終
決闘は終結し、ミハエルはマリーと結婚式を挙げた。
……となれば良かったのだが、そう簡単に行くほど世の中は甘くない。貴族の、それも四大貴族の結婚式であれだけの大騒ぎがあったのだ。決闘が終わったからといって、その直後に式を再開する、なんてことは不可能である。
決闘でヤマトが放ったあの一撃。その被害は大きく、結婚式場の一部までもが破壊された。そんな場所で再開してしまうのは貴族として傷が残ってしまう。とはいうものの、既に決闘そのものをしてしまった時点で傷も何もないとミハエルは思うが。
しかし幸か不幸か、怪我人は多少いたものの、死者は一人もいなかった。あれだけの一撃を周囲に放ったというのに死亡者がいなかったのは何とも不思議な話で、信じられない偶然だった。
いや……本当に偶然だったのだろうか。
ミハエルは決闘が終わった後に時々思う。
あの幻聴。
あれは一体なんだったのだろうか。
今でも朧げだが覚えている少女の声。どこか感情のなさそうな、けれども最後にはミハエルに励ましの言葉を送った彼女は一体誰だったのだろうか、と。口ぶりからするに少女はヤマトの望みを叶えるための存在だったのだろう。
ならば、だ。誰一人死ななかったことも彼女がしたことではないだろうか。あの時ヤマトはミハエルを本気で倒そうとはしていたが、その代わりに周囲の人間まで巻き込むことなど望んでいなかったはず。いや、巻き込まないことを望んでいたのかもしれない。それを彼女は叶えた。
馬鹿馬鹿しい推測だが、しかしそれぐらいでしか、あの状況の説明がつかない。
そして、そんなことができる彼女はもしや……。
と、そこでミハエルは考えるのをやめる。それ以上は流石に無粋というものだ。
それに今、彼にはやらなければならないことがあるのだから。
「……では君は彼らを罪に問わないで欲しい、と。そう言いたいわけかね?」
ゼルドの問いにミハエルは頷く。
今現在、ミハエルはゼルドの屋敷へとやってきていた。その目的は今言ったとおりのもの。
決闘を了承したとは言え、彼らは結婚式に乱入し、その被害は尋常なものではない。いくら結婚式の当事者であるミハエルがよくても、新婦の父親であるゼルドがそれを許すわけがなかった。
「彼らは罪に問われることをした。しかも一度は見逃されている身でありながら、だ。それを再び黙認すれば他に示しがつかないとは思わないのか? それにここで何もしなければそれこそ四大貴族の威厳が損なわれる」
「しかし、彼らがいなければ今回の決闘はなり得なかった」
ミハエルの言葉にゼルドは何も言わない。
しかし、その瞳は真剣さを失ってはいなかった。
「私が言うのもおこがましいことではありますが、あの決闘によって四大貴族の力は大きいことを知らしめすことができた。異世界人の力に頼る必要性もない、というのも証明することができました。これだけでも改革派の勢いはかなり削れたはず。何せ、奥の手である異世界人の存在価値を一気に暴落させられたのだから」
「……続けてもらおうか」
「我々は既に改革派にある意味で勝利したと言ってもいいでしょう。そして、ここで彼らから情報を聞き出し、後ろで操っていたであろう者達を断罪できる可能性もある。そのためにゼルド殿は彼らを捕まえようとしている。違いますか?」
「……そういった考えもなくはない、とだけ言っておこう」
「しかし、その可能性はあまりにも低い」
ぴくりっとゼルドの眉が動いたのをミハエルは見逃さなかった。
「……その根拠は?」
「彼らはあくまで自分達の意思で臨んだと考えているでしょう。そんな人間から聞き出せることなどたかが知れています。できたとしても、それに対する工作は既に済んでいると考えるべきです」
「だから、彼らを捕まえ、取り調べをしても意味がない、と?」
「それだけではありません。彼……ヤマト・キサラギは負けましたが、それでも力を持っていることには変わりない。改革派からすれば暴落したとはいえ、未だ利用価値はあると思っているはず。そして、そんな彼を釈放することは改革派へ『貸し』を作ることにはなりませんか?」
