第五十七話:灰の城塞と、引き裂かれた真実
都市の北側に広がる汚染区の最深部。
紫色の猛毒ガスが立ち込める中、巨大な大樹の根に締め上げられた歪な要塞――『灰の城塞』が、その不気味な全貌を現していた。
巨大な鋼鉄の門の前に、三つの影が立つ。
純白の防護コート『白百合』を纏い、腰の剣に手を添えたフィオーネ。
その隣には、両腕に人の頭ほどもある分厚い装甲――『ヘビー・プレッシャー』を嵌め込んだネロの姿があった。
黒シャツの下の筋肉が、片腕二十キロの死の重さを静かに支えている。
「……さて……行こうか。フィオーネ、モーディ」
「ああ」
『はいですっ!』
ネロが歩みを進めようとした、その時。
目の前の巨大な門が、重苦しい駆動音を立てて、内側からゆっくりと開かれた。
「……入ってこいってことか。……自信満々なこった」
ネロは警戒を強め、漆黒の瞳を細める。
開け放たれた城塞の内部は、ひび割れた壁から漏れ出す赤い光に照らされ、不気味なほどに静まり返っていた。
襲いくるはずの異形兵や魔獣の姿は、どこにも見当たらない。
「……最上階で待ってます、ってか……?」
ネロが軽口を叩きながら、薄暗い通路を進む。
極度の緊張感が張り詰める中、隣を歩くフィオーネが、ふと前を向いたまま静かな声を落とした。
「……ネロ。……この戦いが終わったら……旅行に行かないか……?」
「……なんだよ、急に」
死地に向かう道中での、あまりに唐突な提案。
足元のモーディも、不思議そうにモノアイを点滅させた。
『フィオーネ様?』
「……都会もいいが、辺境の村とかどうだ? 祭りをやっている村もあるだろうし……あとは聖都みたいな大きな都市じゃなくて、小さな町とか……」
「……ホントにどうした……?」
ネロが足を止め、怪訝そうに義姉の横顔を覗き込む。
フィオーネは歩みを止めず、純白のコートの袖を強く握りしめながら、少しだけ声を震わせた。
「……お前との未来を想像する事で……私も絶対に生き残ろうって……そう思ってな……」
それは、己を奮い立たせるための強烈な執着。
これまでは一人で死地に赴くことに微塵の恐怖も抱かなかった氷の調停者が、初めて手にした「生への渇望」だった。
『……なるほどっ!! いいじゃないですかっ!! そういう明るい話題も大事だと思いますよぉ!! 僕が索敵センサービンビンにしておきますから、今はどうぞごゆっくりとっ!』
ネロはわずかに目を見張り、やがて優しく吹き出すように笑うと、彼女の頭を無骨な装甲のままそっと撫でた。
「……そうだな……いいかもな。修行と仕事ばかりで、そういうゆっくりした事できなかったし。……無事終えたら、アロンゾ主席とガロ総監にお願いしてみようぜ」
「……ああ。……実はな……お前と一緒に回りたいとこが、山ほどあるんだ……」
「……あら、そんなに。……俺ってそんなに想われてたのね……」
わざとおどけたように返すネロに、フィオーネの耳の裏が一気に真っ赤に染まった。
「~~~っ!! 言わんとわからんのかっ!!」
「へいへい……わかってますよ……別に」
そっぽを向くフィオーネと、苦笑するネロ。
『さっすが、こないだチュッチュしただけあって、最近距離近いですねぇ、お二人とも……。気のせいか周りの温度も上がっているような……』
その微細な距離感を、機械の無邪気な電子音が容赦なく言語化する。
「……見てたのか……!!」
フィオーネの顔が限界まで沸騰し、氷のような殺気が足元の多脚機へと放たれた。
『やっだぁ、僕ロボットですよ。明るいも暗いも関係……あれ? ちょっとフィオーネ様ッ!?』
「やはりここで破壊しておくべきか……!」
『ひぇぇぇ……!!』
「ははは……」
いつもの騒がしいやり取りを眺めながら、ネロは胸の奥で静かに噛み締めていた。
(ほんと……これが終われば、こういうのがずっと続くんだな……)
不気味なほどに敵の現れない城塞の奥深くへ、彼らは歩みを進める。
(……いつでも俺たちを屠れる準備が出来てますよ、ってか……)
やがて。
重苦しいエネルギーの循環音が最も強く反響する、最上階の広大な空間。
王座の間へと通じる、ひと際巨大な扉の前に辿り着いた。
ネロは無言で、その重い扉を押し開ける。
薄暗い王座の間。
その中央に置かれた豪奢な椅子に深く体重を預け、長い脚を行儀悪く組んでいた女が、クスクスと喉を鳴らして立ち上がった。
アッシュ・クイーン。
セリアだ。
「……お早いお着きで……」
極光色の瞳が、細められる。
「……んふっ、お姉ちゃんに会いたくなって寂しかったのかなぁ? ネロくん」
「……頼みがある、セリア」
ネロは両腕の重い装甲を下げたまま、静かに、ひどく重たい声で切り出した。
「……あら? お姉ちゃんの事呼び捨てなんて、お姉ちゃん悲しいぞ☆」
「自首してくれ……」
「……あ?」
「罪を償ってくれ……頼む」
それは、かつて愛したただ一人の血肉に対する、ネロの最後の情けだった。
「……ネロ……」
フィオーネが痛ましそうに呟く。
だが、セリアの瞳から、一瞬にして遊戯の色が消え去った。
「……あぁ? そこの牛女に影響でもされたかぁ?」
ギリッ、と。
