第1話 新大陸の常識
船が新大陸〈カイザーランド〉の港へ着いた瞬間、レオン・クロウは、同じ海の向こう側なのに空気がまるで違うことに気づいた。
潮の匂いも、海鳥の鳴き声も、本土と大きく変わらない。それなのに港を行き交う人々の足取りは速く、誰もが周囲を値踏みするように視線を動かしている。
岸壁には何隻もの大型船が並び、荷運び人たちが魔石や鉱石、巨大な魔物の素材を次々と荷車へ積み込んでいた。その中には、俺が今まで見たこともない色をした鉱石や、普通のウルフなら身体ごと収まりそうなほど大きな牙まで混じっている。
「すごいですね……」
隣でモモが目を丸くしていた。
「魔物の素材だけで、あんなにありますよ」
「ああ」
俺も港を見回しながら頷く。
新大陸〈カイザーランド〉。
本土よりも魔力濃度が高く、希少な鉱石や魔石、未発見の植物が多く存在する土地。その代わり、生息する魔物も本土より強く、開拓都市の外へ出れば命の保証はないと言われている。
危険が大きい分、得られるものも大きい。
だからこそ、この土地には一攫千金を狙う冒険者が集まってくる。
「レオンさん」
モモが小声で言う。
「強そうな人、多くないですか?」
言われなくても分かる。
港を歩いている冒険者たちは、俺たちがいた町とは装備からして違っていた。金属の輝きが強い鎧、魔力を帯びた剣、宝石の埋め込まれた杖。背中に巨大な魔物の素材を担いでいる者もいれば、胸元へわざと見えるように冒険者証を下げている者もいる。
表示されているランクも、B級やA級が珍しくない。
「……C級、全然いませんね」
モモが自分の冒険者証を少し隠すように持った。
「いるだろ」
俺が少し先を指さすと、荷車を押している若い冒険者の胸元にC級の表示があった。
モモが少し安心した顔をする。
だが、その青年は剣を持っていなかった。重い荷物を運びながら、高ランク冒険者の後ろをついて歩いている。
それを見たモモの表情が戻った。
「……冒険者というより、荷物持ちですね」
「そうみたいだな」
妙に懐かしい光景だった。
少し前までの俺とよく似ている。
もっとも、そのことを考えても以前ほど胸は痛まなかった。
俺たちは港を抜けると、まずこの都市の冒険者ギルドへ向かった。
新大陸で活動するなら、最初に情報を集める必要がある。それに、新しい依頼やC級刻印石が見つかる可能性もあった。
この土地には、本土にはないスキルがあるかもしれない。
そう考えるだけで、左手の《+》がわずかに熱を持つような気がした。
◇
冒険者ギルドの建物自体は、これまで見てきたものと大きく変わらなかった。
石造りの二階建てで、広い入口の奥には受付が並び、その横には大きな依頼掲示板が設置されている。冒険者たちが酒を飲める食堂も併設されていて、見慣れた光景と言えば見慣れた光景だった。
だが、中へ一歩入っただけで違いが分かった。
空気が鋭い。
誰もが他人の武器や装備、冒険者証を自然に確認している。
あの剣は高級品。
あの杖ならA級魔法使い。
あの鎧なら前線帰り。
そんな値踏みが、言葉にされなくても飛び交っているようだった。
「……何だか見られてません?」
モモが俺の横へ少し寄る。
「見られてるな」
「レオンさん、平気そうですね」
「見るのは自由だろ」
俺はそのまま掲示板へ向かった。
そして。
すぐに足を止めた。
依頼書の上部に、一枚の大きな注意書きが貼られている。
【新大陸冒険者ギルド・依頼受注規定】
・S級~A級冒険者:高危険度依頼を優先受注可能
・B級冒険者:一般討伐依頼受注可能
・C級冒険者:危険区域への立入禁止
さらに、その下には赤い文字で追記されていた。
【C級のみで構成されたパーティーは討伐依頼受注禁止】
モモが小さく息を呑んだ。
「……禁止?」
俺も注意書きを読み直した。
見間違いではない。
C級だけでは討伐依頼そのものを受けられない。
「すごいですね」
モモが呟く。
「何が?」
「ここまで、はっきり書くんですね」
