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抗争は避けられない⑧

 走り出したミキホと鮟西が衝突する。ミキホの握るバタフライナイフが鮟西の左脇腹を、鮟西の握るコンバットナイフがミキホの左肩に突き刺さった。互いの衣服に血が滲む。


 傷の位置からすれば、鮟西のほうが致命傷と言えるだろう。しかし鮟西は、まるで自分が優位に立っているかのように微笑む。



「ナイフファイトに持ち込んだのは失策だったね、浜栗(はまぐり) ミキホ」



 鮟西がそう言った直後、ミキホの全身に激痛が走る。肩に刺さったナイフとは別の痛み。体中を電流が駆け抜けた。全身の筋肉がビリビリと痺れ、力が入らなくなる。立っていることさえままならない。だが、ナイフを握る指だけは離さなかった。これを離せば、鮟西に攻め込む隙を作ってしまう。


 足がもつれ、後ろに倒れ込むミキホ。その手に握ったナイフが鮟西の腹部から引き抜かれる。同時に、ミキホの体を襲っていた電流が止まった。足と腕が動かし、ヨロヨロと立ち上がる。



「お前……何なんだ? ……体が一瞬」


「痺れた。まるで電気が流れたかのように。でしょ? 僕の体内には発電器官が備わっている。その器官から、およそ八百ボルトの電気を発生させることが可能。デンキウナギと同じさ」


「……クマムシみたいに、お前もただの人間じゃないってことか……このウナギ野郎が」



 ミキホの質問に対し、鮟西はふっと笑って答え続ける。



「そのとおり。キミのナイフが僕の体に刺されば、電気がナイフを伝ってキミを感電させる。八百ボルトと(あなど)ることなかれ。ショック死する可能性は充分にある電圧だよ。少なくとも、キミの命を奪う致命的な隙を生み出すことくらいは簡単にできる」


「今、電撃を喰らって生きてたのはラッキーだったってわけだ……二度も幸運が続くとは思えねぇな」



 迂闊に攻撃できないことを悟り、後退(あとずさ)りするミキホ。戦いの主導権は鮟西の手中となった。鮟西はナイフを振り、後ろに退がるミキホを追撃する。デンキウナギ人間を倒す策が見つかるまで、ミキホは逃げに徹するしかない。


 懸命に鮟西のナイフの軌道を見切ろうとするミキホだが、そのすべてをかわすことは困難を極めた。中東の紛争地域で実戦を積んでいたという鮟西のナイフ捌きは、ミキホの回避能力を大きく超えている。右の二の腕、左の太ももを、ナイフの切先が(かす)めた。徐々に傷が増え、出血量は鮟西よりミキホのほうが多くなっている。



「このままキミを切り刻み続けようか。節分で豆を食べるみたいに、自分の年の数だけ敵を傷つけると、その一年を健康に過ごせる……なんて迷信があるとかないとか」



 余裕げな口ぶりの鮟西に対し、ミキホは苦悶の表情を浮かべている。攻めに転じられないことによる焦り、傷の痛み、大量の出血が、心身を着実に蝕んでいた。このままでは鮟西の言うとおり、何十もの傷を負うことは確実。仮に急所を避け続けられたとしても、動けば動くほど出血量が増え、やがて失血死する。


 後退しながら屋上をぐるりと回るミキホ。鮟西に反撃するチャンスを伺う。だが、ただ反撃するだけでは、電撃を喰らって自分の寿命を縮めることになる。鮟西の命を百パーセント奪えるチャンスを狙わなければならない。しかし、待っていても鮟西が攻め込むチャンスを作るわけがない。裏打ちされた戦闘スキルが、ミキホにそう自覚させた。


 そのとき、ミキホの左足が、地面に滴った血に取られて滑る。思考することに気を取られ、周囲への注意が疎かになっていた。後ろに大きくバランスを崩す。反撃のチャンスを狙うはずが、鮟西にチャンスを与えてしまった。



「もらった。終いだよ、浜栗 ミキホ」



 鮟西の凶刃が、倒れるミキホの首元に真っ直ぐ迫る。しかし、刃はミキホの皮膚に届く前にピタリと止まった。ミキホは喉笛を掻き切られることなく、尻もちをつく。


 止まったのはナイフだけではない。鮟西の体も、その場から動けなくなっていた。ミキホは視線を鮟西の足元に落とす。上半身だけで這ってきたマメオが、鮟西の左足首をガッチリと掴んでいた。



