第2話 肉壁と呼ばれた男
城塞都市の訓練場は、朝から騒がしかった。
鋼の鎧がぶつかる音、木剣が打ち合う乾いた音、魔法が地面へ着弾する爆音、それに見物人の野次や笑い声が混ざり合い、少し離れた通りまで響いている。
新大陸〈カイザーランド〉へ来てから数日。
レオン・クロウとモモは、まだまともな討伐依頼を受けられていなかった。
理由は単純だ。
俺たちはC級だから。
この土地では、C級だけで組んだパーティーは討伐依頼そのものを受けられない。危険区域への立ち入りも禁止され、ギルドから紹介されるのは荷運びや倉庫整理といった雑用ばかりだった。
だからといって、俺は焦っていなかった。
討伐依頼が受けられないなら、今は別のことをすればいい。
俺が新大陸で最初にやると決めたのは、この土地で「役に立たない」と言われているC級スキルと、C級冒険者を見ることだった。
そんな中で、俺は訓練場の中央に立つ一人の男へ目を留めた。
「……でかいですね」
隣にいたモモが見上げるように呟く。
「ああ」
男は、周囲の冒険者より頭一つどころか二つ近く大きかった。
全身を分厚い鋼鉄の鎧で包み、左手には城門をそのまま切り取ったような巨大な盾を持っている。普通の人間なら両手でも持てそうにない大盾を片腕で支え、訓練場の中央に黙って立っていた。
名は、デブリ。
職業はアーマーナイト。
見た目だけなら、高ランクの重装騎士にしか見えない。
しかし、周囲から聞こえてくる声はまるで違っていた。
「次、肉壁の番だぞ」
誰かが笑う。
別の冒険者も続ける。
「どうせまた立ってるだけだろ」
「攻撃できねえからな」
「置物と模擬戦して何が面白いんだよ」
デブリは何も言い返さなかった。
ただ、訓練用の槍を構えた男と向かい合う。
審判役が二人の間へ立ち、片手を上げた。
「模擬戦開始!」
槍使いが一気に踏み込む。
「いくぞ、肉壁!」
鋭い突きがデブリの胸元へ向かった。
その瞬間。
デブリの身体を淡い光が包んだ。
【C級《守る》】
ガァンッ!
槍の穂先が胸部装甲へぶつかり、大きな金属音が響く。
俺は思わず目を細めた。
デブリは一歩も動いていなかった。
「……止めた」
モモも気づいたらしい。
「結構強い攻撃でしたよね?」
「ああ」
槍使いも少し驚いた顔をしている。
それでも、すぐにもう一度突きを放つ。
一発。
二発。
三発。
胸。
肩。
脇腹。
狙いを変えながら連続して攻撃する。
そのたびに金属音が響く。
だが。
デブリは動かない。
完全に無傷というわけではない。
盾の位置を変え。
身体の角度をわずかに調整し。
攻撃の方向に合わせて足の置き方を変えている。
「……あれ」
俺は思わず呟いた。
モモがこちらを見る。
「どうしました?」
「あいつ、ただ立ってるわけじゃない」
槍が肩へ来る。
デブリはほんの少し上半身を傾け、衝撃を胸ではなく肩から背中へ流す。
次は腹部。
今度は盾を少し前へ出し、槍先の角度をずらした。
派手な動きは何もない。
攻撃もしない。
だから。
見ている側には「何もしていない」ように見える。
でも。
違う。
あいつは攻撃を見ている。
相手がどこを狙うか。
どれだけ力を込めているか。
どちらへ抜けるか。
全部確認しながら。
最も壊れにくい形を選び続けている。
「変ですね」
モモが言った。
「何が?」
「みんな笑ってますけど……全然倒れませんよ」
俺も同じことを考えていた。
◇
槍使いが焦れ始めた。
「いい加減、反撃しろよ!」
デブリは答えない。
「攻撃できねえなら模擬戦にならねえだろ!」
槍を大きく引く。
今までより明らかに強い突き。
「これならどうだ!」
槍が一直線にデブリの胸へ向かう。
デブリは避けなかった。
《守る》。
盾を半歩だけ内側へ入れ。
足を地面へ深く踏み込む。
ガァァンッ!
今までで一番大きな音が響いた。
槍使いの身体が逆に大きく揺れる。
デブリは。
やはり倒れなかった。
「……くそっ」
槍使いが距離を取る。
審判が時間を確認した。
「そこまで!」
模擬戦終了。
周囲から拍手は起きなかった。
どちらも倒れていない。
明確な勝者もいない。
観客にとっては、一番つまらない結果なのだろう。
「はいはい、次」
「結局何もしてねえじゃん」
「攻撃できない盾役って、使い道あるのか?」
「時間の無駄だろ」
笑い声が広がる。
俺は、少しだけ眉を寄せた。
模擬戦で相手を倒せなかった。
それは事実だ。
でも。
相手もデブリを倒せなかった。
なぜ。
そっちは評価されない?
