第三十八話:狂気の舞踏と、暴かれる惨劇
血と灰の匂いが立ち込める最深部。
立ち塞がる最後の重厚な気密扉。
ネロは歩みを止めることすらなく、その分厚い鋼鉄の表面に無造作な前蹴りを叩き込んだ。
ドンッ――。
重機が激突したかのような異常な轟音。
数十センチの厚みを持つはずの扉が、中央からひどく歪な形にひしゃげ、まるで脆いベニヤ板のように跡形もなく内側へと吹き飛んでいく。
ひしゃげた鉄塊が吹き飛んだ先。
そこに広がっていたのは、むせ返るような薬品の匂いと、鼓膜を打つアップテンポな音楽が支配する、巨大な実験室だった。
空間を埋め尽くすように並ぶ、数十本もの巨大なガラス水槽。
毒々しい紫色の液体の中には、魔獣の装甲や複数の臓器を無造作に縫い合わされた「実験体」たちが無数に浮かんでいる。
その悪趣味な水槽群の中央。
血飛沫とカラフルなバッジで飾られた白衣に、短いショートパンツと派手なスニーカーを履いた小柄な女が、音楽のリズムに合わせて軽快にステップを踏んでいた。
「あららぁ〜? お客さん? こんにちわこんばんわ? 初めましてかなぁ?」
女がクルリとターンを決め、口の中でガリガリと甘いキャンディを噛み砕く。
純白の外套『白百合』を纏ったフィオーネが即座に熱剣を構える中、ネロは戦棍を握る手に力を込め、低く唸った。
「……お前……どこかで……?」
ネロが踏み込もうとした足が、直感的な「死の気配」によってピタリと止まる。
パサついた灰褐色の髪を高い位置で雑に結んだ女。
その爛々と輝く黄色い瞳の奥に、トビアやカルラといった幹部連中とは比較にならない、異常なまでに純度の高い『灰光』が渦巻いていたのだ。
(……完全な適合者か……。他の連中とは、次元が違う……!)
ネロの警戒をよそに、女は子供が新しいおもちゃを見つけたような無邪気な笑みを深めた。
「ふふっ……あたしはリクト! リクト・ファーゼ。ここでは『ドクター』なんて呼ばれてる存在だよ!」
「……お前が、この悪趣味なバケモノの製造者か」
フィオーネが絶対零度の声で睨み据える。
だがリクトは悪びれるどころか、自慢の作品を見せびらかすように両手を広げた。
「そだよ〜! あたしの可愛いモルモットちゃんたちの挨拶、愛に溢れてたでしょ〜? ……でもね〜、あたしが作ってるのは、ただの『バケモノ』だけじゃないんだぁ」
「バケモノだけじゃない……?」
ネロが怪訝に眉を寄せる。
「そうっ! あたしの真の目的は、モルモット製造なんかじゃない。この素晴らしいウイルスと『完全適応できるためのクスリ』を作ること! ……忘れちゃったのかなぁ? モルモットく〜ん?」
「……さっきからペラペラと、よく喋る女だな……!」
ネロが苛立ちと共に戦棍を構え直した、その時だった。
「……あ、そっかそっか。流石に今のこの姿じゃ思い出せないか。仕方ないね」
リクトはそう言って、楽しげに深呼吸をした。
直後、彼女の体内のマナが異常な波形を描き、細胞の色素が強制的に書き換えられていく。
パサついていた灰褐色の髪がみるみるうちに輝くような金髪へと変わり、結んでいた髪が解かれて肩へとこぼれ落ちた。
金髪に、黄色の瞳。
白衣を着た、人の良さそうな女医の姿。
「……久しぶりだねぇ……ネロくん? だっけ」
「…………ッ!!!」
その姿を見た瞬間、ネロの脳髄を雷が貫いた。
欠落しかけていた四年前の記憶のパズルが、最悪の形で組み上がっていく。
「……お前……お前ッ!!」
怒りが理性を吹き飛ばした。
ネロは床のタイルを爆発的に蹴り砕き、一瞬でリクトの元へと疾走する。
そのまま、漆黒の戦棍を金髪の女医の頭上めがけて渾身の力で振り下ろした。
空気が潰れ、必殺の質量が叩きつけられる。
だが、ドォォンッ! という重い衝突音が響いた先。
「元気そうだねぇ!! あたしのお注射のおかげかなぁ!?」
砂煙が晴れたそこには、先程のパサついた灰褐色の髪姿に瞬時に戻ったリクトが立っていた。
