45騎 ゲート
アインツたちは、アルフォンスに招かれるがまま、廊下の突き当りにある大きな扉を開ける。
そこは、温かな光が溢れるダンスホールだった。
今までの部屋とは違い、埃が積もるどころか、大理石を思わせる床はピカピカに磨き込まれ、近付けば顔も映るくらいに思えた。
白い壁がシャンデリアからの光を反射し、暗闇に慣れた目には眩しく見えた。
ホールの端には、赤いソファが並べられ、その近くのテーブルには、軽食が銀の皿に盛り付けられていて、スープの入ったボウルからは、やわらかな湯気が食欲を誘っていた。
壁掛けやテーブルの上の花瓶からは、活けられた花がかぐわしい香りを放っていたが、控えめで上品なそれは、あまり我を主張せず、場を華やかにする引き立て役に徹していた。
きつくない香りは、気持ちを落ち着かせる効果があるように思えた。
違和感があるとすれば、そのダンスホールには、館の主人と老執事、アインツたちの5人しかいなかった、ということだ。
当然、客がいるかどうかは判るはずもないが、ここまで豪勢にパーティの準備が整えられているというのに、招待されている者の姿が見えない。
「まさかとは思うンすけど、これ、オレっちたちだけのため、じゃないっスよね?」
マイキーもアインツと同様の感覚があったらしい。
「アルフォンス男爵、私たちを歓迎していただけるのであればありがたいのですが、ここまでのことはしていただかなくとも構いませんでしたのに」
「それはそれは。つい、はしゃいでしまいました。なにせ、お客様がお見えになるなんて、ここ5年ほどなかったものですからね」
アルフォンスは、骨と皮だけの顔を、しわくちゃにして笑った。
「どうするのじゃ、アインツ」
「うーん、無下に断るのも失礼でしょう。それに、軽く食事をしながらでもいいのではないですか」
「そうっスよ、もうボートで出すもん出して、腹減ったっス」
「さあさあ、入り口でお話しされてないで、どうぞこちらへいらしてください」
アルフォンスがソファへ案内する。
アインツたちがソファに座ると、老執事がテーブルをセッティングする。
「さて、単刀直入に伺いますと、あなた方、この世界を守る意思はありますか?」
アルフォンスは、病的な瞳をアインツたちに向ける。
「い、いきなり、何を……」
「いえね、私も残された時間がない身の上です。腹の探り合いはよしましょう。
あなた方は、命がけでこの世界を救うために戦えますか?」
「命がけとは、穏やかじゃありませんね。最前努力ではいけませんか」
「なるほど、今時の勇者様だ。
まあ、よしとしましょう。
私は、この世界とは別の次元世界から、異界ゲートで転送してきた者です。
次元世界の名前は、エリミダート」
「エリミダート! リバーモアとかを召喚した!?」
「おや、ご存知でしたか。
それではご理解いただいているかとは思いますが、目的は、こちらの次元世界への侵略、です」
アインツは、ソファから少し腰を浮かし、臨戦態勢を取ろうとする。
「ほほう、いい反応です。ですが、今はお座りください。私にそのつもりはありません。
それよりも、私を手伝っていただきたいのです」
「にわかには信じられないが、侵略すると言われて、はいそうですかと手伝うと思うか?」
「そうですね、まずは少々、昔話にお付き合いいただきましょうか」
今から数百年前。
アルフォンスは、異界ゲートから現れた。
異界ゲートの向こう、アルフォンスが元々いた次元世界は、エリミダートといった。
エリミダートは、個体や種族ではなく、世界を表した名前である。
異界ゲートから現れたアルフォンスが見た世界は、多くの人々が暮らすものだった。
次元世界から来たアルフォンスは、こちらの世界への侵略を開始する。
だが、単独行動でできることはたかが知れていた。
手身近な相手を消滅させてみたが、労力の割には数を減らせなかった。
正面切って戦いを挑もうにも、軍や警備の者が数多く集まると、アルフォンス一人では太刀打ちできなかった。
アルフォンスは、己の使命を全うすべく作戦を練り、間接的に、時間をかけて戦うことを考えた。
作物を枯らせ、病気を流行らせる。
科学技術の発展していないこちらの世界では、アルフォンスがばらまいたウイルスが原因だとしても、天候不順や疫病のせいだと誰しもが思ってしまった。
そしてそれは、多くの無知な人々を死に追いやった。
人々の憤懣やるかたない思いのはけぐちは、犯人を見つけてその鬱憤を晴らすというものだった。
その正否は問わず。
世界中で、異端審問が行われ、またさらに多くの人々が、同胞の手によって命を絶たれていった。
アルフォンスの作戦は、予想以上の成果を上げた。
ある時、アルフォンスは朽ち果てた遺跡に身を寄せていた。
特に意識はしていなかったが、近くには土地神を信仰していたであろう石碑の破片が残っていた。
かなり前から、誰も訪れない場所だったため、アルフォンスにはうってつけの隠れ場所であった。
そこに、一人の少女が歩いてきた。
