【第二話】二度目のデートは“思わせぶり”が過ぎますわ
翌朝。
鏡に映るわたくしは、垂れた緑の目が少しでもキツく見えるように、眉を吊り上げて描き、唇にはわざとらしいほど鮮やかな赤を引いてもらった。
普段は下ろしている金の髪も、ギュルギュルと音を立てそうなほどの縦ロールに仕上げてもらう。
「まあ……! さすがクラリスね。きっとこれなら立派な悪女に見えますわ」
気合いを込めてうなずくと、傍らに控えるメイドたちはなんとも言えない表情でこちらを見た。
その中の一人であるクラリスが、少し呆れたような声を上げる。
「レティシアお嬢様……今日も、その、悪女風でいらっしゃるのですね?」
「当然でしょう。あの方に愛想をつかされるまでは、完璧な悪女を演じきらなくてはなりませんもの」
胸を張って言い切ったのに、クラリスは少し困ったように眉をひそめた。
「ですが昨日は……お帰りの後も、とても楽しそうなご様子でしたよ? 護衛の報告でも、ディルアーク公爵令息様は終始穏やかで――とても和やかな雰囲気だったと」
「……う」
言葉に詰まる。
確かに昨日は、あまりにも自然に会話が弾んでしまった。
周りに視線を送ると、他のメイドたちも、うんうんと頷き合っている。
(周囲の人たちの目から見て明らかなほど、わたくしは浮かれていたのかしら)
けれど、思い出さなくてはならない。
わたくしには、すでに心に決めた人がいる。家の反対を押し切ってでも添い遂げたいと願う、恋人が。
――アラン・デュボア。
下位貴族の出ながら、わたくしに誠実な想いを伝えてくれた、優しくて、情熱的な人。
(わたくしが愛しているのは、あの人だけ。レオニス様のようなお方とは釣り合わないし、結婚しても幸せになれるはずがありませんわ)
だから、レオニス様との縁談は断らなければならない。
それに、今は優しくされていても、それはわたくしが“政略結婚の最有力候補”だから。
それにわたくしは彼の噂を知っている。
彼にも、すでに心に決めた方がいらっしゃることを。
でも――
「……お父様はレオニス様との縁談にご執心だわ。家格差もあるし、わたくしから断ることは許されない。彼から断っていただかなくては」
父は、アランのことをひどく嫌っている。
何度も結婚の許しを乞うたが、そのたびに「ろくでもない男との結婚など許さぬ」と諌められた。
きっと、父にとっては、家名がすべてなのだろう。それ以外の価値を認めようとなさらない。
もし、この縁談を私から断れば――父は激怒し、アランと二度と会うことは許されなくなるだろう。
「だったら……わたくしが、レオニス様に嫌われてしまえばいいのよ」
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「『わがままで手に負えない悪女』を、完璧に演じきるの。レオニス様は貴族らしいお考えを持つ立派な方よ。きっとお家のために見限る判断をなさるわ」
「お嬢様……」
クラリスの不安そうな顔。それも当然だろう。
だって――こんな作戦、無理があるに決まっている。
しかも、相手は噂から勝手に思い描いてた人物像とはまるで違っていたのだから。
それも直にお会いして昨日のように紳士的な振る舞いと優しい人柄に触れれば……心が揺れてしまうのも、仕方がない。
でも、それでも。
あの方に嫌われなければ、わたくしの初恋は終わってしまう。
(ごめんなさい、レオニス様。あなたに悪感情は、もうないけれど……わたくしの恋を守らせて)
心の中でそう詫びながら、わたくしは馬車に乗り込んだ。
今日は、彼が誘ってくださった美術館へ出かける予定。
レオニス様と会う前は、こんな展開になるとは夢にも思わなかった。
けれど、思いがけず二度目のデートをすることになっていて――
きっと今後デートを重ねるたびに、悪女演技の難易度が、どんどん跳ね上がっていく予感がしている。
――それでも、演じきらなくては。
わたくしの"本当の恋"を守るために。
美術館の正面玄関に降り立ったわたくしは、今日も"悪女作戦"の一環として、しっかりと「遅刻」してみせた。
(今回は前回を上回る、四十分遅れ。さすがに、今度こそ不機嫌になってくださるでしょう?)
