01.婚約の終わりとはじまり。あるいは始まりの始まり。
『アデラ・リウォード。お前みたいな地味な女は、俺にふさわしくない。婚約は破棄する』
幼い頃からの婚約者が、突然我が家にやってきて、そう、宣言したのはつい先日のこと。特に政略的な目的などもなく、領地も隣接しているわけではない。単に、両親たちが親しく、という理由だけで結ばれたものだった。
婚約者のことを愛していたわけではない。この人と結婚して子供を産んで、生涯添い遂げる、ということを具体的に想像することもできないような人ではあった。それでも、学園を卒業したら彼と結婚するのだろうな、とはぼんやりと思って――諦めていた。
そんな折の、突然の婚約破棄宣言。もっとも、こちらに瑕疵はなく、わたくしに責はない。そのため、婚約者本人は知らぬうちに、破棄ではなく、解消でもなく、白紙撤回、となったのだ。
「いいのか? アデラ。向こう有責で破棄することもできるのだぞ」
「構いません。そもそも、あの方と婚約していたという事実を無くしたいんです」
お父様に問われ、静かに答える。
確かに、破棄と白紙撤回ではその意味が異なる。相手にダメージを与える目的であれば破棄とすべきであるが、公的に「過去も未来も関わりはない」とするためには白紙撤回一択である。
それに、仮にも両親たちの友情がきっかけで結ばれた婚約だ。あちらを有責にすることで、関係にヒビを入れるのは本意ではない。
当家は子爵家、相手は伯爵家ではあるが、歴史は我が家の方が古く、更に宮廷においてもより重要な地位にいるのは我が家であった。
今よりも貴族の力が強かった昔ならば、爵位の関係でこちらからは白紙撤回を申し出るのは難しかったかもしれない。あるいは、もう少し未来であっても難しかっただろう。最近、また少しずつ地方に目を向けられているので。
しかし、現在の我が国において、最重要視されるのは宮廷での役職である。どれだけ爵位が上であろうと、王家が重視する家門が強く出られる世の中なのだ。
婚約者はどうもその辺りのことを理解していなかったようだが、それが現実だ。そのため、向こうも変なわだかまりを残したくはない、ということでわたくしの願いは聞き入れられた。
我が国では、貴族の婚約、婚姻はすべて王の承認が必要となる。国王陛下が「婚約した事実はなかった」ということを認めた以上、誰もそれに異議を唱えることなどできない、はずなのだが。
「リウォード子爵令嬢は、地味だからと婚約を破棄されたのですって」
「まぁ、そのようなことを言われてしまっては、私なら恥ずかしくて到底、表には出てこれませんわ」
もしかしたら、同年代の貴族子女達は少し、理解力が乏しい人たちが多いのかもしれない。
くすくす、とこちらを見て嘲笑する声が聞こえる。ちらり、とそちらに視線を向ければすぐに視線を逸らす癖に、それでも笑い声は止まらない。
せめて、直接話しかけてくれば「婚約などしておりません」と返せるのだが、こちらから話しかけに行くほど、親しい間柄ではない。
彼女たちが何を考えているのか。全くわからないわけではないが、全く理解はできない。
婚約者に棄てられた女としてわたくしの価値を下げ、相対的に自分の価値を上げようとしているのだろう。学園という、狭い世界でしか自分たちを評価できない、実に浅はかな言動である。
もっとも、わたくしは自身の口から婚約のことなどを話したことはないので、それが既に学園内に広まっているということは、自らの恥を広めている愚か者がいる、ということなのだが。
思えば、同級生たちがこのように浅はかな動きを見せ始めたのは、一人の女子生徒が編入してきたのがきっかけだったように思う。
エメ・イディオータ伯爵令嬢。伯爵の庶子だというのに、あまりにも貴族らしからぬ言動を取る彼女は近頃、第一王子殿下といる姿が散見されている。
第一王子殿下は、王妹であられるクロフォード公爵夫人を母に持つ、クロフォード公爵令嬢と婚約している。お二人の仲は決して悪くはないはずなのだが、イディオータ嬢の存在によりその関係に変化が生じ始めているようだ。
国王陛下が異母妹の公爵夫人を溺愛されているのは、有名な話である。そのため、クロフォード公爵令嬢を婚約者に持つカイル殿下が、立太子されるのも時間の問題かと言われていたのだが。
「どうやら、アシル第二王子殿下が立太子されそうな気配ですね」
「そうだな。我が家は中立を保ってはいるが、各派閥の動きには注視しておく必要があるだろう」
我が国の貴族たちの多くは、第一王子派と第二王子派に分かれ、日夜牽制しあっている。
リウォード家は中立ではあるものの、他の貴族たちの動向は常に把握している必要がある。
「アデラ、学内での王子殿下方はどのようなご様子なんだ?」
「噂通りですよ。カイル殿下はイディオータ嬢と親しくされ、アシル殿下は静観されています」
