呼吸
特殊部隊の退職は目をやった時決めた。
アカデミーの仕事は退職が決まった時から誘われていたが夏葉との結婚が決まったので正式に引き受けることにした。
夏葉の伯父夫婦は底抜けに人のよさそうな顔をしていたし、夏葉の話を聞く限り本当に善良な人達だった。
これにはさすがの俺も感謝を憶えた。
夏葉のこれまでをどうでもいいと思ってはいても、それでも彼女を傷つけられるのは俺だけと言う自負心めいたものが俺にはあり、穏やかではなかったからだ。
二人とも驚きつつも喜んでくれて、俺達の結婚は何の問題もなく決まった。
俺が神奈川から出ると言わなかったことを夏葉は怒ったりしなかった。
夏葉からしたら俺といられたらどこでも良かったのだろうし、俺も夏葉がいるのなら何処でも良かった。
俺は幼いころから特殊部隊で働いていたので実働はもう二十年以上になっていたし、三十になったら辞めようと思っていたので少し早いが丁度良かったと思う。
田舎暮らしも隠居生活だと思えば悪くないと思った。
別に夏葉を隠したいと思っていたわけではなかったが知り合いもいない彦根では自然とそうなってしまった。
だが俺さえいれば夏葉は困ったりしないので今の生活は俺にとっても夏葉にとっても理想だと思う。
夏葉は毎日夜は沢山おかずを作り揚げ物は揚げたてを食べさせようとする。
朝は夜どれだけ遅く眠ったとしても休みの日であろうとも俺より先に起きて朝ごはんを作り、俺に必ず背を向け薬缶の番人になる。
アカデミーが用意してくれた家は部屋も多く、庭も広大過ぎたのでしょうがないから花でも植えると夏葉は暇だからと言ってネットで色々と調べ甲斐甲斐しく世話をした。
何でも欲しいもの買っていいよというと田舎故通信販売に頼るしかなく毎日のように宅配便が届いた。
夏葉の部屋には俺からしたらどう違うんだと言うような同じ顔をした金髪の髪の長い少女のフィギアが日に日に増えていった。
夏葉に女の子が好きなのと聞くとそう言うんじゃないと言われた。
上手く説明できないけど可愛いと思うのは女の子なのだと。
俺は夏葉の趣味は理解できないが、夏葉がこういうものが買いたくて一生懸命バイトしていたのだとしたら買ってあげたら良かったと思い、結婚するまで夏葉に何もプレゼントしたこともなかったと気づき、いくら自分のものだと認識していてもそれはあんまりだったと思い反省した。
だからといって俺は夏葉に買ってあげたいものもなかった。
全身俺が買った服だけ着せたいというのもなかったし、俺は夏葉が何を着ていても特に変わりはないと思っていた。
夏葉は夏葉で夏葉でしかなかった。
完全に手に入れ安堵したからだろうか。
そんなわけはない。
手にはずっと入れていた。
俺達は見知らぬ土地に来たが休日に彦根を散策することもなく、二人で静かに隠居生活らしく家で過ごした。
今のところ二人で出かけたのは近所のスーパーとホームセンターとコンビニくらいだ。
夏葉が毎日作ってくれるから外食もしていない。
家事が終われば大きなソファに身体を預けアニメを見ながらゲームをする夏葉の隣に休日になると俺は座り夏葉を見ていた。
貴方もゲームでもしたらと夏葉は言ったが俺は目を使うものはしたくなかったので目を閉じいつも横になった。
そうすると夏葉は俺の顔をそうっと覗き込み頬を薔薇色にして夢見るような眼差しで俺を見る。
結婚して唯眠るのがこれほど気持ちいいものだと言うことを知った。
夏葉は俺に全て捧げたからもう俺にやれるものは何もないと結婚後しばらくすると新しく苦しみ始めていた。
夏葉は恐らくずっとこうなのだ。
夏葉は俺を好きすぎるし、愛するということの理想が高いのだろう。
これが亡くなった両親の影響か実際の両親以上の長い時を共に暮らした伯父夫婦の影響なのかはわからないが、俺はそんな夏葉がいいと思っているのだからこのままずっとこれが続くのだろう。
夏葉の呼吸が止まるまで。