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王太子セドリックを追い返してからというもの、アッカディア領の空気は一変した。
「王家に楯突いた」という事実は、本来なら震えて眠るべき事態のはずだ。だが、俺たちの領民は違った。彼らは、自分たちの大切な『聖女』を守り抜いた領主レノスを英雄視し、ますますその結束を強めていた。
「レノス様、東の採掘場から第一陣の精錬が終わりましたよ!」
バルトの声が、活気づく領主館の廊下に響く。
運び込まれたのは、リリアーヌの魔法によって発見された純度九十九パーセント以上の精霊砂だ。それはただの金色の塊ではなく、内側から青白い燐光を放つ、魔法の結晶体そのものだった。
「見事だな。これだけの質なら、隣国の自由都市だけじゃない。西の大国『ゼムノス聖王国』の商人も黙ってはいないだろう」
「ええ。ですが、あまりに目立ちすぎます。王太子が手を引いたとはいえ、今度は商会や他の貴族たちが、蜜に群がる蟻のように押し寄せてくるでしょう」
バルトの懸念はもっともだった。
富は人を呼ぶが、同時に毒も呼ぶ。アッカディアをただの「略奪の対象」にさせないためには、対等に渡り合えるだけの『盾』と『看板』が必要だった。
「……だからこそ、あれをやる。リリアーヌ」
俺が名を呼ぶと、背後の執務机で複雑な領地経営の数式を整理していたリリアーヌが、顔を上げた。
「はい、レノス様。……例の『お披露目会』ですね?」
「ああ。君をただの居候や侍女としてではなく、このアッカディアの共同経営者――いや、俺の唯一無二のパートナーとして、各国に宣言する」
リリアーヌは頬を微かに染めながらも、力強く頷いた。
彼女はもう、自分の才能を隠す必要はないと理解していた。俺が彼女を守り、彼女が俺を支える。その円環こそが、この領地の最強の武器なのだから。
────
一週間後。
アッカディア領主館の広間は、これまでにない輝きに満ちていた。
招かれたのは、王都の貴族たちではない。アッカディアと地理的に近く、王家との距離を置いている近隣の独立領主たちや、大陸全土に影響力を持つ商会の特使などだ。
彼らの目的は、噂に聞く「奇跡の領地」の正体を確かめること。
そして、その奇跡の源泉であると言われる「追放令嬢」の真偽を確かめることだった。
「アッカディア卿。素晴らしい歓迎だが……正直に言わせてもらおう」
商会の支部長、肥満体の商人が、疑り深い目で俺を見た。
「あんな死んだ土地が、たった数ヶ月で精霊砂を産出し、あまつさえ豊かな緑を取り戻すなど、神の奇跡なしでは考えられん。何か強力な禁術か、禁じられたドワーフのアーティファクトを使っているのではないか?」
会場には同意の囁きが広がる。
彼らにとって、リリアーヌという概念は、あまりにも未知すぎたのだ。
「禁術などではありません。……ただ、これまでの魔導理論が『非効率』だっただけですよ」
俺はそう言って、広間の入り口へと視線を送った。
「ご紹介しましょう。アッカディアの至宝、リリアーヌ・エルシュタインです」
広間の扉が開いた瞬間、会場の空気が物理的に「止まった」。
そこには、これまでに誰も見たことがないようなドレスを纏ったリリアーヌが立っていた。
俺の指示で、採掘されたばかりの最高級精鋭を換金し、極細の糸に引き伸ばし、リリアーヌ自らがマナの流れを最適化して織り上げた『銀糸の魔導ドレス』。
月の光をそのまま布にしたようなその衣装は、彼女が歩くたびに七色の虹を振り撒き、広間のマナそのものを整律していく。
「……あ、ああ……。何という美しさだ……」
誰かが溜息をつくように漏らした。
リリアーヌは、かつての怯えていた令嬢ではない。
堂々と胸を張り、俺の隣まで歩み寄る。その一歩一歩が、広間の空気を浄化していくのが、魔力に疎い商人にさえ伝わった。
