46.空手の真髄・男の真髄
1
空手において『騎馬立ち』は最も安定した立ち方だが、基本的に素早く動くことを想定していない。つまりは『どこからでもかかって来い』という構えだ。
防御の面では股間が開いていることに少し難があるものの、足を止めて真っ向から殴り合うのにこれほど適した構えもない。俺は息を吐いて下腹に力を込めると、亮が攻撃してくるのをじっと待ち構えた。
「どうした、全力で打ち込んできていいんだぞ。お前みたいなヘタレの拳じゃ国や世界を変えるどころか、人間1人の心も折れないってことを証明してやる」
「……そこまで言うならやってやる。その代わり……死んでも後悔するなよっ! 『風刃拳』っ!」
亮が再び腕に風の刃を纏って突っ込んでくる。そうしてくり出されたやつの拳を、俺は避けることなく体で受け止めた。
左胸と鳩尾を守ってくれていたプロテクターの革ベルトがちぎれて弾け飛び、袖の破れていた服も脱水時の洗濯機に巻き込まれたかのようにビリビリと裂ける。そして次の瞬間には、俺の胸を中心とした周りの皮膚が渦を巻くように切り裂かれた。
「んぐぅぅぅっ!? ぐっ……くくくく…………い、痛ってぇぇぇ……!」
「な、なぜ避けない!?」
「い……言っただろ、そんな技じゃ俺は倒せないってな。ほら、もう1つの技も試してみろよ。いいか、痛みや苦しみなんかで表向きだけ他人を従わせるのは簡単だ。だが正義にせよ悪党にせよ、本当に強いやつはそんなもんで信念を曲げたりはしねえ。どれだけ法律で他人を縛りつけたところで、お前の心が弱いままなら最後は必ずそいつに負けるぞ」
「くっ……もう黙れぇぇっ!」
「ぬぅっ!」
「食らえ、『豪炎掌』っ!」
炎を纏った両手が俺に向かって伸びてくる。
やせ我慢するにせよ、さすがにこれをまともに受けるのはマズい。俺は目の前でハートマークを描くような『掛け受け』で燃える両手を左右へと捌き、そのまま腕ごと自分の両腋に抱えた。相撲でいう『閂』に極めた状態だ。
「っづあぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
いくら直撃を免れたとはいえ、燃え盛る炎が真後ろにあるのは相当熱い。この感覚、背中に焼け石でも押し付けられているようだ。
「馬鹿な……熱くないのか?」
「あ、熱いからこんな悲鳴上げてんだろうが……!」
「なんでだよ……君はどうしてそんなことができるんだ……」
亮は今にも泣きだしそうな顔をしている。勝負のうえでは圧倒的に押しているはずなのだが、精神的にはこいつのほうが折れる寸前なのだろう。
「……お前、いつも道場で先生や先輩たちになんて挨拶してた?」
「それは……」
「そう、それこそが空手の真髄ってやつだよ。痛みや苦しみを『耐え忍び』……」
腋に抱えた亮の腕を掴んでさらに自分のほうへと引き込み、上半身を思い切り反らす。そして――
「それを『押し返す』から『押忍』ってんだぁ!」
―― ごきんっ! ――
「ぐはっ!?」
亮の額に俺の頭突きが炸裂した。
「が……っ……」
亮が昏倒し、地面に膝をついて天を仰ぐ。それによって魔法の発動に必要な集中力が切れたのか、俺の後ろで上がっていた炎も煙のように立ち消えた。
「『押忍』の心ってのはな、自分がどれだけ苦しくても耐え抜いて、最後には必ず勝つという鋼鉄の精神だ。お前が好きなアニメや漫画の中でも、ヒーローってやつは皆それを持ってただろうが。今までどっち向いて漫画読んでやがったんだお前は」
「ひ、ヒーローなんて……本当はいやしないよ……。僕を助けてくれたときの君はヒーローを気取ってたつもりだったかもしれないが、その後も絡んできた連中を自分の力で撃退していたのは僕自身だぞ……」
「そうだよ、それでいいんだ」
「……?」
「お前はヒーローってもんを何か誤解してるぞ。ヒーローってのはその辺の弱虫を助けるのが仕事じゃねえ。ヒーローは自分が一番苦しいのにそれでも世界のために戦って、『君たちもそんな強い人間になれ』って背中で教えてくれるもんだ。なのに自分が助けてもらえなかったから『ヒーローなんかいない』なんて言ってるやつに、そもそもヒーローを語る資格があるかよ」
