3魔 夜の暗躍
白の大陸と称されるティガール大陸に、魔皇軍が侵攻してから1カ月近くが過ぎようとしている。
ティガール大陸でエクスパニア共和国と双璧をなしていた強国、ザール・ベルンは、魔皇軍の第1軍、第5軍の猛攻を受け、国都ザリュートにまで攻め寄せられるところであった。
国都に至る道にある砦や防衛基地は、ことごとく魔皇軍に破壊され、もはや抵抗する者はいなかった。
後は、国都に集まる諸侯と、まだ戦禍の及んでいない地域からの増援の部隊が残るだけである。
主力とした騎兵隊は、数多の戦いで疲弊し、機動部隊としての組織的な働きは期待できないものとなっていた。
平民を集めて武器を持たせるも、統率の取れない兵力は、数として含めることが難しい。
だが、自国を守るというその気概だけは、まだ残されている様子で、それこそが頼みの綱であった。
魔皇軍は、攻め滅ぼした国々を、殲滅しつくしたわけではない。
基本的には、魔族と同等の社会制度、部族や氏族単位での自治を認めていた。
そして、さらにその基礎にあるのは、弱肉強食の精神。言うなれば、完全なる能力主義である。
支配される人間にとっては、領主が王侯貴族から魔族に変わるというだけで、特に変化はない程だった。
問題なのは、人間の支配階級とその腐敗ぶりであった。
安穏とした地位に居座り続け、能力も無いのに血筋や家柄というものだけで、他者を虐げるという事は、魔族にとっては考えもつかないものであった。
そもそも魔族は長命である場合が多く、地位や階級というものは、親から受け継がれるものではなく、自らがつかみ取るものだったからだ。
ゆえに、族長というものも、その一族で一番力や知恵を持っている者がなるのであり、血筋で譲られるようなものではない。
ただし、英才教育を施せる環境があり、子供にもその才に恵まれるという場合は、子供が跡を継ぐということも無くはない。
教育につぎ込む財力があってこそ、子も育つという部分はある。
才覚だけでは得られぬものを、如何に親が与えられるかということである。
魔界のような実力社会でも、能力の高い一族が常に指導者の地位にある場合は、形式として貴族を名乗る場合がある。
これは人間の貴族とは扱いが異なり、いつでも下剋上が行われる可能性がある、弱い者が淘汰される地位である。
だからといって、人間が生活できないかというとそうでもない。
魔族の支配下にありながら、労働力として生活する分には、下手な人間の領主よりも生物としては豊かな生活を送れるようになっていた。
また、能力主義、実力主義であるから、働けば働いた分その報酬は多くなるし、他よりも優れたもの、例えば品種改良で作物の生産量が倍となったような成果を上げた者には、より働ける場を与えられたりもする。
そのため、人でありながら、率先して魔族に仕えるという者も出てくる。
逆に、今まで地位にあぐらをかいていた者たちにしてみれば、魔族の支配は死ぬより厳しものであった。
それまで子孫を残す以外に何一つ生産性のある行いをしてこなかった者たちにしてみれば、なにかを創る、生み出すということは、下々の行う事であり、自分たちが何かをすることすら及びもつかないことであった。
そのような輩が、ザリュートの王宮には溢れかえっていた。
それまでの地位や勲章、所領などがすべて魔族侵攻前のもののままであれば、国が一つでも二つでも支配できたかもしれない、そんな貴族が数多集っていた。
さながら、上流貴族の見本市のような状況である。
それでも、今の王宮は、伯爵や侯爵といった貴族でさえ、座る椅子一つにも事欠く有り様で、さらにはその場の空気は、屠殺場の如く、重いものとなっていた。
「魔皇軍に降れば、領地を安堵されるという話もあるが」
「それはあちらからの声掛けではなく、こちらから出向くという話だぞ」
「だがそれで領地が無事だという保証は無いし、領土がそのままという奴を見たことがない。それはどこまで本当なのか」
貴族たちの中にはいかに自分を高値で売るか、そんなことまで考える輩が出てくるほど、士気は下がり、秩序は乱れていた。
「ほら、例の男爵。先日、そちらの部屋で首をくくられたとか……」
「あなおそろしや、おそろしや……」
中には、世をはかなんで自ら命を絶つ者も出る始末である。
「王はいずこにおわす!」
その中で、大声を張り上げる、まだ活気が残っている男の方が、異様であった。
「いずこなりや!」
「これはこれは、タキュール卿。陛下は、玉座の間にいらっしゃいます」
「そうか! では、まかり通る!」
男は、サムザ・タキュール伯爵。
ザール・ベルンの南方に位置する領土を持つ貴族で、武辺者として名をはせている。今では、ザール・ベルンにとって数少ない武闘派の貴族だ。
サムザが玉座の間へ無遠慮にずかずかと入る。
「陛下、タキュール伯サムザ、ここに!」
玉座の間だというのに、サムザはことさら大声で言う。
「おお、サムザか。近う、近う」
ザール・ベルン国王、ゲシュタールが迎える。
普段であれば、サムザのこのような横柄な態度は好ましくないところではあるが、先の戦いで戦力としてはほぼ失われたザール・ベルンにとって、起死回生の一手となりうる武力を持つサムザが、頼もしく思えたのだろう。
「サムザ、よう来てくれた」
「いえ、遅くなりまして、申し訳ない。オレがいれば、こんな魔族なぞ蹴散らしてくれようものを」
「よい。アーナリアやエーグレフなどの南方の国家群が、この機を逃さずと攻めてきたのを一蹴したそなたの功績、普段であれば褒美の一つでも与えてやれるのだが」
「勿体なきお言葉。しかしまぁ、なんですな。国都とはいえこの雰囲気はどうされた」
サムザの問いに、ゲシュタール王がため息を漏らす。
「魔皇軍がついに王都ザリュートまで攻めてきたのはそちも知っておろう」
「そりゃまぁ、入城する時に対峙しましたのでね。今は北の平野部に陣取っている様子でしたが」
サムザがぎらついた眼を国王に向ける。
「今出陣して、追い返してやりましょうかい?」
「よせ、敵の力は予想以上。口惜しいが、将のアダルベルトは用兵に優れた魔族であることは認めざるを得まい。我が将兵たちも、ことごとく討ち果たされた。だが、攻城戦には不向きのようでな、こうして籠城しているのはそのためよ」
「死者を悪し様に言うのは好きではないが、我が国でオレに勝る武将はおるまい。陛下もそれはご存知でしょう?
