45.正義よりも救いを
「……なあ亮、桜井仄って女の子を知ってるか?」
俺の意思とはほぼ無関係に、思わずその名前が口からこぼれ出していた。
「なんだよいきなり。桜井って、確か僕らと同じ中学で隣のクラスにいた娘だよね。名前だけは知ってるよ。だって3年の夏休みに――」
「――ああ、自殺した」
そう、俺は高校生になる少し前から滅多なことで喧嘩をしなくなったが、あれはそのきっかけにもなった出来事だ。
「その娘がどうかしたのかい。まさか君が殺したってわけでもないだろうに」
「まあな。俺が関わっていようといまいと、あの娘はきっと自殺しちまったんだと思う。でも、俺はそれを止めてやれなかったんだ」
「そういえば、君はあの1ヵ月ほどはずっと道場に顔を出さなかったね。そのことと何か関係が?」
「ああ、夏休みが始まったその日のことさ。俺は道場での稽古が終わってお前と別れた後、レイプの現場に遭遇したんだ」
「――――!」
「被害に遭ったのがその桜井って娘だよ。犯人はいかにもって感じの2人組で、俺が現場の川原に通りかかったときには事が全て終わった後だった」
「……そういう下衆な真似が一番嫌いな君のことだから、きっとそいつらをボコボコにしたんだろうね」
「ボコボコどころか、半殺しというにも生温いぐらいさ。2人とも両目を潰して逃げられないようにしておいてから、二度と女が抱けねえようにタマも竿も潰してやったよ。手足のほうも確実に障害が残るぐらい念入りに潰しといたから、そいつら今もまだ病院のベッドの上だ。ありゃ多分、一生芋虫みたいに這い回ることしかできないだろうな」
「ふふ、それでこそ燈真だよ。けど、よくそれで警察に捕まらなかったね」
「もちろん逃げても後でバレるだろうから、警察には先に自首したよ。けど事情が事情だったのと、被害者であるその娘の両親が全力で庇ってくれたおかげで、辛うじて少年院送りだけは免れたってわけだ」
「なるほど、その事件の後始末で色々と大変だったのか。で、どうして今そんな話を?」
「分かんねえかよ。俺がそこまでやったのは頭に血が上ってたせいもあるけど、そいつらが二度と表に顔出せなくなればあの娘の心が少しでも慰められるかと思ったからだ。けど、結局あの娘は自ら命を断っちまった。俺のしたことはただの自己満足にすぎなくて、肝心な彼女の心には何1つ救いを与えてやれはしなかったんだよ」
「…………」
「それからはお前も知ってのとおりさ。俺はあれから無闇に喧嘩するのを止めた。もちろん同じような連中がいれば放っちゃおかないが、そんなやつらをブチのめして悪行の報いを受けさせるよりも、そういう人間に傷つけられた人の心を救うことのほうがはるかに大事だってことを思い知らされたんだ」
「だから、僕のやろうとしてることは無意味だと?」
「ああ、独り善がりな正義――文字通りの独善じゃ誰も救われない。少なくとも、悪を討つだけじゃな」
「そんなことはない! その娘は救えなかったかもしれないが、少なくとも君がそいつらを廃人にしたことで新たな犠牲者が出ることはなくなったはずだ!」
「かもな。けど、悪人を何人始末しようが結局は同じことさ。人間は必ず他の人間と争うし、自分がどんなに普通に生きてるつもりでも誰かを傷つけちまうようにできてるんだ。どんなに悪人を削除したところで、また誰かが誰かを傷つけて悪人になるんだよ」
「なら、そいつらも順番に殺していけばいい。ゼロになるまで……!」
「おいおい、そんなやつらを逐一殺していった先に何があると思う? 何もねえよ。お前は人類そのものを滅亡でもさせたいのか? 違うだろ」
「黙れっ! もう御託はたくさんだ……。君をここで倒して、僕は先へ進む!」
「最後には自分だけしか残らない荒野に向かって……か? そんなこと、俺がさせるかよ」
「力ずくでも僕を止めたいのなら、まずはこの『魔人拳』を破ってみせるんだね。行くぞ、『風神脚』っ!」
亮が再び構え、足元に風を発生させて浮き上がる。そして一瞬のうちに間合いを詰めてきたかと思うと、両腕で激しいラッシュをくり出してきた。