「……そうか……僕のやろうとしていたことはヒーローがいないからって、悪の組織が世界を征服して悪人を裁けばいいと言ってるようなものか……。そんなこと、僕の知ってる燈真が認めてくれるはずもなかったね……」
「おうよ、絶対に認めねえ。まあ散々偉そうなこと言っておいてなんだけどな、結局のところは俺がお前に人殺しなんかして欲しくないってことさ。俺の勝手な理想を押し付けて悪いが、俺がお前には正しくあって欲しいんだよ。友達なら当然だろ?」
「本当に、君には敵わないな……。どうして君はそれほど純粋に、正しさなんて不確かなものをものを堂々と語れるんだい?」
「そんなもん、『強さこそ正義だ』って信じてるからに決まってんだろうが。いいか、世の中を平和にしたいなら強い人間を増やすしかない。自分の弱さに負けて他人を傷つけない、本当に強い人間だ。他人の不幸の上に自分の幸せを築かないなんて当然のことだけど、誰もがそんなふうに生きるためには一人ひとりが強くなるしかないだろ」
「…………」
「お前も人の弱さを憎んで排除しようとするんじゃなく、自分の弱さに苦しんでるやつを強さの高みまで引っ張り上げてやることを考えろよ。俺たちみたいに格闘技で強さを学んだ人間にとっては、それこそが『武の道』ってやつに対する恩返しみたいなもんだ」
「……君が、僕にそうしてくれたようにか……」
「そうだよ。大体『世界の制覇を望む者は、まず自身の悲哀を制覇せよ』ってナポレオンも言ってるだろうが。今から城へ戻って、しょうもねえ逆恨みで起こした戦争なんかで勝てるわけがないってこの国の王様にも言っとけ」
「……相変わらず妙なところで博識だね君は。だけど無理だよ。僕がここで六騎将を降りると言ったところでこの戦争はもう止められない。他の将軍たちや国王自身が奇襲による必勝を期している以上、僕の一存で軍の進行を止めたりはできないんだ」
「ああ、それなら大丈夫だ。この国の軍が奇襲してくることはもうあっちの国に筒抜けだし、今ごろドリフ大爆笑のOPテーマばりに手薬煉ひいて待ち構えてるだろうぜ。それを教えてやればさすがに皆が納得するだろ」
これは嘘ではないものの一部ハッタリである。情報を託したシャーロットはまだ王都に着いていないだろうし、実際に防備が調えられるのはもう少し先だろう。だがこう言っておけば、少なくとも亮がここで退く口実にはなるはずだ。
「な……! 一体どうして?」
「さっきも言っただろ? つい数日前にお前んとこの部下とちょっと酒場でやらかしたんだよ。そのときお前のことを聞き出すついでに、今回の奇襲作戦のこともばっちり聞かせてもらったってわけさ」
「でも、それをすぐに向こうへ伝える方法なんて……」
「あったんだなそれが。詳しい経緯は省くけど、あっちの国にいる知り合いとリアルタイムで通信できる魔法のアイテムをたまたま持っててさ、それでチョイチョイっと連絡をな」
「なんだよ……それじゃ元々この作戦は失敗することが決まってたんじゃないか。は、ははは……ははははっ……」
亮が乾いた笑いを上げながら脱力し、その場にへたり込む。なんというか、自分のしていたことが心底馬鹿らしくなったようだ。
「後ろの連中、退かせてもらえるか?」
「……分かったよ。全員、撤退だ」
「リョウ様、よろしいのですか?」
亮の後ろにいたメリッサさんが困惑した顔で訊ねる。
「いいんだ。彼の言葉を聞いただろう? このまま攻め入ってもこちらの軍が勝てる可能性は限りなく低い。国王陛下には僕から説明するから、とにかく一時撤退するよう中軍や後軍の将軍たちにも伝えてくれ」
「わ、分かりました」
メリッサさんは踵を返して黒い馬に跨り、後ろにいる連中に亮の言葉を伝えるために走っていった。
亮もまた戦う前に外していたマントを肩にかけると、再び白馬に跨った。国王を説得するために城へ戻るようだが、俺と一緒に元の世界へ帰らないというのなら、これがこいつと今生の別れになるかもしれない。
「……ありがとう燈真。君がここへ来てくれなかったら、僕はきっと弱い心のまま酷い王様になっていたと思う。この世界で理想の国を作るっていう夢を諦めるわけじゃないけど、それはもっと違う方法で実現することにするよ」
「ああ、お前が人の道さえ踏み外さないのなら、俺もそれを応援してるよ。大舞台で戦うって約束のほうは、ある意味これで果たせたしな」
