第21話 本心
「薬を注文して、届くのに一月。それはディオスクロイとベルトナートを往復した期間です。ですので、ベルトナートへ行くだけなら、その半分の二週間。そしてディオスクロイとベルトナートの貿易を行う隊は荷を運ぶために馬車を引きますが、我々は馬だけですので、飛ばせばさらに半分の一週間で辿りつきます。」
次の日、私の体調が安定している昼間にやってきたリガロはそう説明した。
「毒の効果を考えると、馬を走らせられるのは日の昇っている時刻のみ。よって明日の早朝、夜明けとともに出立するのが妥当かと。」
「あ…」
「如何いたしました。」
私の小さな呟きをリガロが拾った。私は申し訳なさそうに項垂れる。
「凄く今更で悪いんだけど…私、馬、乗れない。」
乗馬の経験なんて、こちらの世界に飛ばされてからジェイに支えられながら乗った、あの一度しかない。
するとリガロはさも何でも無いかのように首を振った。
「誰かの馬に乗れば問題ありません。」
「でも…」
未だ魔だと思われている私を乗せてくれる人なんているのだろうか。
きっと今度は、ジェイの馬に乗るなんて事は出来ない。例外はあの一度きりだろう。
その疑問が顔に出たのか、リガロは淡々と告げる。
「ではその相談も含め、顔合わせをしましょう。」
「顔合わせ?」
「呼んできますので少々お待ちを。」
私の返事も聞かず、リガロはさっさと部屋を出た。
そうしてしばし待つと、リガロを先頭にジェイやウィル、セルファルカ、加えて面識のない人物がぞろぞろと部屋に入ってきた。
私はびっくりして、思わず端からまじまじと彼らを見つめる。
「ベルトナートへは、ここにいるメンバーで行きます。」
リガロが視線をやると、彼の隣に居た人物が笑みを向ける。
「アベル・アルデリートです。魔の泉で一度お会いしているのですが、覚えておられるでしょうか。」
明るいこげ茶に白が混ざった髪に、こげ茶の瞳。
背が高く、肩はがっしりとしていて、かなり体格が良い。
一瞬その威圧感に圧されそうになったが、意外にも表情は柔らかい。
ぱっと見、今部屋に居る人たちの中で一番年長者のようだ。
彼の言葉に、記憶を辿ってみる。
「確か、私の専門書を拾ってジェイに手渡していた…?」
確証が無いながらも聞いてみると、彼はにこりと笑ってくれた。
見た目に反して優しそうな人だ。
「それで、こっちが…」
「アベルさん、自己紹介ぐらい自分で出来ます。」
アベルの言葉を遮ると、隣に立つ青年が口を開く。
「フェリクス・アッカー。同じく魔の泉で見えているが、お前ごとき脳みそで覚えているとは思えないから、別に思い出さなくてもいい。」
「フェリ!」
アベルの咎める声もどこ吹く風。
かなりつっけんどんな言い方に、「あ、こいつ私の事嫌いだな」、と瞬時に悟った。
金髪に薄紫の瞳。
アベルとは対照的に、この中で一番年少だろう。
黙っていれば美形に類するだろうが、今の発言で台無しだ。
「フェリクス。魔に対する考え方など人それぞれだから別にそれを訂正するつもりはない。だが彼女に対する態度を改めないのだったら、今すぐこの任から外れろ。隊を乱す行為は邪魔なだけだ。」
「…っ、申し訳、ありませんでした。」
ジェイの言葉にやっと謝罪の言葉を口にしたが、目だけはしっかりと私を捕えていた。
きっと、私を獣としか見なしていなかったオネルヴァと同じ考え方なのだろう。
今更そんな態度に反抗しようなどとは思わない。
そう思っているのなら好きすればいい。私は私だ。
静かに見つめ返すと、ほんの僅か、驚いたように目が見開かれた。
「偏見は良くないぜ坊主。嬢ちゃんが可哀想だろ?」
その言葉に、フェリクスは隣に立つ男を睨む。
「黙れ。ベルトナート人に言われる筋合いはない。」
「さいですか。」
男はへらへらと笑うと、こちらに視線を向けながらにやりと笑った。
「イハ・ヴィスだ。同じ嫌われ者同士仲良くしようぜ、嬢ちゃん。」
目があった瞬間、ぶわりと鳥肌が立った。
ひょろりと痩せた、紺に近い灰の髪と瞳の男。
リガロと同じく西の出身だとわかるが、会った事は無い。
