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聖女は拾われる

新連載です

よろしくお願いします




 荒い息遣いが、木々を揺らす音に混ざる。



 1人の少女は道なき道をただ闇雲に走り続けた。



 スカートの裾が枝に引っかかって裂ける。石に躓いて転ぶ。白い肌には無数の傷が刻まれていた。



 追手の声はもうしない。しかし、背中には未だにヒリついた視線のようなものが付き纏っていた。




「ごめんなさい……ごめんなさい、お姉様……!」




 切れた息に嗚咽が混ざり少女は咽せる。



 今どこにいるのかはもう分からない。

 疲労の溜まった脚は思うように上がらない。


 しかし、まだ捕まるわけにはいかない。




 月明かりのない真っ黒な森の中、少女は懸命に脚を動かした。


 


「えっ__?」



 足が空を蹴る。ふわりとした浮遊感に襲われた。

 


「き、きゃぁあああぁああぁあっ!」



 暗闇の中に転がり落ちる。

 


「かはっ__!」


 鈍い音と共に背中に強い衝撃が走る。息が止まり、視界が真っ暗になった。



 

 



 

 __ぼやけた視線の先には無数の星。月のない今日、それらはいつもより多く見えた。

 


 身体は痛くて動かせない。両手両脚は千切れてしまったかのように感覚がない。口は鉄の味がし、耳は耳鳴りのせいで周りの音が聞こえない。



(__結局わたしは、何もできませんでした)




 星明かりを眺めながら、朦朧とした頭でそう思う。ふっと自嘲めいた笑みをこぼれた。


 

 



「……!……!」


 その時、近くで男の声がした。

 見つかった、逃げなければ、そう思うも激痛の走る身体はもう動くことすらままならない。




 

(ここまで、ですね)



 身体を動かす努力をやめ、全体重を地面に預ける。もうすぐ自分も死ぬのだと、そう思ったら逃げる努力もバカらしくなった。


 


(不出来な義妹でごめんなさい、わたしもすぐそちらに……)




 ぼんやりと星空を眺める。

 段々と意識が遠くなっていく。

 木々のざわめきも、誰かがこちらに呼びかける声も小さくなって聞こえなくなる。

 


 重くなる瞼に任せて閉じようとする目に、1人の男性が映り込んだ。

 闇夜のような黒い髪は風に流されキラキラ星明かりを反射する。一際輝く金色の瞳はまるで満月のようだった。その姿に、少女は思わず目を奪われる。





「……きれい」




 その言葉を最後に、彼女は意識を完全に手放した。








 __




 柔らかい風がカーテンを揺らす。優しい花の香りが鼻をくすぐる。



「……ん」


 ツユキは窓から差し込む光でゆっくりと目を覚ました。かすみがかった目で辺りを見回す。

 見たことのない部屋だ。フカフカの布団には天幕がついている。扉のように大きな窓が取り入れる陽の光を、ドレッサーの鏡がキラリと反射する。ちょっと眩しくてツユキは目を細めた。


「ここは…天国、でしょうか?」



「ここを天国とするには、僕らの徳が足りないかな」

「っひぁ!?」



 まさか言葉が返ってくるとは思わずツユキは悲鳴を上げる。

 声の方向を振り向くと青い髪の男性が本を読んでいた。彼は視線に気がつくと本を閉じ、青紫色の瞳をこちらに向ける。



「おはよう、聖女様」




「……お、おはようございます」



 恐る恐る挨拶を返したツユキに男性は微笑んだ。ちょっと眩しくてツユキは目を細めた。

 



「あの、ここは……?」

「ここは僕の家だ。昨日の夜森で倒れている君を見つけてね、手当させてもらったよ」

 


 あの時見た満月のような金の瞳は彼だったようだ。


 しかし今は髪も青いし瞳も青紫色だ。気にはなったが、ずけずけと尋ねられるほどツユキの肝は大きくなかった。

 


