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胃薬を飲む頻度が、明らかに増えている。リィネめ……いや、俺の自業自得だ。彼女を憎むのは筋違いも甚だしい。
本来、特級の錬金薬は一滴で半日は効果が持続するはずだ。それを日に三度も煽っている今の状況は、俺の胃壁が悲鳴を上げている証拠に他ならない。
「旦那様、顔色がその……。ンンッ! 本日の公務は……えっと……」
「……続けろ。この程度の痛み、戦場に比べれば……蜂に刺されたようなものだ……」
傷の方が、まだ「敵が誰か」分かっている分、精神的には楽だった。
今の俺を苛んでいるのは、敵意でも殺意でもない。リィネという名の「あまりにも眩しすぎる善意」という名の暴力だ。
執務室の窓から、中庭を見下ろす。
そこには俺が命じた「罰」を遂行しているリィネの姿があった。
俺は彼女を虐げるため、今日、新たな命令を下したのだ。
『我が家の庭は荒れ放題だ。貴様のような居候には、一日中、裏庭の薬草園の雑草抜きを命じる。一株でも抜き残しがあれば、夕食抜きだと思え』と。
裏庭の薬草園。そこは長年手入れが届かず、地面は固く締まり、厄介な刺のある雑草や、肌をかぶれさせる死にはしないが、鬱陶しい毒草が混じっている場所だ。
貴族の令嬢なら、その光景を見ただけで失神するか、泥に汚れることを拒んで泣き喚くはずだった。そうすればリィネ今度こそ本性を表し、俺は正々堂々と彼女を叱り飛ばし、冷遇することができる。
────
しかし。
「うふふ、見てくださいアンナ(メイド長)! この『黄金根』の双葉、こんなに元気に育っていますわ!」
リィネは泥だらけの膝をつき、鼻歌を歌いながら作業に没頭していた。
俺が与えた「再生軟膏」で綺麗になったはずの手は、再び土にまみれている。だが、彼女はその汚れを全く気にする様子もなく、むしろ宝探しでもしているかのように目を輝かせていた。
「閣下は本当にすごいです。こんなに貴重な薬草が自生している場所を、私に任せてくださるなんて。……私、没落してからは、道端の雑草と食べられる野草を見分けるのが得意になったんです。これなら、閣下の胃腸に効く新しいお薬も、もっとたくさん作れますわ!」
……まただ。
また俺の「嫌がらせ」を、彼女の中で「信頼の証」に変換されている。どういう脳の構造をしているんだ?
……あいつは、馬鹿なのか? それとも、俺を煽っているのか?
窓枠を指が白くなるほど強く握りしめる。
胃の奥が熱い鉄を流し込まれたように疼く。
俺は「氷の領主」だ。冷酷非情、合理的、感情に流されない——。その評価を維持するために、どれほどの血を流し、心を殺してきたと思っている。
それなのに。
「……セバス。俺も庭へ行く。抜き残しがないか、厳しくチェックしてやる」
「左様でございますか。……胃薬の瓶、お持ちしましょうか?」
「……二本用意しろ」
────
庭に降りると、陽光を浴びた土の匂いと、ハーブの清涼な香りが混じり合って漂ってきた。
リィネは俺の足音に気づくと、パッと顔を上げた。
「あ、閣下! 見てください、こんなに綺麗になりました!」
彼女が指差した先には、数時間前まで膝丈まであった雑草がすっかり取り除かれ、整然と区画分けされた土壌が広がっていた。
信じられない作業スピードだ。いや、それ以上に驚くべきは、彼女が「抜くべき雑草」と「残すべき薬草」を完璧に見分けていることだった。しかし、なにが楽しい?
「……貴様、なぜこの『青銀草』を残した。これも雑草の一種だろう」
俺はわざと低く、威圧的な声で問い詰める。
青銀草。見た目はただの草だが、その葉汁は臭く、不用意に触れれば指がかぶれる。錬金術の素材としては二級品で、育てる手間の方が多い、厄介な代物だ。
「えっ……。あ、ごめんなさい。でも、この子、夜になると月光を浴びて、とっても綺麗な青い光を放つんです。閣下の執務室の窓からちょうど見える位置でしたから……お疲れの時に少しでも癒やしになればと思って……」
リィネは申し訳なさそうに、小さな肩をすくめた。
……夜の癒やし?
「……無駄だ。俺は寝る時以外、窓の外など見ない」
「そ、そうなのですか……。余計なことをいたしました。……でも、閣下。この土、とっても良い土ですね。ヴァレンシュタイン家の歴史を感じます。冷たくて、でも芯に力があって……閣下みたいです」
ふん、世辞か。
彼女は愛おしそうに地面を撫でた。
土を撫でて、俺みたいだ、と?
