6騎 着の身着のまま
前回までのお話。
アインツたち白銀の守護者のパーティは、新メンバーも加えて新たな冒険へ旅立ったところで、ゲームが突然システムダウン。
暗闇から解放されたと思ったところで、出現したモンスターは本物だった。
「状況の確認をします」
アインツが、自らも落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「皆さん、怪我はありませんか」
「大丈夫です」
「オレっちも」
「儂もじゃ」
「えっと、ちょっと転んだ時に……」
他のメンバーの無事を確認し、てろてろに確認する。
「膝を擦りむいちゃって」
地面にこすりつけたのか、草で切ったのか、膝頭が浅く擦りむけ、血がにじんでいた。
「少し試したいことがあるので、エレーナさん、いいですか?」
「なるほどな、よかろう」
アインツの声にエレーナが答えて、てろてろの傍に近づく。
右膝を立ててしゃがみ、両手で空に複雑な文様を描く。
「ライトキュアウーンズ!」
詠唱と共に呪文を完成させる。
かざされた右の掌から光が発せられ、それは柔らかく広がり、てろてろの膝を包み込んでいく。
見る間に、にじんでいた血が止まり、皮膚のかすれた部分が薄らいでいく。
エレーナがバックパックからタオルを取り出し傷口を拭うと、そこには擦り傷の跡はなく、健康そうな張りのある肌が現れた。
「やはりな。アインツ、治癒魔法は使えるようじゃ」
「儂の知っておる魔法の、どのレベルまでが使えるかは判らぬが、魔法自体は生きているようじゃな」
「でしょうね。ゴブリンとの戦闘中、クーネルさんがマジックアローを発現させたのを見て、そう思いました」
「あ、あの時は、何がなんやら、戦闘中でしたし、とっさのことでしたので、もしかしたらと思って」
「クーネルさんの判断は、正解だったようですね。ゴブリン相手とはいえ、アビスクロニクルのエフェクトが無くなった状態で、リアルな敵と戦うとなれば、怪我だけでは済まなかったかもしれませんし」
アインツは、自分が分析した発言の中のセリフに、言い知れぬ不安を感じた。
(怪我だけでは、済まなかった……?)
「みんな~、これ、マジでヤバいっスよ」
周辺を歩いていたマイキーが、何かを手にして戻ってきた。
皆の輪の中に放り込まれたそれは、息絶えて動きを止めた、ゴブリンだった。
そう、ゴブリンは死んでいた。
急なことだったか、不意を突かれたてろてろが小さな悲鳴を上げる。
血まみれの顔に光の消えた虚ろなゴブリンの瞳と目が合ってしまったようだ。
「うわっ、マイキーさん、そんなの持ってこないで下さいよ! てろてろさん、怯えてるじゃないですか」
「わぁ、てろてろちゃん、ごっめ~ん! でもさぁ、これって、ちとマズくね?」
「何がですか、もう!」
クーネルが、マイキーの不躾な対応に非難を浴びせる。
「まぁまぁ、クーネルさん。てろてろさんも、大丈夫ですか」
一言落ち着かせて、アインツが続ける。
「私の違和感の答えが、これかもしれないのですから」
「アインツさん、ど、どういうことですか……」
「いいですか、てろてろさん。アビスクロニクルでは、リアビューシステムを使った、立体映像での戦闘です」
「はい」
フィットネスクラブとして、ゲーム感覚でプレイできるというのが売りなのだから、当然と言えば当然のことだ。
何を今更、と思いかけたところへ、アインツの述べる言葉が意識に突き刺さった。
「初めの戦闘で見たように、倒されたモンスターは、映像処理で消滅します」
「!!」
てろてろも、その点に気が付いたようだ。
目の前の血まみれの死体が、てろてろの思いを証明している。
質量があった。
消えない。
ゲームじゃない。
誰もが口にしなかったが、誰もが理解したこの事実に、怖気立った。
「では、今一度状況を確認します」
固唾を飲んでアインツの次の言葉を待つ。
「ここは、現実か、それに近しい世界です。物には質量があります」
当然と言えば当然の事ながら、そんな当たり前のセリフに、皆が恐怖を覚える。
「敵は本物で、ゴブリンも実在します。また、魔法も使えることも確認できました」
「戦ってみた感触として、アビスクロニクルの世界に酷似していると言えます」
「ゴブリンはそれ程力も強くなく、私の力でも、2匹のゴブリンを盾で弾き飛ばしたりできました」
「もともとの地上、私たちが日々の生活を営んでいた世界とは、別の現実世界にいるのではないか、という推測ができます」
アインツが息継ぎをしたところで、てろてろが割り込む。
「ちょ、ちょっと待ってください。あたしも、ラノベとかアニメとかでよく見ますけど、異世界転移とか、そういうことですか?」
アインツは、肯定も否定もしない。
「確証はありませんし、私は異世界とかそういうのは、理解はしていても物語の中の事だと思っていますので」
「でも、あたしたちの暮らしていたこの国では、魔法も無ければ、ゴブリンなんていうのもいませんでしたよね!?」
「そうです。ファンタジーの世界の事だけだと思っていました」
「じゃ、じゃあ、やっぱり異世界……」
「暗くなったときさ、ぐわんぐわんってしたじゃないっスか。まさか、あれっスかね?」
「私には判りません。仮に異世界に転移したとしても、元の世界に魔法やゴブリンが出現したとしても、問題はそこじゃないんです」
「と、いうと?」
一拍入れて、アインツが答える。
「今は死ぬかもしれないという事と、これが現実だという事です」