「『風刃拳』っ!」
「うぉっと!?」
亮の連続パンチを大きな動きで避けまくる。いつものようにギリギリでかわそうとすれば見えない風の刃に切り裂かれるし、攻撃を手で払いのけようとすれば指が落とされかねないからだ。
「ふふ、どうだい? 見えない刃が相手じゃ下手に手が出せないだろう。得意の捌きも紙一重の見切りがあってこそのものだし、そんな無駄の多い動きで避けていてはすぐに疲れてしまうよ」
なるほど、よく考えられた戦法だ。風の刃がどれぐらいの範囲にあるのか見えないのもこちらの恐怖心を煽るのに一役買っているし、かといって逃げ腰になっていてはなおのこと反撃のチャンスがない。
しかし俺は今までの攻防ですでに『魔人拳』とやらの弱点をいくつか見つけていた。万能のように思える魔法にも色々と制限はあるし、それが格闘技と相性がいいかどうかはまた別問題なのだ。
「殺しはしない。だけど、動けなくなる程度には痛めつけさせてもらうっ!」
亮が再びラッシュをしかけてくる。だが俺はそれをほぼ完璧に見切り、最小限の動きでそれをかわしてのけた。
「なっ?」
「へへっ、ようやくパターンが読めてきたぜ」
「なんだと? 一体どうやって僕の風刃を見切ったというんだ」
「簡単なことさ。お前、自分の脇腹を抉らないよう無意識に腋を開いてるんだよ。そのせいで肩に力が入って起こり(※ 攻撃の初動)が見切りやすいし、腕同士もお互いの刃が干渉しない範囲でしか動いてないぞ。その技、両腕で使おうとすると逆に攻撃範囲が限定されちまうんだ」
「ま、まさか……この短時間にそんな隙を見つけたっていうのか?」
「才能ゼロの万年4位を舐めんなよ。そういう観察や分析はむしろ俺にとって一番の得意技みたいなもんだ。それにお前、その技を編み出してまだそんなに経ってないだろ? 穴ぐらいあって当然さ」
「なら、片腕ではどうだっ!」
左腕の魔法は解いたのか、亮が右腕だけを縦横無尽に振り回してくる。文字通りの手刀だが、それもフリージアさんのおかげで本物の剣にさえ慣れた俺には当たらない。
「くっ……なぜ当たらない?」
「忘れたのかよ亮。本来の空手ってのは自らの肉体を刃と化すのが目標なんだぜ。なら、相手の拳足を刃のつもりで避けるのは当然だろうが」
これまでの攻防で分かった。亮はこの世界で身につけた『魔法』という力に固執して、すっかり空手の基本を、そして俺が教えた数々のことを忘れている。強力な武器を持った人間にありがちなことだが、その武器のほうにしか意識が集中できていないのだ。今も左手が空いているのだからそちらも使えばいいのに、風の刃を纏った右腕を振り回すことばかりに躍起になっている。これなら――
「そんなふうに右ばかり振り回してたら、左は魔法を解いてますって言ってるようなもんだぜ!」
俺は亮の右ストレートが伸びてくるより早く、鋭い右の前蹴りをボディに入れてカウンターを合わせた。パンチに対して前蹴りで止めるのは基本的な技術だが、もう片方の腕で足を切り裂かれる心配のない今だからこそ堂々と出せる。
「ぐはっ!?」
今度は亮が体を『く』の字に折りながら後ずさる。甲冑を着ているので大したダメージはないだろうが、自慢の技を破られたショックのほうは大きいはずだ。
「く、くそっ……こんなはずじゃ……」
「今度は俺から言ってやるよ。もうやめようぜ亮」
「うるさい! 風が駄目ならこれはどうだ……『豪炎掌』っ!」
亮の両手が燃え上がり、松明のようにメラメラと炎を上げる。
「掴まれただけで大火傷をする炎の手だ。しかも触れるもの全てを切り裂いてしまうさっきまでの風刃と違って、この炎は僕自身を焼いたりはしない」
「無駄だって言ってんだろ。どんな技だろうと当たらなきゃ意味ねえのは一緒だよ」
「そうかな? 僕にはこの『風神脚』があるのを忘れていないか」
そう言うと同時に両手を包んでいた炎が消え、再び亮の体が数センチ宙に浮き上がる。
それを見て、俺は1つのことを確信した。ティナが魔法を使うときに必要だと教えてくれたことだが、考えてみれば単純な話だ。
「はぁっ!」