……俺はそんなに、泥臭くて頑固な男に見えるというのか。
「……口数が多いな。手が止まっているぞ」
「はい! すみません!」
リィネは慌てて作業に戻ろうとした。
その時だ。
「——あっ」
彼女が短く声を上げた。
見れば、彼女の指先から、赤い血がひとすじ滴っている。
地中に隠れていた、尖った石か、あるいはランドゥル(デカめの蟻)で切ったのだろう。
「……見せろ」
俺は反射的にリィネの手を掴んでいた。
昨日、軟膏を塗ってようやく滑らかになってきたはずの肌に、再び生々しい傷跡が刻まれている。
「あ、大丈夫です、閣下! このくらい、水で洗い流しておけば、そのうち治りますから。以前はもっと酷い怪我でも——」
「……黙れ」
俺は彼女の言葉を遮った。
以前はもっと酷い怪我でも、何だというのだ。
フェルディアの屋敷を追い出され、行く当てもなく、汚れた水で傷を洗いながら、彼女は一人で耐えてきたのか。
かつて「王国の至宝」と呼ばれ、絹のドレスに身を包んでいた少女が。
怒りが湧いてきた。
彼女をそんな目に合わせた世界に。
そして、今こうして彼女に再び泥を触らせ、傷を作らせている自分自身に。
「アンナ! 救急箱だ! あと、今すぐこの庭に魔法障壁を張れ! 土砂降りが来ても土が跳ねないように、そして……二度と彼女が指を切らないように、すべての石や害虫を除去しろ!」
「旦那様、さすがに庭のすべての石などを除去するのは物理的に……」
「魔法を使えと言っているんだ! 魔術師を動員しろ」
俺の剣幕に、リィネは目を丸くして固まっていた。
そして。
「……ふふっ」
あろうことか、彼女は小さく吹き出した。
「……おい、何がおかしい。貴様、俺を馬鹿にしているのか?」
「いえ、そうではありません。ただ……閣下は、本当にお優しいだけでなく、とっても『大げさ』な方なのだなと思って。……私の小さな傷のために、そこまで怒ってくださるなんて」
彼女は血の滲む指を俺の大きな手のひらに預けたまま、潤んだ瞳で俺を見上げた。
「私、幸せです。フェルディアが滅びてから、私のために誰かが怒ってくれたことなんて、一度もありませんでしたから……」
——ズガガガガッ!!
俺の胃が異音を立てる、何かが、何かが決壊する音がした。
痛みではない。もはや、それは「激痛」という概念を超越した、魂の震えだった。
……く、くそ。もうダメだ。勝てぬ。
俺はこの女を冷遇することなど、一生できない。
毒を吐けば吐くほど、彼女はそれを甘い蜜に変えて飲み干し、至上の笑顔で返してくる。
俺の「冷酷」という鎧は、彼女の前ではただの薄紙に過ぎなかったのではないか。これが真の慈愛なのか? ヴォルナイストーリア(調和の女神)のような神の慈愛そのものなのか!?
「……か、勘違いするな。貴様の指から出た血が、我が家の高価な薬草に付着して、薬効を損なうのが嫌なだけだ」
俺は精一杯の盲言的虚勢を張り、彼女の手を振り払うようにして立ち上がった。
「リィネを今すぐ部屋へ戻れ! 今日の作業は終了だ! それから……」
俺は背中を向けたまま、絞り出すように言った。
「……今日の夕食には、俺の好きな最高級の、柔らかい……そう、噛まなくても溶けるような肉を用意してやる。……それと、指の傷を癒やすための……ビタミンが豊富な果物もだ。余らせることは許さん。全部食え。……いいな?」
「はい、閣下! 喜んでいただきます!」
後ろから聞こえる、弾んだ声。
俺は足早にその場を去った。
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執務室に戻りデスクに突っ伏すと、そこには今朝リィネから渡された、まだ温かい「ハーブのシロップ」の瓶があった。
俺はそれを一気に煽る。
錬金術で作ったどんな劇薬よりも、彼女の「泥臭いシロップ」の方が、俺の胃を優しく癒やしていく。
「……セバス」
「はい、旦那様」
「……リィネの実家、フェルディア公爵家が取り潰された際の再調査資料を持ってこい。……特務階級の、秘匿資料だ」
セバスの動きが一瞬止まった。
「……それは……王命に背くことになりますが?」
「分かっている。……だが、俺の胃が持たん。彼女が『幸せです』と言うたびに、俺の過去の行動が刃になって突き刺さる」
俺は彼女が残した「青銀草」が微かに揺れる庭を見つめた。
「もし……もし、あの家の没落に不正な工作があったとしたら。俺は、俺の全財産と、このヴァレンシュタインの家名を懸けてでも、彼女に『本当の幸せ』を返さなければならない」
それは俺が初めて抱いた、あまりにも無鉄砲で、あまりにも不器用な「愛」の形だった。
────
その夜。
執務室の窓から外を見ると、リィネが残した青銀草が、淡い、優しい光を放っていた。
その光を見つめながら、俺は再び胃を押さえる。
「……光りすぎだ、馬鹿者め。……眩しくて、寝られないだろうが」
口元にこぼれたのは、自分でも驚くほど穏やかな苦笑いだった。