馬車を遠回りさせ、ドレスの裾をもたつかせ、クラリスに無茶なヘアアレンジを頼み込んで――完璧に演出したつもりだった。
なのに。
「お待たせしましたわ、レオニス様――」
息を整えて声をかけた瞬間、レオニス様はいつもの穏やかな笑みをたたえて迎えてくださった。
「お会いできて嬉しいです。あなたを思わせる絵があったので、それを眺めていたら、あっという間でしたよ。ちょうど今日のドレスにも似合いそうな作品でして――」
まあ、お怒りゼロですわね。
むしろ、待つのが当然とでも言うような余裕の態度で、わたくしの作戦はまたもや見事に空振りに終わってしまった。
(そんな……。アランとは、あまりにも反応が違いすぎて、調子が狂ってしまいますわ)
思い出すのは、あのとき。馬車の中で体調を崩したクラリスを病院に送り届けるために、アランとの待ち合わせに四十分遅れた日のこと。
『俺だって暇じゃないんだ。次はないから』
そう言って眉をひそめたアランの冷たい表情が、今も胸に残っている。
ですのに、この方は――。
「……お待たせして、ご多忙な公爵令息様のお時間を無駄にしてしまいましたわね?」
あえて意地悪に問いかけてみると、レオニス様はふっと目を細めて、優しくおっしゃった。
「あなたと過ごせるのなら、待っている時間さえも、楽しみの一部ですよ」
――……なんですの、それ。
思わず、返す言葉を失った。
(なんて寛容なお方でしょう。この方をこれ以上どうやって怒らせればいいというの……?)
困惑したまま、案内されたのは、光の反射まで計算された特別展示室。淡い色彩で描かれた風景画が並ぶ、その中でレオニス様は一枚の絵を指し示した。
「この作品は春の終わりに描かれたそうです。日差しが、どこか名残惜しげでしょう?」
描かれていたのは、白い花が咲き誇る丘。風に揺れる草花の筆致が美しく、思わず息を飲み、魅入ってしまった。
「いかがですか? きっと、あなたはこの絵がお好きではないかと思ったのですが」
はっとして、慌てて"悪女"を装う。
「……ええ、その、素敵ですわね。……でも、別に好きというわけではありませんのよ? どうせなら、もっと、……そう! お高そうな絵のほうが見応えがあると思いますもの」
わがままな令嬢風に言ってみせたつもりだったのに――
「それでは、次はそちらを一緒に見ましょう。あなたと一緒なら高価でもそうでなくても価値がありますから」
まあ、何て紳士的なのでしょう。
まるで、わたくしが何を言っても受け止めてくれるかと錯覚を起こしてしまいそう。
甘やかすように、優しく。
(アランとは……やっぱり、違うのね)
胸の奥が、じんわりと痛む。
"育ちの違い" "貴族としての教育の差"――都合よくそう片付けてきたけれど、本当はもっと根本的な、何かが違うのかもしれない。
(そう、例えるなら、――愛されているかそうでないかの違い……)
「……!」
気づけば、ぼうっと絵を見つめたまま立ち尽くしていたわたくしの顔を、レオニス様がそっと覗き込んでいた。
「疲れましたか? 向こうにサロンがあります。無理なさらず、少し休みましょう」
「い、いえ、そんな――」
「紅茶がお好きでしたよね? 先日そう仰っていたでしょう? ちょうどその銘柄を扱っていると聞いて。……その、調べておきました」
まあ、お優しいわ。
細やかな気遣い。しかも、ささいな会話まで覚えていてくれている。
ただの政略結婚の相手に、ここまでしてくださるなんて。
(まるで――わたくしに、特別な想いを抱いてくださっているみたい)
そう思ってしまう自分が、いちばん危うい。
(あなただって――心に決めた方がいるのでしょう?)
そう言い聞かせながら、わたくしはぎこちない笑みを浮かべて、彼の隣を歩き出した。
──続く。




