋯⋯」
「閣下がなかなか建物から出てこない」
「閣下の能力なら、もう既に治癒なんて終わってるはずなんでね。その内一人の部下が様子を見に窓から覗いたんですけど」
「そこで、閣下と老婆が抱き合ってるのを目撃して⋯⋯」
「抱き合っ⋯⋯」
不意の声。
ミレイユは、声をする方を振り向いた。
セラが両手で口元を隠していた。
「申し訳ございません。私のことはどうぞ構わずに⋯⋯」
口元を隠したままセラにそう言われたので、ミレイユは兵士達へと向き直った。
「もう、そこから俺等は野次馬と化してですね」
「硝子なんてないですからね。開いた窓の隙間から二人に気付かれぬように、俺らめっちゃ神経使って覗きました」
兵士の一人が両手で窓の隙間を示した。
「で、覗き見を終えた俺等は頭を寄せ合って」
「なんで婆さんが、閣下と抱き合ってるんだと」
「よく見たら、婆さん泣いてるし」
「来た時は、あんなに入村を拒んでたのになぁ」
「しかも出てきた閣下に付き従うように婆さんが後ろをついて回って」
「あらもう、現地妻気取りだよ」
「現地⋯⋯っ!?」
またもや声をする方を見ると、両手で口元を隠したセラ。
真っ赤な顔でそっと目を瞑ったのを見たミレイユは、セラの意を汲んで向き直ると、兵士らも察して話を続けた。
「小屋から出てきた閣下もゲッソリしていましてね」
「しかも、帰ろうとする俺等を引き止めるし」
「引き止められていたのは、閣下だけだけどな」
「約束がどうとか言ってたっけ」
「閣下からしたら初めて会う婆さんなのにな」
次々と兵士の口から語られる新たな村での様子に、ミレイユは、“ふんふん”と聞いていたのだが、煎じ薬も「俺達、疲れてないんでどうぞお気にせずに」と断られてしまった。
話が終わって屋敷に戻ろうとするミレイユの後ろで、
「奥様も村へと赴かれるのです。あまりご不安にさせないように」と、静かに兵士らに注意をするセラの気迫は、兵士らを狼狽えさせたのだった。
ミレイユは、兵士らの話を聞いた結論は、
「村のおばあ様は、ライオネル様の優しさに心打たれたのかしら?」
セラにそう言うと、「⋯⋯左様でございますね」と相槌を打ってくれたのでミレイユは笑顔で頷き、ライオネルが元隣国の村人に受け入れられたことを嬉しく思うのだった。
「今日は兵士の方々から、新しい村でのライオネル様のご活躍をお伺いしましたわ。なんでも、村長のおばあ様がライオネル様を慕われているそうで」
夜の寝所にて――。
早々と部屋に訪れたライオネル。
そこでミレイユから放たれた言葉に、言葉が詰まった。
「⋯⋯慕われているというより、私を誰かと勘違いしているような様子だった」
ライオネルの言葉にミレイユは小首を傾げると、
「誰かと⋯⋯?ところで、ライオネル様。“ゲンチヅマ”ってなんですか?今日兵士の方々が、ライオネル様と村長のおばあ様の事をそう仰っておいででしたの」
「⋯⋯は?」
「ゲンチヅマですわ」
「げん⋯⋯、え?」
無邪気に聞いてくるミレイユにライオネルは、しばし沈黙。
(⋯⋯一体、誰だ。妙な言葉を吹き込んだ奴は)
ライオネルは、部下らのお喋りが過ぎるという事で、“直接指導”を行うことを心に決めた。
沈黙したまま遠くを見始めたライオネルに、ミレイユは
(まぁ、ライオネル様も存じ上げない言葉なのね⋯⋯。一体“ゲンチヅマ”とはなにを指している言葉なのかしら)
と、一人謎を深めるのだった。
翌朝、早朝から“しばき上げられた”部下らは、容赦なく回復魔法をライオネルにかけられると、ヴァヴァのいる村へと出発した。
ミレイユは、数人の護衛に先導され、セラと共に馬車での出発。
「昨日、ライオネル様にお伺いしたのだけど、ライオネル様も“ゲンチヅマ”をご存知ないみたい」
そう無邪気に話すミレイユに、セラは
「⋯⋯⋯⋯左様でございますか。兵士らの言葉です。あまり耳障りの良い言葉ではないのかもしれません。なので、私たちだけの秘密の言葉ということで、外には漏れ聞こえないように致しましょう」
と、微笑み穏やかに言い含めた。
「そういう⋯⋯ものなのね」
ミレイユは、セラの言葉に頷きながら納得するのだった。
ノイハイム村へと降り立ったミレイユ。
新しい村へは、今頃ライオネル達が森を切り開いて道を作っている頃だろう。
昨夜、ライオネルから
『帰りは村から近い場所に、森を通り抜ける道を作るはずだったが、予期せぬ時間を食ってしまったのでな、叶わなかった。なので、当初の予定どおり迎えを寄越すので、それまで村の子供達と過ごして待っていてほしい』