それに、援軍を見込めない籠城は、ただ死の瞬間を伸ばすだけ。ここは打って出て、敵の力を見てきましょう」
「う、うむ、期待しておるぞ」
サムザが退出すると、国王はまた大きなため息を一つ吐き出した。
森の中の天幕。
魔皇軍本隊とは少し場所を置いて設営しているところだ。
「アガダラ様、スラーヌ入ります」
「おお、どうだ、ザリュートの様子は」
アガダラは黒のマントをたなびかせ、整った顔立ちを天幕に入ってきた美女へ向ける。
絶世の美女と言っても誰も否定しないであろうその美女は、サキュバスのスラーヌと言った。
魔皇軍第6司令、アガダラ・オダトース・キリメンツの部下である。
「ご命令通り、アーナリアの軍は将軍以下主だった者は疲労困憊で、ザールのサムザに太刀打ちできず、自国へ退却しました」
スラーヌは、指の背を、妖艶なしぐさでぺろりと舐める。
かしずく姿は胸元が大きくはだけ、異性の視線をその胸元にとどめる程の豊満な胸と、くびれた腰。全てにおいてふっくらとした柔肌は、触れる者を魅了し、容易く骨抜きにするだけの魅力がある。
美貌だけではなく、その姿、仕草にも性的な興奮をいざなう効果があるように思えた。
夢魔は、異性と性的接触を行い、その精力を奪う。
指揮官や兵士には、その土地の町娘や商人の娘、旅芸人などに身をやつし、その寝所に潜り込む。
その中で、恍惚状態にさせ、深層意識に語り掛けるのである。
古今東西、男という生き物は、惚れた女のいう事を聞いてしまうことが多いものである。
それが一夜限りの情事であっても、それに魔力の効果が上乗せされれば、夢魔の言いなりとなる。
アガダラは、魔皇軍侵攻の折、ザール属領のメクレスを第1軍が攻めている時には、援軍として参戦した宗主国のザール・ベルンの軍を仲違いさせ、ザール・ベルンの国内で反戦派を煽り、メクレス滅亡後にはアーナリアやエーグレフといった周辺国家をけしかけ、戦力を分散させていた。
「よくやってくれた、スラーヌ。その肌の張り具合からして、随分と働いてくれたようだな」
「ええ、とっても。夜と闇のメーディス神も、さぞやお喜びかと」
スラーヌの舌が、ちろりと動く。
スラーヌとその眷属は、十分にその役割を果たしてくれたが、スラーヌたちにしても役得の多い仕事であったので、苦ではなかった。
「アガダラ様、ディグラナータ殿がお着きです」
入り口の夢魔が、アガダラに訪問者がいることを告げる。
「よい、通せ」
返事を返すや否や、ドラゴニュートが天幕に入ってくる。
「アガダラ様ー、ドラグロス大陸で偵察中に、変な奴らを見かけたんですけどー!」
第6軍は、諜報活動を主とした舞台であり、敵軍の攪乱や偵察を得意とする。
各大陸にも配下の者を送り込んでおり、逐次情報を得られるようにしていたのだ。
「変な奴ら、とはな」
「でね、アガダラ様。魔皇様って、今どちらにいらっしゃるんですか?」
思いもよらぬ質問に、アガダラは一瞬怪訝な顔をする。
「どこといっても、魔界のウィノントの城に決まっている」
「ほんとに~?」
「何が言いたい」
ディグラナータが要領を得ない事に、アガダラは少々苛立ちを覚える。
「このところ、お顔を見た方はいらっしゃるんで?」
「それはおるわ。私とて、ついこの間、そうだな、10年か、8年くらい前だったか、ご尊顔を拝し奉る栄に浴すことができたが」
「そうですかー。だったら、他人の空似、ですかねー」
「どういうことだ」
「魔皇様を、ドラグロスで見かけたんですよ。メーディス神の赤い舌にかけて。確かにこの目で」
ディグラナータの一言に、アガダラが目を丸くする。
「なん、だと……」
それ以上、アガダラは言葉を出せなかった。
「魔皇様に似た人間、というべきかな? そっくりだったな~」
ディグラナータの独白は、アガダラの耳に入ってこなかった。
次回、アインツたちが新しい村を作っていくお話です。