少女は、荒れた道をつまずきながらも、石碑の近くまでやってきた。
「神様、どうかお助けください。私の願いをお聞きください」
少女は手を合わせると、石碑に向かって話し始める。
見た目みすぼらしく垢じみた服は、ところどころ鉤裂きができているが、それすらも繕えない程の困窮した様子であった。
(こんな時にも神頼みか。しかも自分の願いとは、またおこがましい)
「神様、私は村の人々に石を投げられ、足蹴にされ、慰み者にされています。穢れた私の願いですが、どうかお聞き届けください」 少女は目に涙を浮かべ、必死で懇願する。
(所詮この世界の人間は、私利私欲の塊よ。年端もいかぬこのような娘を欲望の贄にするなど、品性の欠片もない。
それにこの娘もこの娘よ。そこまでされてもなお、生にとらわれ神を頼る。救いがたい動物だな)
「神様、皆は食べるものもなく、病に侵されています。
ですから、どうか雨のひとしずくをお恵みください。
皆が獣となっているのは、希望が見えないから、幸せに気付くことができないからなのです。
どうか、皆を人へと戻れるよう、奇跡の雨を降らせてください」
少女は涙を流しながら地にひれ伏し、額を擦り付ける。
アルフォンスは、少女の行動に興味を覚え、石碑の陰に隠れた。
「娘よ。そなたは雨を望むか」
少女は、突然の声に度肝を抜かし、おもてを上げる。
その顔を見て、アルフォンスが理解する。
(この娘、目が……)
少女の瞳は白く濁り、向きを変えることは無かった。
少女は、目で見ようとして顔を上げたのではなく、声を聴こうとして、音が出た位置に耳を向けたのであった。
「神様……、神様なのですね!」
少女の視力がないであろう白く濁った目から、また大粒の涙があふれ出た。
「そなたは雨を望むか」
「はい、はい! 村では三月も雨がありません。どうか、どうか!」
アルフォンスの術式であれば、雨を作ることは造作もない。
それどころか、この地域一帯に雨を降らせないようにしたのは、誰でもない、アルフォンスその人だったのだ。
(人をじわじわと苦しめ、死に至らしめる効果はあったということだな)
「しかし、そなたは皆とやらに酷い扱いを受けているのであろう。なぜそのような者たちを、助けようとする」
少女は一瞬きょとんとした表情を見せるが、笑顔になると、はっきりした声で答えた。
「私は、皆が笑っている姿が好きなのです。
目で見ることはできませんが、心で見ることはできます。
本当は皆も、笑って暮らしたいのです。今はそれができないから、人の心が獣の心に負けてしまうのです」
「それでそなたは、幸せなのか」
アルフォンスの問いに、間を置かず答える。
「はい、私は幸せです」
純粋無垢な顔が、そこにはあった。
「わかった。そなたの願い、考えておこう」
少女の顔から、憂の色がなくなる。
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
少女はまた地に額を擦り付け、何度も何度も礼を言う。
それから、朽ち果てた遺跡に少女が日参するたび、アルフォンスがその相手をするようになった。
アルフォンスは、物は試しと晴天の術式を解除しようとしたが、思うように式が組めず、時間ばかりが過ぎていった。
ある日、アルフォンスは少女に尋ねた。
「そなたは、なぜ村から逃げようとしないのだ」
「逃げる? なぜです? 村の皆はいい人たちばかりです。今は少し、辛い生活をしていますが、それでもいつかは、人の心を取り戻してくれると信じています。
私は、皆が大好きなのです」
破顔する少女が、アルフォンスには眩しかった。
少女は疑う様子も見せず、朽ち果てた遺跡に詣でる日々を送っていた。
アルフォンスは、少女が日増しにやつれていくことに気がついた。
もともと健康そうな感じでもなかったが、このところは頬もこけ、身体の線も細く、骨が浮き出ているようにも見えた。
そして、対照的に痣や傷が目に見えて増えているのであった。
アルフォンスが尋ねても、大丈夫の一点張りで、取り合うつもりもない様子だった。
そんな少女であったが、この日は少し表情に影があった。
「神様、今日は神様に謝らなくてはならないのです」
「どうしたのだ、そなたらしくもない」
「ここに来られるのも、今日までなのです」
晴天の術式をかなり解除させたため、昨夜は雲が出始め、もう一息で雨が降るところまでこぎつけていたのだ。
「そうか。そなたの願い、だいぶ待たせたがな、もうじき雨を降らせることができよう。そうなれば、もう詣でることもないからな」
少女との日々の語らいで、楽しみを見つけていたアルフォンスにとって、少し残念な気持ちもあるが、もともとが道楽。この逢瀬も気の迷いのようなものであったアルフォンスにとってみれば、また侵略に戻るだけである。
「私、今夜神様のみもとに参ります」
少女の口から出た言葉には、歓びとも哀しみとも取れる想いが込められていた。
次回、アルフォンスの昔話が、もう少し続くお話です。