とのことだった。
村の子供達の案内で、久しぶりにロバのボッツィに会いに行った。
「ボッツィ」
試しに呼んでみたが、相変わらず耳と尻尾を動かすだけで見向きもされなかった。
「大人なのにね」
子供達の言葉に
「まだ大人になりきれてないからかも。知らないことも多いし。ボッツィは、私のことよく分かっているみたい」とミレイユは、そう言うと肩をすくめたが、
「あら、奥様。私もですよ」とセラがボッツィの名前を呼ぶと、同じ様に振り返りもしなかった。
「まあ」ミレイユは、猫目の形をした瞳を大きく見開く。
「以前もでしたが、名前を呼ぶだけですから。それ以外にお仕事がない事をボッツィは見抜いているのでしょう」
と、セラはそう言うと
「働き者なのね」
とミレイユは感心するのだった。
道が拓けたとの報せ。
ミレイユ達は、子供達や村の者に別れを告げると早速新しい魔物の森の向こうの村へと向かう。
道中、軽く昼餉を済ませて、他愛のないお喋りをしていたら、到着したのか馬車が止まった。
扉を開くと、夫のライオネルが出迎えてくれた。
手を取り、馬車を降りる。
「村の者たちに挨拶をしよう」
ミレイユを導きながら優しく、微笑みそう言う夫。
その言葉に少し緊張。
「まあ、皆様を待たせてしまったのですね」
村の入口には村民たちが出迎えてくれていた。
「ライオネル様を慕っていらっしゃる村長のおばあ様もいらっしゃいますの?」
ミレイユはそう尋ねると、
「ああ。村に着いた途端に熱烈に歓迎された」
と、何故だか困り顔のライオネル。
「きっと、君も歓迎してくれる」
(どんな方なのかしら⋯⋯?⋯⋯“ゲンチヅマ”のおばあ様)
ミレイユの目線の先には、農具を片手に杖のようについた老婆がいた。
(あの方が、村長で“ゲンチヅマ”のおばあ様⋯⋯)
ライオネルが、口を開く。
「皆の者に紹介しよう。我が妻の――」
「聖母様を誑かす、悪しき魔女めが!!!!」
ライオネルの言葉を遮って、老婆のヴァヴァの怒鳴り声。
ミレイユは、驚き固まると、ヴァヴァは、怒鳴りながら手に持った物をミレイユに投げつけた。
謎の粉がミレイユにかかる前に、ライオネルは咄嗟に外套でミレイユを覆い庇った。
「ヴァヴァ殿!我が妻になにをするつもりか!?」
ライオネルの戸惑いと怒りを孕んだ声を飛ぶ。
大人の怒鳴り声にミレイユは、引き取り先の男爵家で過ごした日々を思い出し、ブルブルと身体が震え上がるのを両手で腕を抱きしめるとなんとか堪えるのだった。
「奥様!」
ライオネルを背にして、兵士数人も加わり、その後ろでミレイユは、セラに支えられるように馬車へと連れて行かれた。
「え⋯⋯な、なに、なにが起こったの⋯⋯?」
血の気が引いたミレイユの背を何度も擦りながら、セラは声を荒らげぬように努めるが
「⋯⋯分かりません。突然、あのおばあ様が変貌したとしか」
困惑が滲んだ声音でそう言うのだった。
村の入口では困惑しているのはライオネル達だけではなかった。
「ば、ばあさん!なにやってんだよ!相手は辺境伯夫人だぞ⋯⋯!目の前の領主様に叩き切られても文句言えないぞ!」
「そ、そうだよ!早く謝ろ、ばあさん!」
と、村長であるヴァヴァに対して村人たちは口々と焦りの声を出していた。
「いーや!ワシは謝らん!あやつは聖母様を裏で操ろうとする魔女のその者じゃ!聖母様!目を覚ましてくだされ⋯⋯!ヴァヴァを守ってくださった聖母様が魔女に絆される姿なんぞ、ワシは、ワシは耐えられませぬ⋯⋯!」
ヴァヴァは、農具をつきながらライオネルの傍に寄ると、ライオネルを見上げて、そうまくし立てる。
遠目で警戒しながら、兵士の一人が
「とんだ痴情のもつれだぜ⋯⋯」と言って、後ろから別の兵士に頭を小突かれていた。
足元に縋るヴァヴァをライオネルは見下ろした。
その眼に感情はない――。
「ヴァヴァ殿。昨日から『聖母』『聖母』と私を呼ぶが、貴殿を助けた覚えも、妻を目の前で侮辱される謂れもない。直ちに妻への非礼を詫びるのならば、先程の行いも侮辱の言葉も水に流そう――」
ライオネルの冷たく感情のない声音に部下らは、胃の腑が冷えた。
部下らは互いに目配せをした。
“閣下が刃を抜いたら、全力で止めるぞ”――と。
ミレイユが輿入れしてきて、斬られ慣れてしまった部下たちである。
なんなら、今朝も斬られた。
婆さんなら捨て置かれるが、部下なら治癒魔法をかけてくれる!てか、かけてくださいね――閣下!