「つまり君は、連中に恩を売っておけ、と言いたいのか」
その言葉にミハエルは答えない。ただ黙って真摯にゼルドを見ていた。
一方ゼルドはふむ……と少し考え込んだ後、口を開く。
「そんな、強引な理由付けで彼らを開放するとでも?」
「ゼルド殿……」
「とはいえ……君が決闘で勝利したことが改革派にとって大きな打撃になったのは事実だ。その君の願いだ。無碍にすることはできん」
言うとゼルドは立ち上がり、窓の方へと向かう。外は雲一つない晴天、ではないものの、それでも陽気な天気であった。
「……一つ聞こう。君は何故そうまでしてあの少年を庇う? 結婚式を台無しにした挙句、そんなにまで傷だらけにされたというのに」
「剣士として傷だらけになるのは覚悟しています。それに……彼らの言い分もわからなくはありませんでしたから」
「感傷的だな。そんなことでは貴族として足を掬われてしまうぞ……昔の私のように」
その言葉に少々疑問を覚えるミハエル。
それは一体どういうことなのか。
それを問う前にゼルドは語りだす。
「私が婚約者に逃げられたことがある、というのは聞いているかな」
「……噂程度には」
「あれは逃げられたのではない……逃がしたのだ」
言葉を失う、というのは正しくこのことだろう。
噂が真実であったこともそうだが、そのさらに奥にある真実が逃がしたというのが信じられなかった。貴族に対して誇りと威厳を持つことを何よりも大事にする彼がどうしてそんなことをしたのか。
「当時の私は彼女のことを心から愛していた。だが、一方の彼女は私のことを疎ましく思っていてな。彼女のことを想えば、私が身を引く以外、方法はなかった」
「つまり……婚約者の誘拐……いえ、逃亡を見て見ぬフリをした、と」
「結果、私は婚約者に逃げられた哀れな貴族となった。そのせいでトワネット家には大きな傷ができてしまい、信用も落ちてしまった。今では何とか持ち返してはいるが……その苦労は想像を遥かに超えていた」
「ゼルド殿……」
それはもしかすればミハエルが辿っていたかもしれない道。
その道を歩んできた貴族の背中は大きく、しかしどこか寂しそうだった。
「別に私は後悔をしているわけではない。だが、一時の気の迷いのせいで人という生き物は人生を台無しにする可能性もある、ということは覚えておいてくれ」
「肝に銘じておきます……ですが」
「ん?」
「私はどうしようもなく馬鹿な人間です。後悔すると分かっていても、己がするべきことだと思えば私は迷うことなく己の矜持を貫きます」
「それが、例えどんな辛い道だとしても?」
「それを選択したのは自分です。ならば、歩き続けるのが筋というもののはずです」
「……君という男は、本当に不器用な人間だ」
けれど。
「そんな君を見ていたからだろうか……私もあの時、もう少しだけ、あがくべきだったのではないかと思ってしまう」
後悔というわけではない。やり直したいということでもない。
ただ……もしもあの時に戻れるとすれば、違う選択もしてみたい。
これはそれだけの話である。
「……それはそうと、何やら午後は娘とどこかへ出かける予定があると聞いたが、どこへ?」
「ええ……」
ミハエルは出された紅茶を啜りながら、答えた。
「少々墓参りに」
*
規則正しいと言わんばかりに並べられてあるそれは墓。
ミハエルとマリーは集団墓地にいた。
本来、貴族としては別の場所に置かれるべきなのだろうが、ここは特別な墓地。
十五年前に起こった戦争で亡くなった人々のためのもの。
その中でも一等大きなものがあった。
それが四大貴族の一つ、ブラッド家前当主。つまりはミハエルの父の墓だった。
花を捧げ、二人はいくらか黙祷をした後、マリーは口を開く。
「……旦那様」
「何だろうか」
「私はその……正直な話、未だヤマト様のことを引きずっています。ですので、貴方のことを心の底から愛している、とは言えません」
「……だろうな」
マリーの言い分は尤もだ。彼女はヤマト・キサラギに振られた。しかしそれがつまり、ミハエルのことをすぐに好きになる要因になるわけではない。
