【第1章 第8話:始まりの違和感(澪視点)】
静かだった。
いつも、世界は静かだった。
音がなかったわけではない。
鳥は鳴き、風は枝を揺らし、人は言葉を交わし、笑い、泣いていた。
けれど、澪の世界には――それらすべてが“遠かった”。
まるで、ガラスの向こうから覗いているような感覚。
触れても、触れられても、心には届かない透明な膜があった。
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家族は優しかった。
母は髪を撫で、父は誇らしげに見つめ、姉は贈り物を持ち、兄は背中を見せた。
使用人も、客人も、皆が“澪”という存在を愛した。
けれど――
(どうして、そんなに“私を”好きでいられるの?)
何も知らない。
何も語っていない。
澪は、自分がどんな人間かも、何を思っているかも、誰にも明かしていない。
それなのに、なぜ、こんなにも“信じきった目”で見てくるのか。
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とある昼下がり。
澪は、庭園の白い石畳に座っていた。
空は、青かった。
鳥は、歌っていた。
庭師は、土を耕していた。
けれど、澪の瞳は――空を見ていなかった。
「……ちがう」
ぽつりと、唇が動く。
「この空は、青じゃない。
この音は、音じゃない。
この言葉は、言葉じゃない」
世界が、“意味”だけでできているように感じた。
すべてが、名前と定義で塗り固められた箱庭のようなもの。
澪の目には、世界が“そう見えて”いた。
何もかもが――“与えられた意味の中でしか生きていない”。
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そして夜。
寝台の中、澪は赫刃を抱くようにして眠っていた。
それは、“安心”のためではない。
“赫刃だけが、世界の外にある存在”だと――肌で理解していたから。
(君は、斬れる)
(この“意味”を、空を、言葉を、愛を――全部、切り裂くことができる)
(そして私だけが、斬られずにいられる)
その夜、夢を見た。
紅の海原。
黒の空。
そしてその中央に立つ、“人ではない何か”。
――角。
――紅い瞳。
――赫刃を手に、無数の亡者を見下ろして笑う、鬼。
(……あれは、私?)
次の瞬間、赫刃が夢の中で呟いた。
「そうだ。お前は、思い出してはいけない」
澪は、その言葉に背を向けた。
思い出す必要はない。
今はまだ、“斬るべきもの”が明確ではないのだから。
けれど、確かに芽吹いていた。
“何かがおかしい”という実感。
世界そのものが、薄い膜で覆われているような感覚。
そして澪は確信した。
(私は、世界を壊すために生まれてきたのかもしれない)
けれど――
(……今はまだ、壊すほどの価値がない)
そう呟いて、澪は再び目を閉じた。
彼女にとって、眠りは唯一の“断絶”だった。
現実から、愛から、世界の意味から。
自分の存在が“異物”であることを、しばし忘れられる時間。
だが赫刃は、今夜も彼女の胸元で、ゆっくりと脈動していた。
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――その脈動は、世界の終わりの胎動。
そして、澪という名の“拒絶”が、この世界に根を張りはじめる音だった。