その心意気で、二人の様子を見守る部下たち。
しかし、ヴァヴァは、折れることは無かった。
「なんという⋯⋯、なんということじゃ。あれほど、気高く美しかった聖母様が、魔女に⋯⋯魔女に絆されてしもうておる」
ライオネルは、無言で腰に下げている細身の剣に手をかけた。
「「わー!閣下!早まらないで!」」
部下らの一斉の声に隠れるようになりながらも、その声はライオネルの耳に届いた。
「だめです⋯⋯!ライオネル様⋯⋯!」
声のする方を振り向くライオネルの顔に、ぼすっ!となにかが当たった。
弾き飛ばされた部下ら。
村人が戸惑った声を発した。
「は、デカ。⋯⋯猫?」
ライオネルがそぉ〜っと、当たっているなにかに顔を外すと、そこには白金色の猫毛。
ライオネルが当たった場所は、猫の首元から胸元にかけてのフワフワとした毛の部分だった。
「なぜ、お前がいる」
ついライオネルは、大猫に向かってそう言った。
白金色の大猫の後ろには馬車から降り立ったであろうミレイユの姿が。
「駄目です⋯⋯ライオネル様⋯⋯。その方は、ライオネル様を慕っている、おばあ様なのですよね⋯⋯?ゲンチヅマの」
「わー!わー!わー!」
「なんか、聞こえたような、気のせいかなぁ!!」
ミレイユの声に被さるように、猫に弾き飛ばされた部下らが一斉に声を上げた。
ミレイユは、ライオネルに歩み寄りながら言葉を続ける。
「今、セラから聞きました。ライオネル様がおばあ様を罰するのではないかと⋯⋯」
「ミレイユ⋯⋯」
「私は、平気です。少しびっくりしただけです。どうかおばあ様を罰しないでくださいませ。大切な“ゲンチヅマ”なのでしょう?」
「にゃー!にゃー!にゃー!」
「わん!わん!わん!」
“ゲンチヅマ”に被さるように部下らは、慌てて声を出す。
「ミレイユ⋯⋯ヴァヴァ殿は、“現地妻”ではない。どちらかと言うと“現地婆さん”だ」
至極真面目な顔でライオネルは訂正した。
「“ゲンチバアサン”⋯⋯?」
「そうだ」
「閣下!いくらお歳を召した方でも、“婆さん”は如何かと思います!」
「紳士たるものここは、“現地おばあ様”ぐらいに留めるべきかと!」
「ゲンチオバアサマ⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯元はと言えば、貴様らが余計な事をミレイユに吹き込んだからではないのか?」
ライオネルの冷たい紅い眼と言葉に、部下らは押し黙った。
大猫は、村人たちから「でけぇなぁ」「大人しい猫だなぁ」と撫でられて気持ちよさそうに目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「閣下、足元で、御婦人が泣いてますよ」
部下の声に、ライオネルは足元を見るとヴァヴァは突っ伏して泣いていた。
「うう⋯⋯。聖母様が、優しかった聖母様が⋯⋯ヴァヴァの事を“バアサン”なんて。酷すぎまする⋯⋯。あんなに優しかった聖母様が⋯⋯」
「⋯⋯」
(バアサンを“バアサン”と呼んではいけないのか)
我が妻を『悪しき魔女』と罵っておいて?ライオネルの胸に釈然としない思いが湧くが、ぐっと堪えた。
「何度も訂正するが、私は、聖母でもなんでもない。第一私は男だ」
ライオネルは、そう言うが
「⋯⋯幼き私を助けてくれた、漆黒の艷やかな髪、生命を司る紅い瞳⋯⋯ヴァヴァが間違うはずがございませぬ。⋯⋯魔女にしてもそうにございまする。あれは、世界を破滅へと導く力を持つ魔女だというのに⋯⋯聖母様は、聖母様⋯⋯っ」