確かに。
本土でもC級の扱いが良かったわけではない。危険な依頼を受けようとすれば止められることはあったし、高ランク冒険者が優遇されるのも珍しいことではなかった。
しかし、ここまで明文化されている場所は初めてだった。
周囲を見ても、この注意書きを気にしている冒険者はいない。
それどころか、A級らしい男が掲示板の高危険度依頼を当然のように剥がし、隣のB級パーティーがその残りを選んでいる。
誰も疑問に思っていない。
それが、この土地の常識なのだろう。
「レオンさん」
モモが俺を見る。
「登録、します?」
「そのために来たんだろ」
「そうですけど……」
「行こう」
俺たちは受付の列へ並んだ。
しばらくして順番が回ってきた。
受付にいたのは三十代くらいの女性だった。慣れた手つきで俺たちの冒険者証を受け取り、魔導端末へかざす。
最初に俺。
【レオン・クロウ】
【登録ランク:C】
【主要スキル:C級《殴る》】
職員の表情がわずかに変わった。
次にモモ。
【登録ランク:C】
【主要スキル:C級《灯り》《水出し》《風起こし》】
職員の目が冒険者証から俺たちへ戻る。
「……お二人ともC級ですか」
声の温度が、一段下がった。
敵意があるわけではない。
ただ。
対応すべき相手の種類が決まったような声だった。
「はい」
俺が答えると、職員は受付の横から数枚の依頼書を取り出した。
「こちらが、お二人の受注可能な依頼です」
机へ並べられる。
倉庫整理。
荷物運搬。
港での積み下ろし。
薬草の選別。
宿舎清掃。
「……討伐は?」
俺が聞く。
職員は即答した。
「ありません」
「一件も?」
「C級のみのパーティーには討伐依頼を紹介していません」
「危険区域に入るだけなら?」
「論外です」
迷う様子すらなかった。
モモの肩がわずかに縮む。
職員はそれに気づいたようだったが、言葉を変えることはなかった。
「誤解しないでください。あなた方を侮辱しているわけではありません。この大陸では、C級冒険者が危険区域へ入れば死亡率が非常に高いんです」
「だから禁止?」
「はい」
職員は淡々と説明する。
「カイザーランドの魔物は本土より一段から二段強いと考えてください。本土でC級冒険者が相手にする魔物でも、こちらでは群れや変異種が多く確認されています。討伐依頼を受けたいなら、最低でもB級冒険者を含むパーティーへ加入してください」
「C級だけでは?」
「許可できません」
モモが自分の冒険者証を見つめる。
《ファイヤー》。
《灯り》。
《水出し》。
《風起こし》。
どれもC級。
ここでは。
それだけで。
戦う前から結論が出る。
「……そうですか」
モモが小さく答えた。
職員は最後に少しだけ声を柔らかくした。
「悪いことは言いません。本土から来たC級冒険者は、最初はこちらの雑務から始める方が多いです。この大陸の感覚に慣れてから、B級パーティーへ入れてもらうのが現実的ですよ」
その言い方に悪意はなかった。
むしろ。
親切なのだろう。
新大陸ではC級は弱い。
だから雑用をする。
それが当然。
本人も。
周囲も。
そう考えている。
俺は依頼書を一枚手に取った。
荷物運搬。
C級推奨。
危険なし。
そこへ書かれている報酬は、討伐依頼の数分の一だった。
「ここではC級って、そんなに下なんですか?」
モモが尋ねる。
職員は少し考えてから答えた。
「本土から来たばかりの方には厳しく聞こえるかもしれませんが……」
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「田舎者扱いに近いですね」
モモの顔が固まった。
俺は思わず少し笑った。
職員が怪訝な顔をする。
「何か?」
「いや」
「気分を害されましたか?」
「逆です」
「逆?」
俺は依頼掲示板を見る。
A級。
B級。
C級。
きれいに分けられている。
ここには曖昧さがない。
強いスキルを持っている者が上。
弱いスキルしか持っていない者が下。