◇
休憩時間になると、デブリは訓練場の端へ移動した。
そこへ同じパーティーらしい冒険者が三人近づいていく。
剣士。
弓使い。
魔法使い。
全員がB級だった。
俺とモモは少し離れた場所にいたが、会話は十分聞こえた。
「デブリ」
剣士が苛立った声を出す。
「悪いけど、今日で抜けてもらう」
デブリは驚かなかった。
「そうか」
「そうか、じゃねえよ」
剣士は頭をかく。
「お前が前に立てば確かに攻撃は受けてくれる。でも、それだけなんだよ。カウンターもしない。敵を倒せない。ヘイトを取る上位スキルもない」
弓使いも頷く。
「今の評価方式じゃ、討伐貢献ほとんどゼロ扱いだしな」
魔法使いが続ける。
「もっと強い盾役を入れれば、守りながら攻撃もできる。B級とか《シールドバッシュ》持ちなら、前衛枠一つで二つ仕事できるから」
正論だった。
効率だけを見れば。
正しい。
デブリは反論しなかった。
「分かった」
「……悪いな」
「仕方ない」
「次のパーティー、見つかるといいな」
三人はそれ以上何も言わず、離れていった。
デブリは一人残った。
巨大な盾を横へ置き、兜を外す。
思っていたより穏やかな顔だった。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
大きな身体に似合わず、表情は静かだった。
モモが小声で言う。
「怒らないんですね」
「ああ」
普通なら。
腹を立ててもおかしくない。
肉壁と呼ばれ。
役に立たないと笑われ。
パーティーまで外された。
でも。
デブリはしばらく黙っていたあと。
自分の大盾へ手を置いた。
「……守るのは、嫌いじゃない」
誰に言うでもなく。
そう呟いた。
俺は。
その言葉を聞いた瞬間。
足を止めた。
◇
その日の午後。
俺は城下町の裏通りを歩いていた。
モモも一緒だ。
「さっきの人に声かけないんですか?」
「まだ」
「気になってる顔してましたよ」
「どんな顔だよ」
「レオンさん、新しいC級スキル見つけた時と同じ顔です」
「そんな顔あるのか?」
「あります」
少し納得できなかった。
でも。
デブリが気になっているのは事実だった。
ただ。
先に確かめたいことがある。
裏通りには、表通りの立派な魔道具店とは違う店が並んでいる。
古道具屋。
農具屋。
雑貨屋。
壊れた魔道具を扱う露店。
そして。
ほとんど価値がないと判断されたC級刻印石。
新大陸でも。
やっぱり。
安かった。
「兄ちゃん、こんなの買うのか?」
露店の老人が不思議そうに聞く。
「使えそうだから」
「使える?」
老人が笑う。
「C級《掃除》だぞ?」
「知ってる」
「こっちは《支える》」
「それも欲しい」
「変わってるなあ」
老人は首を傾げながらも、安い値段で譲ってくれた。
俺は刻印石を一つずつ確認する。
【C級《掃除》】
【C級《火起こし》】
【C級《風起こし》】
【C級《支える》】
【C級《蹴る》】
【C級《滑る》】
【C級《押す》】
【C級《引く》】
どれも。
普通の冒険者なら見向きもしない。
戦闘スキルとして扱われないものも多い。
でも。
俺には違って見える。
《支える》と《守る》。
もし重ねたら。
防御を支える?
盾を固定する?
あるいは。
人そのものを倒れにくくできる?
《押す》と《守る》なら。
守りながら前へ押し返せるかもしれない。
《滑る》を足したら。
攻撃を真正面から止めずに、受け流せる?
