4. 行軍
一波を先頭に丘の上の鳥居を目指した集団は、覚束ない足元に不安を抱えながら行軍を続けていた。
「足元が見えないって、何だか幽霊みたいだね……」
大空光が独りごちた。
「ふむふむ。なるほどそれは言い得て妙ですな。我々は三途の川を渡っているのやもしれぬ」
春が応答する。
「すみません、つい本心が出てしまいました……桜ちゃん、いえ、春さん、私は結構ビビってますよ、この状況。私と鋭ちゃんには理解不能な世界ですから……」
「そりゃまあ、そうでしょ。いや、はるさん達もこんな経験は初めてですよ。ただ、VRL耐性ができてしまっていて、現実と非現実の境界が曖昧モコモコなんです我々は。今日我々の命が消えるなんて、そんな可能性があることを真面目に信じている未来人はいないんじゃないかな。あ、アマネくんは別。彼はその点童貞さんだから」
「え? 僕がなんですって? 春さん何か言いました?」
「君が童貞だって話をピカちゃんにしたの。あ、VRLの話よ、ブイ・アール・エル」
「……そ、そうですか、まあそれは否定できない事実ですけど」
柊は天然の恐ろしさを改めて痛感した。
「そのVRLって、本当にあるんですね。私はここに来るまで正直、半信半疑でした。気持ちの切り替えもまだうまく出来ていません。この美しい光景には心奪われましたが、今は何だか怖い気持ちが強くなっています……」
「そりゃそうだよ。はるさんもピカちゃんの立場だったらそうかもしれない。だってさ、VRLってさ、記憶の追加は可能だけど消去はできないんだよね。未来の神様であるAIはね、私たちに多くの経験をさせることに一生懸命で、忘却の意味については無頓着なんだ。まあ、それも人類にとって必要がないと判断されたとして受け入れているのが現状だけどね」
「忘れることが……できないんですね……それはちょっと、辛いかもです」
「いや、自然に失う記憶はあるよ。永遠に刻み込まれるなんてことはない。裏メソッドとして忘却方法なる怪文書も存在する」
「……それって本当に幸せなんでしょうか」
「相対的に考えれば幸せなんじゃないかな。社会から争いと飢餓とお金と労働を消し去るなんてさ、すんごいことだと思う。で、それによって人々が堕落しないよう義務教育期間やらブイ・アール・エルを作ったの。はるさんはいいんじゃないかと思ってるよ」
「……そうですね。未来のみなさんと接してきて、それも悪くはないと感じています」
「でしょ? AIってのはなんだかんだ進化してさ、人類のためにしっかり叡智を活用してくれてるんだよ。人の支配に戻るよかずっといいと思うけどね」
「……でも、その真意を知ることは物理的に不可能なんですよね?」
「そう! まさにそう! だからこそいいんだと思う。人間がそこに介入するとね、かならず争いが起こるから。それを除外したアフター・シンギュラリティのAIは、やっぱり凄いと思うわけさ」
「なるほど……ということはですね、あまねっちや春さんの未来というのは、人間はすべてを知ろうとするな、知ろうとする行為そのものが禍をもたらす、とAIが判断したということなんですね?」
「そうそう。というのもさ、アフター・シンギュラリティとはそういう諸々のことが人間には理解できない、ってことを意味するのよ。全ては想定の範囲になる。名ばかりの専門家は存在するけど、まあ、オタクってやつさ。真偽を人間自身が確定できないことで得られる利得が、すべてを知ることで得られるそれに勝ったから、人類はAIに統治権を譲ったの。あ、正確にはAAIね。進化したAIさん」
「ん……なんだか難しくて分からないこともありますが、人類の統治が終わる、ってことですよね! それは歴史好きにとっても興味深いことです。事実上歴史がそこで終わっちゃうようなイメージがあります」
「そう! だから西暦が終わる。神はそこでやっと死ぬことができたのさ。ようやっと役目を終えることができたのよね」
「神様が……死ぬ……」
「ニーチェとかいう哲学者が一度殺したけど、とどめを刺したんだよ、AAIさんが」
「何だか途方もない次元のお話です。でも何となくですが、あまねっちのいる世界が分かった気がします」
「さすがは歴女さん! そして解を導き出したパズル王!」
「パズル王……まあ、数学なんていえるほどの命題ではなかったですからね。まさしくパズルでした。春さんって、のほほんとした感じですけど、とても聡明でびっくりしました」