ウイルスの力で外見を即座に書き換え直した彼女は、あろうことかその華奢な「細腕」一本で、ネロの戦棍の異常な質量を平然と受け止めていたのだ。
「……まさか……ッ!」
背後のフィオーネが、異常な光景と「注射」という単語に息を呑む。
戦棍を押し返そうとするネロの視界に、四年前の凄惨な光景がフラッシュバックする。
『村の皆さん、ルメンティアからの支援物資です! 無料の健康診断と、予防薬の配布を行っていますよ!』
あの日。
村の広場で笑顔を振りまき、村人たち一人一人に「薬」を注射して回っていた医療団の女。
「そうだッ!! こいつ……こいつらッ!! 国の補助金で無料でやってる健康診断の医者団に混じって、ウイルスをばら撒いてやがったんだ!! そうだろッ!!」
ネロの咆哮が、音楽を切り裂いて実験室に響き渡る。
「アハ……アハハハッ!! そうだよ! その通りだよ!!」
リクトは細腕で戦棍を受け止めたまま、ゲラゲラと心底おかしそうに笑い転げた。
「みんなぁ、ほぉぉぉんとにだぁぁぁれっも疑わないんだからバカだよねぇ! タダより高いモノはないって、パパとママに教わらなかったんでちゅかぁ〜?」
「てめぇッ!!!!」
「アハハハハハハハッッ!! アハッ、アハハハハハッ!!」
狂気的な笑いが止まらないリクト。
ネロの中で、ギリギリで繋ぎ止めていた理性の糸が完全にブチ切れた。
「てめぇはここで……殺すッ!!!」
ネロは抑え込んでいたウイルスの力を、一切の制限なく完全に解放した。
黒シャツの下、右腕と脚部の筋肉組織が悲鳴を上げて隆起し、メキメキと異様な音を立てる。
漆黒の瞳は完全にどす黒い『灰光』に塗り潰され、漏れ出した殺意が物理的な重圧となって床のタイルをさらにひび割れさせた。
『対単体・極大貫通プロトコル、ロード。魔導回路01〜03、直列連結確立』
『マナ・プレッシャー、規定値を突破。安全リミッターを強制遮断します。……マスター、衝撃に備えてください』
無機質なシステムの警告音が鳴り響く。
「……へぇ……最新の対魔獣兵器かぁ……。あたしとどっちが上かなぁぁぁ!?!?」
『──対象の装甲組成を、”不要物”と再定義。撃発機構を起動──』
「オラァァァァァッ!!!」
ゼロ距離で空間を圧縮し、絶対的な死の質量を持った鋼鉄の杭が、リクトの華奢な胴体めがけて音速で撃ち出される。
だが。
「アハッ!」
凄まじい爆音と衝撃波が実験室を吹き飛ばした直後。
土煙の中で、ネロの戦棍は完全に停止していた。
リクトの白衣の右袖が弾け飛んでいる。
今まで戦棍を受け止めていた彼女の右腕は、ウイルスによって異常なまでの質量と硬度を持つ「異形の巨腕」へと変異し、音速で撃ち出されたパイルバンカーを真っ向から受け止めていたのだ。
「……まぁまぁの威力かなぁ? アハッ?」
巨腕の肉が裂け、硬質な骨が砕ける嫌な音が響いている。
パイルの威力によって腕の半ばまでは破壊されているものの、完全にちぎれ飛ぶには至っていない。
そして何より恐ろしいのは、砕けた端から肉片が蠢き、傷口が異常な速度で「再生」を始めていることだった。
だが、ネロの腕に微塵の淀みも生じない。
適合者の異常な身体能力と再生能力など、一人と一体にとっては先の戦いでとうに学習済みのデータに過ぎない。
ネロは戦棍を引くどころか、さらに深く踏み込み、そのまま身体を捻って強引にグリップをねじ込んだ。
『──対象の生体活動継続を確認。予測プロトコルに基づき、魔導回路、再起動。次弾装填します──』
「げっ!?」
冷酷なシステム音声が響き、内部機構がガチャリと回転する。
腕の再生を待つ気など微塵もない、無慈悲で流れるような追撃の動きに、リクトの顔から初めて余裕の笑みが消えた。
「……死ね」
感情を削ぎ落とした、呪いのような一言。
ゼロ距離からのパイルバンカー第二撃が、狂気のドクターの巨腕めがけて容赦なく叩き込まれた。




