【第1章 第7話:兄の焦り、姉の執着】
クローデル家には、澪の他に二人の子がいた。
兄、ユリウス=クローデル。十五歳。
姉、エルノア=クローデル。十二歳。
二人とも優秀で、家の誇りだった。
魔導の才も剣術も、文武ともに優れ、将来は王国の中枢を担うとまで期待されていた。
――そう、澪が生まれるまでは。
彼女が生まれたその日から、空気が変わった。
両親の視線が変わった。
家臣の態度が変わった。
ユリウスはそれを、痛いほどに感じていた。
「お兄さまってすごいね」
「……でも、澪さまはもっとすごいのよ?」
そんな言葉が、幾度となく耳に入った。
彼は剣を握った。
何度も何度も、城の訓練場で汗を流した。
誰よりも早く、強く、美しく剣を振るえれば、誰かが――澪が、見てくれるかもしれない。
だが、澪はいつも静かだった。
ユリウスが汗を滲ませながら見せた剣舞にも、ただ一言。
「……無駄な動きが多い」
その言葉に、兄は心の奥で何かが砕けた。
彼女は天才だ。
それはわかっている。
でも――何かひとつだけでも、自分のほうが“優っている”部分が欲しかった。
それが、兄ユリウスの焦りだった。
*
一方の姉、エルノアは違った。
彼女は“理解”していた。
澪が“人間ではない何か”であることを。
だが、それでも彼女は澪を――愛した。
「澪。今日はね、ドレスを選んできたの」
「この色、澪に絶対似合うと思うの」
幼い少女が、必死に妹に贈り物を選ぶ。
毎日。毎夜。途切れぬ好意。
澪はそれを拒まなかった。
ただ、受け取るだけだった。
だが、ある日。
エルノアが澪の手を取って、そっと口づけたとき。
澪が、初めてはっきりとした“拒絶”を見せた。
「触らないで。気持ちが重いの」
エルノアはしばらく黙っていた。
その後、部屋から出ていくと、誰もいない廊下で泣いた。
でも、それでも――
彼女は次の日も澪に花を届けた。
「好きなの。澪の全部が」
それは、愛というには、あまりにも歪で、
執着というには、あまりにも純粋だった。
*
澪は思う。
(なぜ、皆――こんなにも私に縛られるのか)
自分は何も与えていない。
何も望んでいない。
ただ存在しているだけ。
なのに、“与えること”に飢えた人々は、勝手に澪を“救い”に仕立て上げ、
勝手に“自分の全て”を捧げてくる。
その愛が、澪にとっては――
鎖だった。
だから澪は、兄の剣を“無意味”と切り捨てた。
姉のキスを“重い”と突き放した。
それが、“普通の人間”ではない彼女の選択だった。
それが、“斬る者”としての彼女の、本能だった。