21-境界線
──教室の空気は、いつも通りだった。
拓海は、机の引き出しからそっと紙片を取り出す。
昨日、黒パーカーから託された一枚の紙。
その記号は、今もはっきりと──意味を帯びて見えていた。
『ココカラハ、アナタシダイ』
(……本当に、そうなんだろうな)
拓海は無意識に隣を見た。
井上は、ぼんやりと窓の外を見ていた。
「なあ、昨日さ。俺、紙渡しただろ。あれ、何に見えた?」
「紙……? あぁ、あの変な模様のやつ?」
「……読めなかったか?」
「は? 読む? いや、ただの汚れだと思ったけど……」
(……昨日も同じ答えだったな)
まるで、会話が“ループ”しているような感覚。
それなのに、拓海の中では確かに何かが進んでいた。
「……前さ、“この世界って仮想現実かも”って言ったよな」
唐突に話題を振った。
井上は、一拍置いて目を細める。
「……言ったっけ?」
「言ったよ。屋上で。俺、あの言葉、すごく引っかかってて……。もしかしたら、って思ったんだ」
「へぇ……」
井上は曖昧に笑って、そっけなく返す。
「でも、そういう妄想って誰でもするよな。現実逃避ってやつ?」
(……ああ、もう届かないんだ)
あのとき、同じ世界を疑い、
同じ“外”を目指せると思った。
だけど今の井上は、あの言葉すら自覚していない。
まるで、その記憶ごと“書き換えられた”かのように。
──
放課後。
拓海は一人で街に出た。
昨日、黒パーカーが立っていた交差点。
紙を落としたあの場所から、進む方向を決める。
人混みに紛れながら、掲示板や壁を見て回る。
一見、意味のない落書きや、剥がれかけた看板の隅に──
また、“読める文字”が現れた。
『クギリノサキヘ』
(区切り……? 先……?)
それが何を意味するのかは、まだわからない。
ただ、拓海の中で何かが“進行している”実感があった。
振り返ると、誰もいなかった。
黒パーカーの姿も、井上の気配も。
ポケットの中の紙を、もう一度見た。
──『ココカラハ、アナタシダイ』
(だったら──俺は、“進む”)
──
同じ言葉を交わしても、
同じ記憶を共有しても、
その意味を“引き継いでいるか”は別の話だ。
かつて並んでいた“隣”の存在は、
もう、その場に立ち止まっていた。
──進む者と、止まる者。
その境界線が、今、はっきりと見えた。




