俺くんは国際交流委員46「エリスと源氏物語」
アロハとのトラブルの後、さすがに以前よりは行動を控えるエリスだったが、俺のそばに寄ってくるのは相変わらずだった。
廊下ですれ違った時や昼食の後など、俺がひとりの時にはいつも必ずそばにやってきて、いろんな話をしたがった。
エリスと過ごす時間が増える=アロハとの時間が減るということになる。
「今日はエリスの対応をしなければならない」と言うと、アロハはとても寂しそうな顔になる。
でも、正面から俺を非難することはしない。
アロハもエリスに気づかいをする部分もあったのだろう。
彼女も日本に来た当初は、さまざまな困難にあったから。
ある日の放課後、俺はエリスと図書室にいた。
源氏物語について調べたいとエリスが言ったのだ。
俺にその知識はないので、図書室の資料を利用することになった。
司書の先生の力を借りて、まずいくつかの資料をテーブルに並べた。
資料はそろったが、これをどうエリスに説明しよう。
話し始めると、エリスの知識は俺よりも豊富だということがすぐに分かった。
あらすじだけでなく、登場人物ひとりひとりについて、自分の意見を持っている。
だから、エリスが多く語り、俺の方が逆にいろいろ教えてもらうという状態だった。
エリス「俺くん、源氏物語の中に好きな登場人物はいる?」(英語)
俺「俺が知っているのは、光源氏と紫の上だけだ」
エリス「もっとたくさんの女性たちが出てくるよ。他の人は知らないの?」
俺「知らない。いろんな女性が登場することはなんとなく知ってたけど」
エリス「日本の高校生の知識は、みんなその程度なの?」
俺「(痛いところを突かれた)高校2年になると、古典の授業である程度詳しく習うようだけど、中学までの知識では、みんなもその程度だと思う」
エリス「源氏物語については、私も日本に興味を持つようになってから知った。そうして調べていくうちに、光源氏という一人の男性が、なぜあんなにたくさんの女性たちから愛されたのかに興味を持った」
俺「ドイツの学校では、日本や源氏物語について勉強するの?」
エリス「それほど勉強はしない。私が日本に興味を持ったのは、やっぱりアニメとかユーチューブを見てからだった」
俺「そーなんだ」
エリス「初めは今の日本の文化が面白いと思った。それからだんだん日本の歴史や古い文化についても興味を持つようになった」
俺「すごいね。自分で調べたの?」
エリス「そう。ネットでいくらでも情報を得ることはできるし、外国人向けの動画配信もされてるから、それでいろんなことを知った」
俺「だから俺なんかよりもずっといろんな情報を持ってるんだね」
エリス「日本に来て、みんなが自分の国のことについてあまり知らないことにびっくりした」
俺「そーだね。恥ずかしいことなんだけど」
エリス「それでね、日本人が源氏物語やその登場人物についてどう思ってるのかを、ホントは知りたかったんだけど、ちょっと無理かな?」
俺「ごめんね、話し相手にならなくて」
エリス「でも、国語の先生なら知ってるよね」
俺「そーだね。先生に聞いてみるといいかもね。今度、放課後とかに聞くといいよ」
エリス「うん、そうする。源氏物語について、俺くんは他に何か知ってる?」
俺「光源氏っていうプレーボーイが、たくさんの女性と交際したということくらいかな」
エリス「それについて、俺くんは、どう思う?」
俺「うらやましい部分もあるし、俺にはムリかなという部分もあるし」
エリス「そうなんだ。でも、男子はモテたいんでしょ?」
俺「モテたいのはモテたいんだけど、そんなにたくさんにモテなくてもいいかな」
エリス「どういうこと?」
俺「何人もの相手に気を配ってたら、身が持たないというか、人間関係がゴチャゴチャになっちゃう」
エリス「そうね。大変ね。でも、日本には、ひとりの男性がたくさんの女性と交際することについて、倫理に反していると捉えない文化があったんでしょ?」
俺「そうだね。昔はそうだったみたい。でも、俺にはムリかな。エリスはどうなの?」
エリス「私はひとりの人を愛したい。本当に愛すべき人を」
俺「……」
エリス「だから、その人がどういう人なのかを知るために、よく話して、よく見定めたい。それがやがて、自然と交際につながると思う。恋愛に臆病なのかもしれないけど」
