だって幻獣だから
「先輩。私、わかっちゃったんです」
「なに……が?」
「筋トレの意味というか、ひいては自尊心というか。自己肯定感……というか」
「なる……ほど……?」
「筋トレをしたり、メイクをしたり、自分に手をかけることで自分を大切に気遣う気持ちが芽生えたというか」
「……っ」
「こう、細くて!かわいくて!完璧でなければならない!それ以外は不可!という価値観に縛られていたのですが
自分の体に手をかけるようになって、愛着が沸いたというか。理想的で無くても、自分で自分を認められるようになったとでもいいましょうか」
「……っ」
「先輩、聞いてますか?」
「……30!!っ……はぁ……っ……」
先輩は勢いよく部室の床に転がった。
そう、先輩もまた本日のノルマの筋トレ中なのだ。先輩が部室に現れなかった日の分についてはノーカウントなので、今そのツケを支払っている最中という訳だ。
「先輩!あと2セットですよ!すごい!さすが出来る男!」
これが終わらなければハルコの大作戦の続きは話さないと言った時の先輩の顔と来たら。先輩は思ったより、このハルコの大作戦の話を楽しみにしているようだ。
実は、開始10分ほど経った頃に先輩の髪の毛が邪魔そうなので、ヘアピンを貸してあげた。
差し出されたヘアピンを見つめ、初めて木の枝を道具として使うことを覚えた原始人かのように戸惑う先輩はちょっとおもしろかった。
ここは僭越ながら私が先輩の髪を止めることにした。
先輩の髪へ手を伸ばした時、少しピクッとされたものの触れてしまえばもうされるがままだった。
怖くない、怖くない
心の中で幻獣を宥めるように、優しさが伝わるように撫でておいた。
先輩の黒染めした髪は少し触り心地が悪い。きっとこまめに黒染めしているからだろう。
前髪を流し、落ちてこないように分ける。
……と。おやぁ……?
視界が晴れて気分も晴れたのか、着々と先輩は止まることなくノルマをこなしている。
その先輩の頑張る姿を見ながら、私は長い間思っていたことを確信していた。
───先輩は、とんでもなく美形であるらしい。
長くてうっとおしい髪や眼鏡が邪魔しているが、やっぱり美形である。
その髪の毛や眼鏡は世を忍ぶ仮の姿……いや、擬態しているのだ。一般人に。
これだけ人目を惹く容姿をしていれば、何か思うところがあるのだろう。
私には美形の苦労はとんとわからぬが、人の気持ちがわかる人間でありたい。そう、思うのだ。
だから、先輩が美形だろうがそんなことはひとまず置いておこう。先輩は世を忍んだ姿もかわいいのだ。なんせ幻獣なのだから。
先輩が静かに七転八倒しつつ、ノルマを達成させた頃。先輩の息が整うまでゆっくりと先日のことを話した。
*
「なるほど。あるきっかけで、過去から現在……という位置づけでいいのかな。最初のタイムリープをした日に戻るんだね」
さすが映画オタクは理解が早い。訓練されている。
先輩は、裏にしていたホワイトボードに続きを書き足していく。
その達筆な文字がさらさらと書き記されていくところを目で追う。
「はい。でも、最初のタイムリープした時とは少し状況が変わっていたんです。まるで、タイムリープして別の行動をした過去から続く未来に飛ばされたような……」
そうだ。
戻ったのは一度経験した斗真と別れ話の時間だったのに、私の体は変化していたし、友達は増えていたし、未来の先輩と電話までしてしまったのだ。
「ふぅん。それは夢があるね」
急に先輩がいたずらっ子のような表情でこちらにクルリと振り返った。
驚かせないでほしい。今の先輩はとんでもない美形の顔を惜しげもなく大公開しているのだから。
「夢、ですか」
美形がなんだ。先輩は先輩だ。そんなことで急に態度を変えたら先輩に失礼じゃないか。鎮まれ……落ち着け……!先輩はわざわざ顔を隠すぐらいの人だ。間違いなく顔に関してのコメントは地雷である。
「うん。だって、過去をやり直せて、未来を変えられるんだろう?」
「……確かに」
今の筋トレの効果を未来で確認できたし。言われてみれば、過去と未来を変えられるって確かに夢がある。
「ところで、きっかけって何?」
すっかり思考がどこかに飛んでいたが、先輩のその一言で我に返った。
「きっか…け…は……」
きっかけって……そりゃ……
「あの」
あなたと……
「その」
いえ、あなたの唇が……私の…あの…
「忘れました!!!!!」
言えるか!!!!
「……ふぅん。まぁ、思い出したら教えてね。重要かもしれないし」
パタパタと手を揺らし挙動不審になる後輩に、先輩は軽い調子だ。
くそう。乙女のくせに涼しい顔しちゃって。
「わかったらどうするんですか」
「そりゃあ、本当にそれで行ったり来たり出来るのか確かめる……んじゃない?」
「たしかめ……っ」
お、乙女のくせに!!!!
「ん?」
「イエ。ナンデモ」
……あ、そういえば確認していないことがあった。
「そういえば、先輩の名前ってなんですか?」
今のスマホに先輩の連絡先を登録する時に、先輩の名前は『先輩』と私が入力した。
未来のスマホの中での先輩の表示名は『K』になっていた。
なんだ?コードネームか何かなのか?もしかしたら未来の私は先輩の映画脳に洗脳されてしまったのかもしれない。
今更名前を聞かれたコードネームKは、ポカン顔だ。
「本当に知らないの?」
「……?はい。聞くのが遅くなってすみません」
「───お姉さんから、俺のこと聞いてないの?」
ドクン
今、なんと言ったか。
心臓が激しく跳ね、痛みを感じる。
先輩の口から。
「なんでここで姉が出てくるんですか」
先輩と過ごす、この時間を汚された気分だ。
なんで、どうして、なんで、そんな意味のない単語ばかりがぐるぐると頭の中を忙しなくかき混ぜる。
「なんでって……」
「先輩は、私の姉を知っているんですか」
唇が震え、声が震える。
答えを聞きたいようでいて、実は全く聞きたくない。
「……」
長い沈黙だった。
「……知ってるよ」