走って
夏葉と結婚しようと思ったのは目のせいで死を意識したからとかそう言う理由じゃなかった。
俺は既に夏葉は自分の延長だと思っていたから付き合うとか一緒に暮らすとか形式的なことは余り考えたことがなかった。
俺達はメールのやり取りすらしたことはなかったし、一緒に出掛けたこともなかった。
世間では知り合いですら俺達はなかったのかもしれない。
唯時間だけが雪の様に音もなく積もっていた。
会わずにいた時間も入れたら十年になる。
こうなることがあらかじめ決められていたのなら夏葉が生まれたところから数えていいのかもしれない。
俺達に関係らしい関係はなかったが時だけが静かに回り続け、同じところに留まり続けるのを許そうとしなかった。
夏休みの最終日夏葉に初めてメールした。
何を話すか決めていなかった。
勿論結婚しようなんて頭になかった。
きっかけは夏葉だった。
息を切らし走って来た。
ご丁寧に可愛らしいノースリーブの白いワンピースを着て。
俺を見つけた夏葉は何でもないような顔をしようと必死だった。
俯き長い黒髪を白い指で耳にかけた。
その白い耳たぶが冷たくて気持ちよさそうに見え、触れてみたいと思い、なら付き合うしかないと思った。
呼吸を整え俺の方へ一歩一歩恐れる様に歩いて来た夏葉を見て、これ以上待たせるのは可哀想だと思った。
そしてふと夏葉は俺以外の前だとどんなだろうと考えたが、どうでもいいとすぐ思った。
どうせ俺以外の人間に夏葉を震えさすことなどできないことはわかり切っていた。
夏葉は俺に目と言った。
俺は別に話す必要もないと思っていたからちょっとねと言った。
明らかに夏葉は寂しそうだった。
夏葉はその時から、嫌多分出逢った時から俺に与えたいと思っていたのだろう。
平凡なありふれた愛の証明として自分が傷口を癒してやりたいと。
俺に関してはその必要はまるでない。
俺は傷ついたりしないし、特に夏葉と再会してからは自分の身体のままならない部分が夏葉だと思えば、それすら楽しく思えた。
実際身体は頗る快調だった。
俺は夏葉に何かしてやりたいとも余り思わない。
夏葉が欲しいものがあるなら買ってあげたいと思うし、買えばいいと思うが、それと夏葉が俺に何かしてあげたいと思う気持ちは少し違う種類のものだろうと思う。
夏葉は今も俺のために自分ができることは何もないと感じているようだがそんなことはない。
俺は夏葉に何かしてほしいと思わない。
唯いればいい。
笑いもせず、俺から視線を逸らしながらずっと。