苛立ち任せにセリアが真紅の髪を揺らすと、異常な熱を帯びた『髪の刃』が鞭のようにしなり、彼女が座っていた椅子を木っ端微塵に粉砕した。
「なんで、私がわざわざ捕まらないといけないんだよ? 言ってみろよ、愚弟」
セリアは粉砕された椅子の残骸をヒールで無造作に踏み砕き、目をひどく冷たく細めた。
爪を立てるように自らの真紅の髪を弄るその不機嫌な仕草から、底知れぬ苛立ちと、周囲の空気を塵に変えるような威圧感が肌を刺すように広がっていく。
「あんたはベラを殺した……だから、その罪を償って欲しいんだ……頼む……」
「……はっ……なぜ私が、虫けら程度の分際の旧人類に『ごめんなちゃい』するために捕まらないといけないんだぁ? お姉ちゃんはそーんな理解が薄い子に育てた覚えはないぞぉ?」
微塵の罪悪感も、良心の呵責もない。
他人の命を、路傍の石以下のものとして切り捨てる純粋な悪意。
『……マスター……』
モーディの悲痛な電子音が鳴る。
ネロは深く目を伏せ、ゆっくりと顔を上げた。
その漆黒の瞳の奥で、押さえ込んでいた『灰色の光』が爆発的に燃え上がる。
「……じゃないと……聞き入れてくれないと……あんたを……あんたを……!」
ネロは両腕の装甲を、内部の機械が軋むほどに強く握り込んだ。
黒シャツの下の筋肉が怒りでわなわなと震え、吐き出す息が異常な熱を帯びている。
限界まで押し殺した殺意と絶望が、彼の足元の石畳に微細な亀裂を走らせていた。
「……なんだよ、私をどうしたいって言ってんだぁ? 嫌いになっちゃうぅぅぅ、ってか? 笑わせんなよぉ」
「……ぶっ殺しちまいそうだ……」
ネロの宣告と同時。
両腕の装甲から、冷徹なシステム音声が起動した。
『対単体・極大貫通プロトコル、ロード。魔導回路01〜03、直列連結確立』
キィィィン、と耳を刺すようなエネルギーの充填音が空間を圧迫する。
「……アハッ☆……怖いでちゅねぇ……ネロちゃん、反抗期でちゅかぁ?」
自分へ向けられた極大の殺意を前にしても、セリアは幼い子供の癇癪をあやすように小首を傾げた。
彼女の瞳には、己の身勝手な振る舞いを勝手に「優しさ」と解釈してすがりついてくる、盲目で可愛い弟を嘲笑うような、酷く歪んだ愛玩の色が浮かんでいる。
「……その口、閉じろや……」
ネロはギリッと奥歯を噛み鳴らし、右手の装甲をさらに強く握り込む。
彼の中にある『姉』は、少し変わっていても、いつでも自分を第一に想い、不器用に手を引いてくれた唯一の家族だ。
目の前の狂女と、記憶の中の温かな背中が同一人物であることなど、断じて認めるわけにはいかなかった。
「……なによ?」
「……俺の姉さんは、もっと優しいんだよ……もっと人を想うような人で……お前みたいな……お前みたいなクズとは違うんだよッ……!」
『警告。マナ・プレッシャー、規定値を突破。安全リミッター、強制遮断』
腕から高圧の蒸気が吹き出し、ネロの周囲の空気がひしゃげる。
「……はぁ……これはダメだな……」
「何がダメなんだよッ!!!」
ガシャン! と、肘のロックが完全に固定される重厚な音が鳴った。
『──ユーザーへの反動衝撃、予測最大値。反動相殺シーケンス、スタンバイ』
「……あんたは……そこの牛女と同じ……『家族』に夢を見過ぎてんだよ……」
セリアは心底つまらなそうに溜息を吐き、冷酷に言い放つ。
「私がいつ、お前の理想の聖女様みたいな姉だったことがあんだよ……」
「……ッ!! 俺の姉さんを汚してんじゃねぇよッ!!」
『──対象の装甲組成を、”不要物”と再定義。撃発機構、起爆準備──』
ネロは踏み込んだ床の石畳を粉砕し、視界から消えるほどの異常な速度でセリアの元へ突っ込んだ。
だが、その特攻を前にして、セリアは微塵も動揺することなく、ニヤッと歪な三日月の笑みを浮かべた。
「!?」
ネロが踏み込もうとした、その足元。
王座の間の床が、突如として不自然な幾何学模様を描いてスライドし、巨大な暗い大穴がパックリと口を開けた。
「……くっそッ!!! てめぇ!!」
空中に放り出され、真っ逆さまに下層の闇へと落ちていくネロ。
「フィオーネに手を出してみろ!!! 粉々にぶっ殺してやるッ!!」
落下しながら轟く叫び。
「あー……はいはい……それはダルセっちを倒せたらね~。楽しみにしてるよ~」
セリアは退屈そうにヒラヒラと手を振り、ネロの姿が完全に闇へ消えたことを確認すると、足元のトラップを再び閉じた。
「……さて……それじゃぁ」
セリアがゆっくりと振り返る。
その冷たい瞳が、入り口に残された純白のコートの女――フィオーネを冷酷に捉えた。
「やろうか……? 牛女……いや、偽物よ……」
今までの狂気じみた道化の態度は完全に鳴りを潜め、周囲の空気を塵に変えるような、凄まじいまでの殺意と圧力が空間を支配する。
圧倒的な格の違い。
だが、フィオーネは一歩も引くことなく、白い顔に覚悟を宿し、赤熱する剣を真っ直ぐに構えた。
『マスターの不在……。これより、フィオーネ様の防衛プロトコルを最優先としますッ!』
足元のモーディもまた、一切の冗談を捨て去り、完全な戦闘態勢へと移行する。
閉ざされた王座の間。
ネロを奪われた二人の女による、因縁と執着が交差する死闘の火蓋が、ついに切って落とされた。