俺「そんなことないよ。俺もそう思うよ」
エリス「俺くんも?」
俺「俺もエリスと同じで、自分でよく考えて、相手にも自分をよく知ってもらって、それから付き合うんなら付き合いたい。そうしないと、相手に失礼な気がする」
エリス「私もそう。確かに最初の『好きかも』っていう感覚はあるとしても、そこからちょっと時間をかけたい。時間をかけて、相手を知って行きたい」
エリスはとても聡明な人だった。
☆☆☆☆☆
積極的なタイプに感じていたエリスの印象が、今回話してみて少し変わった。
エリスは、人への好奇心が強いのだろう。
相手をよく知りたいから、相手に接近していくことをためらわない。
もしそうならば、先日のアロハとエリスのバトルは、違う意味を帯びてくる。
あの場にいた人は、次のように思ったろう。
エリスは俺のことが好きで、同じく俺を好いているアロハと、俺を巡って争っていたと。
しかし、あの時のエリスには、俺に対してまだそこまでの感情はなかった。
アロハにしてみれば、完全に、好きな人がエリスに取られてしまいそうだと思っていた。
「自分の好きな人が、他の女にちょっかいを出されている。それを阻止しなければならない」。
彼女はそう思っていた。
エリスと源氏物語について話を進める過程で、俺は自分の人間関係について考えさせられた。
また、俺自身はどうしたいのか、どうすべきなのかを考えていた。
「でも、そんなにたくさんの女性に愛された光源氏に、会ってみたいとは思うけどね」。
エリスはそう言って、またあの目じりを下げた笑い顔を俺に向けた。
途端に人懐っこい表情になる。
彼女のこの表情を見せられるたびに、俺はドキッとする。
心が動かされる。
エリスにもっと近づきたくなる。
これはいけないことなのだろうか?
エリスは続けた。
「光源氏という人は、たくさんの女性と誠実に交際した。今の価値観で言うと、不倫であり不誠実でしかないんだけど、女性たちはみな、彼に愛されることを望んだ。愛を注がれると喜び、愛が枯れると悲しみに暮れる。年寄りも、若い人も、醜い人も、欠点のある人も、女性は皆、彼に愛されたがったし、実際に愛された。そうして光源氏は、それぞれの女性を決して見捨てなかった。期間が空くことはあっても、必ず愛を伝えた。だから女性たちは、はかない愛であっても、彼に心をささげたのだと思う」
俺は、エリスの話を聞いていて、光源氏という男は、誠実なのか不誠実なのか、面食いなのかそうじゃないのか、なんだかよくわからなくなっていた。
女性が心ひかれる男性とは、どういう人なのだろう。
俺も、光源氏や源氏物語についてもっと知りたいと思った。
そうして、俺にそう思わせてくれたエリスに、感謝の気持ちを抱いていた。
こんなふうに、エリスは俺に、いろいろな知識や考え方を教えてくれた。
それなのに、さえない俺はエリスに何もできていない。
そのうち、「あなたって、ツマラナイ人ね」と言われて、ポイされるんじゃなかろうか。
それは嫌だな……
俺って、いつも、人からいろんなことを教えてもらっている。
もっと意識を高く持たなければならないと、気づかされる。
みんなはどうしてそんなに大人なの?
どうすればみんなみたいになれるの?
エリス「それでね、俺くん。私、京都に行ってみたい!」
俺「エッ?(突然、どうしたの?)」
エリス「ほら、源氏物語って、京都のお話でしょ」
俺「そうだね」
エリス「だから、現地に行ってみたい。私、ずっと京都に憧れてたの。お寺や神社もたくさんあるでしょ」
俺「そーだね(外人さんは、行ってみたいよね)」
エリス「それでね、俺くん。俺くんに京都の案内をお願いしたいの」
俺「エッ? 俺に?」
エリス「そう。俺くんだと、安心だから!」
俺「ハ~(?!)」
「安心」って、どういうこと?
その意味するところを図りかねた俺だったが、この話はこれで収めておこうかと思い、「そーだね、行けるといいね」と曖昧な返事をしておいた。
エリス「俺くんと一緒に行ったら、楽しいだろうな」
俺「そーだね(そーか? 俺の知識は校庭の水たまりより浅いぞ?)」
「楽しい」って、どういうこと?




