表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

プロローグ

処女作です。

朝、窓から入る太陽の暖かな日差しで目を覚ました。

重い眼をこすりながら上体を起こす。ふあっと一つあくびをしてついでに背中を伸ばすように腕をぐっと上にあげる。

ふう、と一呼吸おいてから、まだ気怠い体で布団から出て、窓を開けて外の空気を肺一杯に吸い込む。朝の冷たい風が寝起きの肌に当たって気持ちいい。このアパートは自然公園の隣に面しているためマイナスイオンとかもバンバン飛んでいそうだ。

こうしているとだんだん目が覚めてきて、寝起きにはちょうど良かった。そよ風が眠気をさらっていってくれるような気がするのだ。だからここ最近は毎朝の日課になってきていた。

窓枠に寄りかかって小鳥たちの朝の合唱に耳を傾け、うららかな日差しに目を細めていると、なんだか生きているという気がして元気が湧いてくる。風にそよぐ木々の葉音。肌を撫ぜる風の感触。そして、目の前に迫ったトラックのクラクション。唐突に、小鳥たちの合唱は叫び声へと変貌し、心地よかったはずのそよ風も、どろりとした生温かい液体が自分の身体を浸していく感覚に変わっていた。脳裏に焼きついたあの時の記憶が、死ぬという恐怖が、閉じた瞳の中で、瞼の裏に鮮明に蘇ったのだ。


赤く染まったちぎれた腕。血だまりに散乱したぐちゃぐちゃな腸。周囲から聞こえる叫び声――


我にかえってハッと目を開けると心臓はバクバクと鳴り響き、おでこには冷や汗をかいていた。

腕を持ち上げてにぎにぎと、小さな手を動かしてみる。その手は自分が思った通りに動き、まるで自分の身体のよう。いや、今は紛れもなく自分の身体だった。ついこの前までは信じられないことだが、あの時死んだと思った由紀は、いつの間にか高校生の少女になっていたのだ。

自分の手のひらを見つめながら考える。

なぜ自分は女の子になっているのか。それはわからない。この身体の元の持ち主である坂上悠里ならもしかしたら何か知っているのかもしれないが、それは今となっては聞くこともできない。なぜなら上柚木由紀である自分がこの身体の中に入ったときにはすでにいなかったからだ。

もしかしたら僕が入ったことで消してしまったのかもしれない。

そう思うと由紀は、自分のせいでその存在を消してしまったかもしれないこの身体の元の持ち主に対する罪悪感が募るのだった。


ヒューっとひときわ強く風が吹いた。


風になびく髪がうっとおしくて耳にかける。


はあ、と窓枠の上に組んだ腕に顎を乗っけてため息をひとつ。

いつの間にか朝のいい気分から一転して暗くなってしまった。朝からこれじゃあいけないと思い、窓を閉めて、顔を洗うため、洗面所に向かった。


この家にもいつの間にかもう慣れていた。

1DKのあまりきれいとはいえないアパートの一室。玄関入って左手には洗面所と風呂場。右手にはトイレ。まっすぐ行くと居間があり、ちゃぶ台が一つ置かれている。その奥には襖を挟んで寝室があった。

最初は色々、それはもう色々と戸惑ったものだが、一週間も過ぎた今では普通に暮らせていた。

ぺたぺたと冷たい廊下を裸足で歩く。

自分以外誰もいないこの家は静まり返っており、軽そうな足音だけが、いやに耳に響いた。


ドアの横にあるスイッチを押し、明かりをつけて、洗面台の上の鏡をのぞき込む。

するとまだあどけなさを残したかわいらしい少女と目が合った。

やはりそこに映る整った顔は一週間前の自分とは似ても似つかなかった。身長も20センチくらい低く、顔も小さい。そして透き通るような白い肌に小さい鼻。猫のようにらんらんと光をたたえる瞳はまるで宝石のよう。かわいらしいおちょぼ口はリップも塗っていないのにプルプルだ。背中まで届く寝起きでぼさぼさな髪も絹糸のようにつやつやで、触ると手から滑り落ちるほどのなめらかさ。


何度見ても惚れ惚れする美しさだ。我ながら横顔を描く優美な曲線には思わず感嘆のため息を吐いてしまう。しかしそれは客観的に見た場合。今の由紀にとってはこれは紛れもなく自分そのもので、胸が高鳴るとか欲情するとかそういった恋愛感情は覚えるはずもなかった。


ちゃちゃっと洗顔と歯磨きを済ませると台所に向かい冷凍庫の中から食パンを一切れ取り出す。それをトースターにぶち込んで待つこと四分。チンッという音と一緒にパンが跳ねる。それをお皿に乗っけていちごのジャムを上に塗りたくり、パクリ。

食べながら由紀は今日の予定について色々考えていた。


この坂上悠里の身体に入ってから早一週間。しかし由紀がこの少女についてわかったのは少しだけだった。

まず坂上悠里という人物はこの近隣の公立高校に通う高校二年生であるということ。それなのになぜかこのおんぼろアパートで一人暮らしをしていること。家賃や生活費はどこからかはわからないが通帳に定期的に振り込まれているらしいこと。そして携帯はどうやら持っていないということ。

これらは寝室にあった制服を調べてわかったことだ。女子高生の制服に興味があって漁ってたらたまたまわかったというわけではない。断じてない。


まだまだ謎に包まれたままのこの少女。学校に行ってみれば割とすぐにいろんな情報を得られると思うが、さすがに何もわからない状態で以前のこの少女を知っている人と話すのは憚られる。


だから今日はさらに詳しく今の自分について知るべく、もっと家の中を隅から隅まで調べまくって情報収集をしたいのだが……。

皿の隣に置かれた、さっきまで食パンが入っていた空っぽの袋に目をやる。

そういえば冷蔵庫の中のものはこれで全部食べてしまった。大量にあったカップ麺も昨日で最後だったように思う。

つまり、もう食べるものが無い……。


ということで、今日の予定は食料品の買い込みに決まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