「父上、陛下はなんと?」
「陛下もいまはまだ静観されているが、陛下にとって重要なのはクロフォード嬢が王妃になられることだからな。アシル殿下がいる以上、いつカイル殿下が見限られるかわからん」
なんていう話を家族としたのは、つい最近のことだったのだが、ついに、決定的な出来事が起こってしまった。まさかの公衆の面前で、カイル殿下が婚約破棄を言い出された。理由はもちろん、イディオータ嬢だ。
結果、あっという間にクロフォード嬢はカイル殿下からアシル殿下の婚約者となり、アシル殿下がもう間もなく立太子されることが発表された。
概ね予想通りの展開ではあったが、ただ一つ、全く想像していなかったことが起きたのは、カイル殿下のやらかしから一週間ほど過ぎた頃だった。
全く接点のなかったクロフォード公爵令嬢から、手紙が届いたのだ。お互いに面識はあっても親しいとは決して言えない相手、それも未来の王妃からの手紙に戦々恐々したのだが、婚約者のいない子爵令嬢であるわたくしにとっては、繋いでおいて損はない縁である。今後、女官の道を進むことも視野に入れていたわたくしは、一度ゆっくりお話しましょう、という招待に、即座に「喜んで」と返事をした。
「……わたくしとカイル殿下、でございますか?」
「えぇ。一度、じっくり考えてもらいたいのだけれども、どうかしら」
そうして、招かれたクロフォード邸で、まさかの縁談を持ち込まれたのである。それも、相手はクロフォード公爵令嬢の元婚約者である、カイル殿下、との。
カイル殿下は、学園を卒業後に臣籍降下なされ、男爵位を授かる予定と聞いている。例え王家の血を引いていようとも、男爵位であれば、確かに子爵の娘であるわたくしが嫁ぐ相手として、なんの問題もない。
問題はない、のだが。
「……なぜ、わたくしへ?」
それだけが、不思議だった。
わたくしは、突出した才能を持っているわけでも、目を見張るような美貌を持っているわけでもない。
自覚するほどに感情の起伏はほとんどなく、生真面目で面白みのない女、と言われる言われることはあれど、王家の血を引く方に相応しい人間では、決してない。
「もちろん、貴女を評価しているからよ。いずれは王太子妃、王妃となったわたくしの側近に、とも考えていたのだけれども。わたくしの側近よりも、男爵夫人となった方が貴女は活躍できると判断しました。殿下は今後、意識を改められ、甘い言葉だけではなく、厳しいことも耳に入れるでしょう。共に領地を発展させ、支え合える夫人を探しています」
わたくしのような下位貴族の娘がクロフォード公爵令嬢に認知されていただけではなく、評価までしてくださっていたということに驚く。
わたくしはそれほど自身の能力を過信していない。しかし、こうしていずれ王妃へとなられる方が評価してくださっていたという事実は、とても嬉しく思う。
そして、提案された内容を再度考える。
この度、カイル殿下は致命的なミスを犯した。それが原因で殿下は王太子候補から一転、爵位としては最も下位にあたる男爵位を賜ることになった。
しかし、殿下に下賜される予定となっている土地は、非常に豊かな土地だ。広くはないため国一番の穀倉庫となることはないが、その収穫量は決して無視できるものではない。何かあれば、決定打とはならずとも、必ず国民に影響を及ぼす。
つまり、殿下は国政から離れることになるが、豊かであり、緊急時に国から簡単に見捨てられることのない要地を与えられた、ということだ。
これはすなわち、王家は殿下を見捨てていない、と考えられる。
国王陛下は二人のお妃とも絶妙な距離感を保たれており、お二人の王子殿下のどちらかに肩入れすることもなかった。しかし、陛下は陛下なりに、殿下を愛しておられたのだろう。それがよく分かる。
カイル殿下は、良くいえば素直、悪く言えば単純な方だ。物事を深く捉えず、耳障りのよい言葉のみを受け入れる。
その性格が顕著に現れたのが、今回の事件の原因だ。
しかし、その素直さはまだ致命的ではない。クロフォード令嬢が「意識を改められ」と発言された以上、おそらく今後は苦言もまた、素直に受け入れる素養があるということだろう。
嫁き遅れとして王宮で文官になるしかないかと思っていたが、突如目の前に現れた別の道に戸惑うものの、それを魅力的とも考えている自分がいる。
もともと、全く愛情を抱けない相手と結婚するつもりだったことを考えると、殿下を拒む理由はない。それに、おそらくだが、跡取りでもない子爵の娘がこれ以上の縁談を望めるとは思えない。
「カイル殿下がわたくしを望むというのであれば、わたくしに否やはございません」
「ありがとう、きっと、貴女ならばそう言ってくれると思っていたわ。でも相性は大事だから、正式に婚約を結ぶ前に、対面の機会を設けましょう」
そうして、カイル殿下との見合いの席が設けられることとなった。