それ以外。
見ない。
◇
ギルドを出たあと、モモはしばらく何も話さなかった。
大通りを歩く冒険者たちの装備を眺めたり、自分の冒険者証を見たりしながら、考え込んでいるようだった。
やがて、ぽつりと声を出す。
「……やっぱり私たち、場違いですかね」
俺はすぐには答えなかった。
町の向こうには高い城壁が見える。
そのさらに先には、まだ見たことのない魔物や刻印石、未知のスキルが存在しているはずだ。
ここへ来た理由を思い出す。
評価されるためじゃない。
新しい可能性を探すためだ。
「いや」
俺は首を振った。
「場違いじゃない」
「でも討伐依頼、受けられませんよ?」
「ああ」
「危険区域も禁止です」
「それも聞いた」
「じゃあ、何がいいんですか?」
俺は少し笑った。
「分かりやすい」
モモが目を丸くする。
「……分かりやすい?」
「ここは、ランクが全部なんだろ」
俺たちがいた町では。
評価は低くても。
一応は説明された。
危ないから。
経験が足りないから。
成長していないから。
それらしい理由があった。
でも。
ここは違う。
C級。
その一言で終わる。
努力も。
戦い方も。
工夫も。
連携も。
どんな役割を持っているかも。
表示されないものは。
最初から存在しない。
俺は左手を見る。
《+》。
冒険者証には表示されない。
スキルランクもない。
《殴る》を二つ重ねてもC。
《当て身殴り》を作ってもC。
モモの《二連ファイヤー》も。
《ゼンファイヤー》も。
全部。
この街では。
ただのC級。
「ここの連中は、俺たちを見なくていいと思ってる」
モモが静かに聞いている。
「数字を見れば、それで全部分かると思ってる」
俺はギルドを振り返った。
大きな建物。
立派な掲示板。
規則。
ランク。
全部。
きれいに整理されている。
そして。
その中に。
俺たちの戦い方が入る場所はない。
だったら。
話は簡単だ。
「ここまで分かりやすくC級が下に見られてるなら」
モモを見る。
「覆した時も、分かりやすい」
モモがしばらく俺の顔を見た。
「……レオンさん」
「何だ?」
「ちょっと楽しそうですよ」
「そう見えるか?」
「はい」
たぶん。
否定できない。
本土では。
ずっと。
自分が低く評価されることを怖がっていた。
でも。
今は違う。
C級だから無理。
C級だから戦えない。
C級だから雑用だけ。
そこまで言われると。
逆に。
試してみたくなる。
本当に。
C級は。
何もできないのか?
俺の《+》で。
どこまで。
この世界の常識を。
壊せる?
「レオンさん」
モモが小さくため息をつく。
「また変なこと考えてますね」
「たぶん」
「否定しないんですか?」
「無理だろ」
モモは呆れたように笑った。
それから。
少しだけ。
胸を張った。
「じゃあ、私も付き合います」
「最初からそのつもりだろ?」
「まあ……そうですけど」
「なら行こう」
「どこへ?」
俺は町の奥へ目を向ける。
討伐依頼が受けられないなら。
まず。
別の場所から。
情報を集めればいい。
C級の刻印石。
C級冒険者。
この町で。
誰にも見向きもされていないもの。
それを。
探す。
「この街のC級を見る」
モモが首を傾げた。
「冒険者を?」
「ああ」
高ランクの奴らを見る必要は。
今はない。
俺が知りたいのは。
下にいる連中だ。
役に立たないと言われている者。
弱いと決めつけられた者。
使えないスキル。
売れ残った刻印石。
そこに。
俺の欲しいものが。
あるかもしれない。
俺は歩き出した。
新大陸〈カイザーランド〉。
ランクが。
価値を決める土地。
それなら。
ちょうどいい。
俺がかつて追い出された世界より。
ずっと正直だ。
C級を。
最初から。
価値なしと決めている。
だからこそ。
俺は少しだけ。
燃えていた。
ここまで分かりやすい常識なら。
壊した時。
誰にだって分かる。
C級は、弱いんじゃない。
それをこの新大陸で、」証明してみたくなった




