後編
「こんばんは……」
夜になって俺の家に来たサトミは、いつもとは大きく雰囲気が異なっていた。
制服のスカートすら渋々というほどのズボン派なのに、なぜか今夜は、清楚な白いワンピース。ひらひらとしたスカートは、別にドレスというわけではないものの、少しウェディングドレスを連想させるくらいだった。
でも、せっかく食事を作りに来てくれたサトミに「珍しく女の子っぽい服装だな」と言うのも、なんだか悪い気がする。だから代わりに、こう声をかけた。
「今日のサトミ……。きれいだよ」
いや、口にしてみると、これはこれで恥ずかしいセリフなのだが。
「ありがとう、コウタ」
サトミはサトミで、妙にしおらしい態度で返すものだから、こちらの調子が狂ってしまう。
それに。
サトミの髪からは、ふわっと心地よいシャンプーの香りが漂ってくるので、俺には不思議に思えた。
いったい何故? 風呂上がりの状態で来たのか? 料理の前に身を清める、なんて大げさな話じゃないだろうに……?
――――――――――――
「うまかったよ。ありがとう、サトミ」
彼女が作ってくれたビーフシチューは、絶品だった。飽きるほど食べてきたサトミの手料理だが、明らかに、今までの中で一番の味だったのだ。
「どういたしまして。今夜は、たっぷり愛情を込めたからね。フフフ……」
と、微笑むサトミ。
あれ? こんなこと言うやつだっけ?
そもそも、これではまるで、普通の可愛い女の子に見えてしまうのだが……。
困惑する俺に対して、サトミは追い打ちをかけてきた。
「デザートもあるからね、コウタ」
「……いやいや。俺が甘いもの苦手なのは、サトミも知ってるだろ?」
「そういう意味のデザートじゃないわ。コウタったら、鈍感ね。あんなこと言ったくせに」
意味ありげにニヤリと笑いながら、サトミは、グッと俺に顔を近づける。
「デザートは私、ってやつよ」
おいおい何の冗談だ、と言葉にするより早く。
サトミの唇で、俺は口を塞がれた。
しかも。
舌が入ってきた!
いやはや、驚いた。
頬を紅潮させて目をとろんとさせたサトミが、あんなに色っぽいとは……!
引き締まった腹筋とか、小さいが故に存在を主張する胸とか、そこはかとないエロスが漂う部分もあって……。
俺にそういう嗜好があったのか、あるいは、相手がサトミだからこそ、そう感じてしまったのか。
どちらにせよ。
この日、俺たちは結ばれて、親友から恋人にランクアップした。
――――――――――――
それから一年後。
俺の部屋で、二人でダラダラとイチャイチャしていた時。
「そろそろ一周年ね」
「うん」
恋人になった記念日、と言いたいのだろうか。とても女の子らしい考え方だと思う。
「アイビーの花言葉が、きっかけになったのよね」
「うん」
そういう見方もあるかもしれない。花言葉の話をし始めるまで、サトミは、うちに来るのを渋っていたのだから。
「私、びっくりしちゃった。いきなりコウタが、プロポーズみたいなこと言い出したんだもん。コウタが私のこと、そういう目で見てたなんて……」
流れで「うん」と言いかけて。
俺は思い留まった。
「えっ、プロポーズ?」
「あら、違うの? だってアイビーの花言葉って、『結婚』とか『永遠の愛』とかよね? 絡まり合う蔦のように、二人が強く結びつく、という意味で」
「いやいや、それは少し解釈が違うぞ。絡まり合う蔦だから『友情』『不滅』になるんだろ?」
「……はあ?」
サトミは、滑稽なくらいに口をポカンと開けて、目を丸くするのだった。
危なく一周年の大喧嘩になるところだったが……。
二人で一緒に花言葉について調べたら、問題は解決した。
そもそも、どんな花にも、一つではなく複数の花言葉が存在する。アイビーの場合は、『結婚』『永遠の愛』『友情』『不滅』『誠実』『貞節』……。
つまり、俺もサトミも、どちらも正解だったのだ。俺たちは二人とも、同じアイビーの花言葉の中から違うものを思い浮かべて、微妙に誤解し合っていたらしい。
俺の方は、親友としての不滅の友情、と考えて。
彼女の方は、結婚まで見据えた永遠の愛、と考えて。
「それじゃ私、勘違いでコウタに処女あげちゃったのか……」
しみじみと呟くサトミを見ていると。
さすがに「同じく俺もサトミに童貞を捧げたんだから、お互い様だな!」とは言えなかった。
もとより、処女と童貞は等価ではない。「一度も侵入を許していない砦は誇らしいが、一度も侵入できない兵士は誇れない」と、昔の偉い人が言ったとか言わなかったとか……。
サトミにかけるべき言葉が思いつかなくて、黙ってしまう俺に対して。
彼女は、まるで憑き物が落ちたかのような、けろっとした顔を向けてくれた。
「まあ、いいか。どんな理由であれ、こうして恋人になれて、二人とも今は幸せなんだし」
あっけらかんと笑いながら、サトミは、俺の腕の中へ。
彼女を抱きしめながら、俺は思った。ああ、サトミらしい素敵な笑顔だ、と。
(「俺たち二人の花言葉」完)