「これ以上……組長を傷つけさせねぇ……」



 自身の攻撃を邪魔するマメオを、キッと睨む鮟西。その瞳は、害虫を見るかのように冷たい。



「……ウザイなぁ」



 マメオの体に電流が走る。鮟西が発電器官から電気を発生させたのだ。先ほどミキホに流したよりも遥かに強い電圧で、長い時間、マメオを苦しめる。肉が焦げ、体から黒い煙が上がる。それでも、マメオは鮟西の足首を離さない。



「この程度……屁でもねぇ……シゲミが……仕掛けた……電流トラップのほうが……痛かったぞぉぉぉっ!」



 大声で吠え、自身に気合を入れるマメオ。そんな彼を(いと)わしく感じた鮟西は、マメオの背中を狙ってナイフを振り上げる。


 ドスッという鈍い音が鳴った。そして鮟西の腕からナイフがこぼれ落ちる。マメオが体を張って生み出した絶好のチャンス。それをミキホは見逃さなかった。鮟西に接近し、心臓目掛けてナイフを突き刺す。何度も、何度も、突き刺す。



「助かったぞ、マメオ……お前の尽力を無駄にはしない」


「……ああ……ここまでか……」



 鮟西はそうつぶやくと、口から滝のように血を流し、仰向けに倒れる。胸も、口も、(まぶた)も、もう動かない。完全に事切れた。


 息を切らしながら、ミキホは再び尻もちをつく。「終わったぞ……マメオ」と声をかけるが、マメオは鮟西の足首を掴んだまま倒れ、返事がない。


 四つん這いで駆け寄るミキホ。急いでマメオの手首に指先を当て、脈拍を確認する。トクン、トクンという拍動を、確かに感じ取った。腹心の部下は、しっかりと生きている。


 安心感と疲労から、ミキホもうつ伏せでその場に倒れこみ、いびきをかき始める。彼女の傍に、クマムシとの戦いを終えたシゲミが静かに歩み寄った。



−−−−−−−−−−



 浜栗組(はまぐりぐみ)死軍鶏組(ししゃもぐみ)の抗争は幕を閉じ、多くの犠牲者を出しながらも、浜栗組の勝利となった。同時に、鮮魚会(せんぎょかい)頬白(ほおじろ)の身も守られたことになる。


 鮟西の死と死軍鶏組の壊滅はすぐに頬白の耳に入った。和室であぐらをかき、(さかずき)に入った日本酒を(すす)りながら、不適に笑う頬白。



「さすがはミキホ。ドンゾウの娘……いや、ワシが見込んだ、浜栗組の新たな組長だ。いずれまた、鮮魚会を狙う勢力が現れるやもしれぬ……そのときは頼むぞ、ミキホ」



 誰に伝えるでもなく一人でそうつぶやき、盃の中身を一気に飲み干した。



−−−−−−−−−−



 抗争から一週間。大破した市目鯖(しめさば)高校は全学年休校となり、修復工事が進められている。抗争は死者や近隣の建物にも被害が出る大騒動だったものの、浜栗組の「あまり人には言えない力」によってマスコミなどに取り上げられることはなかった。


 ミキホ、マメオ、蟹沢(かにざわ)、そして傷ついた浜栗組の組員たちは、傷を癒やしている真っ最中。ほぼ全員が体に包帯を巻いており、痛々しい姿だ。もう少し時間をとって、状況が安定し次第、戦死した組員たちを弔う予定でいる。


 浜栗組に訪れたしばしの平和……と思いたいところだが、ヤクザの世界に平和などそうそうやって来ない。力が弱まった浜栗組を潰そうと、また別のヤクザがカチコミをかけようとしているという情報がいくつも出回っている。


 組長室の奥で椅子に座るミキホに、蟹沢が状況を報告を始めた。



「今の戦力では不安がありますが、すぐに対策をとりましょう。組員を可能な限り総動員して、他所からのカチコミに備えるべく」


「それについては心配無用だ。きちんと考えている」



 焦る蟹沢と比べて、ミキホの表情には不安も焦燥もない。その理由の()()()が蟹沢の背後、組長室の扉を開けて現れた。


 ブレザーを着て左肩にスクールバッグをかけた、ショートボブの女子高生が入室する。彼女を見て、ミキホは小さく微笑んだ。



「頼んだよ、シゲミ」



〈了〉

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