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アイビー  作者: 青木りよこ
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さてどうしよう。

帰ってはこれたけど完全にタイミングを逃したらしい。

もういっそこのまま唯二人を見ていようか。

でもそれじゃあ夏葉は怒るだろうか。

あの世には行ってみたけれど、どうやら俺の夏葉への執着はどうしようもなかったらしい。

幽霊なんてものが本当にいるとは、ましてや自分がそれになるとは。

この世はつくづく不思議だ。


取りあえず第一声は何て言おう。

ただいまだろうか。

何処から帰って来たのよと言われてあの世と答えたら夏葉は信じるだろうか。

それとも馬鹿なこと言わないでよと怒るだろうか。

嘘つきとまた言われてしまうな。


子供はまだ寝ているようだ。

そういえばこんな風に遠くから夏葉を見ているのは初めてかもしれない。

一年以上経ったのか。

台所に立つ夏葉はすっかり知らない女の人になってしまった。

この距離になってやっとわかった。

夏葉はとても綺麗な子だったんだな。

今更気づいた。 


家は相変わらず綺麗にしてある。

庭もしっかり手入れが行き届いている。

夏葉も子供も健康そのものに見える。

この家に足りないものは何もない。


このまま帰ろうか。

どうやって帰るかわからないが何とかなるだろう。

今俺はとても満足している。

今なら跡形もなく消滅できるんじゃないか。


夏葉の背後に立つ。

夏葉は気づかない。

長かった髪は肩までの長さに切りそろえられている。

まだ寒いんだろうな。

黒いタートルネックのセーターで白い首筋が覆われている。





背後に気配を感じ振り返ると夫がいた。

あの日出かけた時と同じスーツ姿で。

私と目が合ったた夫はいつもと同じ何でもないように微笑んで見せた。


「夏葉」


夫が私を呼ぶ。

いつものように何も感じてないかのように。


「何、してるの」


私はやっとこれだけ言う。

今からもう時が経たないでほしい。


「鍋、噴いてるよ」


私はお鍋の火を止める。

再び夫を見る。


「夏葉」


私は目の前にいる男に飛び込む。

男は私の背に手を廻し私を体内に巻き込む様に腕に力を籠める。





俺の腕の中に飛び込んできた夏葉は俺の体内に潜り込もうとするかのように俺に全てを預けてきた。


「夏葉、いいのか?」


台所の床に座り込み夏葉を膝に乗せ向かい合う。

夏葉はもう泣いていなかった。

いっそ清々しすぎる顔で笑っている。

この顔は初めて見たな。

帰ってきて良かった。

やっぱり夏葉は面白い。


「何が?」


もう興味もなさそうだ。

本当に可笑しい。


「これでもう離れられないぞ。俺から離れる唯一のチャンスだったのに。残念だな」


夏葉は声に出して笑った。

可笑しくてたまらないと言ったこらえきれないような吹き出して笑うような不可抗力の打算のないものだった。


「もう一生分離れたでしょ。もう離れなくていい。何処にもいかないで」


夏葉は俺の顔を見て言った。

もう夏葉に怖いものはないのだと実感する。

すっかり強くなってしまった。

頼もしいが少し寂しい。


「返事は?」


返事か。

そんなの決まっている。


「俺はもう夏葉から離れない。絶対に」


この結末はいつから決まっていたんだろう。

俺と夏葉が出逢った時からか。

俺が特殊部隊に入った時からか。

夏葉が生まれた時からか。

それとも夏葉の両親が出逢った時から。

何にせよ、壮大で昨日今日の話じゃない。

だからもういい。


「絶対よ」


夏葉の瞳が揺れている。

俺は白い頬に手を伸ばす。

夏葉が俺の手に自分の手を重ねる。

まるで大木に生い茂る蔦の様に。


「もう、何処にも行かないでね」

「ああ」

「離れないで」

「ああ。離れない」


暖かな頬からの体温が移動してくる。

動かない心臓まで動き出しそうだと錯覚する。



「夏葉。俺は夏葉がいるなら俺が生きていなくても構わないんだ」



夫の顔を見るのが苦手だった。

声も体温もこの世の恩寵のような夫の全てが苦手だった。

どうあっても自分のものじゃないと実感するから。

でも今夫の顔が私には見える。

目を背けずに見える。


「私、貴方が帰ってきたら言おうと思っていたことがあるの」


夫が笑う。


「帰ってくると思ってたんだ?」


その顔知らなかったな。

見られてること意識してないような私が見てるって知らないような顔。



「思ってたに決まってるでしょ。貴方私のことうんと好きじゃない」


夫がこらえきれなくなって声を上げて笑い出す。

私もつられて笑う。


「そうだな。夏葉のことうんと好きだ。夏葉は?」


私は夫の首に両手を廻す。

恥ずかしくなったからじゃない。

そうしたくって堪らなくなったからだ。

ちゃんと言う。



「私も貴方のことがうんと好き」



夫が私の背に両手を伸ばす。

まるで蔦の様に絡め取られる。

この蔦は決して枯れない。

十年以上かけて生い茂ったのだ。

逃げ出すことは困難だが、逃げられないのは私だけじゃない、夫も同じだ。

繋がれていなければ死んでしまうと思っていた。

でも実際は違った。

死んでもなお繋がれていた。

どうあっても私達は別れることはできないらしい。

もうこの腕の中から出なくていいんだ。

この腕は最初から私のためだけにあった。

私の時間に夫のいなかった時間などない。

これからも永遠にそれはない。

そう思うと安心して何だか眠くなってきた。

希は眠ったばかりだし暫く起きないだろう。

今は唯呼吸も忘れて眠りたい。

絡み縺れた美しい蔦生い茂る夢の中で。





























































 










 







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