第9話 封じられた記録と、選ぶ者
【 友達と監視者のあいだ 】
授業中、僕は教室の空気の重さに気づいていた。
黒板の前で教師が呪文理論を解説している間も、何人かの生徒がこっそりこちらを振り返る。
誰かと目が合いそうになると、すぐに目を逸らされる。
(また、か)
もう慣れたと思っていたけれど、慣れるものじゃない。
まるで、触れたら壊れるガラス細工みたいに、誰もが僕との距離をはかっている。
チャイムが鳴り、授業が終わると、みんながぱたぱたと教室を出ていった。
その中で、ひとりだけ僕の席の隣に立ち止まった。
「アレン」
レオだった。
いつものように話しかけてくるわけでも、ふざけるわけでもない。
「……ずっと黙ってたんだな、あの魔法のこと」
「……うん」
返事は、それしか言えなかった。
「何か言ってくれよ。俺は――友達だろ?」
その声に、思わず顔を上げた。
レオの表情は、怒っているわけでも、責めているわけでもなかった。
ただ、少しだけ、寂しそうだった。
「ごめん。でも、どう話していいか、わからなかったんだ」
レオは一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「……そっか。なら、仕方ないな」
そのまま彼は何も言わずに立ち去った。
だけど、その背中が、ほんの少し遠く感じた。
その日の午後、僕は呼び出しを受けた。
行き先は、本部棟の奥――応接室。
中にいたのは、シリウス・ローブ。学園長代理。
彼は椅子に座ったまま、僕に微笑みかけた。
しかし、あの笑みはもう、信用できなかった。
「アレン・グレイ君。君には、特別進路コースへの参加を打診したい」
「特別進路……?」
「君の能力を最大限に伸ばすため、個別指導の枠を設ける。
将来的には、国家直属の魔導研究機関とも連携を考えている」
一見、栄誉のように聞こえるその提案。
でも、僕にはわかっていた。
これは“自由”を与えるためじゃない。
“囲い込む”ための誘導だ。
「……少し、考えさせてください」
そう言って、僕はその場を後にした。
廊下を歩きながら、胸の奥がざわざわしていた。
まるで、何かに押し込められそうな感覚。
【 誘導と、もう一つの扉 】
そのとき――
制服のポケットの中で、銀のメダルが、ひとりでに光を放ち始めた。
慌てて取り出すと、メダルの表面に刻まれた紋章が、かすかに輝いている。
(これ……)
光は誰にも見られないほど微細で、それでいて確かな魔力を放っていた。
まるで、何かを知らせようとしているかのように。
(導かれてる……?)
なぜか、足が勝手に動いた。
気がつくと、僕は寮とは違う方向、校舎の裏手へと向かっていた。
使われていない旧倉庫の脇に、小さな扉があった。
いつもは鍵がかかっているその扉が、なぜか今日は、ほんの少しだけ開いていた。
(……中に何がある?)
思わず手を伸ばす。
けれど、そのとき頭の中に浮かんだのは、黒衣の男の言葉だった。
――選ぶ時は、突然訪れる。備えておけ。
「選ばされる前に、自分で選ぶ――か」
呟いたその言葉が、自分の中にすとんと落ちた。
僕は、一歩、足を踏み出した。
この先に何があるのか、まだわからない。
でももう、流されるだけの自分じゃいたくなかった。
【 封じられた記録 】
扉の中は、思ったよりも静かだった。
広くはない空間に、木製の棚と古びた机が一つ。
薄暗い室内には、ほんのりと古文書のような香りが漂っていた。
(……使われていた気配がある)
決して埃だらけというわけではない。
むしろ、誰かがずっとここを“守っていた”ような空気すら感じた。
机の上には、一冊のノートが置かれていた。
革の表紙。背にはタイトルも何もない。
恐る恐るページをめくる。
そこには、手書きの文字がびっしりと並んでいた。
魔法理論、観察記録、日付のようなもの。
そして、ところどころに挿まれた“虹色の印”。
(……これ、僕の魔法に似てる?)
ページの端には、こんな走り書きが残されていた。
『虹色は、ただの力ではない。
感情に呼応し、記憶に触れる。
扱う者の覚悟を問う、鏡のような魔法。』
ぞくりと背筋が震えた。
まるで、自分自身のことを言い当てられたようだった。
誰がこれを書いたのか。
なぜここに隠されているのか。
それはわからない。
けれど、このノートの持ち主もまた、僕と同じ“選択”を迫られていた――そんな気がした。
ふと、ノートの最後のページに目をやると、薄く書かれた一文が目に飛び込んできた。
『この扉を開いた者へ。
君が選ぶなら、私はもう一度信じよう。』
ページを閉じた手が、わずかに震えていた。
(……選ぶ。自分で)
静かにうなずき、ノートを抱えて部屋を後にした。
今ならはっきり言える。
選ばされるのではなく、自分で――選びたいと。
【あとがき】
今回は、アレンのまわりの空気が静かに変わり始め、
“選ばれる側”として扱われる中で、自分の意志と向き合う場面が描かれました。
そして、閉ざされた扉の先に残されていた記録――
そこには、かつてアレンと同じように迷い、選んだ誰かの気配がありました。
次回は、その選択の続きをたどることで、
アレン自身が初めて“自分の道”を選び、動き出します。
どうぞ、続きも楽しみにしていてくださいね!