AI革命
三日間の定期試験が済んだ。一週間塾へ通い詰めた。家でもできないことはないが、勉強の間は家族との不穏な空気が我慢ならない。
(いつからだろう。中学受験をやると宣言して転塾したとき?中学で成績を出しはじめた頃だ。褒められれば褒められるほど腹が立つんだ)
ホームには待合室もない、売店もない。まともに買える自販機すらない。錆が浮かんだ線路を列車がゴトゴト入ってきた。真木はエレキギターを担いで乗り込んだ。
十四時、学校を終えた子どもたちがはしゃいでいた。AIチップで学習サポートがなされている今、日本の小学校は四年制を敷き、基本的に午前中の授業で終わる。給食を食べて、それぞれ塾へと通うことになっていた。AIチップの効果が表れると、だいたい十歳前後で成績爆発や知識爆発などと呼ばれる学力向上が起き、四年で義務教育を繰り上げて、国が委託した塾で学習するシステムに変化していた。
それにしても子どもたちはやたらと元気で楽しそうにしていた。
真木は椅子に腰を掛けて、窓に後頭部を付けるように天井のLEDを眺めていた。昔では秋と呼ばれていた季節なのに、二両編成の列車の冷房は効きすぎていた。
止めてやろうかと思うが、これが一時間後、都市圏の夕方のラッシュになると、必要になるんだなと思うと、田舎者は我慢しなければと半ば演技にも似た笑いを浮かべた。
真木はAIチップの効果はなく、小学生と中学生を六年、三年と通い続けた。憧れの特別高等教育プログラム登録者にはなれず、時短勉強もできないまま、学校で普通のカリキュラムを与えられ、塾へ通った。
同じ学区、同じ住宅地で生まれたので、真木と冴子とは同じ小学校に通いはじめた。幼児期の生成AIチップの埋め込みに成功した冴子は小学生ですぐに数十年前の高校レベルの実力を発揮しはじめた。
だから彼女はもういない。
実際近くに住んでいる。
(……もういない)
会おうと思えば会えるが。
(今さら……)
小学も免除され、今は高校生クラスの委託塾へ通学していると聞いている。近くに住んでいるのに、こうも会わなくなるとは。両親は腫れ物に触れるように話さないし、真木からも話すこともない。真木はナノ生成AIチップを埋め込まれたのか埋め込まれなかったのか、失敗したのかすらわからないまま、特に爆発的な成績向上もなく小学生を過ごした。
(元気だな……)
小学生が騒ぎすぎて、病院へ行くのだろうか老人に叱られているのを見ていた。すると老人は真木をジロリと見てから近付いてきた。
「おまえも高校生なら注意しろ」
「中学生です」
「中学も高校も同じだ。AIだがなんだか知らんが賢ければ何をしてもいいわけじゃないんだぞ」
「俺に言われても」
「おまえがいちばん上だろ」
(あんただ)
「おまえはAI埋め込まれたのか。埋め込まれてれば普通の中学に通っとらんわな」
「そうですね」
真木は不機嫌に答えた。
よく揺れる列車が塾のある駅に着いたので、ギターをぶつけないように降りると、肩の力を抜いた。
(しかしやかましかったな)
耳がザワザワしていた。
□ □ □
真木は冬の冷たい空気の中、無人駅で降りた。何のために塾へ行ってるのか。自分でも笑いながら駅のフォームから繋がる急な坂道を国道まで歩いた。列車がバリアフリーでも駅の坂は冬の青空まで続くのかと思えるほどだ。国道を背にして陸橋を列車の屋根の上を越えた。
塾へ行くと、いつものダークスーツ姿の塾長が、ベンチに腰を掛けて煙草を吸っていた。毎日同じ服だとわかるということは、毎日通っているということなのだ。少し早く行くとサングラスをした塾長はベンチで背もたれに両肘をついて寝そべるようにして空を眺めていた。
「何してるんですか」
「飛行機を見てるんだよ」
真木はリュックから水のボトルを出した。塾長は指で持った缶コーヒーを口に含んだ。やる気もないように見える塾長なのに生徒が多い。
猫も多い。
「いつもスーツですね」
「教育委員会がスーツ義務付けしてるんだからよ。正装だよ」
「着ないとどうなるんですか」
「認可取り消しだな。認可条件は意外に厳しいんだぞ。内申点は?」
「トップですよ。テストの結果見ますか。今回は百点もあるんです」
「いらん」
冴子が嫌いだと言っていた塾長は生徒を叱ることもなければ、褒めることもなかった。少なくとも真木には無関心だ。インターネットもなくスタンドアロン形式で、はじめは不安があるかもしれないが、ずっと不安なら依存症だと鼻で笑われた。
母親がである。
この塾では教えてもらうまで待つこともなく、勝手に次に進んで爆沈することもある。調べることは棚一杯に今では数少ない紙媒体が並べられていたので、この量の本を自由にできた。三冊読むと何となく理解できることに気づいた。
「トイレは共用はNGだ。自習室は人数分確保してなきゃならない。昼食用の部屋も確保すること。照明はとかあるんだよ」
「大変なんですね。僕は家で勉強してると腹立つんですよね」
「何が」
「がんばってるかとか、成績褒められるとか腹立つんですよ」
「おまえが悪い」
「僕ですか?」
「ああ」
しばらく間が空いた。真木が答えないのを見届けてから、塾長は缶をへこませて、ニヤッとした。
(何かつまらないこと言うな?)
