紫
駅前のテラスに一人座っていた。手のひらにぽつりぽつりと雨粒が落ちてくる。突然の夕立ちに濡れてしまうあてな。
駅前を歩く人たちはみんな幸せそう。テラスに項垂れながら、雨に打たれている。
「ねえ、君大丈夫?」
誰? あてなが顔を上げると、その子は心配そうにあてなを見ていた。
「……うん。」
「うん。じゃないでしょ。あっあなたさっきぶつかった子じゃん。よかった。また会えたね。」
「えっ」
紫の前髪からふわっといい匂いがした。
「ほら。風邪ひくよ。」
女の子は濡れたあてなの顔をハンカチで優しく拭いてくれた。
「傘」
その子が傘を差すと雨の音がやけに反射して聞こえた。空はさっきまでとは違い黒い靄がかかってるみたい。
◇
「ここ、いいでしょ」
あてなが連れてこられたのは、見たこともないおしゃれな店だ。那由多川にかかる三途橋を渡った先にある小さな店。
繁華街にある川沿いの店らしい。あてなたちのほかにも、若い男女がいっぱいいる。薄暗くてカウンターだけがオレンジ色に照らされている。少し怖い感じの店だった。
「怖い?大丈夫よ。そうだ、名前教えてよ。私は舞!」
舞の綺麗な手があてなの手を握る。
「あっあてな」
料理が運ばれてきた。魚の酒蒸しに、ドロドロした紫色の液体が入ったグラス。
「心配しないの。私の奢りだから」
「グー」
お腹が鳴ってしまう。舞は手を叩いて笑う。
「あてな面白い!私好きだよ。そう言う子」
うう。こんな時に。みんなとの大切な時間を抜け出して、自分だけ食べるなんて。
「さあさあ、あてな。私からのプレゼントよ。一気に行きましょー」
あてなはなかなか手をつけられない。舞はそれを見て、あてなの顔を覗き込む。
「大丈夫?悩んでるよね。私でよかったら聞くよ。」
「グスッ……無理だよう」
涙が勝手に溢れる。なんで。なんで。その時あてなは柔らかいものに包まれた。あったかい。舞が思いっきり抱きしめてくれた。
「大丈夫……。私の鼓動だけ……聴いて」
トクン。トクン。舞の心臓の鼓動が柔らかい音を立ててあてなの鼓動と重なる。あったかい。
「まずは、腹ごしらえね。さあお姫様、あーん」
口の中にドロっとした液体が流れた。舞の手からあてなの口に流し込まれたのは紫色の液体で、それはあてなの喉に引っかかった。
「さあグッといこー」
舞の掛け声に合わせて飲み込んだ。味は、じゃがいもをすりつぶしてペースト状にしたみたい。
「うっ」
舞の手が二重に見える。何……これ?頭の中をお店の電球がぐるぐる回って、まるでUFOみたい。
舞は、笑っていた。あてなの意識は、ぼんやりしてだんだんイメージが入ってきた。周りには、森林が見える。大きな湖に、巨大な魚が泳ぐのが見えた。
「何、今の。」
舞が優しく触れた。あてなのデバイスには、紫色のカードが差し込まれていた。
「あてな。辛いものが見えたら、このカードをスキャンするの」
舞は、あてなの手を握り、時々微笑みを浮かべながらカードの使い方を教えてくれた。
結局あてなが家に着いたのは夜になってからだった。雨はあのあと止んだみたいだった。
携帯に舞の番号を登録した。その日からあの変な現象に悩まされることがなくなった。
メイちゃんとは、学校で会うときに少しだけ気まずい。だってあのとき黙って帰っちゃったから。
更に数日後あてなは、鏡の前に立ってみた。
鏡は水面みたいに歪み、もう一人のあてなと、軍服の女、ワンピースの少女を映していた。まだ見えちゃう。教えてもらった通りに紫色のカードをデバイスにセットすると、鏡の輪郭がだんだんはっきりしてきた。
いつのまにか、鏡にはあてなだけが映っていた。これすごい。あてなは、ベッドにダイブした。カードは、いつでも取り出せるように財布に入れておいた。
それからしばらく経つと、カードを使う頻度は、ますます増えていく。
使ったばかりの頃は、すぐに効果が出たのに。今では、なかなか幻が消えてくれない。
あてなはイライラしながら、デバイスにセットする。
「舞ちゃん?またチャージ願い……」
学校、家、下校途中もカードがないと安心できない。最近じゃあ授業中もぼうっとしてくるし、アストラルってなんなの?
