夫、雪葉
夏葉は可笑しい。
夏葉は俺を好きじゃないと言う。
でも夏葉はいつも家じゅう綺麗にしてくれているし、毎日必ず違うものを食べさせてくれる。
帰ると必ず玄関まで来てお帰りなさいと言ってくれるし、何より夏葉は一度も俺を拒絶したりしない。
夏葉は俺のことが好きなのだ。
気づいているのに認めたくないだけだ。
子供だからと言うのではなく性格だろう。
要は意地を張っているだけだ。
素直に甘えるのが苦手なのだろう。
夜になると夏葉は近づいてくる。
傍に来ようとする。
朝の態度を取り返すかのように。
それが面白い。
俺の左目の視力はかなり落ちたけれどそれでも普通に見えているし、俺は暗闇だろうとそう見えないこともないから夏葉がどんな顔をしているのか全てわかっているのに。
夏葉は俺を好きじゃないと言い張るが、別にそれでいい。
夏葉は何処へも行かない。
夏葉は俺のところ以外行くところなんかないんだから。
俺達は喧嘩などしないし、俺は夏葉に怒りなど一度も感じたことなどない。
夏葉は本当に可笑しい。
そういえば最初から夏葉は面白かった。
夏葉の顔をきちんと見たのは夏葉が入院している病室でだった。
小さな頭に白い包帯を巻きつけられた夏葉の小ささに俺は驚いた。
右手が包帯でぐるぐる巻きにされ小さな指先が見えずにいたが、見えていた左手の小ささと同じだろうと気づき、その手がこの世に存在していることに安堵した。
俺は何と言っていいかわからず彼女にもっと早く来れたら君のご両親を助けられたと謝罪した。
実際うぬぼれでもなく助けられたと思う。
その時夏葉の瞳に閃光を見た。
こんな目を向けられたのは生れて初めてだった。
それからずっと仕事が忙しかったし、夏葉のことは忘れて暮らしていた。
でもことあるごとにあの夏葉の瞳に見た火花のようなそれが甦り誰と付き合っても上手くいかなかった。
結婚後夏葉に八歳の私と結婚したかったのかと聞かれたがそんなわけないだろうと笑った。
実際俺は幼い夏葉に興味はなかった。
唯あの時の目を背けたくなるあの夏葉の漆黒の瞳に見た光のようなものだけがずっと気がかりで、思い出すたび心が騒ぐのがわかった。
俺は夏葉のことは忘れていた。
でも忘れてなかった。
恐らく唯の一日すら。
夏葉は俺に忘れさせてくれなかった。
一分一秒、囁く呼吸の様に。
幼い夏葉が俺の身体に染み込ませていった。
夏葉は俺に囚われているし俺は夏葉に囚われている。
俺達はお似合いだ。
これ以上ない二人だろう。
神様だってこれ以上の組み合わせを思いつくことはできないに違いない。
俺達は互いを必要としていて互いしか必要としていない。
こうなるのは必然だった。
俺達は互いに相手に光を見出し、夏葉は相変わらずその光をできもしないのに拒み続け闇の中の俺だけを懸命に愛そうとする。
でもそれでいい。
どちらの俺も等しく俺で、どちらの俺も全て夏葉のものなのだから。