「皆様、アッカディアへようこそ。私はリリアーヌ。……この地のマナを、あるべき姿へ整える役割を担っております」
彼女が微笑むと、広間の照明用魔導具の輝きが一層増した。
彼女の存在そのものが、周囲の魔法効率を引き上げているのだ。
「アッカディア卿。……これは、ただの令嬢ではないな」
先程の商人が、顔から汗を流しながら震える声で言った。
「彼女自身が、歩く『聖域』ではないか。このドレスの構造、そして彼女が放つ波導……これがあれば、我が商会の輸送路も、加工場も、すべてが何倍もの利益を生む……!」
「ええ。そして、その『利益』を享受できるのは、我々と正当な契約を結んだ友人のみです」
俺はリリアーヌの手をとり、参列者たちを見渡した。
「王都は、彼女を無能と呼び、捨てた。……だが、私は彼女の価値を知っている。彼女の指先一つで、荒野は楽園に変わり、岩塊は銀に変わる。我々は、この力を独占するつもりはない。……ただし、彼女を傷つけ、あるいは奪おうとする者には、アッカディアのすべての富と魔力をもって抗うことを誓おう」
それは、事実上の「王都への宣戦布告」であり、同時に「新たな経済圏の確立」の宣言だ。
参列していた者たちは、顔を見合わせた後、次々と俺たちの前に跪いた。
彼らは理解したのだ。王都という旧弊な権力よりも、目の前の「最適化された未来」の方が、遥かに価値があるということを。
────
披露宴が終わり、夜風が吹き抜けるテラス。
二人きりになった俺とリリアーヌは、遠くで光る領下町の灯りを眺めていた。
「……お疲れ様、リリアーヌ。最高の舞台だったよ」
「レノス様……。私、あんなにたくさんの人に認められたの、生まれて初めてです。……震えが、まだ止まらなくて」
彼女の銀のドレスが、月光に照らされて美しく波打つ。
俺は彼女の震える肩を抱き寄せた。
「みんな、君の美しさと才能に圧倒されていたよ。……少し、独占欲が疼いたけどな。本当なら、このドレス姿の君を、俺以外の誰にも見せたくなかった」
「ふふ……。レノス様は、時々とても独占欲が強くなりますね」
リリアーヌが、俺の胸に頭を預けてくる。
ミスリル糸の冷たい感触と、その奥にある彼女の温かい鼓動。
「当然だろう。……リリアーヌ、君がくれたこのドレス、そして君が整えてくれたこの領地。俺はこれを守り抜く。君を捨てた連中が、どれだけ後悔しようとも、もう二度と君の指一本触れさせない」
「はい。……レノス様。私、このドレスを織っている時に気づいたんです。……私の力は、ただ効率を上げるだけじゃない。……想いを、形にする力なんだって」
彼女は俺を見上げた。アメジストの瞳には、愛しさと決意が混ざり合っている。
「あなたが私を愛してくださるから、私の力はこんなにも輝ける。……あなたが私を必要としてくださるから、この地は豊かになれる。……だから、レノス様。私のすべてを、これからもあなたの好きなように使ってください」
「ああ、そうさせてもらうよ。……生涯、離さないからな」
俺は彼女の顎を指先ですくい上げ、再び誓いの口づけを交わした。
銀のドレスが奏でる微かな金属音が、夜の静寂に溶けていく。
アッカディアは、もう「辺境の貧乏領地」ではない。
各国の商人が、領主たちが、そしていずれは国王さえもが、この地の『聖女』を仰ぎ見るようになるだろう。
だが、どれほど世界が変わろうとも、彼女の隣に立つのは俺だけだ。
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翌朝。
俺の机には、昨夜の披露宴に参加した者たちからの「同盟の誓約書」が、山のように積まれていた。
そしてその一番下には、一通の奇妙な手紙が紛れ込んでいた。
差出人の名は――『ゼムノス聖王国、第一王女』
「……また、面倒なことにならなきゃいいんだがな」
俺は苦笑いしながら、隣で眠る愛しい婚約者の寝顔を眺めた。




