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#377 速習古典リパライン語・Ⅰ “文字”


「さて、Dデイは決まったわけだが、それまでに空白の一日があるわけだが」


 いつの間に買ったのか片手に持ったスナック菓子の中身を突きながら、葵はそう小さく言った。ホテルに戻った後、再度今後の予定について詳細を詰めようと葵の部屋に再集結し、あらかた "cirfen snenik" の進め方についてお互いに同意した後の話だった。

 確かに、集会の日が "ciumil" であり、"cirf" が来るなと言われた日なのであれば、その間に一日 "kirk" が挟まる。用もないのに集会場に足繁く通って、ボロを出して怪しまれるのも良くない。

 空白の一日の存在に目を向けていなかった七海はため息を付いて、ベッドを挟んで向かいのスツールに腰を落ち着けた。前髪を横に流してから、葵の方へと視線を向けた。


「あまり外出するのも良くないと思うのだけれども」

「そうか? むしろ、あれだけ聞いてその日までホテルで引き込もっている方が怪しいだろ」


 スナック菓子のかけらがついた人差し指をくるくると回しながら、葵は先を続ける。


「シェルケンの過激派が当日あの場所に居なかったとも限らない。もう既に動向を監視されてるなら、外交官の休日という体を見せておくのもありじゃねえか」

「まあ、それはそうだけども……どこに行くつもり?」

「時間を無駄にするつもりはねえからな。明日は、ちょっと付き合ってもらおうか」


 具体的なことを何一つ言わない葵のことを七海は怪訝そうに見つめるのだった。


----


「というわけで、だ」


 次の日、早速七海が連れてこられたのは、ホテルの近くにあった公園だった。ベンチとテーブルがあるところで、心地よい木漏れ日が差し込んでいる。そんなところに二人で向かい合わせに座っていた。

 その間に置かれた本を見て七海は脚を組み直す。


「"penul lineparine"、なるほど。少しは予習しておくってわけね」

「変に喋れないのをツッコまれても面倒だからな。まあ、過激派がここまで来ているってのは、それだけ戦力が欲しいという表れでもある。多少のことは気にしないだろうが、念には念をというからな。四週間も時間はないが多少は役に立つだろ」


 そう言いながら、ページを捲るとそこには文字表が存在していた。


「古典リパライン語の文字体系は時代と地域で使われるものに差異がある。ただ、ユエスレオネに住んでいるようなシェルケンが使っている標準的な古典リパライン語の文字は古リパーシェと呼ばれるものだ」

「旧? 何と比較して旧なのよ」

「ユエスレオネで一般に通用する現代リパライン語に使われる文字は新リパーシェと呼ばれているな。それに対して古典リパライン語で使われる文字は新しいが古リパーシェだ」


 七海は腕を組んで不思議そうな表情を向ける。


「今、『新しいけど古リパーシェ』って言った?」

「ああ、実は歴史的には新リパーシェの方が古くからあるんだよ。現代語の方が新しいから新と言われているだけで、古リパーシェは同じ由来でも後から派生してきた。近代で正書法改革が行われたおかげで新旧の名称の対立が定着したってことらしい。だから、俺の兄はこれを直訳するんじゃなくて『デュテュスン・リパーシェ』とそのまま音訳したのさ」


 葵が開いているページの中には25の文字が収録されていた。

 デュテュスン・リパーシェは31文字であり、6文字の差がある。これだけでも、正書法に違いがあるという葵の話は七海にはさもありなんと思われた。


「それで、表には対応するデュテュスン・リパーシェが書いてあるわけだけど、そのまま読むってわけじゃないのよね」

「現代語にある音素の一部は古典語には無いからな。あと、古典語は子音連続が目立つが、本当は曖昧母音を適宜挟んで発音していたり、綴りと発音に一部差があるのには注意だ。例えばこんな感じに」


 葵はノートにスラスラとペンを滑らせて、例を書いていく。


◆◇ ◆◇ ◆◇


lghu  /luguh/  (現代語の "lkurf(話す)" )

ohnna  /ohn̩na/  (現代語の "afnar(取り除く)" )

kooch  /koːt͡ʃ/  (現代語の "karx(望む)" )

phinolr  /finoːɹ/  (現代語の "penul(古い)" )


◆◇ ◆◇ ◆◇


「確かに結構、子音連続の読み方は違うみたいね。最初の単語は母音挿入で読んでいるけど、次のものは成節子音になっている」

「おっと、流石にエリートさんは少しは分かるようだな」

「……伊達に異世界で新人外交官ごっこをやってたわけじゃないから」


 葵は七海の言葉を受けて、くすりと少し笑みをこぼす。

 差し込む木漏れ日の中で見るその笑顔は、七海に逆に今が任務の途中であることを思い起こさせることになった。ややあって、自分が無防備な表情を晒していたのだと気づいた葵は咳払いをして、姿勢を正した。


「それじゃあ、本格的にやっていくとするか。雪沢豊雨さんよ」

「受けて立つところね」


 七海は髪をかきあげ、葵はページを更にめくる。

 ここから、彼らの「速習古典リパライン語」が始まるのだった。

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