現段階で言うならば、よくて友人関係、というところだろう。
「一つ確認をしたいことがあるのですが……旦那様は私のこと、好きですか?」
それは唐突な問い。
唖然とするミハエルに少々頬を赤めたマリーは続ける。
「その……私が思うに旦那様はきちんと私のことを好きだと言ってくれた覚えがないのですが……」
言われてミハエルは思う。確かに、と。
それらしい言葉は散々言ってきた気がするが、直接的な言葉言った試しはないと思われる。しかし、それは仕方のないことだろう。何しろ、そんな余裕など以前のミハエルにはなかったのだから。
しかし、今は違う。
違う、が。
「その……言うのは構わないんだが、一つ頼みがある」
「……旦那様。結婚相手を好きだというのに条件付きとはいかがなものなのでしょうか」
「そんな残念そうな目で見ないでくれ。そもそも、だ。これは言うべきことだとは思っていたのだが……もうそろそろ、私のことも名前で呼んではもらえないだろうか」
今度はマリーが驚く番だった。
「……えっとー……呼んだこと、ありませんでしたっけ?」
「一度だけあるにはあるが……その、二人っきりの時は未だにないと記憶している」
しかもその一回というのがヤマト達を追い返す時だった。あの時は色々と混乱していたが、正直な話ミハエルにとっては複雑な心境だったのだ。
そしてマリーはそのことを意識はしていなかった……これもまた、ミハエルの心にくるものがあった。
「分かりました。ゴホン……では、ミハエル様。もう一度お聞きします。私のこと、好きですか?」
「無論だとも」
「……そういうのじゃなくて、ちゃんと答えてください」
ムッとするマリーにミハエルは「す、すまない」と謝罪しながら、大きく生きを吸い、そして吐く。
「……好きだ。マリー。愛している」
運命の出会い、というわけではなかったのだろう。貴族同士の決め事。それこそ、この世界ではよくある出会い方。
けれども、ミハエルのその言葉には嘘偽りは無い。
そして、それを聞いたマリーもまた。
「ありがとう、ミハエル様。今はまだ、その気持ちに答えられません。けれど――――」
今までに見せたことのない笑みを浮かべた。
「きっといつか、心の底から貴方のことを好きになれると思いますわ」
その言葉が、表情が、真実のものであるということはミハエルにも分かった。
それだけでもう十分だった。
「ですので、私が惚れるよう、ミハエル様も努力してください」
「……ぜ、善処する」
「そこは絶対惚れさせてみせる、というのではありませんか? それとも自信がお有りでないと?」
「そんなことはない。きっと、いや必ず……」
一拍置いて、ミハエルは微笑を浮かべ、そして言う。
「必ず貴方を幸せにしてみせる」
「……はい。よろしくお願いします」
こうして不器用な貴族は結婚した。
彼らの未来が幸福になるか、不幸になるか。そしてマリーはミハエルのことを好きになるのか。
それはまた別の話。
けれど、蛇足的な予測をさせてもらえば。
きっと、マリーはミハエルと一緒になったことを後悔しないだろう。
何故ならば。
この時、彼女は既に小さな、けれども確かな幸せを感じていたのだから。
ここまでお付き合いしていただき、ありがとうございました。
これにて今作は完結する形となります。
今回の作品キーワードは作品名そのものです。
昨今、貴族と無理やり結婚させられそうなヒロインを助ける話がよくありますが、これはその貴族の視点から見たらどうなるのか、というものです。そして、こういった恋愛もありなのではないか、と思った上で書かせてもらいました。
無論、こんなの恋愛じゃない、嫌いだ、と言われる方もいるかもしれません。
そういった指摘、意見も含めて良い点悪い点など、感想を書いてもらえれば幸いです。
それでは、ここら辺で終わりとさせてもらいます。
本当にありがとうございました。
PS
もしかすれば後日談なども書くかもしれません。その時はまた読んでください。