「あ、ありがとうございます。ええと……」

「自己紹介がまだだね。僕はエレクティオ=アキメネス、このハルヴェスト王国で魔術師をしている者だ。アキメネス伯爵家の当主でもある。

 __あと、巷では『氷の魔王』と呼ばれているらしい。君はこちらの方が聞き馴染みがあるかな?」


「氷の、魔王様……」




 魔王、教会では忌み嫌われる単語だとツユキは思う。例え異名であろうとも、敬虔な信者なら魔王の名を冠した存在は拒絶するだろう。




「『魔王』と聞いても、君は嫌な顔しないんだね」



「魔王がいたというのは昔の話ですし、名前だけで人を嫌うのは、酷いことだと思いますから」

「うん、そうだね。君らしい答えだ」

「……??」




 一瞬、何か気になることを言われたが、尋ねようとしたところで咽せてしまった。起きてから何も飲んでいない、口の中はカラカラだった。


 見かねたエレクティオは水を差し出す。ツユキはそれを受け取ると一気に飲み干した。




「あ、ありがとうございます。すいません、お見苦しいところをお見せしました…」

「いや、こちらこそ水も渡さずに話し込んでしまってすまなかった」

「いえ、お気になさらず。

 ……改めて、助けていただきありがとうございます。アルレイエス教会の聖女が一人、ツユキと申します」

「これはこれは、丁寧にありがとう」



 エレクティオはツユキの頭を優しく撫でる。いつも頭を撫でてくれる手の温もりに似ていて、ツユキは少し嬉しかった。



 そして、いつもその頭を撫でてくれた人を思い出す。




「あの、アキメネス様」

「なんだい?」

「お姉様……聖女トパーズが、今どこにいるか、ご存知ですか?」



 それを聞き、エレクティオの表情が暗くなったのに気がつく。彼は撫でていたツユキの頭から手を離し、一部の新聞を持ってきた。




 

 その見出しを見て、ツユキの目は見開かれる。


 

「どうして……」


 


『聖女トパーズ逝去』『犯人は妹聖女ツユキか』


 

 その文字と共に、ツユキが聖女トパーズを刺し殺したというありもしない内容が新聞の一面を大きく飾っていた。





 

「__念のために聞くけれど、これは事実ではないよね?」



 その問いに、目の前の少女はコクンと頷いた。

 そのまま小さく震える彼女の目から落ちた雫が、新聞を濡らした。




「……医師を呼んでくるよ。酷い怪我だからあまり動いちゃダメだよ」

 

 エレクティオはそう言って再び彼女の頭を撫でると、転移の魔法陣に吸い込まれていった。


 

 レースのカーテンが風に揺れる音が聞こえる。

 今度こそ誰もいなくなった部屋で、ツユキは一人嗚咽を漏らした。




 ツユキは聖女と呼ばれている。

 


 アルレイエス教会に指名されて以降、彼女は姉聖女であるトパーズ=スローカムと共に巡礼や奉仕活動を行ってきた。

 孤児出身であり、強い力もない自分を快く思わない者も多く、教会内でも食事が抜かれたり使用人のやるような雑用を押し付けられたりと聖女の扱いを受けることはなかった。

 

 始めはそれでいいと思っていた。




 しかし、トパーズだけは違った。


 彼女は孤児出身であろうが分け隔てなく接してくれ、とても可愛がってくれた。押し付けられた雑用も手伝ってくれ、食事がなかった日には自分の食事を分けてくれた。



 ツユキにとってトパーズは何よりも大切な人だった。





 それなのに、どうして。




 脳裏に浮かぶのは血飛沫を上げ倒れる大好きな人の姿。効く様子すらない治癒魔法をかけながらただトパーズの名前を叫ぶ自分の声。



 『ここから逃げて』と頬に触れた彼女の手はとても優しく、弱々しかった。ツユキはその場を離れることしかできなかった。




 教会から逃げてすぐ、轟音と共に巨大な岩の柱が教会を取り囲む。それはトパーズの魔法だった。

 彼女は命を賭して、自分が逃げる時間を稼いでくれたのだとすぐに分かった。






分かってしまった。











 __自分は無力だ。




 ずっと義姉に助けられてばかりで、自分は何一つ返せていない。



 最後の力を振り絞ってまでツユキを守ってくれる義姉に、自分は役立たずな治癒魔法を使いながら、泣いて、謝って、逃げることしかできなかった。

 

 ツユキは再び新聞を見る。握ってくしゃくしゃになったそれには、優しい眼差しをしたトパーズの肖像画が描かれていた。

 




「お姉様、お姉様ぁ……」


 


 もう会えないことが哀しくて、何もできなかったことが悔しくて

 

 ボロボロと溢れる涙を、必死に袖口で拭った。

 それは泣き疲れて寝落ちるまで続いた。エレクティオが医師を連れて戻ってた時には、瞼を腫らしたツユキは嗚咽の混じった悲しげな寝息を立てていた。






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