第十三話:穿たれる絶望
湿った空気と鉄錆の臭いが充満する地下水路。その静寂を、骨を震わせるような咆哮が引き裂いた。
短い呼気と共に、ネロが床を蹴る。
右手に握られた漆黒の重棍が、暗闇を切り裂き鈍色の弧を描いた。狙いは巨大な魔獣の頭部。だが、異常に肥大化した巨躯に似合わず、相手の反応速度は桁違いだった。
暗がりに青白い火花が散る。重棍の先端と硬質な装甲が激突し、ビリビリと空気が震えた。
「……ッ、硬ぇな!」
骨が軋むほどの反発力が、ネロの両腕を襲う。魔獣は強靭な前腕を覆う装甲を盾にし、ネロの渾身の一撃を真正面から受け止めていた。
ネロの動きが一瞬だけ止まった、その隙を突いて。
魔獣は受け止めた勢いそのままに、丸太のようなもう一方の腕を横薙ぎに振るう。
「ぐっ!?」
ネロは咄嗟に重棍の柄を盾にして防ぐが、圧倒的な質量の差に押し負け、後方へと弾き飛ばされた。
水路の乾いたコンクリートの上を幾度も転げ回る。だが、摩擦で焼ける皮膚の痛みに顔をしかめつつも、勢いを殺して滑るように受け身を取り、すぐに片膝をついて体勢を立て直した。
視線の先。悠然と腕を下ろした魔獣の装甲には、蜘蛛の巣のような亀裂が走っているだけだった。
「……!! ネロ!!」
フィオーネの悲痛な声が反響する。
純白のコートを翻した彼女の顔からは血の気が引き、瞳孔が焦りに小さく収縮していた。
「やはり一人では無理だっ! 私が囮になるから、お前は奴の頭を狙えっ!」
フィオーネが握りしめる剣の刀身が、ジリジリと赤熱化していく。超高温の陽炎が彼女の横顔を揺らす。重心を低く落とし、ブーツの底でコンクリートを強く踏み締めた。
「私が突撃して注意を引く。その隙に――」
「やめとけ、フィオーネ」
飛び出そうとした彼女の視界を、ネロの掌がスッと遮った。突き出されたその腕は、微塵も震えていない。
「……何を考えている!? 奴は尋常な変異個体じゃないぞ!」
「それは俺の台詞だ。そんなどこにでもある剣一本で、どうにかなる相手じゃないだろ」
振り返ったネロの顔に、焦りはない。
ただ、目の前の巨体を「どう解体するか」だけを静かに測る、弟としての温度を完全に捨て去った冷たい目をしていた。
「……それはそうだが、他に手がない!」
「フィオーネは、俺が万が一やられた際に担いで逃げてくれよ、な?」
死地を前にして、ネロはふっと柔らかく笑ってみせた。
だが、彼女を守るように広げられたその背中からは、背後にいるフィオーネの肌をヒリつかせるほどに冷たく、重い殺気が放たれていた。
「……わかった。無理だけは、するな」
フィオーネは剣を握っていない方の拳を、爪が食い込むほどに強く握りしめ、一歩後方へ退いた。
「……気にすんな。フィオーネは考える役で、俺は暴れる役だ。適材適所ってやつだろ」
ネロは再び、身の丈ほどもある重棍を構え直す。
グリップに指が食い込み、黒シャツの下で筋肉が不気味に隆起していく。人間の限界を強引に引き剥がすように、皮膚の下でどす黒い熱が脈打ち始めた。
「……モーディ。頼む」
短い囁き。それに応じるように、重棍の側面に搭載されたモノアイが、冷酷な赤光を明滅させた。
『対単体・極大貫通プロトコル、ロード。魔導回路01〜03、直列連結確立』
感情の温度を一切持たない機械音声が、水路に響く。
「……!? ネロ!! それは人が使っていい出力じゃない!」
フィオーネが息を呑み、制止の声を上げる。だが、ネロの漆黒の瞳の奥では、すでに不吉な灰色の光がチロチロと燃え上がり始めていた。
『マナ・プレッシャー、規定値を突破。安全リミッターを強制遮断します。……マスター、衝撃に備えてください』
『──対象の装甲組成を、”不要物”と再定義。撃発機構を起動──』
重棍の内部で複数の回路が繋がり、凄まじい高周波の共鳴音が鳴り響く。
ネロは魔獣の巨体を視界の一点に縫い留めた。呼吸が止まる。脚部の筋肉が悲鳴を上げるほどに、体勢がさらに低く、深く沈み込んだ。
「ネロ!! そんなの使ったら、腕一本じゃ済まないぞ!!!」
「吹っ飛べ! 化け物っ!!!」
足元のコンクリートが粉砕され、ネロの身体が一発の「弾丸」となって弾け飛んだ。
大型魔獣もその強烈な脅威を察知し、両腕の分厚い装甲を交差させて最大級の防御態勢を取る。
だが――。
「おらぁぁぁぁっ!!!」
魔獣の交差させた腕と、熱を帯びた重棍の先端が接触した瞬間。
限界を突破した撃発機構が、ゼロ距離で解放された。
音速を超えて打ち出された極大の鋼杭が空気を圧縮して弾ける。視界が真っ白に染まるほどの爆風が、狭い水路を嵐のように駆け抜けた。
物理法則をあざ笑う異常な推進力。
魔獣の「無敵」だったはずの装甲は、肉も骨も、背後の分厚いコンクリートの壁ごと、跡形もなく消し飛んでいた。




