序章: 白百合の妖精姫
豪華なシャンデリアが煌めく荘厳な会場はオーケストラが奏でる美しい音色と煌びやかに着飾った紳士淑女の談笑がそこかしこに聞こえ、樹木の葉擦れか細波のように広がって会場を満たしている。そこへ従僕が高らかに声を上げ、新たな来場者の名を呼び上げる。
『セルヴァン伯爵とセルヴァン伯爵夫人、並びにフェリシア・セルヴァン嬢!』
ざわざわとした話し声が自然と小さくなり、入口へと皆の視線が集まる。重々しい音を立てて開かれた扉をくぐり、ゆっくりと歩みを進める夫婦とその後ろに続く一人の令嬢。近くにいた来場客たちはその姿をうっとりと眺め、ある者はほう、と感嘆のため息をつく…。
ふんわりと流行の形に結い上げられた髪は月の光を集めてそのまま絹糸にしたような銀色で、伏し目がちな瞳も同じく銀色だがこちらは揺らめく湖面に映った満月のようである。ほっそりとした柳のような優美な姿はさながら物語に出てくる妖精の女王を思わせ、透き通るような白い肌に申し訳程度に白粉をのせ、瑞々しい薔薇の花弁のような唇に浮かぶ可憐な笑みは老若男女を一瞬で虜にしてしまう。
ソヴール王国の社交界に咲き誇る一輪の花、『白百合の妖精姫』ことフェリシア・セルヴァン伯爵令嬢は今夜も人々の注目を一身に集めている。
「シア、私たちは知り合いに挨拶に向かうけれどお前はどうする?」
父親である、セルヴァン伯にそう尋ねられたフェリシアはそっと扇子を広げて可愛らしい口元を隠しながら考える。
「お友達を見つけたわ。わたくしはそちらに伺おうかしら」
ちらりと視線を送れば、友人らもこちらに気付いたようである。ふむ、と父が言い、その腕にそっと手を添えて隣に立つ母も頷く。
「あなた、わたくし達も参りましょうか。…シア、振る舞いには気をつけるのですよ。ここでは誰が何を考えているか分かりませんからね」
「分かっているわ、お母様。どうぞいってらっしゃいませ」
まだ何か言い足りなさげな妻を宥めながら、両親は足を進めて行き、一人になったフェリシアは足早に友人らの元へ急ぐ。
「セルヴァン嬢、良い夜ですね。あなたに出会えるなんて今日の私はなんて幸運なんだ!」
「あちらで私と少しお話しませんか?あなたに似合う宝石を見つけたんです」
次々に群がる男たちに、お友達が待っていますので、と失礼にならないようにお断りの言葉を繰り返し、やっとの思いで目的地に辿り着く。
「お疲れさま、シア。今夜も大変ね」
「もう、他人事だと思って」
「それはそうよ。あなたのことですもの、『妖精姫』さん」
「嫌だわ。また、わたくしをからかって遊ぶつもりね」
ふふふっ、と楽しげに笑う友人らにフェリシアも少し頬を膨らませて見せる。そんな子供じみた仕草も彼女の魅力を損なうことはなく、むしろ可憐さを際立たせ、ちらちらと横目でフェリシアたちの様子を伺っていた男たちが一斉に息を呑む。
「ほらほら、ここに居たらあなたを狙う狼さんたちの邪魔がいつ入るか分からないわ。あちらに行きましょ」
友人の提案を受け、気のおけないやり取りを楽しみながら落ち着ける場所へ移動し始めたその時、どんっ、と背後から衝撃があり、フェリシアはたたらを踏む。
「…え、熱い…?」
胸の中心からじわりと広がった熱に触れた指先が真っ赤に染まる。急に膝に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。
カラン、と床に何かが落ち、それが血まみれのナイフだと分かった瞬間、全身を焼き尽くすような激しい痛みに襲われる。頭中にガンガンと鼓動が鳴り響き、その音に合わせて身体中の熱が痛みと共に胸元からどんどん溢れていく。
「…き、きみが悪いんだ…っ、ぼ、ぼくの気持ちを、踏みにじった…っ…、きみが…っ!!!!」
誰のものかも分からない、狂気に塗れた声で、まったく覚えのない恨み言を聞かされる。
「…シアッ!?…誰か…っ、誰か早く来てぇっ!!」
真っ青な顔で自分を覗き込み、淑女らしからぬ大声を張り上げる友人たちの姿と、高い天井と、煌めくシャンデリアが、霞みがかったように段々と見えなくなっていく。
「…どけっ!!道を開けるんだ…っ!!シア…ッ!!」
「…シアッ、シア…ッ!!?どうか、目を開けてちょうだい…」
生まれてから一度も聞いたことのない両親の悲痛な叫びに、だいじょうぶ、と返そうとした言葉が音になる代わりに、ごぼっと口から血が溢れる。ついに目の前が真っ暗になり、ガンガンと鳴り響いていた鼓動も、周囲の音も次第に遠ざかる。
どうして、呟きたかったのに、微かに唇が震えただけで。
フェリシアは、16歳でその短い一生を終えた。