亮が拳を構えて突っ込んでくる。俺はそれに対して逃げることなく、むしろ自分から体当たりするつもりで前に出た。
「なにっ?」
「憤っ!」
―― ドムッ! ――
「げぉっ!?」
しっかりと足を地に着け、踏み込みを十分に効かせた俺の下突き(※ 空手におけるボディブロー)が亮の下腹にめり込んだ。こいつが身に着けている甲冑は上半身のみのハーフアーマーなので、へそより下にはプレートがないのだ。俺と同じ理由で動きやすさを優先したのだろうが、今はそれが仇になったな。
「がっ…………は……!」
亮が後ろに大きく吹っ飛び、腹痛を起こした人間のように腹を抱えてうずくまる。攻撃が当たったのは急所ではなかったが、自分の突進力がカウンターになってしまったせいでダメージが大きかったのだろう。
「その『風神脚』って技、地に足が着いてないせいで踏ん張りが効かねえんだよ。だから攻撃の威力は突進の勢い頼みだし、それも自分より重い相手にカウンターを合わせられると押し負けるんだ。それに『豪炎掌』だっけ? そっちは『風神脚』と同時に発動できないみたいだな。まあ風魔法と火炎魔法じゃイメージがかけ離れすぎてるから当然か」
「ま、魔法の弱点まで……知っていたのか……」
「お前のほうこそ、俺も魔法使いの女の子と旅してきたのを忘れてないか? 最初に会ったときに色々と教えてもらったんだよ。魔法に必要なのは呪文と強力なイメージ、そして発動のトリガーになる名前だってな」
「ぐっ…………君には全部お見通しってわけか……」
「風魔法だけを同時発動してたときには気付かなかったさ。けどお前が『風神脚』って口にした途端、手に纏ってた炎のほうが消えたからおかしいと思ったんだよ。突きをくり出す直前にまた出すつもりにせよ、せっかく発動した魔法をなんで一旦消すのかってな。魔法の切り替えにいちいち技の名前を叫ぶ必要があるなら、それより先に自分から間合いを詰めて攻撃してやればいいだけだ」
「ふふ……手技を警戒させるために炎を先に見せたのが失敗だったか。さすがだね燈真……僕が頑張って考え出した技をこんな簡単に破るなんて……」
「大体お前にしては技のネーミングが恥ずかしすぎると思ってたんだ。いくら中二病を卒業できてないにしたって『魔人拳』はねえよ。あれはそういうキャラだと思わせることで、別属性の魔法を使うたびに技の名前を口にしなきゃいけないって弱点を隠すためなんだろ? どうせ大規模な魔法は使えないからって呪文を省略したところまでは良かったが、発動条件だけは守らないわけにいかないもんな」
俺がどうやって技のタネを見破ったか語っていると、亮は咳き込みながらもなんとか立ち上がり、じりじりと後ろへ退がり始めた。何かを狙っているのかとも思ったが、表情を見る限りどうも俺を誘っているわけじゃないらしい。あれは空手を始めたばかりの頃によく見せていた、弱気の虫が顔を出しているときの表情だ。
「お前……本当に空手の極意も忘れちまったんだな。いや、そもそも技だけ覚えてその心を理解してなかったのか」
俺は逃げ腰になった亮の姿を見て、また悲しい気持ちになった。やはり俺はこいつのことを、自分が思った以上に分かっていなかったのだ。
「亮、お前がこれからどうするかについてはもう口出ししねえよ。けど、最後に空手の真髄ってやつを見せてやる。お前が必死こいて身につけたその『魔人拳』で、もう一度俺にかかって来い!」
「な……」
「どうした? ビビっちまってもう戦えないか。そんなヘタレがよくもまあ一国の将軍なんて名乗れたもんだ。おまけにいずれは王様になろうなんて、お前をイジメてた連中が聞いたら腹抱えて笑うだろうぜ」
「なんだと……!」
ベタなほどの挑発だったが、過去のトラウマを抉られたせいか亮の目に闘志が戻る。そうだ、これから俺が見せようとしているものは、本気になったお前が相手じゃないと意味がない。
「来いよ、亮!」
馬に乗るときのような姿勢の『騎馬立ち』になり、両腕をグンと引いて構える。そして俺は亮の目を真っ直ぐに見据えて、力強く息を吐いた。