「自画自賛が足らんからだ」
「はあ」
「天上天下唯我独尊の気構えで生きてりゃ外の声なんて聞こえん。お釈迦様が悟っただろ?人の話を聞いてもろくなことはないと」
(そんなこと悟ってたかな)
真木は首を傾げた。
塾長は立つと、冷房の効いた廊下を歩いた。踏み締めるように階段を二階へ上がると、数人の小学生がバラバラのボックスで勉強していた。
真木は壁一面の本棚を見た。
いつ見ても壮観だ。
参考書まである。
「ここにあるすべて、ほとんど世間ではデータ化してません?タブレットにすればゴミ減らせますよ」
「これがゴミに見えるのかよ」
塾長は怒っているのか怒っていないのかわからない表情だ。真木も数年のつきあいから、こんなことで彼は怒らないと知っているので、普通に話せている。むしろ彼は他人の考えを聞いて楽しんでいるのだ。
「すみません」
「ま、興味ない奴にはゴミに見えてもしようがないわな。フィギュアなんてのも俺にはゴミかカネにしか見えないし。そんなもんだ」
塾長は単語帳を出した。単語などはAIの初期ネットワークに組み込まれていて、うまく展開されると意味も綴りも出てくるので、今では覚えるためには誰も使わない。しかしこの単語帳はページが摩耗し、黒ずんでいた。一つ一つはチェックを入れられ、頭に来たのかぐしゃぐしゃと塗り潰された単語もある。
「趣味で集めてるんだ。オールドタイプの勉強法の時代の本だな」
「レトロですね」
「たまに見るといろいろと気づくこともある。昔の人が使っていたものを見ていると、知識は知識でしかないことがわかる」
「昔の人のことを知ると勉強になりますね」
塾長は笑い飛ばした。何でも勉強だと思っているのは間違いなのかと考えていると、塾長はこんなものは単なるレトロ趣味だと自嘲した。
「ただ俺自身、こうして古い参考書から自分を探してるんだ」
「昔の参考書や問題集で?」
「誰のものかわからんメモ書きなんて見ていると、どこの誰だかが自分と融合するんだよ」
膝高さの棚は小学生と身長に合わせてくれ並んでいたが、ほとんど読まれていない。今では学校から消えた図書室とは、こういうものだったのかなと想像した。
塾長はこの「何か」が見える。
実際、塾長はAI生を見極める力は群を抜いていいらしく、ここで気づいてもらい早期転塾した生徒も多いと噂されていた。コツがあるのかと尋ねると、見えるのだと答えた。
「で、何しに来た」
「ギター返しに来たんですよ」
「俺、ここに来て三年すよ」
「四年半だ。お別れか。春なのに〜お別れですか〜♪だな」
「別れませんよ。高校も来ます」
「で、高校どこ行くんだ」
「私立川北高校進学クラスです」
しばらく間があいた。
たぶん何も考えていない。
「何で?」
「もっと勉強したいんです。AI組とか関係ないですよ」
「そんなこと話してたな」
塾長は絶対に忘れていない。この塾は宣伝もしていないし、無人駅の近くに看板も出していないが、勧められただけはある。
「で、ギターやめるのか」
「新しいの買えるんですよ」
「そりゃよかった」
真木は楽器屋で弦を交換してもらってきたと話しながら、ギターケースから出した先生の彼女のギターをスタンドに立て掛けた。観葉植物に隠れるようにして置かれていた。
「アンプはまた返します」
「まだコード以外練習しないのか」
「コードは孤独で美しいんですよ」
「そりゃ話の合う連中が集まって話してたら楽しいだろうよ。だが世の中そうじゃない」
「何か弾いてくださいよ」
エレキギターの隣のアコースティックギターを持ち上げると、椅子に腰を掛けると、ジョン・デンバーという人の曲を軽く弾いてくれた。
(他の生徒がいるのに)
真木は頼んでおいて笑えた。
塾長はアコースティックギターを調整して、アメリカの歌手ジョン・デンバーの『カントリー・ロード』という曲を弾いてくれた。小学生も中学生も、またあんなことやってるというような含み笑顔で見た。
「貸してやるよ。そっちは扱いやすい。ギターてのは弾いてもらうために生まれてきた。飾られるよりも弾いてもらえると、下手くそでもうれしいはずだ。やってみなよ」
何だか古いシールが剥げかけたギターケースに入れて持ち帰ると、両親は夜に会議をしていた。こんなことをさせるために通わせているのではないという話を聞いて笑えた。
「先生、不思議ですよ。コードって誰にも邪魔されない完ぺきな和音なんですね」
「完ぺきな並びか」
「ここに違う音が入るとダメなんです。不思議だと思いませんか?でも入れられそうに思えてくるんですよね。この空間は卑怯ですよね」
「卑怯ときたか。今んところそれでもいいとは思うけど、いずれ何かが見える」




