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『孤独になった俺を、彼女は最後まで家族と呼んだ』  作者: ブヒ太郎


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第十五話:沈黙の予兆と、完璧な上司

聖都ルメンティアの中央塔、その最上層。


分厚い防音扉に守られた管理総監室の中で、フィオーネはガロ・ヴァレンティの巨大なデスクの前に直立不動で立っていた。


純白の防護コート『白百合ジリオ・ビアンコ』には、地下で浴びた泥と汚れがそのまま残っている。


「ふむ……。謎の女性に、それに付き従う大型魔獣か……」


ガロは組んだ手の上に顎を乗せ、地の底から響くような重厚な低音で唸った。


「はい。にわかには信じられませんが、魔獣は明確にあの女性の指示で動いていました。……変異のプロセスを人為的にコントロールしているとしか思えません」


「……私の部下たちから報告が上がっていた、謎のテロ組織と関係があるかもしれんな」


ガロは引き出しから一冊のファイルを取り出し、無造作にデスクの上に置いた。


表紙に記された『沈黙の灰』という文字列。


それを見た瞬間、フィオーネの視線が氷のように鋭く冷える。


「……まさか、四年前の事件も、その組織が関わっていたとお思いですか?」


「まだそこまでは断定できん。だが……人間が魔獣を兵器として使役するなど、絵空事と思っていた事が現実になったのかもしれんな」


すべてを見透かすようなガロの眼光が、ファイルの表紙からフィオーネへと移る。


彼女は、コートの脇に下ろした拳を、爪が食い込むほどに無意識に強く握りしめていた。


「………ウイルスの、適合者。……ネロが、もし奴らと同じように……」


「……まだ、彼が完全な適合者になったとは言えん。本来であれば、ウイルスは宿主の狂暴性を増長させるものだ。だが、ネロには今のところその傾向がない。……お前が繋ぎ止めているからな」


張り詰めた空気を解くように、ガロはわずかに声音を和らげて深く息を吐き出した。


「フィオーネ。今はネロの元に居てやれ」


「……承知致しました、閣下」


フィオーネは張り詰めていた息を静かに吐き出し、鮮やかな動作で敬礼すると、踵を返して足早に管理総監室を後にした。


重厚な扉が閉まる音が広い室内に反響し、再び完全な静寂が落ちる。


一人残されたガロは、巨大な窓の外に広がる聖都の空を見つめて、ぽつりと独り言を漏らした。


「……フィオーネは、ようやく“家族”を手にした。……壊すなよ、ネロ」


巨大な窓の向こう、青き魔導伝導路が血管のように聖都を静かに巡っている。


ガロはその光景を無言で見つめたまま、もう何も口にしなかった。



管理総監室を辞し、無機質な大理石の廊下を歩くフィオーネ。


その視線の先に、一人の男の姿があった。


汚れ一つない純白のスーツに、綺麗に整えられた金髪。


ネロたちの直属の上司にあたる調律官、ルカ・グラディだ。


「……やぁ、フィオーネ君。勤務ご苦労様」


ルカは足を止め、慈愛に満ちた温和な笑顔と優しい瞳をフィオーネへ向けた。


「……ありがとうございます」


フィオーネは歩みを止め、一切の感情を排した平坦な声で短く応じた。


「聞いたよ。ネロ君が今回の任務で怪我を負ったんだってね? 大丈夫かい、彼は」


その声には、部下を心から案じる理想のリーダーとしての響きが、不気味なほど完璧に乗っていた。


「……問題ありません。幸い、軽傷です」


「……そうか。それを聞いて安心したよ」


ルカは安堵したように胸を撫で下ろす仕草を見せ、柔らかな笑みを一層深めた。


「聞けば、あの大型魔獣を単独で葬ったらしいじゃないか。もし彼があの場にいなければ、今頃地下から街へ被害が拡大し、多くの死傷者が出ていたはずだ。……本当に、彼には感謝してもしきれないよ」


人外の域に達したネロの異常な戦果に対しても、恐怖や疑念の欠片も見せず、ただ純粋な賛辞だけを口にする。


あまりにも淀みないその言葉に、フィオーネは瞬き一つせず、小さく頭を下げた。


「……義弟には、ルカ調律官がそのように仰っていた旨をお伝え致します」


「ああ。もちろん、フィオーネ君の冷静な調査や判断能力も、僕はちゃんと買っているよ。本当に、優秀な義姉弟を部下に持てて、僕は幸せだ」


「……ありがとうございます。……私は義弟の体調を見ますので、これにて失礼します」


「ああ、引き留めてすまなかったね。彼にゆっくり休むよう伝えてくれ」


ルカは純白のスーツの裾を揺らし、温和な笑顔を微塵も崩さないまま、その場から優雅に歩き去っていった。


白スーツの背中が廊下の角を曲がり、完全に見えなくなったことを確認してから。


フィオーネは、肺の底に溜まっていた重たい空気を細く吐き出すように息を継いだ。


都市の暗部を統べる男たちの不可解な重圧から解放され、彼女の顔に、わずかに義姉としての焦燥と温度が戻る。


愛する家族が待つレンガ造りの家へ向けて、彼女は足早に帰路を急ぐのだった。


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