一つ一つ。
頭の中で可能性が広がっていく。
モモも隣で刻印石を見ていた。
「これ、何ですか?」
一つ持ち上げる。
「《泡立てる》?」
「ああ」
「買うんですか?」
「安ければ」
「何に使うんです?」
「まだ分からない」
「分からないのに買うんですね……」
「分かってから買ったら遅いだろ」
「レオンさんのその理屈、たまに怖いです」
結局。
《泡立てる》まで買った。
使い道は。
まだ分からない。
でも。
C級は単体で完成していない。
だったら。
今意味がなくても。
別の何かと足した瞬間。
意味が生まれるかもしれない。
◇
夕方。
俺たちは再び訓練場へ戻った。
人は昼より減っている。
それでも。
デブリはまだいた。
一人で。
大盾を構え。
木製の訓練人形の前に立っている。
攻撃はしていない。
人形を動かし。
そこから返ってくる衝撃を。
盾で受けている。
何度も。
何度も。
俺は少し離れた場所から、その動きを見た。
やっぱり。
おかしい。
良い意味で。
デブリは。
一度として同じ受け方をしない。
真正面から来るなら。
足を開く。
斜めからなら。
盾の角度を変える。
上からなら。
膝を使って衝撃を地面へ逃がす。
攻撃スキルがない。
だから。
防御だけを。
ずっと考えてきた。
普通の盾役なら。
攻撃も覚える。
カウンター。
盾殴り。
挑発。
でも。
デブリには。
それがなかった。
その結果。
守ることだけに。
異常なくらい慣れている。
「レオンさん」
モモが俺を見る。
「声、かけるんですね?」
「ああ」
俺はデブリへ近づいた。
大男がこちらへ気づく。
「何か用か?」
近くで見ると。
さらに大きい。
「デブリだよな」
「ああ」
「さっき模擬戦見てた」
デブリは少し困った顔をした。
「……笑いに来たのか?」
「いや」
俺は首を振る。
「倒れなかったな」
デブリの目が少し動いた。
「それだけだ」
「それが気になった」
「何?」
「お前」
俺は巨大な盾を見る。
「ずっと相手の攻撃見てただろ」
デブリは何も答えない。
「胸へ来る時と肩へ来る時で、受け方を変えてた。真正面から全部受けずに、角度も変えてた」
少しだけ沈黙が続いた。
やがて。
デブリが言った。
「普通だ」
「普通じゃない」
「盾役ならやる」
「少なくとも、今日見てた連中は誰も気づいてなかった」
デブリが俺を見る。
俺は続ける。
「攻撃できないから、守るしかないんだろ?」
「……ああ」
「だったら」
俺は少し笑った。
「誰よりも守れるようになればいい」
デブリの表情が。
初めて少し変わった。
「簡単に言うな」
「簡単じゃない」
俺は左手を握る。
「だから面白い」
モモが横で小さくため息をついた。
「また始まった……」
「何がだ?」
「レオンさんが、変な可能性を見つけた時のやつです」
デブリがモモを見る。
「変な可能性?」
「気にしないでください」
「おい」
「褒めてます」
絶対に違う。
俺は気を取り直してデブリへ向き直った。
「一つ聞きたい」
「何だ?」
「守るのは好きか?」
少し前。
こいつ自身が言っていた。
デブリは短く答える。
「嫌いじゃない」
「理由は?」
デブリはしばらく考えた。
そして。
訓練場の向こうを見る。
「誰かが後ろにいるなら」
静かな声。
「俺が前に立てばいい」
それだけだった。
でも。
俺には。
十分だった。
攻撃できない。
だから無価値。
そんな単純な話じゃない。
こいつには。
明確な役割がある。
しかも。
本人がそれを嫌がっていない。
だったら。
俺の考えは決まった。
「デブリ」
「ああ」
「今度、一緒に依頼受けないか?」
デブリが俺を見る。
そして。
俺とモモの冒険者証を見る。
「……二人ともC級か」
「ああ」
「この大陸じゃ、C級だけでは討伐依頼を受けられない」
「知ってる」
「俺もC級だぞ」
「それも知ってる」
デブリが少し眉を寄せた。
「なら、意味がないだろ」
「それを確かめたい」
俺は巨大な盾を指した。
「お前の《守る》が、どこまで使えるのか」
「C級だ」
「だから?」
「……弱い」
俺はすぐに首を振った。
「それはまだ分からない」
デブリが黙る。
俺は今日買った刻印石の入った袋を持ち上げた。
《支える》。
《押す》。
《引く》。
《滑る》。
そして。
俺の左手にある《+》。
一つの《守る》で足りなければ。
何かを足す。
それでも足りなければ。
さらに足す。
俺の中では。
もう少しずつ。
形が見え始めていた。
「守るだけの男か」
俺が呟く。
デブリの顔が少し硬くなる。
たぶん。
また馬鹿にされると思ったのだろう。
でも。
俺は続けた。
「悪くない」
「……何?」
「むしろ分かりやすい」
俺は笑う。
「攻撃は俺がやる。魔法はモモ。だったら」
巨大な盾を見る。
「お前は、守ればいい」
モモも。
少し驚いた顔でデブリを見ている。
デブリは。
しばらく何も言わなかった。
周囲では。
まだ訓練場の音が響いている。
剣。
槍。
魔法。
派手な攻撃。
強いスキル。
そんなものが評価される場所で。
俺たち三人だけが。
C級《守る》について。
真面目に話していた。
やがて。
デブリが。
ほんの少しだけ。
笑った。
「変な奴だな」
「よく言われる」
「レオンさん、自覚あったんですね」
「モモは黙ってろ」
「はいはい」
俺たちはmまだ知らなかった。
この男のC級《守る》が。
やがて何枚も重なり。
戦場で誰にも壊せない。
巨大な「城塞」になることを。
そして「肉壁」と笑われていた男が。
何百人もの冒険者の前に立ち。
誰よりも前線を守る存在になることを。
この時は、まだ俺だけが。
ほんの少し。
その可能性を感じ始めていた。