無いはずなのに、何故だかじくじくと腕の傷が疼くような気がした。
思わず傷の上に手を当てる。
「どうした?痛むのか?」
ジェイの問いに、なんでもないと首を振った。
「よろしく」とだけ答えると、視線を逸らす。この男とはなるべく関わりたくない。
そんな私の態度に、男は「やれやれ、こっちにも嫌われたか」とだけ言うと、その後は特に気にした様子もなく口を閉ざした。
「最後はあたしかねぇ?」
頃合いを見計らって、一番端に立っていた女性が一歩前に出る。
「ツァルイ・メオ。旅の道中、女にしか言えない事もあるだろうから、遠慮しないで頼っとくれよ。宜しく。」
そう言って赤い唇で笑みを形作ると、ぱちりと片目を閉じた。
腰ほどにも届く波打つ濃紺の髪には、メッシュのように所々赤が混じっている。
きめの細かい黒い肌を惜しげもなく晒している彼女の豊満な体は、女の私から見ても羨ましかった。
長い睫毛に縁取られた髪と同じ紺の瞳は、大きくてくりくりとしている。
(こんな美人初めて見た。)
アンやエリーはどちらかというと可愛いに分類される美人だが、ツァルイは綺麗としか言いようのない美人だった。
ツァルイは私の隣に立つジェイに視線を移すと、何故か困ったように眉尻を下げる。
「そんな嫌な顔をしないでおくれよ旦那。城下に居るベルトナートの民に招集がかかったんだ、仕方がないだろう?魔の泉を越えるとなればそれなりの人員は必要なんだから。」
顔見知り?
ジェイを見ると、思い切り顔を逸らされた。
…何か隠してるな。
追求しようとすると、ツァルイから声をかけられる。
「で、あんたの名前は?」
私は慌てて前に向き直った。すっかり自己紹介を忘れていた。
「あ、すみません。私は、ショーコ・セリザワと申します。ここではミラとも呼ばれていますので、呼びやすいほうでどうぞ。」
「猫、ねぇ。」
ふむ、と考えるそぶりを見せると、ツァルイはぱんと手を叩いてにこりと言った。
「じゃあ『にゃんこ』って呼ぶ!」
私はずるりと転びそうになった。
今までにない女性キャラだ。
「あの、流石にそれは止めて欲しいのですが…」
「なんで?『猫』も『にゃんこ』もさして変わらないだろう。」
「『猫』ならまだ良いですが、『にゃんこ』は嫌です。」
二十歳すぎてあだ名が「にゃんこ」は精神的にきつい。
けれどツァルイは満面の笑みを浮かべる。
「だったらなおさら『にゃんこ』って呼ばなきゃね!あたし、人が嫌がることをするのが大好きなんだ。」
完全マイペース。
エリーとタイプは違くても、恐らく同類だ。
こういうタイプには逆らわない方が良い。否、逆らえない。
私は仕方なく了承の溜息をついた。
「…お好きにどうぞ。」
「やった♪あ、勿論、あたしのことも呼び捨てしておくれよ。」
歩み寄ってきたツァルイに、すっと手を差し出される。
握手かと思い、動く左手を差しだすと、そっと握られた。
その手を、やんわりと引き寄せられる。
そうしてふわりと香った芳香に、はっと顔を上げた。
耳に寄せられた唇が囁く。
「…安心おし。あたしと旦那はただの体の関係さね。お互いに感情なんて伴っちゃいない。」
聞きたくない。
身を離そうとすると、握る手にぐっと力が込められた。
「見なよ、あの旦那の嫌そうな顔。多分無意識だろうが、あたしとの関係を後ろめたく思ってる証拠さ。」
「…離して下さい。」
「あたしの言葉が信じられないかい?」
「離して下さいと言っているんです。」
小声で強く言うと、ツァルイは苦笑しながら手を離した。
「なーにコソコソ喋ってるんだよ?」
にやにやと問うイハに、ツァルイはつんと顔をそむける。
「イハには関係ないね。女同士の秘密ってやつさ。」
「じゃあ、俺が女になれば教えてくれるか?向こうには最近、性転換の毒が開発されたって話だ。」
「うっわなにそれ。イハが女に?想像しただけでも気持ち悪ーい。」
「そろそろ静かにしろ。」
リガロが言うと、二人は肩をすくめて口を閉ざした。
「では話を戻しますが、貴方を含め、ベルトナートへはここに居る6人で…」
「6人?」