「死と隣り合わせの現実か。平和ボケした元の暮らしには、少々飽いておったところじゃ。それもまた、面白かろて……」
「ばっ、バカなこと言わないでくださいよ、エレーナさん」
「すまぬすまぬ。あまりに突飛なことゆえな、許せ」
アインツはあえて話に加わらないようにして、言葉をつづける。
「そこで、サバイバルするための準備と、今後の方針を検討します」
まずは、ここにある装備一式の確認。
全員の持ち物を寄せ集める。
バックパック、一人ずつ。計5つ。
携帯食料、一人分が3つ。
飲料水、5人で半日分。
救急キット、2つ。
第1階層と第2階層の地図とコンパス。
羽ペンと羊皮紙、インク壺など、筆記用具一式。
たいまつ、2本。
毛布、3枚。
所持金、およそ10万カラト分のクリスタルと宝石。
飲料水は、水筒を各自が持っているので、水場さえあれば何とか凌げるだろう。
問題は食料だ。
アインツとクーネルが持っていた予備食料に、エレーナの持っていたドライフルーツがあるだけで、とても5人には行き渡らない量しかなかった。
てろてろがゲストプレイヤーであることもあり、上層での冒険と見ていたため、長期滞在は予定していない。
そのため、荷物も軽装にしていたことが、結果としてこの状況を生み出していた。
装備は、更に輪をかけて深刻だった。
リアビューシステムが機能しなくなってから、装備のエフェクトは意味を成さなくなっていた。
手持ちの武器は、ゴム製の形だけの物かウレタンで出来た物で、叩かれれば痛いが、しかし、痛いだけで致命傷には至らない物。
防具は、筋力トレーニングの為に重量はあるが、防御力としては信頼できる物かどうか、疑わしいところだった。
少なくとも、アインツのプレートアーマーやタワーシールド、てろてろのブレストプレートやガントレットは、ダイキャスト製という話を聞いていたが、金属は亜鉛合金かなにか、詳しくは聞いていなかった。
ただ、その点では仮に亜鉛合金だとしても、普通の鋳鉄よりは柔らかいものの、金属は金属。それなりの硬さは期待できた。
問題は、なめし革風のレザーアーマーやローブで、部分的にウェイトが入れられ、トレーニング用に重たくなってはいるが、実際の革や布部分は、麻や木綿の生地で出来ており、防具というよりは服に近いものだった。
ダメージ計算に補正がかからないとなれば、過去のレベルなどは関係がなく、敵の攻撃は直接命にかかわるものになる恐れがある。
そうなると、実際に戦闘となった場合には、アインツの装備であればともかく、マイキーなどは前線に出すわけにはいかなくなった。
多少であれば、てろてろの装備も使えるかもしれないが、てろてろ自身は戦闘経験が皆無に等しく、戦力として計算に入れることは難しい。
なるべくであれば戦闘は避けたいところであった。
「ちょいと気は乗らないンすけど」
マイキーが、倒したゴブリンたちから所持品を奪ってくる。
掻き集めた物は、刃こぼれしているショートソード一振り、ナイフ二本、ショートボウ二張と矢が16本。
厚手の布鎧と手甲、皮のブーツ。
食料は持っておらず、水筒らしき木の筒には、濁った水が少し残っていた。
「裁縫道具でもあれば、ちょっと手直して、使えそうなものができると思うんですけど」
「てろてろさん、それはすごいですね! あ、でも、今は手持ちに無いので、いくつか素材として持って行きましょう。道具が揃ったら、是非お願いします」
「そうですね、分かりました」
(道具が揃ったら、なんてそんな長い間、こんなところにいたくないけど……)
「あとは……薬草?」
いくつかの薄汚れた小袋には、草の葉や動物の死骸が放り込まれていた。
ゴブリンが腰にぶら下げていた物らしい。
「見たところ、ゼイシ、マーニン草、カムネズミの牙などがあるようじゃな。ありきたりの物じゃが、傷薬にも使えるでの、持って行くとするかの」
エレーナが小袋を自分のバックパックにしまった。
他の面々も、それぞれ持ち出せるものをしまい始める。
「仮に場所が変わっていないものとしたら、今日来たルートを戻るとして、東の方向に2時間程度進めば、教会に着きます。」
「地図通りであれば、この先西に行くと川が流れているようなので、水源の確保ができるんじゃないでしょうか」
「教会を探して見つからなかったら、反転して川を探しましょう。それと、道中に、街道や建物、人が見えないか確認しながら進みましょう」
「感知の能力は使えるみたいっスよ。遠視もやれますし、監視はお任せくださいっス」
「マイキーさん、頼みます。では、まだ日が高いうちに、出発しましょう」
アインツの声掛けで、メンバーが一斉に立ち上がる。
身体に付いた草や埃を払い、バックパックを背負う。
コンパスの示す通りであれば、東に向かって歩を進める。
武器は、粗末なものではあるが、一応は刃もあり、硬い金属でできた物に持ち替えた。
不安がないと言えば嘘になる。
が、進むしかない。
それぞれの胸には、諦めとも悟りとも取れるような、一種吹っ切れたかのような気持ちが生まれていた。
「さても、おぬしはリアリストよの、アインツ」
「冷静になろうとしているだけですよ、エレーナさん」
歩きながら、エレーナがアインツに語り掛ける。
「さればさ。そなたの判断に、期待しておるのじゃ」
「あまり買い被らないでください。ま、最善努力しますよ」
「よい。儂の命は、おぬしに預けたわい。なにせ、儂の肌を、初めて許した男じゃからの」
くっくっく、と意地悪く笑うエレーナに、アインツは、赤面して言葉を返すことができなかった。