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買い物には誘拐が付き物

悠里になってから一週間、しかし由紀は一度も外に出たことがなかった。

怖かったのだ。色々と。

この姿で知らない町に出かけるのも怖いし、悠里のことを知っている人に出くわすのも怖い。

しかしなにより車が怖かった。由紀は車に、正確にはトラックに轢かれて一回死んだ。そんな自分を殺したモノが外ではたくさん走っているのだ。アパートの前を通る車の走行音だけで体が緊張してしまうのに、外なんか行けるはずもなかった。

しかし今回は非常事態だ。このままでは餓死してしまう。悠里は携帯やパソコンといったものを持っていなかったため通販も使えないのだ。外に出て買い物するしかない。覚悟を決めた由紀は準備を始めた。


由紀は上下黒のジャージに着替え、その上に防寒のため白いウィンドブレーカーを羽織る。髪は一つにまとめてポニーテールにした。そして財布をポケットに入れて、部屋の鍵もしめて準備完了。

ここからが本番だ。由紀は気合を入れて道路を睨みつける。アパートの前は車がやっとすれ違えるくらいのあまり広くない路地なので気を付けなければならないだろう。右よし、左よし、もう一度右よし。ちゃんと車が来てないことを確認して由紀は道路の端を歩き出す。


今はお昼の十一時。しかしここはそんなに人通りも車通りもなかった。たまに人とすれ違うくらい。

すぐ近くに自然公園があるといっても放課後の時間帯くらいに、悠里の持っているのと同じ制服を着た学生たちがぶらぶらしている程度だ。おそらく悠里と同じ学校の生徒だろうが、高校生は今の時間はおそらく授業中だろう。それにこの通りはちょっと古い家やアパートが立ち並んでいるだけの住宅街なので誰も通らないのであろう。

しかし昼になると変わってくるかもしれない。お昼休みになったら昼食を求めて学生たちが外に出てくる可能性がある。その場合とても危険だ。あの自然公園に生徒たちがよく立ち寄るくらいだから、悠里の通う高校はすぐ近くにあるはず。そうするとばったり、悠里のことを知っている学校のやつらと出くわしてしまう可能性がある。

だから遅くともお昼休みになる十二時半くらいまでには帰れるよう計画を立てていた。

その計画とはこうだ。

まず十一時に家を出て、それから遅くとも三十分以内にはスーパーかコンビニに着く。外に出るのは初めてなので何がどこにあるのかなんて全く分からない。だからこその三十分という余裕を持った算段だ。そしてさらに三十分で適当に買い物を済ませ、十二時半までには帰宅。

これなら悠里の知り合いと出くわす恐れも少ないし、お昼ご飯にも間に合う。

我ながら完璧な計画だとほくそ笑む由紀。

しかしそんな由紀の横を一台の車が走り去った。

思わず止まる呼吸。心臓はバクバクと激しく脈打ち、冬なのにどっと汗が噴き出す。

――怖い、車が怖い

ぷはっと、止まっていた息を吐き出す。

やっと強張っていた体から力が抜け、へたり込みそうになる。それを壁に寄りかかることによってどうにかこらえた。

車が横を通っただけでこの反応。由紀にとって、トラックにひかれて死んだことは相当深いトラウマになっていた。

これはまずいな、と先を思いやる。

これじゃあ碌に道を歩けやしない。三十分以内にはスーパーかコンビニに辿り着けるだろうと考えていたが、どうやら甘かったようだ。

「あの、大丈夫ですか?」

傍から見ても具合が悪そうに映ったのだろう。近くを歩いていた一人のおじさんが声をかけてきた。しかし由紀はなんでもないです、と言って寄りかかっていた壁から手を放し、とりあえずどこか休めるところに行こうと歩き出す。おじさんには悪いが今はあまり目立ちたくないのだ。まだアパートを出てから五分も歩いていないため、もしかしたら悠里と交流のある近所の人と出くわしてしまうかもしれない。とりあえず早くここから離れておきたかった。

覚束ない足取りで壁伝いに歩いていく。するとまた由紀の横に並んで声をかけてくる男性が一人。

「あっちに公園があるから、そこで休んだ方がいいよ」

さっきの人だった。しつこいなぁ、と怪訝に思いながらも由紀はもう一度大丈夫ですから、と返事をして歩き出す。これはもしかしたらナンパかもしれない。いい年してナンパとはと思ったが、今は早いとこ逃げた方がいいだろう。まだ気分があまり優れないが、少し速足で歩く。するとおじさんも同じだけ歩を速め、由紀に並んでついてきた。

なんなんだこの人は。ぎょっとして隣を見ると、ニコリと笑い返された。不気味だ。ちょっと怖い。

「顔色悪いよ? 大丈夫?」

「え、いや、ほんとに大丈夫ですので」

「そうは見えないよ。ほら、そこの公園にベンチがあるから、一旦休もう」

由紀が断ろうとしてもしかしおじさんは心配そうな声音でそう諭してくる。もしかしたら普通に善意でそう言ってくれているのかもしれない。だが由紀にはどうもそうとは思えなかった。直感が危険だと言っているのだ。出来れば早くこの人から逃げたい。誰かにすがろうと思って周りを見渡すが、しかし誰もいなかった。さっきまで良しと思っていた少ない人通りが逆に仇になってしまった。

仕方ない。本当に善意で言ってくれてたなら悪いけどここはガツンと言って消えてもらおう。

公園の入り口の前に着き、ほら休もうと優しく背中をさすってくれているおじさんに向き直る。

そして由紀が口を開いた。その時――

「さっさと来い!!」

――!!


急に態度を豹変したおじさんが由紀の腕を無理矢理引っ張って公園の中に引きずり込んだ。何が何だかわからず混乱する由紀。そのまま力まかせに公衆トイレの方にひっぱられていく。やっとこれはまずいと気づいた由紀も抵抗し始めるがまったく敵わない。転びそうになりながらどんどん引きずられていく。今の由紀は悠里なのだ。か弱い女の子なのだ。大の大人に敵うはずもなかった。なら思い切り叫んで助けを呼ぼうと口を開く。が、その口からは悲鳴ではなく吐瀉物が出てきた。元から体調が悪かったのに加えてこの事態だ。完全に調子は絶不調。目が回って意識も朦朧としてきた。うぇぇ……、と胃の中のものを吐き出している間もおじさんは容赦なく力まかせに悠里の細腕を引っ張る。抵抗しようにも体に力が入らない。悲鳴をあげようにも溢れてくる胃液のせいで声がかすれる。これじゃあダメだと思ってもだんだん意識が薄れていってどうすることもできない。いつの間にか後ろから抱きかかえるようにして悠里の身体は持ち上げられていた。吐瀉物だらけの口もごつごつした手で塞がれている。だらんと脱力した由紀はそのままトイレの中に連れ込まれていき、しかし入り口の壁のふちをつかんでぎりぎりこらえる。助けて、と最後の力を振り絞ってか細い声で誰かに助けを求めるも、それは少し空気を震わせただけで、悠里の小さな体は公衆トイレの中に消えていった。




ヒュッと風がないた。


その風が運んできた寒さに、一人の男が身を起こす。

そいつはすんと鼻をならして鼻水をすすると顔をしかめた。なんだかすえた匂いがする。やはり便所の上なんかで寝るんじゃなかった。さっさと昼寝場所を移そうと思い、立ち上がる。その時、ふと尿意を覚えた。どうせならここで用を足していくか、と男は今まで立っていた公衆トイレの上から飛び降りる。そして寝ぐせのついた髪を整えながら、そのトイレの中に入っていった。

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