第091話 落伍者(1)
最近、頼まれもしないのにこの世界のニュースを伝えてくる女がいる。いいのに。もう、この世界のニュースなんて。本当に、もういいのに……。
ボロボロの布切れをまとったハンスは、いつもの壁にもたれかかりながら地べたに座っていた。辺りをみると自分みたいな浮浪者が薄着の格好をしながら、同じく、地べたに寝っ転がったり、座ったりしていた。その身なりは現実世界のホームレスとさほど変わりはなかった。ハンスには彼等がその日暮らしをしている理由が分かっていた。諦めたのだ。この世界から生きて帰る事を、2ヶ月半後に確実に訪れる死を――受け入れたのだ。もちろん、厳密な意味で死を受け入れた人々は少ないだろう。だが、諦めたのだ。オリジンが4つの城を手に入れた。城の改修は進み、それぞれの城が難攻不落の要塞と化していた。もう皆分かっているのだ。無理なのだ。奴等を出し抜くことなどできないと。……すでに勝者は決定した。それはもう誰の目にも明らかだった。もういい。もういいんだ。よくやったさ。偶然の連続でここまで生き残れた……。だが、不思議なものだ。そうは思っていても積極的に死ぬ気にはなれなかった。怖いのだ。赤の他人は無残に殺せる癖に、自分を殺す勇気はなかった。
――骨の髄まで腐った男。卑怯な男。俺なんて所詮そんなもんだ……。
亡き友との約束を果たせず、自分が好きな女は生きているのか、死んでいるのかさえ定かではなかった。もちろん探した。探しまわった。だが、ついにその行方は分からなかった。そして、あてのない旅を続けるうちに、ここに行き着いた。浮浪者の中に埋もれると何故か心が安らいだ。それから、ここから動けなくなった。根を張った木のようにこの街から動く事が出来なかった。しばらくしてから、心が折れたのだ、と気づいた。亡き友の首が約束を守れと怒っている気がした。
――すまない。本当にすまない。全ては俺のミスだったんだ。俺が取り返しのつかない事をしてしまったからなんだ。許してくれ。俺を許してくれ。頼む……勘弁してくれ……。
目を瞑ると、記憶が蘇ってくる。大切な仲間達の命が散っていったあの日の記憶。己の無能さによって殺された仲間達と笑いあった記憶。地獄だった。生き地獄だった。毎夜うなされた。その時ハンスは思った。自分みたいなちっぽけな人間が真っ先に死ねば良かったのだと。皆の命を背負う覚悟もない癖に、リーダーとなり皆を率いた。そして、死へと導いた。第二次大戦時の日本における無能だと言われていた指揮官を思い浮かべた。部下を皆殺しにして、自分だけ生き残ったヤツがいたことを思い出した。学生時代の自分にとってそんな奴は軽蔑の対象だったが、なんてことはない、それは自分のことだと思った。自分の価値観の中で自分は軽蔑の対象だった。いっそ切腹でもしてみたかった。綺麗に死ねたらどんなに良いだろうと思った。カッコ良い男なら友との約束があるので死ねなかった、とでも言うのだろう。だが、ハンスを生へと引きとめていたのは単純な恐怖だった。死に対する恐怖。ハンスは自分の本性を思い知った。ただの卑怯な腰抜け、それが自分だったのだ。友はきっと前のめりに死んだのだろう。現場を見なくても分かる。そういう男だった。大軍が迫っているのに仲間を置いて逃げ出さない。そんな男だった。酷く自分がちっぽけに感じた。矮小に感じた。クズの中のクズなのだと思った。
逃げたかった。
消えたかった。
消えてしまいたかった。
「はっは~。ハンスさんはまた考え事をしていたのね」
ハンスは振り向いた。また、あの女だ《ヤードラット聖人》。この、ドラ○ンボールに出て来そうなキャラの名前がついた茶色い髪の女は何かにつけハンスに声をかけてきた。放っておいてほしかったハンスは、つっけんどんに対応した。
「……何だ?」
「何だとは何よ! せっかく色々無料で情報を教えてやってるって言うのに」
こちらから頼んだ覚えはない。そう言う前に、ヤードラット聖人がまたキャッスルワールドにおける最新ニュースを勝手に喋り始めた。
「どうやら例のファントム事件、新たな進展があったようね」
また、このニュースだ。
「オリジンの軍隊がファントムの本拠地である《デカルトの森》っていうのかしら? そこを強襲したらしいわ。ファントムはそこから上手く脱出して各地に散らばり、勢力を拡大。キサラギエリアだけではなく、バルダーエリアや、ここライナルエリアでも虐殺騒ぎを起こしているらしいわ」
「……」
「ったく、このファントムって奴等は一体何人ぐらい居るクランなんでしょうね? この規模だと最低でも300人以上ぐらいの人員がいないと成り立たないんじゃないかしら? それともファントムに刺激された他のクランの仕業なのかしら?」
どうでもよかった。現実世界で毎日無節操に続く殺人事件と同じくらい興味がなかった。それよりもこの女に早く消えてもらいたかった。いつもいつも、本当に何なんだ。こうやって隣に座っては最新ニュースを寝る前の子供に読み聞かせる童話みたいに話してくる。そんなに眠ってほしいのか? 別にそれでも構わないが、この視線で気づかないか? この迷惑そうな視線で。くそ……、本当に何なんだこいつ。ハンスが不快な表情をしていると、次にヤードラット聖人は左手をこちょこちょ動かし、一回咳払いしてからハンスに囁いた。
「そして、次は情報屋からの情報よ」
ハンスは不思議でならない。情報屋の情報といえばここにいる浮浪者にとっては高級品みたいなものだ。現実世界でいえば弁護士からのアドバイスに相当するだろう。
――そんなものを何故、俺に話すのだろう? さっぱり意味が分からない。
きっと何か裏がある。ここ一ヶ月ほどはそんな疑いを持っていた。だが、この女はそんな素振りを見せなかった。いや、例え見せた所でどうだというのだ、という気がした。そんな事よりどこかに消えてほしかった。最早情報に価値は無い。この世界はもうすぐ終わりを迎え、そして、皆死ぬ。あとはそれだけだ。それが避けようのない未来なんだ。ニュースなんか……、聞いてどうしろっていうんだ。自分は匙を投げたのだ。生きること、奪うこと、人を死へと追いやること、全てが嫌になったのだ。放っておいてくれ。あとは静かに死ぬんだ。あと2ヶ月半の間に覚悟を決めるだけなんだ。死の覚悟を。ヤードラット聖人はそんなハンスの葛藤をまるで無視するかのように話しを続けた。
「ある時期まではファントムの首謀者というものが分かってなかったけど、最近、首謀者の名前が判明したの。え~と……、《残忍な鷹》で知られた元鷹の団を率いたホークマンという男ね」
――はぁ?
恐らく、ハンスがこの女の口から漏れてきた情報の中で一番面白いと思える情報だった。ハンスは噴き出した。
「ふっふふふははは。住民を皆殺しにするって、どんな鬼畜な野郎なのかと思えば……。くくく。ははは。あのクソッタレ。まだ、死んでなかったのか」
「知り合い?」
「ん? 昔……ちょっとな」
「ちょっと何?」
「ちょっとはちょっとさ……」
そう言いハンスが黙ると、ヤードラット聖人は顔を耳元に近づけてきた。
「確かにあなたとは因縁の仲よね。この世界に来てはじめて殺し合った相手ですものね。そうでしょ? モトヤ」