今部屋に居るのは9人だ。
そこではたと気付く。
そうだ、王族であるジェイとセルファルカが行くわけない。
私はかっと顔に朱をのぼらせた。
少なくともジェイは行くと勝手に思い込んでいた自分が恥ずかしい。
たかだか飼い猫一匹の為に、王族、しかも現王の直系が身を危険にさらすなどありえないのに。
ジェイの護衛であるリガロはついて行ってくれるようだから、ウィルは残るのだろう。
それで、マイナス3人だ。これでピッタリ数は合う。
「ごめん、なんでもな…」
「俺は行くぞ。」
話を遮ってしまった事を謝罪しようとすると、ジェイが言った。
それにすぐさまウィルが反論する。
「何言ってんだ。そんなの無理に決まってんだろ?仮にも現王の直系が魔の泉を越えるとなれば護衛が多数必要だ。加えて何の前触れもなしに向こうを訪れれば混乱が生じる。」
今さっき自分が思った事を説くウィルの言葉に項垂れるが、ジェイは首を振る。
「俺に護衛は必要ないことぐらい、お前ならわかるだろう?それに向こうの王宮を煩わせる必要はない。完全に私事だ。」
それを聞いたセルファルカは、やれやれと溜息をついた。
「身を隠して侵入するつもりかい?それこそ最近築きつつあった友好関係にひびが入るよ。ディオスクロイに叛意あり、王族自らベルトナートを視察、ってね。何より私達の髪と目の色は目立ちすぎる。いくら隠そうとしても、ばれるときはばれる。まだ彼女の方が、肌の色が異なっても向こうには馴染むよ。」
二人の言は正しい。
反論の余地は無い。
それでも良い募ろうとするジェイに、私はすっと息を吸うと言った。
「残って。」
まさか私に反対されるとは思っていなかったのか、ジェイは驚いたようにこちらを向いた。
「ショーコ?」
「ジェイ、私はペットだよ。ペット一匹の為にこれだけの人たちをつけてくれるだけでも申し訳ないのに、さらにジェイが行く必要はない。」
「人数を気にしているのなら、俺一人でもお前を守れる。」
「そうして王族一人と魔の私がベルトナートに立ったらどうなるの?それこそ混乱を招くだけだよ。」
私はジェイの青い瞳を真っ直ぐ見つめると言った。
「だから残って。」
「それは本心か?」
「本心だよ。」
即答するが、ジェイはむっとしたように眉を顰める。
「違う。さっきからお前は世間体しか気にしていない。俺が聞いているのは、『お前』が『俺』に来てほしいか否かだ。」
「…っ」
今度は即答できなかった。
本当は来てほしい。
この世界で、ずっと私を守ってくれたのはジェイだった。
初めこそ、感情を写さなかった氷のような眼差しを畏れ、疑いはしたものの、黒を恐れず側に居てくれたのは彼だ。
今ではすっかり柔らかくなった青の瞳が、少なからず私を想ってくれている事は知っている。
きっと、彼が一緒に来てくれれば、また私を守ってくれるだろう。
世間体なんてどうでもいい。
魔から身を守り、人から心を守ってほしかった。
そうでないと私は、この世界で自分を保てない。
魔の脅威、人から向けられる罵詈雑言。
生まれてこのかた、そんな恐怖も非難も経験したことが無い私が己を保つために必要だったのがジェイだ。
結局、私は自分可愛さのためにジェイを利用していた。
ジェイが与えてくれた『平穏』に甘えていたのだ。
そして今、それを手放すことを恐れている。
再び、青の瞳を見上げる。
湖のように静かに揺らぐ瞳が、私の返答を待っていた。
ジェイの側は心地いい。
髪を梳く彼の手、彼の声、彼の目。
蓋をした感情をいとも簡単に呼び起こすそれらに私の心は揺れる。
守ってくれなくてもいい。
側に居たい。
『平穏』に甘えていたのは確かだ。
けれど、それこそが私の本心だった。
そしてこの感情の名を、私は知っている。
だからこそ。
「…残って、ジェイ。」
この感情に向き合う事だけは許されない。
私はいずれ帰るのだから。
自分の世界へ。
きっと、この世界で一番最初に優しくしてくれたのが彼だから、惹かれているだけなのだろう。
離れれば、この感情は薄れる。
薄れて欲しい。
そうして私は心の底から願った。
「来ないで。」