「ふっふっふ、人を見かけで判断してはいかんよ。何せはるさんはあのメンデレーエフ博士の子孫なのだからな! というのもこの調査で知ったんだけど。ロシアの血が入っているってことには興奮した!」
「それ! それですよ! 桜野桜の潜在的な魅力は!」
「日本人はこれだから……」
大空光と朝来野春の接点は少なかったが、この行軍の中でお互いを理解し、そして境遇を共有した。
「一波さん、思ったより遠いですね、あの鳥居」
「ああ、進んでいるはずなのに距離が縮まっている気配がねえ……あ、でもよ、今ちょっと縮んだ気がしねえか?」
「……確かに、鳥居が少し大きく見える気がします」
「これは歩きゃいいってもんじゃなさそうだな。あの場所、キリスト教でいうところの約束の地ってやつか、そこに至るにはどうやらクリアすべき何かがあるみたいだな」
「……ええ。僕たちは使徒のひとりだと考え、理解すべきことがまだあるんでしょう。あの場所に到達するために必要な……何かが……」
「後ろでひかりんと春の声が聞こえたよな。何やら盛り上がっていたみたいだが、もしかしたらそれも関係しているんじゃないのか?」
「……かもしれません」
柊は後ろを振り向き確認する。
「凪さん後ろのふたりが何を話していたか分かりますか?」
「え? あ……ごめんなさい。ずっと考え事をしていたので聞いてなかったわ」
「そうですか……すみません。ありがとうございます。思考を続けてください」
直面するイレギュラーの終末を、それぞれが現実の出来事であると受け止めるために苦心していた。
「なあ柊くん、思ったより先は長いのかもしれん。どうだい、少し俺と話でもしようじゃないか。未来人とマジで話したのなんて凪ちゃんくらいだからな」
「……そうですね。人と話すことって、それだけで何か安心できる気がします」
「俺はエルサレムで凪ちゃんの涙をみた。それで色々と心の整理がついたんだ。自称未来人が語る木佐貫黙示録ってのは絵空事じゃねえ。だがそれを全面的に信じ、協力するということは、俺の人生における貴重な2年間を預けることでもあった。生半可な気持ちじゃできねえ。とはいえ俺が追いかけているのは木佐貫一だ。あの時点で奴に会える可能性が一番高かったのが君たちだった。夜久の資金提供も大きかったが、やはり決定打は凪ちゃんの涙だ。それを信じた結果、こんな説明がつかねえ世界に今いる。報道価値としても特ダネ級だ。興奮している。あの鳥居の向こうに木佐貫がいると思うと、マジでやべえ」
「……凪さんの涙は昨日、僕も見ました」
「何だよ、泣かせちまったのか? 隅に置けねえな」
「からかわないでください。僕は凪さんの変化を知る人間です。帰国後、凪さんは明らかに変わりました。僕もそうですけど」
「なるほど。確かに俺は未来の凪ちゃんを知らねえからな。だが大方想像はできる。人間なんて時代が変わったって同じさ。DNAに刻まれた情報に大差はない。それは随分と昔から分かっていることだ。文学とか哲学ってのはそういった知の集大成だろう。凪ちゃんが未来で得ていた承認と、この歪な世界に放り込まれ、何を求められていたかを考えると、その涙なんてすぐに理解できたさ。21世紀人、なめてもらっては困る」
「……そうですね。おっしゃる通りです。ご存じの通り、僕はVRLという仮想現実世界を一度もクリアせずにここに来てしまいました。だから半分は一波さんやひかりんと同じ感覚を持っている、と言えると思います。そして凪さんが感じている虚無についても、この特例モードによって表に出てきたんだと思います」
「柊くん、君は異次元で働き続けた。それは賢い選択だったと思うぜ。VRLとやらのクリア経験を持たず、この世界で労働を続けた君はもう立派な21世紀人だ」
「……でも僕が憧れていた21世紀じゃなかったんですけどね」
「なんだよ、つまらねえか? この世界は」
「いえ、今はこの世界でよかったと思っています。僕はこの3年間とても楽しく過ごしました。たとえ危険に満ちていようとも予測不可能な世界は楽しい、そのことに気づきました」
「そりゃ面白い発言だ! 俺たちはどうやってそれを事前に予測できるか、それを血眼になって研究してるんだぜ。命の危機がない未来、そこに住む人にとっては予測不可能な世界が楽しいと感じるんだな。こりゃ傑作だ」
「……そうですね。そういうことになっちゃいますね。変な話です」
一波と柊が笑顔で話し終えると、突如として眼前に巨大な鳥居が出現した。