メイちゃんや、さくら部長にもなかなか会えない。だってメイちゃんもさくら部長も夏先輩も優しいし、鋭いから。今の自分のことが怖いよ。逃げなきゃ。
◇
あてなの調子がおかしい。学校で会った時もなかなか目を合わせないし、授業中も上の空だ。紫耀メイは部室にいた。部室にはさくら部長、相沢先輩も来ている。そしてあてなはいない。あの日から……。あの日あの子に何があったの?
「心配で。」
先輩達は、メイの話を聞いてくれた。そもそも、こうやって仲間に打ち明けられるようになったのもあてながいたからだ。
「そうね。私たちからも話してみる。」
「ああ、まかせろ。」
力強い相沢先輩の言葉に落ち着く。
メイは、その日の朝の出来事を思い出していた。
「あ……あてな」
メイが話しかけると、あてなはギョッとしたように肩を震わせた。
「あっメイちゃん」
あてなはポーチを素早くバッグにしまい込んだように見えた。
「大丈夫?」
「……何が?私大丈夫だよ」
「そう」
気まずい沈黙が流れる。いつからなのかな。
そんなことを思い出しながら、部室を後にした。
下校途中の商店街で、あてならしき人影を見た。あの子。メイは忍び足で後をつけた。
あてなは商店街から夢北の繁華街の方へ歩いていく。途中で、バスに乗ってしまったから追跡を諦めた。
あてながさっきまでいた場所に何かが落ちている。これは?紫色の粉末がバス停のベンチにまぶされていた。
なんなのかしら?夢ヶ丘は、夏の終わりを告げていた。最近まで聞こえていた蝉の声もいつのまにか聞こえない。
メイは、諦めて帰ることにした。その時、誰もいないはずの路地裏で、何かが飛び出す音がした。
「誰?」
メイは、アイアンホークを取り出す。
「にゃー」
「なんだ。にゃー助」
安心した。にゃー助は、メイを見つけると近づいてくる。頭を撫でる。ミルクの匂いがした。
そういえば猫苦手だったんだ。こんな風に部活の仲間や、にゃー助と触れ合えるのだってあてなのおかげ。だからなんとかしたい。
あの子が苦しむのは嫌。
「へえ,随分好きなのね。」
バス停のベンチから見える、商店街の店と店の間にある通路。そこにその女はいた。
今時ゴシックロリータ?素敵な趣味ね。メイはハンドガンを構えられるように、実体化させた。
「私猫嫌いなんだよね。鬱陶しくない?」
その女はそう言いながら、ナイフを実体化させる。紫色のホログラムに、赤い血の様な液体を思わせる模様が毒々しい。
その女は、ほぼ足を動かさずに滑る様ににゃー助に近づく。
「やめて」
メイは、思わず飛び出していた。にゃー助を抱きしめたメイの背中に、あの紫色のナイフが突き刺さった。ホログラムだから体に害はないはず。しかも試合でもないし……。
「うっ」
痛い。なにこれ、焼けるみたいな。ダメ、体が裂ける。メイは肉体が裂けるような痛みを感じた。熱い。体が熱い……。凄まじく、ケミカルな虹色のフィルターで景色が遮られた。あの女だ。あいつが……。にゃー助、逃げて。
メイの意識はだんだん薄くなり、瞼がゆっくり閉じていく。