「ここで別れたら……もう、会えないのかな」
「俺が元の世界へ戻ったら、そうなるだろうな」
「燈真はこの世界が嫌いなのかい?」
「いいや、俺だってこっちのほうが好きなぐらいさ。けどな、やっぱり俺が生きるべきなのはあっちの世界なんだよ。お前に偉そうなこと言っといて、俺が向こうの現実から逃げてちゃカッコつかないだろ?」
「本当に強いね君は……僕が思ってたとおりだ。だけどいつか、僕も君のように強く生きられるようになってみせるよ」
「そのためには……もう分かってるよな」
「うん、『押忍の心』だよね」
「おう、今度は忘れんなよ」
俺が馬上にいる亮に右の拳を向けると、亮も左の拳を伸ばしてそれに応える。こっちの拳は傷だらけだが、合わせたときの感触は半年前に分かれたときと同じだった。
「じゃあ――な」
2
「ふはぁぁぁぁぁぁぁ…………」
亮たちが城へ戻っていくのを見送った後、馬鹿みたいに長いため息を吐きながらその場に座り込む。全身から疲れが抜けていくような心地よさもあるが、そのせいでアドレナリンの効果が切れて腕や胸の傷が急に痛みだした。
「お疲れ様、よく頑張ったわね」
柔らかい感触に顔を上げてみると、そこには弟を褒めるお姉ちゃんのように頭を撫でてくれるフリージアさんがいた。俺も亮と同じように仲間たちには手出ししないよう前もって頼んでおいたのだが、彼女たちもよく我慢して見守っていてくれたものだと思う。
「そうだぞトウマ、ほんとに頑張ったな!」
シルヴィも馬車から飛び降りて俺に抱きついてくる。
「痛でぇっ!? い、今は傷だらけなんだから少しは遠慮しろよお前……」
「ああ、悪い悪い。なんだったらあたしが傷口舐めてやろうか?」
「いいよ、絵面的にも倫理的にも色々とマズそうだから。それよりティナ、悪いけど回復魔法を頼むよ。背中の火傷はともかく、右腕と胸のほうが痛くてしょうがない」
俺がそう言って振り向くと、ティナは泣きそうな顔で馬車の後ろに立っていた。そしてなぜか手に持った杖を頭上に掲げて……というよりも、剣道でいう上段の構えみたいに振りかぶっている。
―― ごちん! ――
「あ痛!」
いきなり頭に重みのある痛みが走った。ティナが杖を振り下ろし、その先端にはめ込まれた宝玉が俺の頭頂部を直撃したのだ。
「つつつ……。ティ、ティナ?」
「もう……心配かけないでください。いつもいつも無茶ばかりして……」
見ると、ティナは目の端からポロポロと涙を流して泣いていた。さすがに今回は自分でも無茶な戦い方をしすぎたと思うが、傍で見ていたほうの心労はそれどころではなかったのだろう。
「ご、ごめん……心配かけて悪かったよ。正直ティナの回復魔法があるからって甘えてた部分もある。本当に悪かった」
「それ、前にも聞きましたよ。また同じようなことを繰り返すなら、もう怪我をしても治してあげませんからね」
「うっ……返す言葉もありません。海よりも深く反省します」
「……でも、だからこそトウマさんなんですよね。お友達のために一生懸命頑張っていたところは、正直カッコいいと思いましたよ」
「なっ……!」
その言葉を聞いた途端、自分の顔が『ボフゥッ!』という擬音を上げたかと思うほど真っ赤になったのが分かった。
空手の真髄は『押忍の心』だが、男の真髄なんて所詮は『女の前でカッコつけたい』という一語に尽きる。だが実際に好みの女の子から『カッコいい』と言ってもらえるのが、まさかこんなにも気恥ずかしいものだとは。
「んなぁぁっ!? トウマ、なに顔赤くしてんだよ! お前の嫁はあたしだぞ! 浮気すんなこらぁぁっ!」
シルヴィが叫びながらまた飛びかかってくる。さらに彼女は俺の上半身に脚で絡みつくと、鋭い爪で髪の毛を毟り始めた。
「痛でででででっ! 馬鹿やめろ! ハゲる! ハゲるって!」
「うるせぇ! むしろハゲろ! それなら他の女が寄って来ないだろうし、あたしならお前がハゲてようが愛してやるっ!」
「なにその深いんだか重いんだか分からない愛っ!?」
さっきまで他国を滅ぼすための軍隊が集まっていた橋の上で、まるで緊張感のない馬鹿騒ぎが続く。俺とシルヴィを除いた皆の笑い声が、澄んだ秋の空にいつまでも響いていた。