最早、ライオネルの言葉は通じない。
ライオネルも如何かしようか、と傍系にそのような者がいたのか、しかし性別が⋯⋯と思考を飛ばしかけたところで傍までミレイユが来ていたことに気付いた。
「おばあ様、倒れていてはお洋服が汚れてしまいますよ?」
ミレイユが声を掛けるが、ヴァヴァは「魔女の分際でワシに声を掛けるな」と言い放ち、ライオネルはその態度に「貴様⋯⋯」と言いかけてミレイユに止められた。
「たしかに私は、魔法が使えるようになったので魔女に間違いはございませんけど⋯⋯。顔を上げてくださいませ、おばあ様。まだ私、村長の貴方様にご挨拶が出来ておりませんわ」
と、呑気に言うのだった。
「⋯⋯お主、ワシに散々貶されておるのになにを言うか」
と、呆れ顔で顔を上げると、
「まあ、おばあ様の目は真っ白なのですね」
と、白内障を言うのだった。
「ミレイユ、それは年を取ると誰でもなるものだ。白く霞んで、良く見えなくなるという」
ライオネルが説明すると、ミレイユは眉根を切なく寄せ、
「まあ、それは可哀想⋯⋯」
と、両手を組むと、「おばあ様の目が良くなりますように」と祈るのだった。
ヴァヴァはそんなミレイユの様子を鼻で笑いながら
「ふん、まるで聖女様のような真似を⋯⋯⋯⋯⋯⋯て、み、み、み、」
突如、ヴァヴァが壊れたように『み』を連呼。
大猫を撫でていた村人たちがその異変に、近寄ってきて
「どうした、ばあさん。とうとう来たか?」
とまで言い出す始末。
ヴァヴァはそんな村人を無視して、
「⋯⋯見えるぞ!」
と、一言。
「え?なにが?」
「あれ?⋯⋯ばあさん、目が」
村人がヴァヴァの顔を覗き込むように見た。
――ヴァヴァの目の白い濁りが、きれいに取り除かれていた。
◇◇◇
「すまなかったな」
己の目が治った途端に、先程までの態度は一変して素直に謝るヴァヴァ。
ちなみに、視力が戻ってからライオネルの姿を見たヴァヴァは
「なんじゃこの大男は」
だった。
騒動を終えてやれやれ、と村の者たちや兵士らは、森を切り開く際に出た倒木を丸太にし、村に訪れた初日、近くに作った溜池に浮かべていた。材木として再利用するため、不要な樹皮のふやけ具合を見に行った。
残されたライオネルとミレイユとヴァヴァ。
ヴァヴァがミレイユを見ながらポツリと口にした。
「“悪しき魔女”だと決めつけていた時には決して口にすまいと心に誓っておったのじゃが、目を治してくれた礼として言うぞな」
ヴァヴァの言葉にミレイユは首を傾げた。
そんなミレイユを無視してヴァヴァは続ける。
「奥方、身体を労るのじゃぞ。そちの周りに子が見える。じきに、二人の子として姿を現すぞ」
ヴァヴァの言葉にライオネルとミレイユは、顔を見合わせた。
「それって――」
ミレイユは、ヴァヴァの言葉を理解すると嬉しそうに微笑んだ。
ライオネルは、嬉しい反面複雑だった。
王太子の言葉が蘇る――
『次は子供を産んでみよ、できやすいと証明になり、狙う貴族は、増えてくるぞえな』
それでも、王命を携えて嫁いできた少女は、ヴァヴァの言葉に素直に喜び、笑顔をライオネルに向けている。
ライオネルは心に誓う。
この笑顔も、この先、生まれてくる子供も、守り抜いてみせると――。
ライオネルの心を読み取ったのか、笑顔のままミレイユは言う。
「私、元気な子を生みますね。ライオネル様のために。あと、頑張って足も速くなります」
唐突な宣言にライオネルは、思わず吹き出した。




